激突目前で
「死ねぇえぇぇえっ!」
激情に駆られたザリクが気持ちを叫びながら剣を振り下ろす。背後で眺めていたタルウィにもその気持ちは理解出来た。あれだけいたはずの軍勢が、エイミーの前では無力でしかなかったのだから。
(ありえない。五大精霊の全てを現世に召喚? しかも殲滅魔法を連発? 冗談じゃないわ)
三千年前と今では状況が違う。かつては精霊を召喚する必要などは無かった。この世界に目に見える形で存在していたのだから。だが精霊が現世に存在していない今は、魔力を捧げて呼ぶ必要がある。だからこそある程度は形になる勝負が出来ると思っていた。それなのに――――。
「この化け物がっ!」
「化け物ですか……。的確な表現をどうも」
ザリクの発言を聞いて同意するような言葉を返したエイミー。そんな会話にタルウィでさえも思う。目の前の存在は化け物だと。あれだけのことをしておきながら未だに疲弊していない。それどころか強大な魔力は健在で未だに体から溢れ出している。
(継承者は女神の代理人なんて呼ばれているけれど、これではまるで――――)
女神そのものではないか。そんな感想を抱きかけたタルウィであったが、すぐさまその感想を心の内から捨て去った。女神アスタロトであるはずがない。目の前のエイミーは人間だ。全てを生みだした母であるはずがない。
(もはや勝敗は明らかだ。このまま戦えばザリクは消える)
五大精霊の一撃によって魔物の軍勢は一瞬にして葬られた。燃やされ、凍らされ、潰され、滅せられ、裁きを受けた。残った魔物は敗走を始め、今や五大精霊たちは掃討戦に移行している。エイミーの下に戻って来るのは時間の問題だ。そうなればいくら五霊でも敗北は免れない。
「退けザリク! このまま戦っても勝ち目はない! 戻れっ!」
「黙っていて下さい! これは……私の戦いです!」
エイミーが後退したのを見計らって放った高威力の魔法。だがその魔法もエイミーが展開した黒い障壁によって一瞬にして消されてしまった。それは女神アスタロトが宿す絶対の力。闇の魔法である。
「全てが無駄だと知れ。貴様では私には勝てない。旱魃の魔女ザリク」
「どこまでも馬鹿にして……。気に入らないんだよその態度がっ!」
勝てないことなど分かっていた。五大精霊を同時に召喚した時点で自分とは違う。だがそれでも戦い続けた。女神に認められた継承者が気に入らない。母に認められた継承者が気に入らない。
「…………気に入らないか」
目を閉じたエイミーは当時の状況を思い出す。あの日、確かにエミリアは感じていた。なぜこうなってしまったのかと。互いに女神を愛していたはずなのに、どうして刃を交えないといけないのかと。
「相容れないというのならば……仕方がない」
エイミーの剣が漆黒の魔力を纏った。それは全てを滅ぼす闇魔法。
「退けザリクっ! 絶対に戦ってはダメだ!」
エイミーの魔法を見たタルウィは絶叫に近い声で叫んだ。あれを受ければ確実に消える。タルウィは援護のために魔法を放とうとした。だがそれは一瞬にしてエイミーよって阻止された。
「魔法が発動しない? これは……阻害魔法」
エイミーの右手が自身の方に向いていることに気付いたタルウィは、彼女が瞬時に何をしたのかを察した。阻害魔法は相手が使用しようとする魔力を拡散させる妨害魔法の一種である。ただし現在のエイミーは他の魔法も使用している。複数の魔法を同時に使いこなすことは出来なくもないが、それは同系統の魔法ならという条件付きである。攻撃魔法と妨害魔法を同時に使うなど本来ならあり得ないのである。
「ここで死ねぇえぇぇえっ!」
「死ぬのは貴様だザリク」
ザリクが剣を振り下ろすよりもエイミーの剣が振り抜かれる方が速かった。その剣は確実にザリクの胴を払う。タルウィの目にはそう映り妹の名を叫んだ。
その瞬間、エイミーは攻撃を止めて瞬時にバックステップで後方に飛び退いた。続いてその場所に雷が落ち爆風が巻き起こり粉塵が宙に舞った。予想出来なかった出来事にザリクは吹き飛ばされていた。
「一体……なにが」
一連の出来事に唖然とするタルウィは思わずエイミーに視線を向けたが、その彼女は上空を見上げて何かを見つめていた。すぐに空へと視線を向けたタルウィは、そこにバエルの存在を見つけた。
「「…………」」
互いに無言で睨み合うエイミーとバエルだったが、やがてバエルはタルウィを一瞥するとその場から姿を消した。我に返ったタルウィは、地面に転がって気を失っているザリクのそばに駆け寄った。千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。
「……エイミー。これほどまでに強いとは」
ザリクを抱えながらエイミーに視線を向けたタルウィは、その場に立つ彼女の姿に恐怖を覚えていた。鮮血の瞳が静かにこちらを見据えていたのである。ただ追撃の意思はないのか、彼女は手にしていた剣を鞘に納めた。いつもなら侮辱されたと感じるところだが、今日ばかりは助かったと思わずにはいられなかった。どう足掻いても勝ち目など無い。
「封印魔法陣を全て破壊して力を取り戻したとしても……勝てるか分からないわね」
悔しさを滲ませながら小さく本音を漏らしたタルウィは、移動魔法陣を瞬時に展開してその場から姿を消した。
「私も甘いわね」
またしても敵を逃した自分に、エイミーはそんな感想を漏らした。だが今はそんな場合では無かった。急激に始まった体の不調。何かが抜けるような感覚。力の行使はこれが初めてでは無いが、これほどまでに長時間行使したのは初めてだった。故に、何が起こるかは自分でも分からなかった。
「これは…………まずいわね」
自身の力で体を支えられなくなったエイミーはそのまま地面へと倒れ込んだ。何かが抜けていく。それが自身の命だと気付くのに時間は掛からなかった。
「まだ死ぬわけには…………」
薄れる意識の中、誰かが駆け寄って来るのが見えた。それがディアーナだと分かりエイミーは笑みを浮かべたまま、静かに目を閉じたのだった。
◆ホルステン辺境伯領 ブリュール◆
「連携して敵を殲滅しろ! 敵は統制が無い。連携して敵に当たれっ!」
唐突に現れた魔物の群れに、アルフォンスはすぐに軍を動かした。その前線で指揮を執るのはクラリスだった。彼女は魔物の群れに飛び込みながら戦っていた。
「雑兵如きがっ! 邪魔だ」
次々と魔物を地に伏せていくクラリスは、ふと前線にあの傭兵がいることに気付いた。
「西方傭兵団……噂に違わぬ戦いぶりだな」
その剣技で相手を圧倒する戦いぶりにクラリスは心から感心していた。騎士が傭兵に劣るとは思わないが、それでもあの傭兵に勝てる騎士がどれだけ王国にいるだろうか。そう考えさせられる程、あの傭兵の戦いぶりは凄かった。その体格からは想像できないほど洗練された動き。それを見るだけで、彼が血の滲む努力をしてきたことが分かった。
「純粋な剣のみの勝負なら勝てないかもしれないな」
相手の実力を正確に把握しながら剣を振るうクラリスは、ゴブリンが振り下ろした強大な斧を軽く避けると瞬時に背後へと回り正確に急所を突き刺したのだった。
「それにしてもまさか魔物の群れと遭遇するとは」
向かってきた魔物の群れを掃討した王国軍は今、遺体の処理を行っていた。そんな中、クラリスはこの状況に首を傾げながらそう呟いた。魔獣の群れなら分からないでもない。しかし魔物の群れとなると理解出来ない。魔物はすでにこの大陸には存在しない。今やその姿は物語に登場する存在でしかないのだ。
「正直言ってもっと強い存在かと思ったが、魔獣と変わらないな」
剣に付着した血を眺めながら感想を述べたアルフォンスに、クラリスは少し呆れながら言葉を返した。問題なのはそこでは無い。魔物が存在していることが問題なのだ。
「確かにな。だが気になることは他にもある」
「魔物の動きですね」
現れた魔物は千規模だったが、全くと言っていいほど統率が執れていなかった。まるで敗走した軍そのものであり、故に討ち取るのも容易かったのである。これが組織化された軍であれば、王国軍にも被害が出ていたであろう。
「奴らは南下して来たな。もしかして帝国軍から逃げてきたのかもな」
「では帝国軍は疲弊しているかもしれませんね」
「どうかな。あの感じでは大した打撃を与えたとも思えないが。そもそもどの程度の規模だったのかも分からない。偵察でも出してみるか?」
当たり障りの無い言葉を述べたアルフォンスだったが、その内容は殆ど間違ってはいなかった。四日前に行われた戦闘。四万規模の魔物を動員して帝国軍に与えた損害は一人だけである。もっとも、その損害は帝国にとっては大きなものではあったが。
「そうですね。何名か選抜して前線の偵察に向かわせます。不測の事態には備えるべきでしょう」
魔物の存在理由が不明な以上は警戒するに越したことはない。その判断の下に偵察隊を送り出したアルフォンスたちは後日、偵察隊がもたらした報告に顔を歪めることになる。大地の至るところに破壊の痕が残っており、そこには数え切れない魔物の遺体が転がっていた。それが彼らがもたらした報告であった。
「一体なにをどうやってそれだけの魔物を殲滅したのでしょうか」
万規模の魔物を掃討する。それは並大抵のことではない。それなのに帝国騎士や兵の遺体は無かったという。そんなことは絶対にあり得ない。
「帝国騎士団長エイミー・ベンフォード。どうやら敵に不足は本当に無いらしい」
「遺体を片付けたとも考えられますが?」
「そうかもしれないが……そうでないのかもしれない。とにかく帝国軍はこの短期間に蛮族を討伐して、王国軍を撃退して、万規模の魔物すら掃討した。これが喜ばずにいられるか?」
アルフォンスの表情は喜びに満ちていた。大陸動乱のこの時代に生まれた騎士として、これほどの喜びは無い。騎士として生まれたのなら、強敵と刃を交えることこそ本懐である。
「準備が出来次第、進軍するとしよう。敵もこれ以上は王国軍に居座られたくはないだろうからな」
強者と戦えることに喜びを隠せないアルフォンスだったが、その喜びはすぐに困惑へと変わった。再び偵察に出した騎士が、驚くべきことを報告してきたからである。目前まで迫って来た帝国軍が後退を始めたというのである。




