進む者たち
「ホルステン辺境伯領の無血占領と王国軍の大軍…………」
偵察隊からの報告を受けた早朝、主要メンバーを集めたエイミーは偵察に出た騎士に再度同じ報告を皆の前でさせた。これを聞いた一度の表情は険しいものだった。
「もしかして……この大軍は昨日話していたあれかしら?」
昨晩の会話を思い出したディアーナがエイミーに向けて尋ねると、彼女は曇った表情で静かに頷いた。
「間違いないでしょうね。王国軍の精鋭よ。どうして今頃になって投入してきたの?」
南部解放に絶対の自信を見せていたエイミーだったがその自信は揺らぎ始めていた。王国の精鋭が存在しない。だからこそ王国はこの戦争に乗り気では無い。そう考え始めた矢先にもたらされた報告で、自分の考えが間違いだったと思ったからである。
「何で今頃になって精鋭が投入される? 順序が逆だろうに」
戦力の逐次投入など愚の骨頂。大陸動乱を生き抜いて来た王国がそれを知らないわけがない。全く予想していなかった展開に困惑したエイミーだったが、その思考が停止することは無かった。
「…………殆ど全軍を侵攻に投入するなんて、一体なにを考えている?」
これまでに投入された兵力と新たに投入された戦力。二つを合わせれば王国はその殆どを帝国戦に投入したことになる。国内に残る戦力はもはや最低限の数でしかないだろう。仮に今、他国から侵攻を受ければ王国は国を守ることすら危うくなるだろう。そこまでの考えに至ったエイミーは、ある一つの答えに辿りついた。
「そういうことか。王国は勝利を捨てたわけね」
「どういうことだ?」
小さな声で呟いたエイミーの言葉に、アレクシスがすぐさま反応した。彼女は全員を静かに見回すと自分の考えを皆に告げた。
「王国は帝国に勝利することを捨て、講和に持ち込むつもりなのです。その講和を良い条件で結ぶために王国は主力を投入した。私はそう考えます」
「つまり大きな勝利を上げて講和を提案しようということだな?」
「一度の決戦で流れを引き戻す。ここまで追い詰められた王国としては、これ以外に戦争を有利に終わらせる方法が無いと判断したのよ」
「王国も焦っているということですか」
帝国が疲弊しているように王国も疲弊している。エイミーの言葉でその考えに至った面々は、誰もがこれからのことを考えた。この様な状況で取るべき道は二つある。一つは方針を変えることなく王国軍の掃討を続け帝国領内から一掃すること。もう一つはその方針を変えて長期戦へと移行することである。
王国と帝国。どちらも疲弊はしているが、国力の高さから見て最初に限界に達するのは間違いなく王国が先である。さらに王国には帝国とは違って長期間の戦闘を行えない理由がもう一つある。帝国は北部の蛮族と南部の王国させ警戒していれば済む。西部にはレアーヌ王国の友好国であるローランド王国が存在するが、帝国との間には険しい山脈が天然の防壁として存在している。そして東部はもはや陸地では無く国は存在しない。存在するのは広大な海なのだから。
一方の王国は帝国とは全く違う。四方を他国に囲まれた国であり、常に他国の脅威に晒されている。帝国以外とは友好的な関係を築いてはいるが、それはこの時代において絶対の安全ではない。隙があれば食い殺される。今はそういう時代なのだ。
「帝国に再度、打撃を与えて講和に持ち込むか。それでどうするつもりだ?」
「決まっているわ。相手が決戦を望むのなら受けて立つ。そしてその決戦を以ってこの帝国から王国軍を一人残らず叩き出す」
迷うことなくそう答えたエイミーに、アレクシスはわざと反論を口にした。エイミーの真意が聞きたかったからである。
「長期戦は帝国にも負担が掛かる。ただでさえ帝国各地は疲弊している。それに民も決戦を避けたと聞いては不安になるでしょう。私たちに課せられた使命は一日も早く帝国全土を解放すること。だからこその決戦です」
「まぁここまで来て決戦をしないとなれば、騎士たちも複雑でしょうからね」
帝国軍の士気はかつてないほど高い。蹂躙してきた王国軍を各地で破り、ようやく南部解放まであと少しのところまでやって来たのだから当然である。そんな中で決戦を避ければ、エイミー騎士団長をようやく信じ始めた者たちは落胆するだろう。そうなれば固まってきた結束は容易に崩壊するのは誰が見ても明らかだった。
「相手が王国の精鋭ともなれば油断は出来ない。少し作戦は変えることになるけれど、決戦を避けるつもりは一切ない。各隊にはそう伝えて頂戴」
当初の作戦を変更して決戦を行うと告げたエイミーは、一同がしっかりと頷くのを確認すると一足先に天幕から出た。帝都とバイロイトに連絡を取り、ある物を持って来るよう頼もうと考えたのである。
「装甲騎士団か。相手に不足は無いというわけね」
小さな声で呟いたエイミーは、思い通りには進まないものだと考えながらそんな言葉を呟いた。しかしそれは相手も同じように思っていたことだった。自分では特に感じていないことではあったが、帝国に偶然流れてきたエイミーという少女がまさしくこの戦争の帰趨を変えたのである。帝国の指導者も王国の指導者も、少しでも聡い者はこのエイミーがどれ程のことを成したのかを十分に理解していた。
そしてその少女は今まさに勝負を決めるべく、その知識を総動員して来るべき決戦のための作戦を頭の中で練っていたのだった。
◆ザールラント帝国北部◆
深い森の奥地。そこは魔獣の縄張りであったが、その魔獣たちはそこにいる強者の影に怯え身を潜めていた。どれだけ人間を恐れない魔獣たちも彼女たちの存在は恐れたのである。
「どういうことですっ! 継承者の排除はまだ終わっていません」
話を聞いてそう声を荒げたのは、エミリア・ロザンヌによって傷を負わされた旱魃の魔女ザリクであった。そんな妹の言葉に、灼熱の覇王タルウィは内心ビクビクしながら成り行きを見守っていた。自分たちは強者であるが、目の前の存在からしてみれば弱者でしかない。それほどまでに力の差が存在するのである。
「あなた達が遊んでいる間に、ドレスデンにおける封印魔法陣は私が破壊したわ。もう帝国にいる意味は無いわ。それに継承者の排除は今でなくても構わないでしょう」
人間であれば誰もが恐怖に顔を歪めるはずの怒りを、笑みを絶やさず正面から受け止めた冥府の女帝バエルだったが、彼女はザリクとは違って現在の継承者であるエイミーに警戒感を抱いていた。
創世戦争においてまさに女神の如く奮戦したエミリア・ロザンヌ。彼女を越える継承者などいない。最近までそう思っていた。だがその考えはザリクが負傷した時の話を聞いて消し飛んだ。かつての死者させ召喚するエイミーは、もしかしたら歴代最高の継承者なのではないかと。
「私たちの目的は負の感情を蔓延させて、各地に残る封印魔法陣を破壊すること。此度の帝国における動乱もその度に計画されたものなのでしょう。ならばここでの務めは果たしたわ」
本来の目的を忘れかけているザリクを諭すバエルだったが、傷を負わされた彼女の怒りは治まらない。それどころか日を追うごとに悪化していた。
「ここで殺すもあとで殺すも同じことではありませんかっ!」
何を言っても聞く耳を持たないザリクを見て、バエルは視線を姉であるタルウィへと向けた。姉はその視線を受けて申し訳なさそうな表情を浮かべた。
(かつての勢力を復活させるためにも、ここでザリクを失うわけにはいかない。万が一の可能性がある以上はやはり止めるべきよね)
悲願である悪霊たちの復活。それを成す上で一番困るのは五大悪霊の喪失である。そして次に困るのは人間たちが結束することである。一人一人は弱くとも束になれば面倒である。
『我らを弱者と侮ったこと。それが貴様たちの敗因だ』
最後に対峙した時、エミリアは確かにそう言った。そしてその通りだとバエルは散り際に思った。結束した弱者たちは弱者では無かったのだ。大陸を手中に収めつつあった悪霊たちを排除したのは、まさしくその弱者たちであったのだから。
「…………いいわ。やりたい様にやりなさい。ただし消えることは許しません。三千の時を経て、ようやく復活の機会が訪れたのです。失敗は許さないわ」
悪霊という存在に死は訪れない。現世から消えることは冥府への帰還を意味する。だが一度冥府に戻ってしまえば、現世に帰還することは並大抵の努力では済まされない。冥府という世界は、全ての母である女神アスタロトが創造した監獄なのだから。女神に叛旗を翻した者の監獄。それが冥府の世界である。
「ありがとうございます。必ず、奴を討ち取ってきます」
憎悪に歪んだ顔で頭を下げたザリクは、すぐにその場から消え去っていった。
「ザリクを必ず連れ戻しなさい。何が起こってもです。それとエイミーを甘く見ないことです。現継承者はエミリアよりも強い。そう認識しておきなさい」
「…………了解しました。必ず連れて帰ってきます」
バエルの言葉を真摯に受け止めたタルウィは、深々と頭を下げてからザリクのあとを追っていった。
「厄介な存在を残してくれたわね。エミリア・ロザンヌ」
かつての勝者エミリア・ロザンヌ。その末裔が三千の時を経て対峙する。それはまるで自分たちの存在を許さないと言っている様にバエルは感じた。
「ならばなぜ…………私たちは生まれたの?」
女神アスタロト――――それはこの世界に存在する者全ての母である。人間も精霊も亜人も。そして何より悪霊でさえも。自分たちが盟主と崇めるアングラ・マインユでさえ、実際は女神アスタロトが生み出した存在でしかないのである。
そしてアングラ・マインユが戦争を始めた本当の理由を、精霊も人間たちも戦争に参加した悪霊たちでさえも知らない。その真の理由を知るのは始めた張本人と決意を聞いたバエルだけ。いや、もしかしたらエミリア・ロザンヌは知っていたのかもしれない。散り際に見た彼女の表情が、なぜか悲しそうに見えたからである。
「悩んだところで…………もう戻ることは出来ないわね」
どんなに悩んだところで、一度始めてしまったことを止めることは出来ない。止めるには多くの命を奪い過ぎたのだ。三千年前も今もである。それに叛旗を翻したのだ。絶対の女神であるアスタロト。自分たちの母に。




