越える者たち
「……私は…………酷い人間です」
エイミーが吐き出すその言葉を、ディアーナは背後から抱きしめながら黙って聞いていた。
「勝利のために……彼らの気持ちを利用した」
帝国兵たちがこの地を解放したいと強く願っていたことはディアーナも良く知っている。その強い想いがあればこそ、彼らはここまでの戦果を上げることが出来たのだ。砲台を制圧して城門を開く。それはいくら偽装していたとはいえ、簡単に成功させられるものでは無い。
「私は冷酷な人間です……。勝利のために彼らを利用して…………死地に追いやったのですから。軽蔑してもらって構いませんよ?」
「軽蔑なんてしません……。それに冷酷な人間は、彼らの死を悼んだりしないわ。そして泣いたりもね」
「え?」
エイミーは自分が泣いていることに気付いていなかった。そんな彼女の涙を、ディアーナは右手の指で軽く拭うとさらに力を入れて抱きしめた。
「私が間違っていたわ。意味の無い名誉や誇りに縛られて、大切なことを見失っていた。私たちは無力な人々を守らなければならない。どんな手を使っても守り抜くことこそが、私たち騎士に求められるものなのですから」
「でも私は……私は…………取り返しのつかないことを……」
「確かに死地に追いやったのかもしれない。でもあなたは、彼らの願いを叶えたのよ。彼らの願いを叶えた上でこの地を解放した。必要以上に抱え込む必要なんてないわ」
エイミー=ベンフォード。
若くして戦場を駆け抜けてきた彼女は長い間戦争を経験して来なかった帝国には必要な存在だ。先を見通した戦略。その場に応じた戦術。何が起きても動揺を見せないその精神力は、まさにこの帝国の騎士を統べるに相応しい存在だ。
でもそれは――――。
「ごめんなさい」
ディアーナが放ったその一言でエイミーは体を大きく震わせた。
彼女にとってディアーナの存在は今では大きなものとなっており、故に何を言われるのか不安でしょうがなかったのである。
「私があなたの作戦を否定したばっかりに、あなたをここまで苦しめることになってしまった。だから許して欲しいの。そしてもう一度、私にチャンスを頂戴。あなたと歩んでいくチャンスを」
真剣な口調で告げたディアーナにエイミーは何も言わずに無言を貫いていた。
そんな無言の状態があまりに長かったためディアーナは心の中ではかなり動揺していたが、それでもひたすら言葉を待ち続けた。
「私の方こそ…………」
長い時間待ち続けてようやくエイミーが躊躇いながらも口を開いた。
「ごめんなさい。私こそ……あなたの誇りを傷付けた。だから…………私にもチャンスを下さい」
抱きしめていた手にエイミーの小さな手が躊躇いがちにゆっくりと重なった。
「…………ありがとう。本当に」
「私こそありがとう。ディー」
互いに心の内を確かめ合った二人は、しばらくの間そのままの体勢で身を寄せ合いながら人で溢れ返った通りを眺めていた。解放に歓声を上げる者。喜びに涙する者。信じられないといった顔の者。彼らは互いに抱き合ったり握手したり肩をたたき合ったりしてその感情を露にさせていた。
そんな様々な人々の表情や仕草を見つめていたディアーナは、いつの間にか笑顔でそれを見守っていた。そしてエイミーもまた――――。
「ありがとうロバート。これが、あなたが勝ち取ったものよ」
この地の英雄に、その柔らかな笑顔を向けていたのだった。
バイロイト解放の知らせは帝国全土を沸き立たせた。南部解放の最大の障害と認識されていた城塞都市を僅か一日で陥落させたのだのだからそれは当然の反応であり、そしてこの勝利は腰の重かった貴族たちを動かすことにも成功したのである。
「ねぇ……この戦争が終わったらエイミーはどうするの?」
解放の翌日、都市の巡回を行っていたエイミーとディアーナは休憩を兼ねて木の根元に腰を下ろして他愛の無い話をしていたが、ふと思ったことがあってディアーナはそんな言葉を口にした。
エイミーは今でこそベンフォード家の一員だが元々は帝国の人間では無い。偶然この地にやって来て力を貸してくれただけなのだから。
「…………ディーには話すわ。私がどこの出身で、本当は何者なのか」
エイミーは昔を思い出しながら静かに語り出した。農業豊かだったその国の事を。そして失った家族のことを。
「ではエイミーは…………ローザンヌ王国の正当な――――」
そこまで言葉にしたディアーナだったがその先の言葉はエイミーによって止められた。
彼女は人差し指をディアーナの唇に当てながら優しげな笑顔を湛えて告げた。
「今の私はエイミー=ベンフォード。この国を守る騎士にして帝国騎士を統べる騎士団長。それ以上でもそれ以下でもないわ」
その優しげな笑顔の中にディアーナは悲しみと怒りを見てしまい、それが何だか切なくて彼女はエイミーの手に自分の手を重ねた。
「ありがとう。でも私は大丈夫。いずれ…………全て取り戻してみせるわ」
静かに決意を語ったエイミーはディアーナの肩に頭を乗せるとその目を閉じた。 それが嬉しくてディアーナも同じように頭を寄せたのだった。
バイロイト解放から約二週間後、アルフォンスの下に前線からの伝令が訪れ、伝令は厳しい顔つきで報告書を彼に手渡した。
「…………バイロイトが奪還され、バイエルン男爵領も解放されたか」
伝令からの渡された報告書を一瞥したアルフォンスは悔しさを表に出すことなく隣にいたクラリスにそれを手渡したが、受け取った彼女は対照的で報告書に目を通すと一気に表情を険しくした。
「内部から切り崩されただと? 防衛に当たっていた部隊は何をやっていたのだっ!」
美人の部類に入るクラリスの険しい表情と言葉に周囲にいた騎士たちは背筋を凍らせた。王国女性騎士の頂点に立つ存在であり、さらには光精霊の加護を受ける騎士でもある彼女の怒りを恐れ、周囲の騎士たちはただ無言を貫いた。
尤もアルフォンスだけは気にした様子も無く思ったことを口にした。
「敵の手際が良かったのさ。まさか騎士を囮にして偽装した帝国兵が砲台を制圧するとはな」
「そもそもそこがおかしいのですっ! 敵の侵入を許すなどあってはならないことです!」
城塞都市バイロイトは堅牢な城壁に囲まれているため中に入るには城門を通るしかない。明らかに防衛に当たっていた王国兵が警戒していなかったことが敗因であった。クラリスにしてみれば自滅もいいところで、それにはアルフォンスも同意見だった。
「確かにそうだ。それよりもお前はこの新しい騎士団長をどう見る?」
「……フロストではカタパルトやバリスタを大量に投入して数に対応しました。そしてこのバイロイトでは城壁に守られているという心理を逆手に取り、内部からの攻撃によって王国軍を切り崩しています。しかも偽装という騎士が好まない方法まで用いて。認めたくは無いですが状況に対応するだけの指揮能力はあるでしょう」
――腹立たしいことではあるが――
そんな言葉を飲み込んだクラリスの何とも言えない表情を見て、アルフォンスは顔には出さないものの内心では苦笑を漏らしていた。
同じ女性騎士として敵の騎士団長の実力が想像以上よりも高いことがクラリスは悔しくて仕方がないのだ。しかも若くて美人や可愛いといった報告まで来る始末なのだからなおさらである。
「しかしここまでとは厄介だな」
何としても対等な状態で講和に持ち込みたい王国にとってこの新しい騎士団長は曲者以外の何者でもなかった。
僅かな期間で崩壊寸前だった帝国軍を立て直した人間から掴まなければならないたった一度の大きな勝利。それはあまりに厳しいことなのだから。
「…………どうするおつもりですか?」
真剣な表情で問いかけてきたクラリスにアルフォンスは悩むことなく真面目な表情でそれに答えた。
どんなに困難であろうともやることは決まっている。そしてそれをやり遂げる自信も彼にはあった。
「とりあえずは川を越える。話はそれからだ」
「……了解しました」
アルフォンスの言葉に答えたクラリスは腰から剣を抜くと前方に向かって掲げ声を張り上げた。
彼女の目の前には穏やかに流れるルマン川が広がっている。そしてこの川を越えれば即ちそこは――ザールラント帝国の領土だ。
「全軍、川を越えろ。進撃開始だっ! 帝国領へ進め!」
クラリスの号令と同時に背後に控えていた王国軍が一斉に動き出す。
先陣を切ったのは王国軍が誇る装甲騎士団であり、重装甲の鎧に身を包んだ騎士たちが一糸乱れぬ動きで軍馬を操り川を渡り、その後に続いたのは王家に絶対の忠誠を誓う伝統貴族の領主軍だった。
「進めっ! 目指すは帝国ホルステン辺境伯領ブリュールだ!」
新興貴族など足元にも及ばない王国が誇る精鋭五万の軍勢。大陸動乱の中で国を守り続けてきた王国の真の力がついに帝国へ向けて牙を剥いたのである。
「帝国騎士団長エイミー=ベンフォード。悪いが貴様の思い描く結末にはさせんぞ」
最大の障害に敵意を向けたアルフォンスは手綱を握り締めると、軍馬を巧みに操り瞬く間に川を渡り切ったのであった。その様子を無言で眺めていたクラリスは、アルフォンスが本気だということを肌で感じ取っていた。
――王国の代理人――
王国に仇為す者を殲滅して王家繁栄のためにはどんな手段も厭わない。
それが装甲騎士団長アルフォンス=クラウリー=ロワールという男なのである。




