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アグリジェント戦記  作者: 黒いたぬき
帝国解放編
69/173

解放のあとに待ち受けるもの

 王国軍によって妻と娘を奪われたあの日から、復讐のためだけに生きてきた一人の男がいた。

 だが現実は無情だった。圧倒的な力の前では無力であり、何もすることが出来なかったのである。男にとってこの約一カ月半は地獄のような日々であり、苦痛に身を裂かれる想いだった。だからこそ男はこの日が来たことを心から感謝していた。


「……聞こえるか…………俺は……やり遂げたよ」


 歓喜の声が響き渡るバイロイト。そんな待ち望んだ声に耳を傾けながらロバートは達成感を抱いて空を見て語りかけた。そこにいるはずの妻と娘に向けて。


「これで……ようやく…………お前たちに会える…………」


 深い傷を負ったロバートは、地面に横たわりながら終わりの時を静かに待っていた。もはや死への恐怖は一切無い。生きる目的を達成した今、生への未練はもはやないのだから。


「…………そうだった。あんたには……会いたいと……思ってた」


 徐々に薄れていく意識の中、ロバートは膝を折った女性騎士の顔を見つめながら笑った。彼女に出会えたことで全てが変わった。どうしようも無い憤りを発散することが出来たのだ。


「思い残すことはない?」


 優しげな声で問い掛けてきた女性騎士の言葉に、ロバートは清々しい笑みを浮かべてた。答えなどもう決まっているのだから。


「ない……ね。俺は……全部…………取り戻した。あとは……家族に…………会う……だけだ……」


 踏み躙られた父親としての尊厳も、帝国兵としての名誉と誇りもこの手で取り戻した。そう、この一戦で全てを取り戻したのだ。


「…………あなたの旅に、女神アスタロトのご加護がありますように」


 慈愛に満ちた表情で言葉を紡ぐ女性騎士。それに対してロバートは心からの笑顔を彼女に向けた。彼が信じた女神はそんな名前では無い。


「なに……言ってやがる。俺たちの女神は…………あんただよ……」


 彼女のお陰で最後に全てを取り戻せたのだ。小柄で美しくも可愛らしい少女のお陰で。だからロバートは最後に力を振り絞って、その少女の頬に触れて感謝を口にした。


「……全て…………君のお陰だ…………ありがとう…………」


 その言葉と同時に、ロバートは静かに目を閉じたのだった。

 

 ――エイミー=ベンフォード――


 それが帝国騎士団長にしてロバートが信じた女神の名前であり、彼の最後を看取った女性騎士の名前でもあった。




 ◆ ◆ ◆ ◆ 



 身分を偽装して敵と戦う。それが武を誉れとする帝国では許されないことだとは分かっていたが、それでもエイミーは作戦を実行に移した。

 彼女にとって重要なのは正々堂々と戦うことではない。味方の犠牲を最小限に抑えて敵を撃退し、一刻も早く戦争を終わらせることこそが重要なのであった。

 

「……思い残すことはない?」


 地面に横たわった元帝国兵に声を掛けたエイミーは、微笑みながらもその光景をしっかりとその目に焼き付けた。作戦を計画していた時からこうなることは分かっていた。奇襲に成功したとしても敵はすぐに気付く。そうなれば数の少ない帝国兵に生き残る術など存在しない。 


「ない……ね。俺は……全部…………取り戻した。あとは……家族に…………会う……だけだ……」


 エイミーは何となくそんな答えが返って来ることを予想していた。

 帝国兵たちはこの地の解放を夢見て、そして王国軍に一矢報いることを願い続けてきた者たちであり、何よりも生まれた地を取り戻して愛する家族や仲間をその手で救う事を切に願った者たちなのだから。


「…………あなたの旅に、女神アスタロトのご加護がありますように」


 微笑みながら自分が信じる女神の名前を口にしたエイミーだったが、次の言葉は彼女にも予想出来なかった。


「なに……言ってやがる。俺たちの女神は…………あんただよ……」

「…………くっ……」


 思わず表情が苦悶に歪んでしまったエイミーだったが、元帝国兵は笑顔のまま最後の言葉を口にした。視線が僅かにずれていることから彼にはもう何も見えていないのだろうと察し、それが正しいかのように彼は手を探るように伸ばして頬に優しく触れたのだった。


「……全て…………君のお陰だ…………ありがとう…………」


 力が抜け地面に落ちて行く手を掴んだエイミーは、元帝国兵が目を閉じて安らかな表情で眠っていることに気付いた。

 その瞬間、押さえていた感情が一気に溢れだした。


「さようなら。私はあなたを絶対に忘れないわ。だがら――」


 エイミーは自分がどれだけ残酷なことをしたのかを理解していた。本人たちが許容したとしても事実は変わらない。だからこそ言わずにはいられなかった。


「どうか……冷酷な私を許して」


 死ぬ運命にあることを理解しながら、それでも勝利のために彼ら帝国兵の気持ちを利用した。復讐に燃える彼らの気持ちを。守りたいと願う気持ちを。助けたいという気持ちを。彼が抱いた全ての感情をエイミーは利用したのだ。


「本当に…………ごめんなさい」


 エイミーにはどうしても勝たねばならない理由があった。それは個人的な理由では無く、自分を信じて共に戦ってきた仲間と、信じて送り出した者たちのためである。

 彼女に負けは許されない。負けることはすなわち自分を信じた者たちを否定されることになるからだ。しかしその代償は――――。


「……ごめんなさい…………ごめんなさい」


 もはや何も答えてくれない元帝国兵の遺体を抱き上げたエイミーは、肩を震わせながら何度も同じ言葉を呟き続けた。

 彼女の心に勝利の余韻など存在しない。勝利のためとはいえ、あまりにも酷いことをしてしまったのだから。

 

 ――ロバート=オランテス――


 帝国兵にして家族を愛し続け、最後に都市を解放した男。

 それがエイミーが勝利のために利用して死に追いやった男性の名前であった。




 ◆ ◆ ◆ ◆



 その光景にディアーナはただその場で立ち尽くすことしか出来なかった。

 目の前には地面に膝をついて語りかけるエイミーと、瀕死の重傷を負った王国兵の格好をしたロバートの姿があった。 


「…………そうだった。あんたには……会いたいと……思ってた」

「思い残すことはない?」


 掠れた声で言葉を紡いだロバートにエイミーが尋ねた。背中越しのため表情までは分からなかったがその声が優しかったため、きっと笑いかけているのだろうとディアーナは推測した。


「ない……ね。俺は……全部…………取り戻した。あとは……家族に…………会う……だけだ……」


 迷うことなくそう答えたロバートの言葉にディアーナは考えさせられた。自分が強く否定した結果、エイミーはその役目を抵抗を続けていた彼らに与えたのだ。それも騎士の反感を買わないよう誰にも漏らさず秘密にして。


「…………あなたの旅に、女神アスタロトのご加護がありますように」

「なに……言ってやがる。俺たちの女神は…………あんただよ……」


 祈りを捧げたエイミーだったが、すぐにそれに反論したロバートの言葉に彼女の肩が一瞬だけ震えた。

 それを見てディアーナは思った。きっと彼女は今、心の底から後悔しているのだと。


「……全て…………君のお陰だ…………ありがとう…………」


 それを見透かしたかのように手を伸ばしたロバートは、優しくエイミーの頬に触れて感謝を口にする。


「…………さようなら。私はあなたを絶対に忘れないわ。だがら――――」


 手を握り締めて力無く言葉を発したエイミーの体は震えていた。


「どうか……冷酷な私を許して」


 許しを求めたエイミーがロバートの遺体を抱き上げながら何度も何度も同じ言葉を口にするその姿は、とても勝者のものとは思えなかった。


「本当に…………ごめんなさい……ごめんなさい…………ごめんなさい」


 声を絞り出しながら体全体を震わせて謝り続けるエイミー。

 この姿にディアーナは彼女の何を分かっていたのだろうと痛感すると同時に、彼女の重荷を背負うと約束したフロスト平原での誓いを何一つ果たせていなかったことも実感した。


「彼女は……負けることを許されないというのに」


 帝国騎士団長としての彼女の地位は決して盤石なものではない。

 女性初の騎士団長。それもまだ十五歳という若さである。そんな彼女を支えるのは皇帝陛下の威光とこれまで戦ってきた騎士や大貴族の支持だけである。未だに彼女を妬む貴族は多く、五大貴族の一員であるカルヴァート家などはその筆頭だ。

 エイミーが敗北することは、支持した者の敗北にも繋がる。

 一度の敗北で全てを失うことになる彼女にとってその心に掛かる重責は生半可なものではなく、それこそ心の弱い者であれば簡単に押し潰してしまう。

 だからこそ彼女は冷酷にならなければならないのだ。勝利のために、その心をどこまでも凍てつかせて。


「もう…………これ以上は……」


 その背中を見てディアーナは気付いてしまった。勝利のために優しさを捨て、冷徹に振る舞うエイミーの心がボロボロだという事に。

 そんな彼女に必要なのは隣を歩く者の存在。

 彼女を受け入れ共に歩んでいく仲間であり、何よりその重荷から目を逸らさず一緒に背負ってくれる者たちである。


「今度こそ…………しっかりやるから」


 自分自身に向けて呟いたディアーナはゆっくりと歩き出し、そして自分でも無意識のうちにそれを実行していた。震えるエイミーの背後からしっかりと彼女を抱きしめたのである。




 ◆ ◆ ◆ ◆



「雨降って何とやらか」


 遠目から二人の様子を観察していたアレクシスは、腕に包帯を巻いてくれているアンナにそんな言葉を投げかけ、それを聞いた彼女は今まで思っていたことを静かに吐きだした。


「私たちはエイミー様に頼り過ぎだったのです。帝国騎士の長というのはそれだけで重責です。しかも今は国の存亡を懸け戦争の真っただ中。それを考えれば、重責を押しつけてきた私たちに非があると思いますよ?」

「お前は団長を庇ったじゃないか。尤もお前だけだったがな」

「この国の騎士は現実をもっと良く知るべきなのよ。正々堂々なんて、物語のお話だけです。確かに心情的には今回の作戦は納得出来ませんが、それもこれも私たちがまだ甘えていたからです。少なくともエイミー様が黙って作戦を推し進めたのは心情だけで反対されるのが目に見えていたからでしょう」

「……まぁそうだろうな」


 この国の騎士は未だに正々堂々と戦うことに固執している。それはこの帝国が武を誉れとする国家であり、騙し討ちや罠を仕掛けるといった手法を禁じ手として捉えているからに他ならない。

 確かに常に騙し討ちを常に前提とする戦い方には抵抗を感じるが、戦争では時に有効なな手法だということは間違いない。この結果がそれを証明しているのだから。


「結果としてバイロイトの解放は成功した。団長と皇女殿下もこれで元に戻るだろう。過ぎたことは忘れよう。大事なのはこれからだ」


 二人の姿を見守るように眺めていたアレクシスは、話を纏めると包帯が巻き終ったことを確かめて立ち上がった。解放に成功したとはいえやることは未だに山積み。帝国解放のその日まで休んでいる暇は無いのだから。







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