閑話・白い騎士との出会い
昔の話です
冷たい雨が降りしきる戦場を、一人の少女が重たくなった脚を引きずりながら歩いていた。
「…………どうして」
そんな言葉を呟きながら、少女はどうしてこうなってしまったのかを考えたが、その原因など考えるまでも無かった。指揮官であった貴族が敵の戦力を過小評価した結果、味方が壊滅したのである。
そんな事を思考の鈍った頭で考えながら歩いていた少女は、泥濘に足を滑らせ地面へと倒れこんだ。
「…………こんな……くっ」
泥に塗れた顔を上げた少女は目の前に広がる光景を見て、その幼さが残る顔を歪めた。それはどこを見ても動く者がいない死の世界。
「だ……誰か…………誰かいないの…………。誰かっ…………お願いだから応えてよ……」
少女はゆっくりとした動きで上半身を起こすと、悲痛な声で死の世界と化した戦場に向かって叫んだ。
だが返事を返す者はやはり誰一人も居らず、激しさを増す雨音だけが響くだけであった。
「…………お願い……誰でもいいから……私を一人にしないで……」
いくら声を上げようとも生存者を見つけることは出来なかった。心も体も傷つき冷たい雨に打たれる少女は、僅かな期待を込めて民家のドアを開けたが、すぐにその希望は打ち砕かれた。
「っ…………〈照らせ〉」
鼻を突くような不快な臭い。それは嫌というほどこの戦場で味わった血の匂いである。そして光の魔法で暗闇を照らした少女は、瞳に映った光景を見て涙を零した。そこに転がっていたのは家の住人と思われる三人の遺体だった。女性は子供を抱えており男性の方はその二人の上に倒れていた。母親は子供を、父親は二人を守ろうとした結果なのは容易に想像できた。
「…………ごめんなさい」
小さな声で頭を下げた少女は、ドアを閉めるとそのまま家の中へと足を踏み入れた。そして家の中を物色して清潔そうな布を探しだすと、身に着けていた防具や濡れた服を脱ぎ床に座った。
「……ふう…………」
シュミーズ一枚になった少女は脇腹に刺さっていた折れた矢に手を添えると、大きく息を吐いて歯を食いしばった。そして意を決した少女は、一気にその折れた矢を引き抜いたのである。
「っ……あああああああっ!」
予想していたよりもやや深く刺さっていた矢を抜くと、周囲の肉は斬り裂かれ抉り取られた。想像を絶する痛みが走り、少女はその部分を押さえながら床に倒れ込んだ。
「くっ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁっ…………」
あまりの激痛に荒くなった呼吸を懸命に整えようとする少女は、その体勢のまましばらく体を休め、やがて痛みが治まってくると少女はゆっくりと体を起して手に入れた布をその部分に巻き付けて止血を行った。
「…………これで少しは」
やるべきことを終えて安心した少女は、そのまま壁に寄り掛かると静かに目を閉じた。心も体も疲れ切っていた少女は瞬く間に小さな寝息を立て始めたのだが、それは少女にとっては大きな失態だった。
(……何だろう? この感じ…………)
戦場において気を抜くことは死を意味する。それをこの二年半で嫌というほど学んだ少女は、誰が近づいて来てもすぐに目を覚ますことが出来た。だがこの時ばかりは疲れもあってそれが出来なかった。
「……なっ! しまっ――――」
目を開けて気付いた時にはもはや彼らは目の前にいた。すぐに立ち上がった少女はそばに置いていた剣を手に取ろうとしたが、伸ばした左手は目の前の男によって簡単に掴まれてしまった。
「手を離せっ! この――――」
右手の拳に力を込めた少女は下卑た笑いを浮かべる目の前の男に拳を放ったが、その手も呆気なく別の男によって捕えられた。必死に抵抗を試みる少女だったが、力で敵うはずも無く無駄な抵抗だった。
「諦めなよお嬢ちゃん。おお怖っ!」
四人組の男性たちは鬼のような形相で睨む少女を見て薄笑いを浮かべながらそんな言葉を吐き出した。
(どうする…………。どうすればいい? そうだ魔法…………ダメだ。魔力が枯渇していて無詠唱では使えない。残るはあれしかないけど……制御する自信がない。どうする?)
両手は持ち上げられて壁に押さえつけられている。魔法も詠唱しなければ使えない。どれだけ思考を巡らせても完全に打つ手がない状況だった。
「そもそもここは戦場だぜお嬢ちゃん。戦場でそんな格好てことは、何されても文句は言えないってことだよ」
この二年半年、戦場を巡ってきた少女はその言葉を正しく理解した。敗北した女性がどうなるかを何度も目撃してきたからである。
「ガキだと思ったが、育つところは育っているじゃないか。なぁ?」
リーダー格らしい男の言葉を聞いて、周りの男たちも少女の体をじっくりと眺めて笑いながら頷いた。少女の格好はシュミーズ一枚。その体のラインは一目瞭然であった。
「この場所には俺ら以外は誰もいない。助けが無くて残念だったな」
触れてきた手に嫌悪を感じる少女は顔を背けるが、それで止まるほど目の前の人間たちはお人好しではない。そしてその手は、とうとうシュミーズの中にまで伸びて来たのである。
「まぁ痛いようにはしないさ。なるべくな」
こうなってはもうどうしようもない。少女が諦めかけたまさにその時、ドアが鈍い音を立て開いたのである。入って来たのは傷を負った一匹の白狼だった。大きさから見てまだ子供だと推測することが出来た。
「ちっ! 何だって魔獣が。おい奴は手負いだ。仕留めろ」
その言葉に一人の男は剣を抜くと、動きの鈍った白狼にゆっくりと近づいていった。そして一気にその剣を振り下ろした。
だが次の瞬間、白狼は俊敏な動きを見せて男の喉に鋭い牙を突きたて食い千切ったのだった。その動きはまさに魔獣そのものであった。
「この野郎っ!」
一人殺されて焦ったリーダー格の男は自分で剣を抜くとすぐさま白狼と対峙して睨み合った。
そんな様子を呆然と眺めていた少女だったが、その時ふと白狼と目が合った気がした。傷を負っても戦い続ける白狼。その目は生きることを諦めない強い光を宿していた。
(……そうだ。こんな奴らに身も心も穢されるくらいなら…………使うべきだ。逃げている場合じゃない)
「〈……世界を創世したる女神アスタロトよ〉」
少女が低い声で言葉を発した瞬間、民家の中の気温が一気に下がり始め、そして目に見えるほどの魔力が少女に集まり始めたのである。それに驚いた男たちは少女を拘束していた手を離して距離を置いた。
「〈私は汝の力をその身に宿す継承者なり 私はここに古の盟約を果たすことを誓う 女神の剣となり盾となり あらゆる脅威から世界を守護することを〉」
突然の出来事に恐怖を覚えた男たちは逃げだそうとしたが、思うように足が動かずその場に崩れた。
「〈故に欲する その女神の加護を あらゆる脅威を打ち砕く絶対の力 創世の闇の力を〉」
少女は目の前で腰を抜かす男性たちを刺し殺すような視線で見据えると、はっきりと最後の言葉を口にして左手をかざした。
「〈深淵の力よ その全てをここに解放せよ 目の前の愚か者どもに絶対の死を与えるために〉」
次の瞬間、何の前触れも無く一番左にいた男の頭が弾け飛んだ。これを見て悲鳴を上げた右側の男に少女は左手を向けた。
その左手に存在した黒い魔力の塊を少女が握り潰すと、同時に右側の男の頭が弾け飛んだ。もはや別次元の存在に、リーダー格の男は呼吸をするのも忘れてその少女を見据えた。
「…………ま、待って……待ってくれっ!」
剣を取って近づいて来た少女に懇願するリーダー格の男。そこには先程まで少女を辱めようとしていた姿はどこにも無かった。
「何か?」
「お、俺たちが悪かった。だ、だから……命だけは助けてくれ。頼むっ!」
みっともない姿で命乞いをするリーダー格の男を見て、少女は大きくため息を吐き出してから言葉を紡いだ。
「私は辱めを与えた相手を助けるほど慈悲深い人間に見えるか?」
「見えますっ! 見えますからどうか命だけはっ!」
その言葉を聞いた少女は何の躊躇いも見せることなく無表情で宣告した。やることはこれまでと同じ。生きるために敵を殺す。
「私はそこまで寛容じゃない。死ね」
それがリーダー格の男がこの世で聞いた最後の言葉となった。
「…………くっ、やっぱり無理があった……」
完全に疲弊していた体で力を行使した少女は壁に背中を預けながら崩れるように倒れ込むと、その体勢でこちらをじっと見つめる白狼と対峙した。
もはや白狼と戦う力は残されておらず、襲われたら最後だと少女は覚悟していた。そんな少女へと白狼は一歩ずつ近づいて行き、やがてその口を大きく開いた。
「……えっ?」
少女は思わずそんな言葉を漏らしていた。近づいてきた白狼は、傷を負っていた脇腹の傷を舐めたのである。そして少女に顔を向けると頬を一回舐めてそのまま隣に腰を下ろして丸くなったのである。
「なに? どういうこと?」
何が何だか理解出来ない少女は、丸くなる白狼の背中を恐る恐る撫でてみた。その背中は温かくなぜか安心感を覚えた。
「とにかく助かったということよね?」
一連の出来事が片付いたことに安堵した少女は、床に横になって白狼を抱き締めてみた。すると白狼も少女に体を寄せたのである。
「もしかして……あなたも一人なの?」
そんな問いかけに何も答えない白狼だったが、少女はなぜだかそうだと確信出来た。
「…………ふふ、温かい。こんなの久しぶりだわ」
忘れていた温もりを思い出した少女は、ゆっくりと目を閉じた。そしてそのまま白狼に起こされるまで眠り続けたのである。
それは少女にとって久しぶりに訪れた、本当の意味での休息の時であった。
「…………行こうか」
疲れも取れた翌日の午後、身支度を終えた少女は横に立つ白狼に声を掛けた。白狼は少女を見上げると一回だけ吠えて見せた。
「ふふ、面白い子。あとで名前を付けてあげるね」
そう言って上機嫌に笑った少女は、真剣な表情に戻ると一度だけ戦場を見渡した。だがすぐに歩き出すと二度と振り返ることはなかった。
「これから西へ行くわ。トラキア王国が兵を集めていると聞いたから」
少女は白狼に話しかけながら次の目的地へと向かって行った。その顔には、昨日までの絶望感は存在しなかった。
今は一人じゃない。確かにそう思えたからである。
そして少女は向かったトラキア王国で再び死闘を演じることになる。多くの傭兵たちと共に、かつて国を滅ぼした敵を相手に。
次話から本編に戻ります。
帝国の動乱もいよいよ最終段階に入ります。




