閑話・エイミー観察日記
フランツ=クリューガー=シュランベルグ。
帝国親衛騎士隊隊長を務め、エリオスやダリウスにも並ぶと噂される実力者はこの日、朝からある人物を観察していた。
フロスト平原における勝利の立役者エイミー=ベンフォードである。
数か月前までは帝国の人間でも無かった彼女が対王国戦における全権を任されており、フロスト平原での功績によって今では帝国騎士団長の座も確実だろうと貴族たちは噂していたが、それは帝国の軍事力を彼女が手に入れるということに他ならない。
「これが彼女の実績か……」
親衛隊の隊舎で傭兵ギルドから届いた資料を広げるフランツの言葉に、親衛隊騎士たちも興味を惹かれて目を通し、すぐにその目を丸くする。
「リッターオルデンって大陸最強を謳われる傭兵団ですよね? 傭兵女王や戦女神と呼ばれるセシル=アルヴェントが率いる女性だけの傭兵団。確か団長を含めた隊長格は全員一等級傭兵とか」
「一等級ってあれだろ? 一人で千人を相手に戦える者しか昇格出来ないって話の」
「千人を相手に出来るかは知らないが実績は見事なものだ。一年の大半を戦場で過ごして必ず勝利を勝ち取っているのだからな」
ギルドから届いた資料には、エイミーがこれまでに受けた依頼の実績が全て記されていたが、その数だけでも膨大なものであった。
その依頼の殆どは防衛戦における戦いであったが、戦が無い時は魔獣や盗賊の討伐などを行っており、まさに一年の三分の二以上を彼女は戦場で過ごしていたのである。
「大陸中央や西部は常に戦争を行っているのだな」
噂で聞く以上に戦火が激しいものだと痛感したフランツは、資料を他の親衛隊騎士たちに任せるとそのままエイミーの下へと向かう事にした。
彼女の事を良く知ろうと考え、休日の行動を観察することに決めたのである。
「……それで、今日はどちらに?」
宮殿に用意されていた部屋から出て来たエイミーに声を掛けたフランツに対して、彼女はまだ眠いのか半分閉じた目を両手で擦りながら彼を見上げた。
上目遣いで見上げる彼女のその仕草に彼は内心ドキッとしていたが、表情だけは何とか取り繕うことが出来た。
「そう……ですね。うわっ!」
日頃の疲れと昨晩夜更かしした事が原因で足がもつれたエイミーは、倒れそうになって思わず近くにいたフランツに手を伸ばし、彼はそんな彼女を支えるために俊敏な動きで体を寄せた。
「あ、ありがとうございます」
助けてもらったことに感謝を述べたエイミーだったが、フランツの耳には全く届いていなかった。
期せずしてエイミーを抱き留めてしまったフランツの頭を様々な思考が駆け巡っていたからである。
(なんて軽くて華奢な……この体のどこにあの力があるというのだろう?)
あの時、フランツは会場で道楽貴族を威圧するエイミーと対峙して人間じゃないと正直思った。
だがこうして触れてみればどこも人と変わらず、年頃の貴族令嬢とどこも変わらないと感じてしまうほど普通なものでしかなかった。
「えっと……あ、あの?」
「どうした?」
「その……そこまで強く抱きしめられると私も恥ずかしいといいますか……」
珍しく顔を赤らめて恥じらいを見せるエイミーの言葉を聞いて、フランツはいつの間にか力を込めていたことに気が付いて慌てて彼女を解放すると、空気を変えるために大げさに咳払いしてもう一度同じ質問を繰り返したのだった。
「そ、そうですね。では良ければ付き合ってもらえますか?」
エイミーも今の一件でようやく目が覚めたのか、はっきりとした口調でそれに答えると、しっかりとした足取りで目的の場所へと向かって行った。
「ほう。この鍛冶屋か」
宮殿を出たエイミーが向かった先は、帝都でもっとも有名な武器職人がいる鍛冶屋だった。
尤もその店の店主は頑固な事でも有名であり、気に入らなければ何も売ってくれないという事をフランツは知っていた。
「いらっしゃい………ませ」
店内にいた若い定員は、エイミーとフランツを見て明らかに驚きの表情を浮かべていた。
(まぁ当然の反応か)
皇帝一家の警護を行う親衛隊騎士が来店すれば、当然その相手は皇族ということになり、フランツ自身も何度かこの店を訪れていた為、店員とは顔見知りなのである。
「何か探している武器でもあるのか?」
しばらくしてからフランツは無言で武器を眺めるエイミーに声を掛けた。
その表情に朝のような可愛らしさは一切なかったが、どこまでも真剣に武器を見つめるその姿はまさに戦場を生きる者の顔であった。
「探しているわけでは無いの。でもこれなら大丈夫かも」
何やら意を決したエイミーは、ただ黙って成り行きを見守る若い店員に目を向け言った。
「ここの鍛冶職人の方にお会いしたい。呼んできてもらえるかしら」
「え、親方にですか。ですが…………きっと会っても、その……」
客であるエイミーに言葉を濁す店員だったが、彼女はそれに取り合うことなく再度呼んで来れるように頼みこんだ。
そんな熱意に押されて渋々といった感じで奥へと消えて行った店員を見て、彼女は腰に吊るしていた剣をベルトから外した。
「前から思っていたが、見慣れない剣だな」
大陸で使われる両刃の剣とは違う片刃で少し反り返った剣を見て言葉を発したフランツに、エイミーは愛剣に視線を落としながら小さな言葉で呟いた。
「この剣は私が敬愛する母の形見なんです」
そう告げたエイミーは一瞬だけその青く綺麗な瞳に憎悪の色を滲ませ、フランツはそんな彼女の変化を見逃さなかった。
「で、何の用だお嬢ちゃん? 俺は暇じゃないんだ。だいたいガキの来る所じゃねぇぞ」
フランツが口を開きかけた時、若い店員に連れられた初老の男性が現れ、鋭い視線を向けながら不機嫌そうな表情を見せる彼はエイミーを見るなりそんな言葉を吐き出した。
「……おい。客に対しての口が――」
この言葉を聞いたフランツは思わず声を上げたが、エイミーは二人の間に割り込むと無言で手にしていた剣を鞘ごと差し出した。
その剣を見た初老の男性は僅かに眉を上げ表情を変化させると、それを受け取り鞘から剣を抜いてその状態を確かめ始めた。
「ほう……良く手入れされている。それにしても刀を使う人間なんて帝国にはいないと思っていたが。それでこれをどうしろと?」
「その刀と同等か、それ以上の物を作って頂きたい」
「この刀ではダメなのか?」
「御冗談を。これほどの腕を持つ職人がその刀の状態を理解出来ないとは思えません」
「ほう。お嬢ちゃんはこの刀の状態が分かるのかね?」
「万全な状態であるなら頼みません。店内の武器を拝見して、信用に足ると判断させて頂きました」
意味深なやり取りを数回繰り返してそのまま黙ってしまった初老の男性は、何かを考えるようにじっとエイミーを眺めていたが、やがて男性は店内で一番目立たないところに置かれていた剣を手に取ると彼女に渡して告げた。
「それが一番この刀に近いものだ。とりあえず代わりに使うがいい。依頼は引き受けてやる。この刀は参考に借りるぞ? もちろん大切に扱う」
「構いません。それとありがとうございました。では出来あがったら連絡をお願いします。私は帝都にいないと思いますので、このフランツ親衛騎士隊長にお願いします」
しっかりと頭を下げたエイミーは、渡された剣を腰に吊るすとそのまま店を出て行った。
「あの剣……母親の形見なのだろう? それを置いてきて、しかもその愛剣を手放してまで新調するとはどういうことだ?」
店を出てすぐフランツは疑問を口にした。
母の形見というからには愛着があるはず。何にそれを手放してまで剣を新調するその心理が、彼には全く理解出来なかったのである。
「私たちは戦場で生きる者です。そして剣は生死を預ける重要なもの。ですがあの剣は……」
そこまで告げたエイミーはそこから先の言葉を一瞬だけ躊躇った。彼女にとってそれを認めることは、もう一度母を殺すようなものだったからである。
「私の愛剣は…………もう限界なんです。これ以上、戦場で使えば折れてしまう。寂しいことですが、どんなに思い出が詰まっていて愛着があったとしても、永遠に使い続けることは出来ないのです。もし戦場で壊れてしまえば私は確実に死ぬでしょう。仮に壊れないとしても、いつ壊れるか分からない剣を戦場で振るっていれば気持ちに不安が生じます。戦場での不安は死に繋がる。それはきっと母も望まないでしょうから」
「……そうだな。きっとそうだろうな」
寂しげな顔で最後は笑ったエイミーを見てフランツは思う。きっと彼女は生き抜くために強く在らねばならなかったのだと。
そのために時には心を鬼にして冷酷な判断も下してきたのだろうと。年頃の少女らしい心を捨てて。
「…………君はこの世界で一体何を求めて戦う?」
思わずフランツが漏らしたその言葉を聞いて、エイミーは迷うことなく答えた。それは手を伸ばすだけでは決して届かないものである。
「戦争の無い世界です。ただ……家族と笑って暮らせる世界です」
大通りですれ違った母親と手を繋いで幸せそうに笑う子供。
そんな二人をエイミーは笑顔で見つめて、もはや自分では叶わない願いを静かに口にしたのだった。
近衛騎士総長リヒャルダ=ブリュックナーは、宮殿内にある鍛練場で繰り広げられる光景に目を奪われていた。
そこでは親衛隊に所属する騎士と格闘訓練を行うエイミーの姿があった。
「ブリュックナー総長か。こんな場所でどうした?」
「これはクリューガー親衛隊長殿。いえ、鍛練場から物音がすると思って覗いてみただけです。それにしても…………」
敬礼したリヒャルダはそのまま鍛練場に転がる親衛隊騎士たちに視線を向けた。彼らは息も絶え絶えで転がって情けない姿を披露しており、そこに親衛隊騎士としての威厳など微塵も無かった。
「彼女は正直凄いと思う。あの年齢で自分の弱点を知り尽くしている」
「弱点ですか?」
リヒャルダは動き回るエイミーの姿を眺めながら、彼女の弱点を探そうとしたがまるで見当が付かなかった。
彼女から見れば、エイミーに弱点など無いように思えた。
「彼女は小柄で女性故に力も弱い。あれでは掴まれたら終わりだろう。だから彼女は掴まれないように動き回る。それも体力を消耗しないように最小限の動きで。そして力不足を補うために、全身を使って攻撃するし、相手の動きさえも利用する。ほら、カウンターが決まったぞ」
相手の拳を紙一重で避けたエイミーは、そのまま相手の動きに合わせて鳩尾に拳を叩き込んだ。
それは見ているリヒャルダも痛いと感じるほどのものであった。
「戦場を生き抜いてきただけあって実力はかなりのものだ。だが彼女はそれに驕ることなく未だに訓練を重ねて上を目指している。さすがは一等級傭兵だ」
フランツは真剣な顔で告げると、最後の一人を倒して小さく息を吐いたエイミーに視線を向けた。
大人と子供の境目を生きる彼女だが、その心はこの場にいる誰よりも大人だ。今日一日エイミーを観察していたフランツはそう結論付けた。
「…………少女らしさを捨てなければならない世界か」
子供が子供らしくいられない世界。
それがこの世界の現実だということを肌で感じたフランツは、虚しい気持ちを覚えながらエイミーを眺め続けたのだった。




