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アグリジェント戦記  作者: 黒いたぬき
帝国反攻編
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閑話・勝利の裏側で

 エイミー=ベンフォード率いる軍がフロスト平原で王国軍を打ち破った同じ日、フルダ辺境伯夫人シャスティルは決断を迫られていた。

 領内に侵攻してきた王国軍を撃退するべく戦闘を続けていたが、その抵抗も限界に近付いていた。各地で略奪を続ける王国軍は抵抗の激しいローデンブルグへと狙いを定めたのである。


「報告します。王国軍は領内各地に散っていた戦力をこちらに向けました。その数は二万以上。もはやこのローデンブルグを守るのは不可能かと思われます」

「そう…………。こちらの残存戦力は?」


 机の下で拳を握り締めるシャスティルの問いに、目の前の騎士は申し訳ないといった表情でその数を告げた。

 残存戦力は一千。それがこのフルダ辺境伯に残された最後の戦力であった。


「申し訳ございません。我々が不甲斐ないばかりに…………言い訳のしようがございません」

「何を言うのですか。騎士たちは奮戦した。力が足りなかったのは私の方よ」


 領主代行として何度も近隣の領主に対して救援要請を送ったシャスティルだったが、返ってきた返事はどれも冷たいものだった。どの領主も自分たちの領地を守る事を優先したのである。唯一援軍を送って来たのはホルステン辺境伯だけだった。それも強力な援軍を。


「少しいいですか?」


 前触れも無く部屋にやって来たのは、その強力な援軍を連れて来た人物だった。傭兵団の団長を務めるフィオーナ=ローゼンバーグである。もっとも今の彼女は帝国の騎士服と鎧を身に着けているため、傭兵団の団長には見えなかった。


「うちの隊が北から南下してきた王国軍の部隊と戦闘になったわ。どうやら先行部隊だったらしく簡単に撃退できたらしいけど、このままだと街は包囲されるわ。そうなると全滅よ。どう足掻いても、二万の大軍を疲弊した千の軍勢で撃退するのは不可能よ」

「諦めるしかないということなのね」


 この街の住人と親交深いシャスティルはどうしてもこの街を守りたかったが、目の前の騎士も数々の戦場を歩いて来たフィオーナも、それはもう無理だと告げていた。


「…………分かったわ。残った全住民に避難指示を出します。残存する戦力は王国軍を迎え撃ち、可能な限り敵の侵攻を遅らせる。指揮は私が執ります」


 覚悟を決めて椅子から立ち上がったシャスティル。

 それを見て止めても無駄だと悟ったフィオーナは何も言わなかったが、騎士の方は違った。彼はシャスティルの前に立ち塞がると、本当に指揮を執るつもりなのかと真剣な表情で尋ねたのである。


「もちろんです。私はこの領地を治める領主の妻であり今は代行。私には責任があるのです」


 強い口調で語ったシャスティルだったが内心では恐怖を感じており、それに押し潰されないよう必死に取り繕っていたのである。


「…………その覚悟は我々が引き継ぎます」


 次の瞬間、目の前の騎士はシャスティルの鳩尾に強烈な一撃を見舞った。

 一瞬のことに何も分からず意識を失った彼女を抱きとめた騎士は、フィオーナに視線を送るとゆっくりと口を開いた。


「彼女の護衛を頼みます。北西に向かえばまだ逃げ切れるはずです」

「…………。何となくそうするんじゃないかと思っていたけれど、本当にいいの? 確実に死ぬわよ?」


 目を見つめてそう問いかけるフィオーナに対して、その騎士は抱きかかえたシャスティルに視線を落とすと笑顔を浮かべ、そして彼女の頬にキスをしてから言葉を発した。


「シャスティル様は良い領主代行です。今もこうやって、恐怖を押し殺して戦おうとして下さった。この方の様に振る舞える貴族が、果たしてこの帝国に何人いるでしょう」


 死の恐怖に立ち向かい、それでも民のために戦おうとする貴族など多くない事をフィオーナはその経験から知っている。

 寧ろいざとなれば真っ先に逃げる貴族の方が多いのだから。


「今は王国軍の支配下に置かれたとしても、いずれこの領地は帝国が取り戻します。その時、この領地には彼女が必要なのです。ここで彼女を失うわけにはいかない。だから頼みます」

「…………っ。分かったわ。責任を持って護衛する。任せておいて」


 あなたも逃げるべきだと告げようとしたフィオーナだったが、寸前のところでその言葉を飲み込んだ。目の前の騎士の決意は、誰かが否定していいものではないからである。

 彼はきっと純粋に、彼女を守りたいのだ。彼女を愛しているからこそ。


「…………あなた名前は?」


 シャスティルを背負ったフィオーナは、部屋を出る直前に名前を知らないことに気付いて尋ねた。


「ディラン=グルード。この街を守る騎士隊の隊長です」

「そう。それじゃまたね…………ディラン」


 部屋を出て行った二人を見送った騎士ディランは、その手と唇に残る温もりを思い出しながら静かに言葉を吐き出した。


「申し訳ありませんアウレール様。この失態は…………この命を以って償います」


 既婚者であるシャスティル。

 そんな彼女に働いた行為を懺悔したディランは、気持ちを切り替えると仲間が待つ場所へと駆け出したのだった。



「シャスティル様はフィオーナ様たちの護衛によって街から脱出なさる。最初に言っておくが、彼女は我々を見捨てたわけではない。共に戦うと仰られた彼女を俺が殴って止めた」


 彼女の悪評を防ぐため真実を語るディランだったが、それを聞いていた騎士たちは呆れた顔で口々に言葉を発した。


「あの人なら確かに言いかねないな。殴って正解だ」

「誰も見捨てたなんて思って無いですよ。隊長は心配性だな」

「それにあんな美人が戦場にいたら、こっちが集中出来ないもんな」


 軽口を叩く騎士たちだったが、誰もが彼女の生存を願っていたのである。

 そもそも彼女の誠実さはこの街に住む者なら誰もが知っていた。そして優し過ぎることもである。

 そんな彼女が自分だけ逃げるなど絶対にあり得ない。


「はっ。確かに俺は心配性みたいだな」


騎士たちの反応を見て杞憂だったことを悟ったディランは、真面目な顔つきで言葉を紡いだ。


「俺たちはこの街を守る騎士隊だ。例え負けるとしても、簡単に王国軍へ渡すわけにはいかない。何せ俺たちが愛する街だからな」


思い出が宿るこの街ローデンブルグの騎士隊長に就任してから五年。振り返れば充実した日々だったとディランは思う。何より心の底から守りたいと思う人に出会えたのだから。

 そんな街だからこそ、彼は守るために戦うのだ。その命を懸けて。


「諸君。ローデンブルグ騎士隊の名を、王国軍に刻み込んでやろう」


 剣を抜いたディランは部下たちにそう告げると、姿を現した王国軍にその剣を向け不敵に笑ったのだった。




「んっ……ここ……は……」


 意識を取り戻したシャスティル。その瞳は何故か夕暮れの空を捉えていた。


「目が覚めましたか?」


 夕暮れの空を遮るように現れたフィオーナの顔はどこか悲しそうに見えた。


「私は……確か…………」


 意識が覚醒するにつれ、鈍っていた思考が鮮明になっていくシャスティルは、ようやく全てを思い出して勢い良く体を起こした。

 周囲を見渡せばそこには避難民たちが溢れていた。


「ここはローデンブルグ近郊です。街は…………陥落した様です」

「何で……何で私がここにいるの! 私は最後まで――」


 そこまで言葉を発したシャスティルは、この中に街を守護する騎士たちの姿が無いことに気が付いた。


「ね、ねぇ……ローデンブルグ騎士隊は……ディランたちはどこ?」

「……あそこですよ」


 フィオーナが視線を向けた方角には、黒煙が上がるローデンブルグの街が存在していた。


「そんな……嘘でしょ…………。どうして…………」

「ただ愛する人を守りたかった。私の目にはそう映りましたよ」


 それを聞いた瞬間、シャスティルは自分の頬に手を添えていた。なぜだか分からないが、そこに確かな温もりを感じた気がしたからである。

 そして気が付けば彼女は大粒の涙を流しており、その涙は次々と彼女の頬を伝って地面へと零れ落ちていった。


「私は…………ディラン……ごめんなさい……うあぁぁぁっ!」


 シャスティルは黒煙を上げるローデンブルグの街を眺めながら、声を上げて泣き叫んだ。

 そんな悲痛な叫び声をフィオーナはしっかりと心に刻み込んだ。

 彼女もまた、ローデンブルグの街を守れなかった者の一人だったからである。




「…………潮時だな」


 建物の壁に背中を預けながら座り込んだディランは、戦闘を続けるローデンブルグ騎士隊と王国軍を眺めながら自分の腹部に手を当て、すぐに赤く染まったその手がもう長くないことを彼に悟らせた。


「意外と……俺たちは強かったな」


 抵抗を続けるローデンブルグ騎士隊に、王国軍の騎士たちは明らかに苛立った様子を見せていた。


「はっ……愉快な顔だぜ」


 爽快な気分になったディランは、そのまま彼女の姿を思い出しながら考えた。きっと今頃、彼女は泣いているのだろうと。


「自分達を見捨てたとか……思ってなければいいが…………いや、心配し過ぎか……」


 仲間に言われたことを思い出したディランは小さく笑うと、奮闘している仲間をその目に焼き付けながら静かにその目を閉じたのだった。


 

「帝国騎士隊長ディラン=グルード以下、ローデンブルグ騎士隊に敬礼!」


 燃え盛る街を見据えながら剣を掲げたフィオーナの号令で、傭兵団の人間たちは剣を抜いて彼らに敬意と哀悼の意を表した。

 この日、フルダ辺境伯領最大の街であるローデンブルグは陥落し、防衛に当たった千人全てがその命を散らしたのだが、彼らのお陰で住人たちは逃げ切ることが出来たのである。

 

 確かに彼らは、その命を懸けて騎士としての任務を全うしたのだ。





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