上に立つ者の資質
「すぐに立て直せ!」
フロスト会戦が開始されてから二時間、目の前の光景が信じられないライナスは怒鳴り声を上げて指示を出していた。圧倒的な戦力差があったにも関わらず王国軍は押すどころか押され続け、今や一部が敗走している有様なのである。
「殿下……。ここは退却して軍を再編するべきです。各地に散る王国軍を加えてもう一度敵に挑みましょう。ここから反撃するのはもはや不可能です」
「不可能だと? ふざけるなっ! 帝都は目の前なんだ。何としても立て直して帝国を蹴散らせ!」
これを突破すれば帝都。その思いに固執していたライナスは、撤退することを受け入れることが出来なかった。
それはライナスだけの責任では無く、これまで新興貴族たちが甘い言葉を囁き、担ぎ上げてきた結果の集大成なのであった。
「もういい。私が前線に出て軍を立て直す」
今までの勝利が自分の力だと信じて疑わないライナスは、周りが止める言葉を無視して軍馬に乗り駆け出して行った。
「何と無謀なことを。これでは全てが台無しだ」
新興貴族の一人がライナスを見送りながら、小さな声でそう吐き捨てた。
彼らにとって重要なのは王国の勝利では無い。重要なのはこの戦争で利益を得ることである。帝国の富を略奪して私腹を肥やし、その財力で王国内に盤石な土台を築く。
それこそが彼らがこの戦争に求めたものであり、決してライナスが求める様な事では無かった。
「愚かな王太子め。お前など国王の器ではないわ」
もはや勝敗が目に見えているこの戦いに見切りをつけた新興貴族たちは、次々と撤退準備を開始したのだった。
「敵を蹴散らせっ! もうすぐ敵の本陣だっ!」
軍馬をやられたエイミーは華麗な受け身で地面を転がると、素早く立ち上がって目の前の敵を斬り捨て叫んだ。
「ちっ。相手は女だ! 囲んで叩き潰せ」
「王国騎士は下品な方が多いのですね。同じ騎士として恥ずかしい限りです」
エイミーのそばに寄って来たアンナは、軍馬から飛び降りると王国騎士を蔑んだ目で見据えながら言葉を発した。
「半分は私が引き受けます。エイミー様はライナスの首を」
「了解した。背後は任せる」
背中を合わせて会話した二人は、同時に地面を蹴ると王国騎士に斬りかかった。
「女相手に情けない。それでも騎士ですか?」
挑発に乗せられ突っ込んでくる王国騎士たちを、アンナは次々と突き刺した。鎧で厚く守られた部分では無く守りの薄い部分を的確に狙って。
逆にエイミーは一等級傭兵の力を存分に振るって王国軍を圧倒していた。
「邪魔だ。道を開けろっ!」
愛剣に風を纏わせたエイミーは、一気にそれを解き放って周囲にいた王国騎士たちを薙ぎ払うと、続けて愛剣を地面に突き刺して魔法を放った。
〈大地よ怒りを示せ〉【シュタイン】
短い詠唱をエイミーが唱えると同時に、彼女を中心として大地が爆発した。
そして舞い上がった大量の土は空中で複数の大きな塊となり王国騎士たちを襲ったのである。
「私の前に立ち塞がるということは……こういうことだ」
生き残っていた王国騎士たちは土の塊で押し潰された仲間を見て顔面蒼白になった。押し潰された仲間は即死では無く悲鳴を上げていたが、逆にそれが恐怖を煽ったのである。
「戦場で呆けていると死ぬぞ」
動きを止め恐怖に顔を歪めていた王国騎士に近づいたエイミーは、右手で抜いた短剣を相手の喉に躊躇うことなく突き刺した。
「次に死にたい奴は誰だ?」
返り血を顔に浴びたエイミーは、それを拭うこともせずに王国騎士へ問いかけたが、もちろんそれに答える者などおらず、彼らは剣を捨てると我先にと逃げ出したのである。
「……まるで悪霊ね」
自分の行動を自虐的に評したエイミーは戦いが続く戦場を見回した。帝国騎士たちは王国軍を圧倒している。
このまま行けば勝利は確実であり、あとはどこまで犠牲を少なく出来るかであった。
「ライナスを探すか」
早急に敵の大将を討ち取るべくエイミーがさらなる前進を全軍に命じようとしたその時だった。王国側から一人の騎士が向かってきたのである。
「我が名はライナス=コールフィールド=レアーヌ。王国王太子でありこの軍の指揮官だ。そちらの指揮官と話がしたい」
まさに願ったり叶ったりのチャンスであったが、エイミーは正直呆れていた。
こんな戦況すら読めない王太子が指揮官では、王国軍の脆弱ぶりも納得出来たからである。
「私だ。皇帝陛下より対王国戦の全権を預かるエイミー=ベンフォードだ」
「そなたが指揮官? まだ子供ではないか」
エイミーの姿を見て驚きを露にするライナスに対して、彼女は特に不快感を覚えることも無く冷静な口調で告げた。
「それで何の用です? 降伏ですか?」
「降伏? 何を言っている。王国軍はまだ戦える!」
自信を覗かせたライナスとは対照的に、周囲にいた王国騎士や兵たちは冗談じゃないといった顔でライナスにその視線を向けた。
その様子にエイミーは何とも言えない気持ちを抱いてしまった。
「そうですか。それで……ここまで出て来たからには死ぬ覚悟もあるのでしょうね」
「何を言っている。指揮官であるそなたを討ち取れば勝負はまだ分からん」
どこまでも空気の読めないライナスの言葉に、エイミーは心の中でため息を吐いた。仮にこの状況で自分が討ち取られたとしても、帝国軍の勝利はもはや揺ぎ無いものであった。
なぜならこの戦場には皇女であるディアーナもいれば、五大貴族であるウォルターやアウレールといった優秀な者たちがおり、簡単に崩壊するほど脆くはないのである。数多くの戦闘を繰り広げたこの軍は、今や帝国の精鋭なのだから。
しかもその仮定もエイミーがここで敗れたらの話である。
「あなたに私が討ち取れるとは思えません。そもそも愚かな王太子に敗れるほど、私は弱くはない」
あまりの無能ぶりを披露するライナスに、エイミーはその青い瞳を細めて睨みを利かせた。
彼はエイミーが最も嫌悪する部類の人間であり、もはやその言葉を聞くのもウンザリだった。
「現実を知らない王太子が……自身の無能を悔い改めろ」
「……私の腕を舐めてもらっては困る。行くぞ」
馬を降りたライナスは剣を抜くと距離を詰めてエイミーに斬り掛かり、周囲で戦闘を行っていた者たちは次々と戦闘を止めてその光景に視線を向けた。
「確かに言うだけのことはあるな」
「そうね。でもあれでは……」
その場にやって来たアレクシスとアンナは、ライナスの剣技をしばらく観察してからそんな感想を漏らした。
確かに一介の騎士として見ればその腕は悪くなかったが、それが戦場で通用するかと問われれば話は別だった。
(王族だけあって剣の腕は悪くない。でも……読みやすい)
相手の剣を捌きながら同じような感想を抱いたエイミーは、再び振り下ろされた剣を見て今度はその力を受け止めるのではなくそのまま受け流した。
そして一瞬体勢の崩れたライナスの胸に強烈な蹴りを見舞ったのである。
「……一つ聞きたい。何で帝国を侵略した?」
無様に地面へ這い蹲ったライナスを見下ろしながら、静かな口調でエイミーは問いかけた。
これを聞いたライナスは苦痛に顔を歪めながら言葉を返した。
「侵略……だと? 王国は自衛のために動いただけだぞ。侵略しようとしていたのはそちらが先だろう! 貴族たちが言っていたぞ!」
これを聞いた帝国騎士は全員が一斉に怪訝な表情を浮かべた。帝国が王国に侵攻しようと計画したことは一度も無い。
なぜなら帝国は自国内で全てを賄えるのだ。わざわざ危険を冒してまで侵攻する必要はないのである。
「それで殿下は……その情報の信憑性を確かめようとしたのですか?」
「何?」
「その情報を、あなたは自分で確かめようとしたのですか?」
この問いにライナスは口を閉ざしてしまった。当然そんなことはしなかったのだ。
そんな様子を見てエイミーはしっかりとその事実を伝えた。
「帝国が王国を侵略しようとした事実は一切ない」
「な……嘘を吐くなっ!」
その言葉を信じようとしないライナスに向かって、やって来たディアーナが軍馬か降りると諭すような口調で言葉を発した。
「王太子殿下。私の名前はディアーナ=ハウゼン=ザールラント。この帝国の第二皇女です。私の立場と名誉に誓って申し上げます。侵略の情報は間違いです。そのような事実は一切ございません」
無能な王太子にはっきりと告げたディアーナに続いて、エイミーは再び彼に問いかけた。
「そもそも他の王国軍が何をしているのか、殿下はご存知ですか?」
これに答えたライナスだったが、それはエイミーを満足させるものでは無かった。
「略奪ですよ。新興貴族は王国の勝利よりも私腹を肥やすことに勤しんでいる。だからここにいないのです殿下」
「ば、馬鹿な。王国の騎士がそのようなこと――」
「本当に何も知らないのですね。はっきり言いましょう。殿下は王の器ではない!」
はっきりと告げたエイミーの脳裏に、記憶の中で生きる母の姿が浮かんだ。母は教えてくれた。上に立つ者に必要なものを、その命を以て教えてくれたのだ。
「上に立つ者は理想はもちろんだが、何よりも現実を知らなければならない。何故なら理想と現実には必ず隔たりが存在するからだ。その隔たりを埋めるのが上に立つ者の責任であり、命を預かる者の責任だ」
地面に倒れたライナスにエイミーは口調を強めてさらに言葉を続けた。
「あなたは周囲の言葉を鵜呑みにして現実を知ろうとしなかった。その結果、この戦いで多くの騎士と兵を失うことになった。上に立つ者の責任と義務を果たさなかった結果だ。そんな殿下に国王を受け継ぐ資格は無い!」
そう告げたエイミーは、下げていた愛剣をライナスに向けると真剣な眼差しを向けた。
「理想に逃げる時間は終わりです。ここは現実の世界なのですから」
「…………そうか。そうだな」
ゆっくりと立ち上がったライナスは、その手でしっかりと剣を握ると目の前のエイミーを見据えた。
(…………気付かなかったが、美しい娘だ。可愛らしい顔で良く見れば体つきも良い。でも一番惹かれるのは――)
心の中でそんなことを考えながら地面を蹴ったライナス。
だが次の瞬間、そのエイミーの顔は目の前にあった。青く綺麗な瞳。小さくふっくらとした柔らかそうな唇。彼女の様々なものが彼の心を一瞬で捉えた。
「終わりです」
一瞬にしてライナスの横を駆け抜けたエイミーは、振り抜いた剣先を見つめながら静かな口調でそう言葉を発した。
地面へと崩れ落ちたライナスは、もう何も聞こえない世界の中で思った。
(その気高さだ……。そうか。君は私とは違い王の器があるのだな。だからこそ……美しい)
「……王国軍に告げる。ライナス王太子は戦死した。降伏するのなら、命までは奪わないと約束しよう」
剣を納めたエイミーは周囲で唖然とした表情を浮かべる王国軍に告げ、この状況で抵抗する者は殆どおらず逃げ遅れた多くの騎士や兵が剣を捨てた。
こうしてフロスト会戦は帝国の勝利で幕を閉じたのだった。




