近づく会戦
帝都ザクセンハルトの南部に広がる広大な平原――――フロスト平原に到着したアルテミス・アテナ両騎士隊とウォルター・アウレール両名に率いられた軍は、すぐに王国軍迎撃の準備に取り掛かった。
「それにしても準備がいい。エリオスにあんな物を準備させていたとは」
帝都から連れて来た民間人が組み立てる物を眺めなていたアウレールは、エイミーの手際の良さに素直に感心していた。これを見る限り彼女は、早い段階から広い場所で王国軍を迎え撃つ事を計画していたとしか思えなかった。それはまだ彼女が北部で蛮族を掃討していた頃である。つまり彼女は蛮族掃討の指揮を執りながら、対王国戦の作戦も同時に練っていたことになる。
「もう騎士団長でいいんじゃないか?」
「確かに適任だな。年齢さえ考えなければだがな」
完全実力主義者であるアウレールの言葉に、隣で同じようにその光景を眺めていたウォルターが政治を考慮して彼に釘を刺した。仮にエイミーが騎士団長に任命された場合、道楽貴族がこのまま黙っているとは思えなかった。
「奴らはこの前の出来事で正面からは勝てないと理解した。今度は違う方法で攻撃してくるぞ」
五大精霊ですら跪かせる圧倒的な力と、敵対する者は全て殲滅すると宣言したエイミーに正面から喧嘩を売るほど彼らも馬鹿では無い。きっと姑息な手段で彼女を陥れようとするだろう。
「…………心配は結構だが正直、彼女にはどんな手段も通用しないと思うがな」
心配するウォルターとは対照的に、アウレールはそんな言葉を漏らして思い出す。あの時、彼女が最後に見せた表情を。あれを見て、彼女に対する評価は一変した。
それまでアウレールがエイミーに抱いてした印象は、剣の腕や指揮能力といったものを除けば年相応の少女といったものだった。帝都までの道中、彼は何度か彼女が白狼を枕にしたり抱きしめたりしながら、無防備に眠っている姿を目撃した。その姿はこの殺伐とした戦争において男性騎士の癒しにもなっていた。また彼女は人当たりも良く、話しかけられれば笑顔で対応していた。
(あの言葉通り、彼女は敵対する者には容赦しないだろう。攻撃されれば、容赦なく断罪の鉄槌を振り下ろす。迷うことなく)
十五歳の少女が見せたあの表情を思い出すたび、アウレールの心は酷く痛んだ。あれはこの世界の残酷さを知っている者の顔であり、多くの死を見て来た者の目だった。一体どれほど見て知ればあの様な表情になるのか、彼には考えても想像出来なかった。
「…………不甲斐ない大人だな、全く」
責任ある立場にいながら何もして来なかったアウレールは、これからはエイミーを支えて行こうと心に誓った。そしてその小さな体で帝国を守ろうと奮闘する彼女を邪魔する者がいるならば盾になろうと。それが大人として、未来を担う子供にしてやれる唯一のことだと信じて。
丘の上に佇むエイミーは、吹き抜ける風を静かに感じながらそこから見える景色を無言で眺めていた。地面に突き刺した剣の柄の上に両手を組みながら無言を貫いていた彼女であったが、やがてその青い瞳を閉じた。長く綺麗な金髪の髪が、風で宙を舞った。
彼女は今、かつて同じように戦った彼女たちの記憶を思い出していた。彼女たちの歴史は戦争の歴史である。創世戦争から今日まで、大きな戦争から小さな戦争の殆どに関わってきた彼女たち。もはやここまで来ると、継承者は戦争に愛されているのではと疑いたくなってしまうほどであった。
「…………未だに続いている」
鮮明に浮かび上がるその戦場は、目を覆いたくなるほど悲惨な光景だ。血の臭いや肉の焼けた臭いが混じり合い、悪臭と言って間違いない異臭が漂っている。そして数え切れない死体の数々が築かれているのである。普通の人間なら吐き出して叫びたくなる光景だ。
「…………逃げてはダメだ」
幼い頃から見て来たその光景。それがこの時代にも存在すると知ったのは、エイミーが五歳になった時だった。それから十年、同じような光景の世界を歩き続けて来た彼女だが、未だにその光景を見ると不快な気持になった。だがそれと同時に、彼女は安心感を覚えた。まだ自分は、人として生きていると実感出来るからである。絶対的な力を持つ彼女は、心のどこかで思っていたのである。自分は人でないと。力を行使すれば、人の命など簡単に消せてしまうのだから。
「そんな場所で感傷に浸って何をしているの?」
近づき難い雰囲気を纏っていたエイミーに声を掛けたのは、今や戦友といって間違いないディアーナだった。視線を向けたエイミーは、しばらく彼女の顔を眺めてから唐突に切り出した。
「ディー。私はあなが好きよ」
「え?」
いきなりの言葉に一瞬思考が停止したディアーナ。だがすぐに顔に動揺が現れた。
「ちょ、いきなり何? えっ? わ、私もエイミーの事は嫌いはじゃない……好きだけど……その、わ、私はそういう趣味ではないから! き、気持ちは嬉しいけど…………その……」
顔を真っ赤にしながら要領を得ない言葉を発するディアーナに、エイミーは儚げな笑顔を向けながら話を続けた。
「この五年間、私は心のどこかで思っていたの。戦争が続くこの世界に、価値なんてないんじゃないかって。終わらせてしまっても、いいんじゃないかって」
エイミーの言葉を聞いて、ディアーナはすぐに真剣な顔に戻った。あの時の圧倒的な存在とは違い、今にも消えてしまいそうに見えたからである。
「私は……一人では何も出来ない。どんなに強大な力を宿していても、何一つ守ることが出来ない。だがら、終わらせてもいいんじゃないかって………」
その時、エイミーはディアーナが全く予想出来ない行動を取った。彼女はディアーナの胸に顔を埋めたのである。
「だが終わらせてしまえば彼女たちの想いが…………命を懸けた母の想いが無駄になってしまう! でも私も人なんだ…………。人でいたいんだ…………」
エイミーの心からの叫びを聞いて、ディアーナは自分の不甲斐なさを後悔した。彼女は確かに強くて、頼れる存在だ。だがそれと同時に十五歳の少女なのである。そんな彼女が背負ってきたものを考えれば、今まで潰れなかったことが奇跡なのだ。
「人でいたいなら……悲しい時は泣けばいいのよ。背負ってきたものが重いなら、私が半分背負うわ。だって私はあなたの戦友でしょう。共に背中を預けて、共に未来を切り開いていく戦友。それに私もあなたが好きよ。一人の人間として、私はあなたのことが大好きよ」
縋りつくエイミーを見てディアーナは思った。これが本当の彼女の姿だと。だから彼女はしっかりとエイミーを抱きしめた。彼女の想いを受け止めるために。
この日、エイミーは人目も憚らず大きな声を上げて泣き、そのままディアーナの腕の中で泣き疲れて眠ってしまったのである。
「完全に安心していますね~。可愛いお姉様です」
「心配じゃないの?」
冷やかし気味に言葉を発する風神様にそう言葉を返したディアーナ。それに対して風神様は遠い目をしながら答えた。
「継承者の誰もが経験する苦悩です。それに――――」
エイミーに視線を向けた風神様は自信を持ってこう告げた。
「私はお姉様を信じておりますから」
いつもの笑顔で言い放った風神様は、集まって来た野次馬たちに事情を説明するためその場を立ち去った。
「…………確かにその通りね」
残されたディアーナは、エイミーの寝顔を眺めながら小さく微笑んだのだった。
そして翌日、風神様の言葉通りエイミーはいつもの姿を取り戻していた。それに安心したディアーナだったが、彼女の苦難が始まったのはここからだった。
「何だか様子がおかしいわ」
すれ違う騎士たちの様子がいつもと違うことに気付いたディアーナ。男性騎士は自分を見ながらひそひそと話しており、女性騎士に至っては顔を赤くしながら通り過ぎて行くのである。
「一体なに?」
居心地の悪さを感じるディアーナはミリアムを見つけるとすぐに声を掛けた。すると彼女もまた、頬を赤く染めながら彼女を見つめたのである。
「その実は……」
ディアーナに問い詰められたミリアムは、その重い口をゆっくりと開いた。
「ディアーナ様が…………エイミー隊長に迫ったと」
「……へ?」
「ですから……その無理やり迫ってその…………」
何だか嫌な予感が駆け廻ったちょうどその時、やって来たアレクシスがディアーナを見て声を掛けた。
「さすがは皇女様。あの隊長に迫って無理やりとはやりますね。しかも泣いても止めないとは大したものです。敬意を表したいくらいですよ。で、どうでした?」
大人なアレクシスがそう尋ねたことにより、ディアーナはようやく理解した。なぜ皆の様子が違うのかを。そしてその原因を作ったのが誰なのかも。
「フレイヤ? ちょっと待ちなさい」
ゆっくりと剣を抜いたディアーナは目の前を通り過ぎようとしていた風神様を見つけると、怒りを押し殺して声を掛けた。
「一体どんな説明したんだこらぁ!」
完全にキャラが崩壊したディアーナは、瞬時に絶対零度の魔法剣を生み出すと目にも止まらぬ速さで風神様に斬りかかった。
「ま、待つのですよ。ちょっとした冗談――――」
「冗談で済むかっ! 無理やり迫って泣いても止めないとか私は鬼かっ! そもそも私にそんな趣味は無いわ! しっかりと謝罪しろっ!」
キレのある攻撃を何とか避ける風神様だったが、突如何者かによって動きを拘束された。そこにいたのは、どす黒い魔力を放出するエイミーだった。
「フレイ? 一体どういうことか説明してもらいましょうか?」
鬼の形相を浮かべたエイミーとディアーナを見て、風神様は素直に謝罪の言葉を口にしたがすでに手遅れだった。
「その格好で反省しろっ!」
エイミーによって縛り上げられた風神様は、地面に正座させられることとなった。首から『私はお馬鹿な子です』という看板を吊るされて。これを見た騎士たちは、決戦前だという事も忘れ楽しい気分に浸ったのだった。
そんな和やかな空気で過ごした翌日、偵察に出ていた騎士たちが戻ってきた。彼らはすぐにエイミーに報告した。王国軍が接近中と。




