戦乙女たちの出陣
宮殿での慰労会で一騒動起こしたエイミーはその夕方、ディアーナの私室で作戦を練っていた。
「これまでの動きから考えれば王国軍は間違いなくフロスト平原を進んで来るはずよ」
広大な帝国地図を大きなテーブルに置き、各地に置かれた色分けした駒を眺めながら王国軍の進路を推測するディアーナは、バードテルツに展開するライナス王太子率いる王国軍本隊はフロスト平原に進んでくると結論付け、エイミーもその考えに同意を示した。
王国軍は帝国に侵攻して以降、各地で残虐非道な行動を繰り返していたが、ライナス率いる王国軍本隊だけは何故か真っ直ぐ帝都を目指して進軍していたのである。
「相手は約五万強。対してこっちは前線に展開する帝国軍を合わせれば五万五千になる。数の上では互角よ。まぁ敗走を続けている帝国軍を数に入れて良いのか微妙だけどね。それ以前に一緒に戦ってくれるかどうか」
王国軍の侵攻に対して敗退を重ね続けている帝国軍。
そんな帝国軍を統率する五大貴族の一人であるダリウスをディアーナは信用出来ないでおり、もちろんそれはエイミーも同じだった。
「帝国軍の動きを見る限り、彼らはこの帝国を守る気が無いように思えるわ。南部各地に展開する騎士隊が徹底抗戦を続ける中、彼らは早々にフロスト平原まで後退して騎士たちを見捨てた。仮に帝国軍が前線で踏ん張り続けていれば王国軍の進攻はもっと遅くなっていたはず。いや……バイロイトで手痛い打撃を与える事も可能だったわ」
「帝国軍の指揮官には帝国東部の貴族たちが多いのよ。そして彼らはどちらかというとダリウス将軍を信奉する貴族派の人間たちよ」
皇帝家のハウゼン家を絶対の統治者と定めてそれを支えるベンフォード家を中心とする皇帝派。
皇帝家の権力を制限して貴族の権力を拡大する事を求めるカルヴァート家を中心とする貴族派。
ザールラント帝国ではこの三十年あまりの間そんな対立が水面下で繰り広げられており、エリオスが騎士団長に就任した結果、その対立は決定的なものとなったのである。
「剣技だけの技量で見ればダリウス殿の方が上で、誰もが帝国騎士団長を率いるのは彼だと思っていたのよ。エリオス様が獅子王と契約されるまではね」
「ふ~ん。まぁ何であれ、能力の分からない帝国軍を数に入れる必要は無いわ。私たちだけで王国軍本隊を殲滅して指揮官であるライナス王太子を討ち取る」
北部からの転進組である騎士だけで王国軍本隊を相手にするというエイミーの言葉に、ディアーナは少し呆れながらもそれに同意を示したのだった。
何せ北方蛮族との戦闘を経て、転進組である騎士たちの戦闘能力は格段に向上している。倍以上の敵であろうとも勝てる自信が彼女たちにはあったのである。
「とにかく明日には帝都を出発してフロスト平原に軍を進める。いよいよ本当の戦いが始まるわ」
地図を眺めるエイミーの声を聞いてディアーナは必ず敵を撃破すると誓い別れた。
そしてその日の深夜、彼女はベッドの中で隣の部屋のバルコニーから聞こえて来るエイミーの綺麗な歌声を聞いたのだった。
翌朝。総勢三千名の騎士たちが正面に立つエイミーに視線を向けていた。
「出陣に際して今さら言う事は何もない。目指すはフロスト平原。そこで王国軍本隊を迎え撃ち、王国軍の総指揮官ライナス王太子を討ち取る。ここからザールラント帝国の反撃が始まるのだ」
宮殿の正面広場に並ぶアルテミス・アテナ両騎士隊に向かって言葉を告げたエイミーは、先頭の軍馬に跨ると大きな声を上げて出撃を命じた。
「正門開けろ! 帝国騎士隊出撃する!」
開かれた正門から出た騎士隊は、見事な隊列を組んで帝都の大通りを進んだ。
「やっぱり空気が沈んでいるわね」
「無理も無い。魔物たちの襲撃で帝都の被害は甚大で騎士団長は戦死。王国軍は目の前に迫っている。明るい話題が一つも無いもの」
大通りに見える民の表情は絶望に沈んでおり、誰もが騎士隊に期待の目を向けてはいなかった。
そもそもエイミーと共に先頭を進む騎士が、第二皇女ディアーナ本人である事にすら気付いている者がいないのである。
「これでは出陣する騎士たちの気持ちも萎えてしまうわね」
盛大な見送りとまではいかなくとも、せめて応援くらいはしてもらいたい。そう思うディアーナの言葉を聞いたエイミーは、しばらく考えたあと大きく息を吸い込んで口を開いたのだった。
『絶望の時代は過ぎ去り 今こそ新たな世界が訪れる』
穏やかで優しいエイミーの声で紡がれる歌声は、耳に残る旋律と共に風に乗って絶望に染まった帝都に響き渡った。
その歌はディアーナが昨日の深夜に聞いたものであり、宮殿内にある近衛騎士隊舎で休息を取っていたアルテミス・アテナ両騎士隊の騎士たちも届いていたものであった。
『耳を澄ませば聞こえるはずだ
戦乙女の可憐な声 未来を願う者たちの歌声が
顔を上げれば見えるだろう
騎士たちの凛々しい姿 自由を求める者の隊列が
絶望の闇を照らすため 立ち上がった者たちの歌を聞け
共に戦おう 我らと共に
例え弱者であろうとも その声が我らに力を与えてくれる
さあ勇気を奮い起こし 声に応え戦旗を掲げて翻せ
例え我らの命が尽きるとも 今が決戦の時である
流した血潮が未来を創るのだから』
エイミーの歌声に合わせ、隊旗を持って行軍する騎士たちは高々とそれを掲げ、残る騎士たちも背筋を伸ばして前へと進んだ。
そして民たちもその歌声を聞いて一人、また一人と顔を上げて進軍する騎士たちに視線を送り始め、やがて誰かが声を上げた。ディアーナ皇女殿下が出陣されるぞと。
『戦士の声が聞こえるはずだ
闇に自ら足を踏み入れ 希望を掴む誇り高き者たちの歌が
地上の戦火は消えないが
決意の炎も決して消えはしない
名誉と誇りを糧として
自由と未来を勝ち取る為 我らは再び大地を駆ける
さあ勇気を奮い起こして 剣を掲げて盾を構えよ
例え私が倒れようと 今が道を切り開く時である
流した血潮があとに続く者を守るのだから』
民に希望を与え、出陣する騎士たちの勇気を奮い立たせる為に歌い続けるエイミー。
そんな彼女に合わせる様にディアーナも口を開いて声を上げて歌い始め、最終的には全ての騎士たちが声を上げ歌い始めたのだった。
「……た、頼むぞ! この帝都を守ってくれ!」
「ディアーナ様! どうかご無事で!」
「帝国騎士団万歳! 皇女殿下万歳!!」
「ザールラント帝国に勝利をっ!」
騎士たちはこの帝都を守るために死地に赴く。
それに気付いた民たちもようやく声を上げて声援を送り始め、アルテミス・アテナ両騎士隊の騎士たちはその声援を聞いて、絶対にこの地を守ってみせると決意を新たにして帝都正門から堂々と出陣して行った。
「駐屯地の騎士たちと合流してすぐにフロスト平原に向かう。行軍の速度を上げるぞ。遅れるな」
未だに帝都から聞こえてくる声援に、エイミーも気持ちを新たにしながら指示を飛ばした。
目指すのは帝国軍四万が展開する帝都郊外フロスト平原であり、その日の午後にはフロスト平原に到着したのだが、そこで待っていたのは救援に対する感謝では無く敵意を剥き出しにした大貴族だった。
「騎士団が援軍だと聞いて期待していたが、貴様みたいな小娘が指揮官だと? 笑わせる」
フロスト平原に救援としてやって来たエイミーたちを見て、ダリウスは小馬鹿にした発言を行い、これを聞いたアレンがすぐに気分を害して噛みついた。
「例え将軍であろうとも今の発言は失礼ではありませんか? 仮にも彼女は今は亡きエリオス騎士団長閣下がベンフォードの家名を与えた人物なのですよ?」
「奴は戦争半ばで戦死した人間だ。見る目が無いのさ」
決してエリオスを認めようとはしないダリウスに対して、救援に駆け付けた騎士たちも敵意を剥き出しにしたが、意外な事にエイミーがそんな騎士たちを諌めたのだった。
「敵は王国軍で将軍殿ではない。相手を間違えるな」
そしてすぐにダリウス将軍に視線を向けると、彼にも分かるように言葉を発した。
「ヘルムフリート皇帝陛下の命を受けて我々はこの地にやって来たのです。将軍閣下ならその意味がお分かりのはずです」
「……ふん。好きにすればいい」
これ以上、騎士たちを馬鹿にすれば不敬だと告げるエイミーに、ダリウスは不機嫌さを隠さない表情で捨て台詞を吐いてその場をあとにしたのである。
そしてその言葉の意味を彼女たちが知ったのは、翌朝になってからの事だった。
「……帝国軍が移動した?」
「はい。ダリウス将軍率いる帝国軍は全戦力を西のアルスト平原に移動させました」
エイミーが起きた時にはすでに帝国軍は移動を完了を終えており、騎士たちも帝国軍と野営地が離れていた事でそれに気付くのが遅れたのである。
「アルスト平原……なるほど。そういうことね」
少しだけ思考を巡らせたエイミーは、すぐに彼の考えを事を察して小さな声で呟いた。
帝都西方には五大貴族の一つであるローレンス家が統治するヴォルムス侯爵領が存在しており、帝国軍の移動は侵攻して来る王国軍が、この地を見逃す事は無いと判断してのものだと思い至ったのである。
尤も本当の目的はそんな事では無いと理解していた。
「……ねぇエイミー。この移動はもしかして――」
「私の敗北が狙いでしょうね」
帝都で帝国騎士団長の座を求めた事は多くの貴族たちが知っており、フロスト平原にいたダリウスの耳にも間違いなく入っている事であった。
つまり彼はエイミーの敗北を望んでおり、それらしい理由を付けて配下の軍をフロスト平原から移動させたのだ。
その証拠に帝国軍をフロスト平原から離れていないアルスト平原に配置しているのだから。
「どうするの? 私たちだけでは圧倒的に数が足りないけど」
迫り来る王国軍約五万に対してフロスト平原に集結した帝国側は約一万五千であり、三倍以上の戦力差が存在するのである。
だがそんなディアーナが発した不安な声に、エイミーは特に悩む素振りも見せずに言葉を返したのだった。
「どうするも何もこの数で王国軍を打ち破りライナス王太子を討ち取る。それ以外に方法は無いもの。それに策は用意してある。駐屯地からあれも持って来たしね」
戦いにおいて数はまさに力であるが、決してそれだけが勝敗を決めるわけでは無い。
歴史を紐解けば少数で大軍を撃破した例は数知れず、結局のところ全ての要因を効率的かつ有効的に行使出来た者が勝利を得るのである。
「逆にこれは好機よ。こっちの数を見て敵は絶対に侮るわ。だからこそ、そこには勝機が生まれる」
絶対の自信を見せるエイミーに対して不安を抱く者はこの場には誰もいなかった。
北部からの転身組である騎士たちは彼女の才能と能力を既に知っており、寧ろ絶対に勝利出来ると逆に気持ちを高めていた程であった。
「すぐに準備を開始せよ。いつ敵が来ても迎撃出来るように万全の態勢を整える」
自信があろうとも絶対に慢心しない。
そんなエイミーに触発された騎士たちは、機敏な動きで迎撃準備を開始したのだった。




