昔の話
「エイミー! 起きてるかっ!」
エイミーがベンフォード家に迎えられてから数日後、朝から上機嫌なエリオスは勢いよくドアを開け放って彼女の私室へと足を踏み入れた。
彼がそこで目にしたのは娘になったばかりのエイミーとメイドのイレーネの姿だったが、少しばかり彼にとっては間が悪かった。
いや、正確に言えば彼にとっては嬉しい誤算といっても良かったのかもしれない。
「……旦那様?」
その場で固まってしまったエリオスと同じように動きを止めたエイミーとイレーネ。
部屋に何とも言えない空気が漂う中、意を決したエリオスは場を和ませようとお茶目な口調で言葉を発した。
「これはあれだ。嬉しい誤算――」
「さっさと出て行きなさいっ!」
だがそんな台詞も思考を回復させたイレーネによって遮られてしまった。
騎士顔負けの素早い動きでエリオスを部屋から叩きだした彼女は、大きくため息を吐くとエイミーに向かって頭を下げた。
「本当にすみません。まさかノックも無しに旦那様が部屋へ入ってくるとは」
「別に私は気にしませんが」
「えっと……少しは気にして下さいね」
下着姿を見られても全く表情を変えないエイミーに若干の不安を覚えたイレーネは、自分がしっかりしなくてはとこの時心に固く誓ったのである。
「それでだ。今日は俺が街を案内しよう」
無駄に元気なエリオスが朝食の席で話を切り出すと、エイミーは考える素振りすら見せることなく一言で断り、これにはさすがのエリオスも動揺を隠しきれず大きく肩を落としてしまった。
そんな様子を楽しそうに眺めていたエリノアは、微笑みを浮かべながらエイミーに告げた。
「一日くらい付き合ってあげて下さい。こう見えても夫はこの街の領主です。色々と詳しいですよ」
「そうですか……。では宜しくお願いします。今日は予定がありませんでしたから」
エリノアの援護でようやく首を縦に振ったエイミーに、エリオスは悲しげな瞳を向けながら呟いた。
「予定が無いのに……何で最初に断った?」
「そうですね。乙女の下着姿を覗いた仕返しです」
ニッコリと笑ったエイミーの言葉を聞いてそれまで微笑んでいたエリノアは、鋭い眼差しをエリオスに向けた。
その顔は笑っているが目が笑っていない表情に、エリオスはわざとらしく視線を逸らしたが既に手遅れだった。
「あなた……一体どういうことか説明してくれますか?」
「いや、それはだな……過ちというか、その…………」
助けを求めようとしたエリオスだったが、すでに当のエイミーは知らん顔。仕方が無いのでイレーネに助けを求めようとしたが、彼女はニッコリと微笑むとエイミーに向かって言葉を掛けた。
「エイミー様、宜しければ食後のお茶でもいかがでしょうか? 本日は天気も良いので庭園でのお茶がお勧めです。幸い、旦那様は少し奥様とお話があるそうなので」
「そうしましょうか。では私たちはこれで」
「えぇエイミー。あとは任せておいて」
エリオスはここに至って悟ったのだった。完全に女三人を敵に回したのだと。
「さて……きっちりと説明して下さいね? あ・な・た」
もはやこうなってはどうにもならないことを知っているエリオスは、それから一時間エリノアの説教を受けることとなった。
その間、エイミーは庭園で優雅な一時を過ごしたのであった。
「そう言えば、お前はドレスとか持っているのか?」
「戦場でドレスなんて着ますか?」
エリノアの怖い説教が終わったあと、ヴァルスの街へと繰り出したエリオスとエイミー。
街の様々なところを案内していたエリオスは、ふとそれが気になって尋ねたのだが、彼女は『なに言っちゃってるのこいつ?』と言いたげな顔つきにで逆に尋ね返していた。
「いやその通りだが……お前も一応ベンフォードの一員になる。持ってないとこれから困るぞ?」
エリオスの言いたいことが理解出来たエイミーは眉間にシワを寄せて考えた。
確かに五大貴族であるベンフォードの一員となった今、貴族としての付き合いに参加しなければいけない事もあるかもしれないのだから。
「確かに困りましたね」
そんな付き合いに参加する事など考えてもいなかったという意味で吐き出した言葉だったが、エリオスはそれを違う意味で受け取っていた。
「なら仕立てに行くか?」
「…………は?」
まさかそう受け取っていたとは思わなかったエイミーは間抜けな声を上げていたが、エリオスは不敵に笑うと言葉を続けた。
「この街で色々噂になっている仕立て屋がある。しかも最近、ディアーナ様も訪れたらしいぞ?」
得意げな顔で話すエリオスに対して、エイミーはどこかで聞いた話だと思いながらそのあとを追って行き、そして目的の場所に辿り着いた時、心の中で思わず叫んだのだった。
(色々噂されているって……ベルンハルトのお店? 本当にごめんなさい)
この帝国では革新的とも言える騎士服を仕立てたベルンハルトの店が色々と噂されていると知ったエイミーは、心の中で何度も謝罪しながら祈っていた。
その噂が決して悪いものでは無いようにと。
「これはエリオス様と……そ、それにエイミー様まで」
明らかにエイミーを見て狼狽している店主ベルンハルトに、エイミーは苦笑いしながら挨拶を返した。 そんな様子にエリオスは怪訝な表情を浮かべながらもすぐに本題を切り出した。
「うちの娘のためにドレスを仕立てて欲しい」
「…………娘?」
エリオスの言葉を聞いて『娘? それ誰のこと?』といった表情を浮かべるベルンハルト。
それは当然の反応であり、ベンフォード家に娘などいないことは街の全員が知っていることなのだ。
「えっと、その…………私ですね」
静かに手を上げたエイミーと爽やかに笑うエリオスを交互に何度も見たベルンハルトは、少し思案してから躊躇いがちに言葉を吐き出した。
「まさか……隠し子ですか?」
「おい!」
思わず反応していたエリオスは咳払いすると、エイミーにベンフォードの家名を与えた事をベルンハルトに告げたのだった。
「なるほどそうでしたか。早とちりしてしまって申し訳ありません」
「まぁ俺の言葉も足りなかったからな。気にするな。それでドレスなんだが、ここは最近噂になっていると聞いている。期待しているぜ!」
ベルンハルトの背中を大きく叩きながらそう言ったエリオスの言葉を聞いて、当のベルンハルトは何か言いたげな表情でエイミーに視線を向け、エイミーはわざとらしく視線を逸らしたのだった。
「お前のドレスだ。好きに決めろ。俺は少し用がある」
そう言って店を出て行ったエリオスを見送った二人は、すぐに顔を見合わせた。
少しの沈黙のあと、先に言葉を発したのはベルンハルトだった。
「実はあれ以来、様々なデザインが思い浮かびまして。ぜひご覧になって下さい。どうでしょう」
カウンターの下に置いていたデザイン画の束を取り出したベルンハルトは、押しつけるようにそれをエイミーに手渡した。
「えっとこれは……どれも帝国では見かけないものじゃない!?」
そこに描かれていたものは、現在の帝国では一切見ないような服ばかりだった。斬新にして画期的。
まさに彼は挑もうとしていたのである。この古い体質に凝り固まった帝国に対して。
「いいじゃない。なら私もあなたにお願いするわ。私のドレスはこんな感じにしてくれる?」
頭の中でイメージしていたドレスを口頭で説明するエイミーの言葉を、最初は普通に聞いていたベルンハルトだったがすぐにその表情を変化させた。
何せエイミーが語ったドレスは帝国の伝統とは全く異なるものであったからである。
「これはまた斬新ですが……その宜しいのですか? 誠に言いにくいのですが――――」
「構いません。私の本質を表すにはこれくらいでないと。私がどういう人間なのかを」
ベルンハルトの言葉を遮り言葉を発したエイミーに、彼は一瞬だけ寒気を覚えた。
なぜならエイミーの声は少女のものとは思えないほど冷たく、その表情は仮面を身に着けたかのように無表情だったからである。
「ん? どうかしましたか?」
無言で見つめるベルンハルトにそう声を掛けたエイミーは、すでにいつもの少女らしい表情に戻っていた。
まるで先程の表情が幻であるかの様に。
「い、いえ。ではそれでいくつかデザインを描いてみます」
カウンターに戻ったベルンハルトは、すぐにデザイン画の制作に取り掛かり、瞬く間に数枚のデザイン画を仕上げたのだった。
「な、なんだこのデザインはっ!」
いつの間にか戻って来たエリオスは、そのデザイン画を見て肩を大きく震わせ食い入るように見つめたあと、鋭い目つきでベルンハルトを見据えて彼の両肩を掴んで告げたのだった。
「妻の分も頼むっ!」
予想外の言葉に目を丸くするベルンハルトに対して、エイミーは呆れた表情を浮かべながらも、反対の声が上がらなかったことに内心安堵していた。
後日、エイミーはエリノアが贈られたドレスを見て顔を真っ赤にしているのを目撃したのだった。
何せそれは帝国の伝統とは全く違う露出の多いドレスなのだから。
宮殿の与えられた部屋のバルコニーで昔を思い出していたエイミーは、自分でも気付かないうちに小さく笑っていた。
思い返せばエリオスと一緒に過ごした時間は長くなかったが、それでも記憶に残る出来事は数多くあったのである。
「あのドレス、喜んでいましたよ」
結婚してから互いに忙しくエリオスと満足に過ごせる様な時間を持てなかったエリノアは、その贈り物が余程嬉しかったのか私室で何度も着てみては子供のように笑っていたのをエイミーは知っていた。
「絶対に悲しむわよね」
エリオスを愛して、そして支えてきたエリノアが戦死の報を聞けば悲しむのは間違いなかった。
そんな彼女のそばに自分はいない。エイミーはそのことに虚しさを覚えたが、すぐに考えを改めた。
「…………いや、今の私にはやるべきことがある」
エリオスが亡くなる直前に発した言葉を何度も心の中で思い返したエイミーは、目を閉じながら彼に届くことを願ってこう呟いた。
「だから私も躊躇わない。私が何者なのか……腐った貴族連中に教えてやる。私たちが……一体どれだけの覚悟を抱いて戦場を歩いて来たのかを教えてやる」
エイミーは忘れたことはない。上に立つ者の資格と覚悟を。それは母親が命を賭して教えてくれたことである。
そしてこの世界にもまだ温もりがあることを、エリオスは教えてくれた。
ならば彼女が進むべき道は一つしかなかった。
「帝国を敵にしたこと……絶対に後悔させてやる」
心に誓ったエイミーは手に持っていた短剣を右腰に吊るすと、これから始まる戦いに気持ちを向けた。最初の敵はエリオスが苦戦した道楽貴族の連中である。
「私は彼の様に優しくはない。嫌でも従ってもらう。時間がないのだから」
敗戦瀬戸際の帝国を救うには総力を結集するしかない。
そして今の状況でその方法は一つしかなかった。圧倒的な力で全てを従わせることである。
「行こうか。盟友たちよ」
空に向かってそう告げたエイミーは、老害たちが待ち受ける会場へと向かって歩き出した。皇帝に謁見するために。




