理想と現実
この世界に生を受けてから今日まで、継承者たちは考え続けてきた。その身に宿る力の意味を。
創世戦争の際にエミリア=ロザンヌがその力を得てから三千年の間絶えることなく受け継がれてきたアスタロトの力は、絶対の勝利を継承者に与え続けてきた。
『どんなに正しい行いをしても、実行した人間はその罪に苛まれるわ。それが理想を追い求める人間ならなおさらね』
そう言って笑った母の顔は、どこか寂しそうで悲しそうだったのをエイミーは覚えていた。
その当時は理解出来なかったが、戦場を巡ってきた今なら少しは理解出来た。
『理想と現実には隔たりがある。どんなに力を尽くしても……守れないこともあるのよ』
彼女たちは願ったのだ。生きる者たちの未来を。自分を慕う者たちの安全を。愛する者たちの幸せを。そしてその理想のために戦ったのだ。
しかしどれだけ強大な力を宿していても、人の身である彼女たちには限界があった。
創世戦争で三種族を率いた創世の騎士エミリア=ロザンヌは確かに世界を守ったが、同時に数百万に上る死者を生み出した。
異世界大戦で活躍した深淵の騎士レティシア=ロザンヌは確かに大陸を守ったが、結果として大陸は極限まで荒廃した。
継承戦争で名を残した聖槍の騎士アリエル=ロザンヌは、中堅国家だったロザンヌを大国の地位まで押し上げた。愛した家族を犠牲にして。
「守れないこともある…………か」
宮殿の廊下を一人歩くエイミーは小さな声で呟くと歩みを止めてその場で立ち止まり、手に持っていた短剣を鞘から静かに抜いた。
それはベンフォード家の継承者に与えられる家宝であり、鞘には獅子の紋章が刻まれていた。
「…………最後に何を願って、彼女たちはこの力を次世代に託したのだろう」
エイミーはその短剣を自身の胸に当ててそんな言葉を吐き出した。記憶と感情を受け継ぐエイミーだったが、死に際の想いだけはなぜか思い出す事が出来ないのである。
帝国騎士団長エリオス=ベンフォード負傷の報は、帝都に住まう人々に大きな衝撃を与えた。
帝都襲撃時、陣頭に立って指揮を執った彼こそが迫り来る王国軍を撃破する撃破すると誰もが思っていたからである。
「帝都はどうなっちまうんだよ」
「あの悪夢の惨劇を生き残ったってのに、今度は王国軍かよ」
「本当に……どうなるのかしら」
民の誰もがそんな恐怖に震えている頃、宮殿の皇帝執務室では会合が開かれていた。
「まさか帝国最強の騎士が重傷とはな……」
普段は冷静なヘルムフリートも親友で盟友でもあるエリオスの死にはショックを受けており、紡ぐ言葉も力の無いものになっていた。
「駐屯地を見回ってきましたが、生き残った騎士たちも精神的なショックから立ち直れていません。しかもどうやら恐怖が伝播している様で、駐屯地に残っていた騎士たちも沈み込んでいます」
ヘルムフリートのあとに言葉を発したのはリヒャルダだった。
彼女は逃げて来た騎士たちの様子を確認するために駐屯地を訪れていたが、一目見て彼らは使い物にならないと判断して引き上げて来たのである。
「でも報告書を読んだ限りではそれも仕方の無いことだと思うわ。さすがにこれには私も驚いたもの」
リヒャルダの言葉に反応したテレージアの表情は厳しいものだった。
何せ報告によれば一万の軍を壊滅に追い込んだのが、たった一人の女性騎士だというのだから。
「見た目は若く綺麗な女性騎士だったと生き残った騎士たちは証言していますが……人間では無く帝都を襲撃した悪霊の類でしょう」
綺麗な女性騎士ただ一人に一万の軍が壊滅した。それだけ聞けば情けない話ではあるが、証言がそれで終わることは無かった。
全てを燃やし灰に返すとされる獅子王が放つ業火の中を悠然と笑みを浮かべたまま歩き、圧倒的な威力を誇るエリオスの剣を片手一本で抑え込んだという。
そして最後には僅か一瞬で大規模な広域殲滅魔法を発動させ、騎士たちの半数を一撃で焼き尽くしたというのである。
「……正直、今の私たちでは悪霊という存在には絶対に勝てないでしょう」
エミンゲルで悪霊と直接剣を交えた経験があるディアーナは、最初にそう告げて話を続けた。
「悪霊と私たちの間には絶対的な差があると感じました。人の身では絶対に届かない何かが。エイミーがあの場にいなければ、私も騎士たちも確実に死んでいたでしょう。あれは……そういう存在でした」
そして最後には悔しげな表情を浮かべると、ディアーナは拳を握り唇を噛みしめたのだった。
「まさかこんなことになるなんて……」
「帝都の空気も重かったですね」
宮殿の一室に集められていたアレンたちは、エリオス団長の下へ向かったエイミーの帰りを悲痛な面持ちで待っていた。
「すみません……。私がっ…………もっと力を使えていたら……」
「君のせいでは無いだろう……」
部屋の片隅で涙を流していたのは、彼らに状況説明を行った神官のクリスタ=アダルベルトだった。
彼女は負傷したエリオスのために神聖魔法を使用したのだが、その効果は大して発揮されなかったのである。それを彼女は自分の力不足であると責めていた。
「…………悪霊共は強大です。彼女たちの前では人間はもちろんのこと、私でさえも弱者でしかないのです」
そんな自分を責める言葉を聞いて、それまで沈黙を保っていたフレイヤがいつに無く真剣な表情で言葉を発した。
彼女は知っているのだ。あの創世戦争によって悪霊たちがどれだけの命を奪ったのかを。
「そもそも神聖魔法に属する治癒魔法は本来、精霊に効果を発揮する魔法です。人間に実行しても治癒力を高めるくらいしか効果がない。瀕死の重傷者に対して行使してもその命を僅かに延命させることしか出来ないでしょうね」
「ちょっと! いくら何でも言い方ってものが――」
フレイヤの辛辣な物言いに怒りを露にしたミリアムが大きな言葉で反論を口にしようとしたが、それは彼女から溢れ出た威圧感のある魔力によって中断された。
「私とて怒りを感じているっ! 奴らに……悪霊たちによって我々精霊族の半数以上が殺された! それほどまでに敵は強大なんだ! その場で死ななかったことだけでも…………奇跡なんですよ……」
最後の方は勢いを無くして告げたフレイヤは、その場で膝をつくとその目に涙を浮かべながら叫んだ。
「私だって死んで欲しくはありません。あのお方は……私を娘のように可愛がってくれました…………。実の家族のように……服も……美味しい食べ物も……頭に飾る装飾品まで……与えてくれました。精霊である私を……本当の子供のように。過ごした時間は僅かでも嬉しかった……楽しかった……家族の温もりというものを思い出させてくれた。でも……どんなに願っても…………叶わないこともあるのですっ!」
そんな姿を見てもはや怒ることも出来なくなったミリアムは、振り上げようとしていた右手をどうしたものかと考えながら困った表情で周囲を見回し、全員が沈んだ表情を浮かべている事に気付いて口を閉ざしたのだった。
「団長……」
思わず両手を胸の前で合わせたミリアムは、天井を見上げながら実感していた。
この世界はどこまでも無情なものなのだと。
「迷子になった」
考え事をしながら廊下を進んでいたエイミーは、いつの間にか知らない場所へ来てしまい途方に暮れていた。
しばらく廊下を歩き続けた彼女は、やがて帝都を一望出来るバルコニーに辿り着いたのだった。
「…………」
バルコニーに出る事を少しだけ躊躇ったエイミーは、僅かの時間悩んでから足を進めてそこに立った。
「これが帝都…………。凄いな」
広大な帝都を一望できるその光景は圧巻の一言であった。整然と区画整理された都市はまさに芸術といっても間違いでは無く、人が長い歳月を掛けて作り上げてきた事を実感させるものだった。
そんな光景を目を見開いて眺めていたエイミーだったが、やがて目を閉じると小さな声で呟いた。
「でもやっぱり……故郷の景色とは違う」
建物が立ち並ぶその姿は壮観だったが、自身の記憶に眠る故郷の景色とは違う事に気付いてしまい落胆したのである。
「三千年という長い年月を掛けて築いたのに……灰にするのには一年で事足りるとはね」
エイミーの祖国は大陸最古の国家であるレアーヌ王国に次ぐ伝統と歴史を持つ国であったが、そんな古より続く国も大陸動乱によって滅亡し、今ではロシュエル公国の支配下に置かれていた。
「……私は守りたい。この景色を。この場に住まう人々を」
そんな言葉を呟いたエイミーは、手にする短剣を強く握ると空に向かって声を発した。
「願いは果たすよ……。エリオス」
「陛下の守りは親衛隊に任せて近衛騎士隊は全て帝都の防衛に回す。各隊に――」
廊下を歩いて近衛兵に指示を飛ばしていたリヒャルダは、ちょうどバルコニー付近を通り掛かりその少女を発見した。
そこに立つ少女は、長い金髪の髪を靡かせながら空を見上げていた。
「誰だあれは? 見慣れない格好の騎士だな」
「さぁ。宮殿内では見かけたことがありませんが」
宮殿全域を防衛するリヒャルダが知らない人間なら、当然その部下である近衛騎士もも知るはずがなかった。何となく気になった彼女は、方向を変えて少女に近づいて行った。
「見慣れない騎士だな。名前を名乗れ」
近衛騎士総長として背後から尋ねたリヒャルダだったが、その少女は振り返ることなく逆に質問をしてきた。
「ここから見る帝都は美しい。でも……活気がないとは思いませんか?」
その質問を受けて、リヒャルダは少女の背後から帝都を一望した。万を超える人間が暮らす帝都は確かに少女の言うとおり活気は無かったが、その理由は考えるまでも無かった。
悪霊の襲撃に続いて今度は帝国騎士団長エリオスが戦死したのである。それを知る住民が沈んでいるのは当然であった。
「王国軍はもう目の前です。帝都が戦場になれば、ここに住まう住人は大きな被害を受けるでしょう。そうなれば、数え切れない人命が失われることになる」
「そんな事にはならない。団長がいる限り――」
言葉を紡いでいたリヒャルダだったが、少女が振り向いたことで先の言葉を失った。見るも麗しい顔立ちをした少女が手にした短剣を目にしてしまったからである。
そしてその少女はその愛らしい唇を動かして彼女に告げたのである。非情な現実を。
「帝国騎士団長エリオス=ベンフォード=ステラ侯爵様は先程……女神の世界へと旅立ちました」
「なん……だと…………。団長が……」
その言葉が信じられないリヒャルダは何度も首を振ってそれを否定しようとしたが、目の前の少女はそれ以上は何も言わずただ悲しげな瞳を向けていた。
「団長は…………やはり召されたのか……」
運ばれて来た時に傷を見たリヒャルダには最初から分かっていた。絶対に助からないと。右腕と左足を喪失して、さらには腹部にも大きな傷があった。
生きてこの帝都に運ばれてきたこと自体が奇跡だったのだ。
「それで……ここから先、あなたはどうするのです? 王国に降伏しますか?」
うな垂れていたリヒャルダはその問いに顔を上げた。
そこあったのは、強い光を宿す瞳で自分を見据える少女の姿だった。表情も凛々しく、少女というよりも大人びた印象を帯びていた。
「…………あり得んっ! 団長が命を懸けたのだ! 降伏など絶対にあり得ない!」
何か対策があるわけでは無かったが、リヒャルダは思わずそう叫んでいた。敗北など、絶対に認めることは出来なかった。彼女の誇りが、何より団長の死を無駄にはしたくなかったのである。
その答えに満足したのか少女は再び麗しい顔立ちに戻るとリヒャルダに真剣な口調で尋ねた。
「道に迷っていたんです。送って頂けませんか?」
「……え?」
さっきまでとはまるで違う少女の雰囲気に戸惑いを隠しきれなかったリヒャルダは、そんな間抜けな声を上げていた。
そして仕方が無く少女を送ったリヒャルダは、アレンたちが待つ部屋で少女の名前がエイミー=ベンフォードだということを初めて知ったのだった。




