戦場を離れて
◆ザールラント帝国 帝都ザクセンハルト◆
蛮族掃討が北部から報告されて二週間。
宮殿の皇帝執務室において、皇帝であるヘルムフリートは詳細な報告書を机の上に放り投げると、目の前に座るエリオスに軽い口調で告げた。
「エイミーという少女をお前が指南役にしたのは正解だったな。いや正確には養女か。ベンフォードの家名を与えた様だしな。多大な戦果を上げたな」
「彼女の実力が気にいっただけだ。それに戦果を上げられたのは君の娘や他の騎士がいたからだよ」
同じよう報告書を読んでいたエリオスも、軽口でそれに答えながら報告書を机の上に放り投げた。
仮にこの部屋に他の人物がいれば間違いなく卒倒する光景だったが、歳も近く子供の頃から互いを知っている彼らは、非公式の場や人目のないところではいつも砕けた口調で会話していたのである。
「軍事に疎い俺でも彼女の功績がどれ程のものかは理解しているさ。正直言って早急に蛮族を掃討出来たことは、今の帝国にとって唯一の朗報といってもいい」
「帝都の襲撃に南部からは王国の侵攻。頼りの帝国軍は完全に総崩れだ…………。大陸最強と謳われた帝国がここまで脆かったとは、はっきり言って想定外だったよ。もう少し粘れるものかと思っていたが」
帝国騎士団長として帝国の敵に備えなければならなかったはずのエリオス。
だが今になって思うのは、その備えをしっかりとしてきたかという後悔だった。道楽貴族を散々馬鹿にしてきたが結局自分も何もして来なかった。外の世界に目を向けることなく、騎士団長としての責務を放棄した自分も今の発端を作った。そんな風に感じていたのだ。
しかしそう感じていたのはエリオスだけでは無かった。
「帝国は……広大な国だ。そんなこの国では全てが自国で賄えてしまう。鉱山に金山に銀山。農作物もあらゆる物が生産出来る。港も複数保有しているから漁業も盛んだ。まさに資源豊かな理想の国だ。だが広大なこの国は同時に、内部に多くの腐敗を抱えている国でもある。だからこそ俺は、外交よりも内政に力を入れてきたのだ」
目を細めたヘルムフリートの言葉にエリオスは腕を組んで険しい表情を浮かべた。
確かにこの国は大陸の国々と比べれば比較にならないほど豊かな国であるが、それは同時に皇帝の権力を低下させるという弊害も生み出した。
かつて起こった帝国継承戦争。それは力を付けた貴族たちが皇帝に叛旗を翻した内乱であり、多くの犠牲を生んだ。その時誕生したのが、今では五大貴族と呼ばれる皇帝を守護する者たちなのである。
「皇帝家の力は二百年の時を経て再び弱体化しつつある。あのパーティーでお前も見ただろう。中流貴族の大半が俺を前に伝統を蔑ろにしても平気な顔だ。そして多くの改革を自分の保身のために潰していく。それを無理に押し通そうとすれば、再び国を割ることになるだろう」
かつての内乱を恐れるヘルムフリートに、エリオスは何も言えなかった。
皇帝の守護者であるはずの五大貴族だが、もはや今ではそれも一枚岩では無いのだ。
ベンフォード・オルブライト・ローレンスの三大貴族とカルヴァート・バクスターの二大貴族は数十年前から対立を繰り返しており、エリオスが騎士団長に就任して以降その溝はさらに深くなっていた。
「こうして冷静に考えると……帝国は元々崩壊寸前だったんだな」
「そうだな……。だが悩んでばかりもいられない。南部からの報告では、王国軍は虐殺行為を繰り返しているとのことだ。何としても止めなくてはならない」
「一国の王太子が率いる軍が虐殺行為とは…………胸糞悪いぜ」
思わず汚い言葉を発していたエリオスだったが、ヘルムフリートはそれを気にも留めていなかった。
彼もまた王国軍に同じ様な感想を抱いていたからである。
◆ステラ侯爵領 ヴァルス◆
「おい……あれを見ろよ」
「皇女殿下……騎士隊が帰って来た!」
「本当だ! 騎士たちが帰ってきたぞっ!」
いつものように過ごしていた住人たちは、悠然と帰還してきた騎士隊を見て大きな歓声で彼女たちを出迎えた。
そんな歓迎ムードのヴァルスを先頭に立って進むのはエイミーとディアーナであり、彼女たちはアルテミス騎士隊にアテナ騎士隊と帝都からの援軍一万を率いていた。
「いや~何だか懐かしい感じがしますね~」
エイミーの隣をライアンに乗って進むフレイヤは、にこやかに笑いながらそんな言葉を告げた。
この場所から離れてそれほど時間が経過したわけではないが、彼女の言葉通り誰もがそんな感想を抱いていた。
「そうね。とにかく少し体を休めましょう。これから先の戦いはこれまでの比ではない。ゆっくり休息を取って次に備えましょう」
大通りに集まった住人たちに軽く手を振りながらそう告げたエイミーは、べティーナに騎士隊を駐屯地に案内するように指示を出して、自身は他の主要メンバーを連れてベンフォードの屋敷へと向かったのだった。
「ディー…………そんなボロボロにっ……でも無事で良かった」
屋敷に辿り着いたエイミー一行は、エリノアを始め執事やメイドたち勢揃いで出迎えられた。
その中にはカッセルから先に戻っていた皇妃テレージアと皇女リゼールの姿もあった。涙目になりながら抱きついて来た姉に戸惑うディアーナとその様子を微笑ましく見守るエイミーに、エリノアは彼女たちに温かい言葉を告げた。
お帰りなさいと。
「お嬢ちゃん。噂は聞いたぜ。大活躍だったらしいな」
「ご無沙汰しておりますエイミー様。ご無事で何よりでございます」
「えぇお久しぶりね」
メイドたちに部屋割りを任せたエイミーは、すぐさま仕立て屋のベルンハルトと武器屋のアンゼルムを屋敷に呼び、やって来た二人はエイミーを見るなり対照的な挨拶で無事を喜んだ。
それに返事を返したエイミーはすぐにエリノアを交えて本題を話し始めた。
「頼んでいた物、どれくらい準備出来たかしら?」
この問いかけに最初に答えたのはアンゼルムだった。
エイミーは帰還する前に、すでに伝令鷲で今後必要になる物を用意するよう頼んでいたのである。
「各地の商人に集めさせてロングソードは今のところ二千本。ハルバートは三百五十本だ。武器工房は休みなしで生産しているらしいがどれも職人の手作りだ。指定された数を揃えるのはかなり時間が掛かる。揃ったのはランスだけだな」
「そう…………。ベルンハルト殿の方は?」
「騎士服とロングブーツの方は数が揃っています。また隊旗の方も完成しています」
満面の笑顔で質問に答えたベルンハルトは、持っていた二つの箱をエイミーに手渡した。
それを受け取ったエイミーは、すぐにメイドたちを呼ぶと箱から隊旗を取りだして広げてもらった。
「へぇ。これはすごいじゃないか」
「綺麗ですわね」
「さすがはベルンハルト殿。いい仕事をしますね」
隊旗を見て口々に絶賛した三人。
一つは月を抱く女神とアルテミスという文字が。
一つは盾を持つ女神とアテナという文字が刺繍されていた。
どこまでも精巧に刺繍されたその隊旗は、まさに芸術品と言っても過言では無く見る者に感動を与えるほどだった。
「ご覧の通りの感じで宜しかったでしょうか? 何せ軍旗の制作は初めてでしたので」
頭を下げようとするベルンハルトをエイミーはすぐに手で制した。これだけ精巧に作ってもらえれば、役割としては十分過ぎるからだ。
その役割とは味方の士気を上げることである。
「問題はやはり武器か。王国騎士相手ならやはりハルバートは数が欲しいな……」
軽装備の蛮族とは違い今度の相手は王国軍である。それはつまり騎士を相手にするということである。鎧を着用する相手に剣では分が悪いため、エイミーは打撃や薙ぎ払うことが出来る武器を欲していたのである。
「とは言ってもなぁ…………メイスとかなら数はある程度揃うだろうが」
悩みに悩むエイミーを見て思わずアンゼルムがそう呟くと、エイミーは勢いよく顔を上げた。彼女はその存在をすっかり忘れてしまっていたのである。
「それで構いません! いつまでに揃いますか?」
「え? そ、そうだな。各商人を動員すれば、二週間……程である程度は揃うはずだ」
「二週間か…………間に合うか?」
帰りの道中、南部の戦況を伝令鷲のやり取りである程度確認していたエイミーは、王国軍の侵攻速度から一カ月後の位置を計算した。
「帝都の手前…………フロスト平原か。難しいところね」
エイミーが頭の中で弾き出した場所は帝都南部に広がる広大は平原――フロスト平原であった。
南部から最短距離で進む王国軍がほぼ間違いなく通過する場所であるが、そこは帝都からかなり距離が近く、少しでも王国軍の侵攻が早まればエイミーたちは間に合わないことになるのである。
(どうする? 危険を冒して準備を万全に整えるべきか…………それとも)
安全策を取るか危険を冒すかでエイミーの心は揺れた。
帝都の陥落が敗北では無いが、それでもその衝撃は計り知れないものがある。そしてそこから巻き返すのはかなり厳しいものとなる。特にどん底まで落ちた士気の回復は容易では無いからだ。
「安心して。帝都には私の旦那様がいますよ」
苦悶に歪んでいたエイミーにそんな言葉を掛けたのは、今まで静かに成り行きを見守っていたエリノアだった。彼女の表情は夫を信頼する妻の顔であり、何も心配することは無いと告げていた。
それをしばらく眺めていたエイミーは、戦っているのは自分だけでは無いことを思い出して、いつもの冷静な表情を浮かべた。
「アンゼルム殿、メイスの手配をお願いします」
「分かった。任せてくれ」
大きく胸を叩いて笑ったアンゼルムを見てエイミーは二週間でやれることを考える。騎士隊の再編に武器の訓練。戦い方も蛮族とは異なってくる。
やるべきことは山積みだったが、その前に最も重要なことが一つあった。それは一時の休息を取ることであった。
「その……。金銭の交渉をお任せしても宜しいでしょうか……母上」
頼ることにあまり慣れていないエイミーが口ごもりながら尋ねると、エリノアは目を見開いてから笑顔を向けてそれを了承した。
母と呼んでもらえたこと。そして頼ってもらえたこと。契約の代価として養女となったとはいえ、本当の家族として過ごしたいと思っていた彼女はその言葉が本当に嬉しかったのである。
「えっと……では少し休ませてもらいます」
照れながら先に部屋を出たエイミーは廊下で大きく深呼吸しながら頬を叩いた。傭兵として過ごしてきた彼女も、さすがに疲労が溜まっていたのである。
「よし。少し眠ろう」
エイミーはライアンの毛並みを堪能するため抱きしめながら眠ろうと考え、白狼がいるであろう庭園を目指して歩き出した。
それは戦いに明け暮れるエイミーが一時の間、少女へと戻った瞬間でもあった。




