屍を越えて
「…………様……ディ…………様」
遠くの方から聞こえてくるその不鮮明な声は、意識の覚醒と共にはっきりと聞き取れるようになった。
「んっ……フリーデ……」
ゆっくりと目を開けたディアーナは、すぐに自分を見下ろしているフリーデに気が付いた。
彼女のその表情は今まで見たことが無いほど泣き腫らしたグシャグシャな顔をしていた。
「ディアーナ様…………意識が戻ったのですのね。本当に……っ……本当に良かった」
ディアーナは零れ落ちる涙を頬で受け止めながら、そのフリーデの感触を確かめていた。
(そう言えば……フリーデの膝枕なんて何年ぶりかしら…………)
幼い頃フリーデに甘えていたディアーナは、眠れない時に良く彼女に膝枕をしてもらっていた。そうすると安心できて必ず眠れるのである。
そんな昔のことをを思いだしたディアーナは、少し笑いながら彼女に尋ねていた。
「私は…………どれくらい意識を失っていた?」
「一時間ほどでございます」
「そう……戦闘はどうなったの……痛っ!」
体を起こしながら戦闘状況を尋ねたディアーナだったが、すぐに激痛が走り再び倒れた。
フリーデはそんなディアーナを静かに抱きとめると今の状況をしっかりと説明した。
「まだ戦闘は続いておりますが、エイミー様が残存する騎士たちを集結させ指揮を執り、戦線を押し返すことには成功したようです」
「そう……さすがエイミーね……。やはり私では…………」
戦闘中に倒れるという醜態に悔しさを滲ませるディアーナは、暗い顔で俯いてしまった。
その様子を眺めていたフリーデは、そんな彼女にしっかりと伝えた。
「何を仰るのですか? 私はディアーナ様を誇りに思いますよ。ほら見て下さい。ディアーナ様がその命を懸けて守ったものを」
フリーデが向けた視線の先には、ディアーナを心配そうに見つめる生き残った住民たちの姿があった。血を流しその体がボロボロになっても住民を守るために奮戦した皇女を見据えて、彼らはただ黙って頭を下げたのである。
「…………私が守ったものか」
そばに転がっていた自分の剣を手に取ったディアーナ。
その剣は何人もの蛮族を叩き斬ったせいか刃こぼれが激しくボロボロだった。それはまるで自分自身のようだったが、なぜか悪くないと思えたのだった。
「ありがとう……フリーデ」
静かに呟いたディアーナは、疲れた体をフリーデに預けて再び目を閉じたのだった。心に芽生えた喜びと満足感を抱きながら。
「ここは…………」
痛みで目が覚めたマルガレータは、徐々にその思考を回復していった。
「そうだ……私は蛮族に捕まって…………それで……」
覚えているのは蛮族に殴られ捕まりそのまま建物に連れ込まれた所までだった。
「そうだ……私は…………」
マルガレータの脳裏に、かつてエイミーがお茶会や訓練の時に話してくれた戦場における女性騎士の現実が甦った。
そしてそれが正しいかのように、実際今の彼女は鎧も騎士服も着ていなかった。身に着けているのは下着とボロ布を羽織っているだけだった。
「ん? このボロ布……何で?」
なぜかボロ布を羽織っていることに気付いたマルガレータは、すぐに疑問を覚えたのであった。蛮族がボロ布を被せるとは思えなかったからである。
「なんだ気付いたのか?」
「誰?」
突然聞こえてきた男の声に警戒したマルガレータは、上半身を素早く起こすとボロ布を両手で押さえながら声のした方へ顔を向けたが、そこにいたのは蛮族では無かった。
「全く高貴なお嬢ちゃんに手を出すなんて、蛮族はクソ野郎ばかりだな」
「あなたは確か……元メッセル騎士隊隊長アレクシス殿…………」
「メルゲント伯爵のご令嬢に名前を覚えてもらっているとは恐縮ですな。まぁ何もされてないから安心して下さい。もっとも俺たちにその裸体は曝しましたが」
騎士生活二十五年を数える頬に傷がある歴戦の騎士アレクシスは、豪快な声を上げてマルガレータにそう告げた。
そんな言葉に最初に声を上げたのはマルガレータでは無く、彼と一緒に行動していたアベルだった。
「ちょっと……もう少し言葉を選んで下さい」
「何を言ってやがる。本当の事だろうが。そもそもこの状況で隠し事をされたら逆に不安だろう。それにお前、マルガレータ様の下着姿に見惚れていたじゃないか」
配慮も遠慮も無用と告げるアレクシス。
そんな彼の言葉に慌てふためくアベルとは対照的に、マルガレータは鋭い視線を向けてアベルに問いかけていた。
「アベルさん……一体どういうことか、説明して下さいますか?」
「ふ、不可抗力です! 助けた際に見たというか……布を掛ける際に見たというか…………。と、とにかく悪意があったわけではありません」
必死の形相で何度も頭を下げるアベルに無言の圧力を掛けていたマルガレータだったが、やがて小さくため息を吐くと視線を逸らしてアベルに告げた。
「まぁその…………危ない所を助けて頂いたことには感謝していますわ」
「そうですか。それは何より――」
「ですが乙女の裸を見たのですから……その…………簡単には許せません!」
もはや頭から火でも吹きそうなほど、顔を真っ赤に染めたマルガレータの言葉に委縮するアベル。
そんな二人のやり取りを見てアレクシスはニヤリと笑って言葉を発した。
「アベル。お前は責任取って結婚したらどうだ?」
「あ、アレクシス殿。いくら何でもいきなりそれは!」
アレクシスの唐突な台詞に勢いよく反論するアベルだったが、マルガレータは声も出せずに首まで真っ赤な状態になっていた。
「いつまで馬鹿話をしているつもりです? 戦闘はまだ終わっていませんよ」
そこにやって来たのは元メッセル騎士隊副隊長の女性騎士アンナだった。
女性としては背の高い彼女はアレクシスの隣まで来ると彼の頭を小突いて告げた。
「有望な若者をからかうのはおよしなさい。全く、妻として恥ずかしいわ」
そう彼女はアレクシスの妻なのであった。
そんな彼女はマルガレータのそばまで来ると腰を屈めるとすぐに旦那の非礼を謝り、そして隣の部屋に騎士服や鎧などが置いてあることを告げた。
「ミリアム様も隣で着替えています。マルガレータ様も動けるようでした着替えた方が宜しいかと」
「は、はい。ありがとうございます」
豪快な旦那とは対照的な妻に困惑するマルガレータだったが、確かにいつまでもこの格好とはいかず、すぐに立ち上がると隣の部屋へと駆けこんで行った。
「彼女たちに恥辱を感じさせないようにしたのでしょうが、もう少し言葉を選んで下さい。何でも豪快であればいいというものではありませんよ」
「俺にはそういうやり方しか出来ない。諦めろ」
どこまでも対照的な二人のやり取りを眺めていたアベルだったが、すぐにアレクシスの雰囲気が変わったことに気付いた。その顔はまるで怒り狂う父親そのものだった。
「この様な野蛮な行為を行う蛮族は絶対に許せん。すぐにエイミーと合流して戦闘を再開する。奴らを皆殺しにしてやるっ!」
かつて娘を野盗によって失ったアレクシスは怒りが頂点に達していた。
そんな彼と同じように妻であるアンネも心の中で静かに怒っていた。娘の現場と先程の彼女たちの光景が重なり、それが二人の逆鱗に触れたのであった。
(あと何人殺せば……どれだけ血に塗れた道を歩けば…………目指す世界に辿り着く?)
その剣で斬り殺しその手で殴り殺しその足で蹴り殺す。
そして魔法を行使して火で焼き、氷で凍らせ、岩で潰す。あらゆる手段を行使して蛮族を文字通り殲滅していくエイミーの進む道には、確実に蛮族の屍が築かれていった。
「ライアン。お前はそっちだ。誰一人逃がすなっ!」
言葉を叫びながら振り抜いたエイミーの愛剣は、一瞬にして蛮族の首をはね飛ばした。噴き出した大量の血を眺めながら彼女はそんなことを考えていた。
生まれてから十五年。だが三千年前のエミリアの記憶すら鮮明に覚えている彼女は、時折そんな無常感に襲われる時があるのだ。
(いつの時代も戦争は無くならない。そしていつも私たちは…………こんな場所にいる)
記憶の中にいる彼女たち。彼女たちも戦場で戦いこんな無常感に苛まれていた。終わらない戦争。生み出される膨大な死者。悲劇や惨劇を目にする度に、エイミーの心にある感情が芽生える。
もう……諦めるべきなのだと。
「……でも私は…………」
唇を噛み締めたエイミーの脳裏に先代継承者の記憶が浮かんだ。
彼女は最後の時まで守ろうとしたのだ。戦友を、家族を。そして幼かったエイミーを。
「私は……絶対に諦めないっ! 私を守ってくれた母上に誓って。そして絶対に辿り着いてみせる。数多の継承者が目指してきた世界へ! だから私は――」
目の前で立ち塞がる蛮族に剣先を向けたエイミー。
その愛剣からは血が滴り、彼女自身も大量の返り血を浴びて真っ赤に染まっていた。そして彼女が一歩歩く度に通りには血の足跡が刻まれていった。
その姿は見る者全てに恐怖を与えるものであり、英雄からはほど遠い姿であった。
「この手が、この体がどれだけ血に塗れようとも私は歩みを止めないっ! そしてどれだけの屍を踏み越えようとも私は振り返らないっ! 私は最後の瞬間まで剣を握りお前たちの前に立ち塞がってみせるっ! 私は絶対に退いたりはしないっ!」
圧倒的な強さと意思を見せるエイミーの想いに応えるように、追い詰められた騎士たちも最後の力を振り絞って反撃を開始した。
その様子を嬉しそうに眺めていた彼女は、やがて鋭い視線と殺気を放って蛮族に告げたのだった。
「さぁ……決着の時だ」
剣を振って血を軽く飛ばしたエイミーは、一度深呼吸すると蛮族の集団に斬りかかった。
文字通り乱戦となったエミンゲルでの勝敗が決したのはそれから五時間も後のことだった。
その勝敗は、すぐに帝都とカッセルへ伝令鷲で届けられたのだった。




