第一皇女の悩み
アルテミス騎士隊がランツベルグを出発してから三週間が経過した。エイミーたちアルテミス騎士隊の奮戦は目覚ましく、僅か十三日でグミュントとカッセルを解放した。
そしてエイミーたちは後方で待機していたアテナ騎士隊にカッセル防衛を任せると、すぐさま東に進路を取ってハイゼン子爵領の救援へと向かって行き、帝都からの援軍が到着したのはそれから一週間後のことであった。
「カッセル防衛を任されていますアテナ騎士隊隊長のアデーレ=バスラーです。帝都からの援軍に感謝いたします」
アテナ騎士隊が指揮所を置く旧カッセル騎士隊駐屯地にやって来たウォルターとアウレールに挨拶した女性騎士アデーレは、そのあとすぐにその隣に佇む二人に視線を向けた。
「テレージア皇妃様にリゼール皇女様。わざわざこの様な辺境の地まで来ていただいてありがとうございます。騎士たちの士気も高まっており、より一層防衛に力が入るというものです。ただ何せこのような辺境の地です。大した部屋はご用意出来ないかと思いますが」
「構いませんわ。私たち二人はメイドたちに紛れて勝手について来た存在ですから。命を懸けてこの国を守る騎士様たちのお邪魔はしません。何より私も帝国騎士の一員ですから」
慈愛に満ちた表情を浮かべて、はっきりとそう答えたテレージアの言葉に内心ほっとしたアデーレ。
その様子を眺めていたウォルターは、軽く咳払いすると彼女に戦況を尋ねた。
これに元バッサウ騎士隊を務めていた彼女は、テーブルに広げられた地図を指で示しながら、簡潔に説明を始めた。
「帝国北部の戦況はアルテミス騎士隊の奮戦によってある程度は好転しました。このカッセルを奪還したことにより、未開の大地からなだれ込んでくる蛮族を阻止することが可能となりました。しかしながら問題はまだ残っています」
エルスト子爵領から指を東西に向け動かしたアデーレは厳しい顔つきで言葉を続けた。
「帝国に侵入した蛮族は約七万。その内の一万五千はこのエルスト子爵領で壊滅しました。ですが残る五万五千はハイゼン子爵領とシュリング男爵領に散りました。そして現在、帝国北西部の戦闘はシュリング男爵領を越えてヴァンゲン伯爵領にまで広がりました。一方、ハイゼン子爵領での戦闘はハイゼン子爵が前線で指揮を執り奮戦。結果として北東部での戦場拡大を防いでいます」
「北西部の戦場は拡大中か……。それでアルテミス騎士隊はどこに向かったのだ?」
地図を眺めながら想像を巡らすアウレールは、アルテミス騎士隊に関する質問を発した。
グミュントとカッセル解放の立役者たちがどこに向かったのかは、救援に来た彼らにとってはとても重要なことだった。
「エイミー隊長は現在の戦況を聞いて、すぐにハイゼン子爵領の救援に向かいました。彼女は北西部の救援は無理だと判断しました」
「なるほど……。被害の小さいハイゼン子爵領を優先したのか。間違ってはいないな」
「はい。エイミー隊長は伝言で、アルテミス騎士隊はハイゼン子爵と協力して蛮族の掃討に当たるので、帝都からの援軍は全て北西部に向けるようにと」
これを聞いた二人の指揮官は互いに顔を見合わせると思考を巡らせた。
確かにエイミーの言うとおり、二万の救援を送るなら戦場が拡大している北西部が正しい。
だがハイゼン子爵領に侵攻している蛮族の数は約三万。アルテミス騎士隊三千とハイゼン子爵軍五千。合わせても一万に満たないのである。
「どうするべきだろうな」
「そうだな。分かれて対応出来るほど敵は甘くない。エイミー隊長の言うとおりにするか、それともハイゼン子爵領を優先するか…………。悩みどころだな」
救援組と防衛組が真剣に話を交わす中、会話に加われないリゼールはそっとその場から立ち去って行った。
「はぁ~。妹が戦場で戦っているのに、私は一体何をしているのでしょうか?」
駐屯地を出て街を目的も無く歩いていたリゼールは、材木が置かれた場所で腰を下ろすと憂いのこもったため息を吐き出した。
妹であるディアーナはこの瞬間もその命を懸けて戦っているのに、姉であるはずの自分は何もしていない。それどころか何も出来ない。そんな無力感に苛まれていたのである。
「もっとディーみたいに自分から動ければいいのでしょうが…………はぁぁあ」
自分が妹と比べられ『静の皇女』と呼ばれているのは彼女自身も知っていた。自分からは積極的に動けない。嫌な貴族相手でも愛想笑いを浮かべる。自分の意見は何一つ言えない。そんな自分が嫌いでしょうがないが、どうすればそれを変えられるのか分からない。
もはやそんな思考の泥沼に嵌ったリゼールが、再度盛大にため息を吐いた時だった。
「そこのメイドさん。悪いんだけど退いてくれるか? その材木これから使うんだわ」
その言葉で我に返ったリゼールが顔を上げると、目の前には大柄な厳つい顔の男性数人と背は低いが筋骨隆々のドワーフがそこ立っていた。
そんな男性たちに囲まれた彼女は軽くパニックに陥った。
「あ、あの、私はその…メイドでは無く……いえ格好はメイドですが――――」
行軍に紛れるためメイドの格好をしていたリゼールは否定しようと言葉を発したが、目の前の男性たちが怖くてうまく声を出せなかった。
一方の男性たちは目の前の女性が皇女であるとは知らず、ただ美人なメイドが一人で慌てふためいているようにしか見えなかった。
「まぁ何でもいいから退いてくれ。今日中に防御柵を大量に作らなくちゃならないんだ。いつ蛮族の侵攻が再開されるか分からないからな」
自分が邪魔になっているとようやく気付いたリゼールが慌ててその場から退くと、彼らは重そうな材木を軽々と持ち上げていった。
「そういえば嬢ちゃん見ない顔だな。もしかして帝都から来た援軍について来たメイドさんか?」
厳つい男性の問いに何も考えず頷いたリゼール。それを見た男性は材木を抱えたまま話を続けた。
「俺はランツベルグで働いているが生まれはこのカッセルだったんだ。でも蛮族の侵攻でお袋も親父も死んじまった。ランツベルグに敵が迫って来てると聞いた時には終わったと思ったよ。うちの領主様は味方を見捨てて逃げ帰ったクソ野郎だしな。正直言って、誰もが俺たちを見捨てたと思っていたよ」
そこまで話した男性は、厳つい顔からは想像できない笑顔をリゼールに向けた。
「でもステラ侯爵様の援軍であるステラ騎士隊がやって来てランツベルグを守り、さらにはグミュントとカッセルまで解放していった。それに一度間近でみたが、あの皇女様も凄かったな。銀の鎧と白い服が血塗れなのも気にせず戦ってたよ。あれを見て思ったよ。俺たちは見捨てられたわけじゃなかったと。安泰な身分の皇女様が戦場で戦っている。それも俺たちのような平民を守るために。感動したよ」
「…………やはり私には出来そうにないです。それどころか何も出来ない。こんな状況になっても……私は何もっ!」
妹の活躍を聞いてそれに圧倒されたリゼールは、肩を震わせながら悔しさを滲ませた言葉を吐き出した。騎士として民を守り帝国を守護する妹。
それと比べた自分は肩書こそ第一皇女という身分ではあるが、今も何もしていない。それどころか何をしていいのかも分からない。
「私では…………何も守れない。その力もない。私は何をするために……ここまで来たのでしょう」
妹の身を案じてここまで来たが、帝国皇女として案じなければならないのは妹ではなくこの国に住まう民である。皇女本来の姿を忘れた自分の姿に情けなさを感じたリゼールは、俯くと大粒の涙を流し始めた。
そんな突然のことに少し混乱していた男たちだったが、やがてドワーフが静かに口を開いた。
「嬢ちゃん。無力感や情けないと思う気持ちならここにいる誰もが持っている。この帝国の人間が古代種と呼ぶ俺たちは蛮族に土地や家族を奪われてここに流れ着いた。そしてこいつらもまた色々と失った。力があれば。何かしていれば。色々な感情が今でも心に渦巻いている。でも過ぎ去った時を戻すことは不可能なんだ」
人生の先輩として優しげな声で語るドワーフの言葉に、他の男性たちも黙って頷いていた。誰もが同じ思いを抱いて今日まで生きてきたのだ。
「ここにいる俺たちは騎士たちの様には戦えない。戦場に出たってすぐに殺される。でも俺たちにも出来ることはある。材木使って何かを作ったりな。それに噂では救援軍の中にこの国の皇妃と皇女がいるらしいぞ。偉い人がここまで来てくれたことに街の全員が感謝している。その存在だけで勇気をもらえることだってあるさ」
「おっさんの言うとおりだぜ。それにあんたみたいな綺麗で可愛らしいメイドさんは、泣いているよりニッコリ笑っていな。それだけで野郎の士気は上がるからよ」
貴族とは違い飾らない言葉でそう告げられたリゼールは、恥ずかしさを覚えて顔を真っ赤にした。
「相変わらず親方は恥ずかしい台詞を。それよりも早く行きましょう。防御柵の他にも仕事はあるんですからね」
「おっとそうだったな。それじゃな嬢ちゃん」
見た目と違って心優しかった男性たちが立ち去っていくのを黙って眺めていたリゼールは、自分を変えるための一歩前を踏み出してその背中に声を掛けた。
「お嬢ちゃんではありません」
振り返った男性たちに向かってリゼールは大きく息を吸うと、笑顔を向けて自身の名前を告げた。
「私はリゼール=ハウゼン=ザールラント。帝国の第一皇女です。今日はありがとうございました。この国と民のために何が出来るのか、もう一度考えたいと思います」
リゼールが見る者の視線を奪う優雅な動作でお辞儀すると、それに合わせたかのようアデーレと数人の騎士が彼女の背後に現れた。
「リゼール様。テレージア様がお待ちです。参りましょう」
先導する騎士に続いて駐屯地へと戻るリゼールを唖然と見送る男性たち。
そんな彼らに近づいたアデーレは、深々と頭を下げると感謝を口にした。
「私からもお礼を申し上げます。あなた達の本音を聞いて皇女殿下も少しは気分が晴れた様子です。本当にありがとうございました」
立ち去り際にもう一度頭を下げたアデーレは、小走りでリゼールたちのあとを追って行った。
残された男たちは顔を見合わせると、自分たちの言動を思い出して身震いするのだった。




