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アグリジェント戦記  作者: 黒いたぬき
帝国動乱編
36/173

閑話・そうだ! ランツベルグへ行こう

「温泉……ですか?」

 

 困惑しながら言葉を吐き出したエイミー。彼女がその表情を浮かべていた理由があった。

 

 アルテミス騎士隊が誕生した翌日、エイミーは天幕でディアーナたちと進攻ルートに関する打ち合わせを行っていた。そこにやってきたのは、ランツベルグで商人と交渉していたはずのアレンであった。


「ランツベルグは温泉で有名なんです!」

 

 アレンは天幕に勢いよく飛び込んで来ると、地図が置かれた木のテーブルに両手を置いてエイミーに迫りながら鬼気迫る表情でそう告げた。その行動と剣幕に驚いたエイミーは、あと少しで唇が触れそうな距離まで迫ったアレンの顔をただ黙って見つめていた。


「えっと……少し近すぎだと思うのですが………」


 目の前の光景に耐えられなくなったマルガレータが頬を赤く染めながら躊躇いがちに言葉を紡ぐと、エイミーとアレンはようやく自分たちの状態に気付いて、咳払いをしながら顔を離した。


「その……すいませんでした」


 気まずさ全開のアレンが頭を下げると、エイミーは苦笑いを浮かべながら質問した。


「あははは。それで温泉……ですか? それが何か?」

「そうでした。ランツベルグは温泉が有名なんです。知っていましたか?」


 アレンの問いに首を横に振ったエイミーに代わり、ディアーナがそれに答えた。


「そう言えばエルスト子爵領は温泉で有名でしたね。先代領主の頃は、私たち家族も年に一度は訪れていました。でもその温泉がどうかしたのですか?」


 未だにアレンの言いたいことが分からないディアーナが首を傾げると、アレンは再び身を乗り出して叫ぶように言った。


「入りましょう」


 あまりの言葉にその場にいた男性陣は大きく口を開け、エイミーを除く女性陣は瞬時に顔を逸らして俯いた。いきなり全員が黙り込んだの見て怪訝な表情になったアレン。そんな彼に対して、ミリアムがモジモジしながら言葉を発した。


「いくら何でも直球すぎではありませんか? 確かにアレン殿は男の方ですからそういうことに興味があるとは思いますが…………。それにそういうことはお互いをもっとよく知ってからでないと……」


 首まで真っ赤にしたミリアムの言葉を聞いて、アレンはようやく自分の言葉が勘違いを与えていることに気が付いた。 


「いや違いますよ! 私は温泉に入る許可をもらいたいんですよ!」

「とんだ早とちりねミリアム」


 彼の意図が分かっていたエイミーはミリアムに意地の悪い笑みを見せながらそんな言葉を告げると、アレンに真剣な表情で告げた。


「そんな時間は無い。ただでさえ部隊を再編している。許可できない」

「そんな! 温泉なんですよ?」


 エイミーの答えに落胆の色を隠せないアレンは、必死の形相で説得を始めた。


「グミュントに向け進軍を開始すれば湯を浴びる時間もありません。隊長も入りたいでしょ?」

「私は一週間だろうが一カ月だろうが泥塗れでも大丈夫だ」

「温泉は安らぎますよ」

「私の安らぎはライアンで足りている」

「ぐっ……。それに疲れを取るには湯に浸かるのがいいと聞きます」

「寝るのが一番だ」


 温泉の魅力を力説するアレンに対して、エイミーは即答で反論を口にした。これにはさすがのアレンも諦めの表情を見せ始めていた。


「…………はぁ。ランツベルグの温泉は美肌効果があるとも言われていますが、その様子では興味なさそうですね」


 思わず最後にそう呟いた言葉。確かにエイミーは興味が無かったが、これを聞いた女性陣がそれに飛びついたのであった。


「エイミー! やはり一日くらい騎士たちに休みを与えるべきだっ!」

「うわっ! ちょっと近い近い」


 人が変わったようなディアーナは、顔をエイミーに近づけると真剣な眼差しを向けた。それに圧倒されたエイミーは少し後ずさりながら反論しようとしたが、それよりも早くディアーナが言葉を続けた。


「再編が終わった隊から休息を取らせても問題ないはずだ! そして士気も上がるだろう。それになにより……やはり美容効果があるというのは女性騎士にとっては捨てがたいものかと」

「はい?」


 本音が漏れたディアーナだったが、最後が小さな声だったためエイミーはその部分を聞き洩らしていた。慌てた彼女は本音を隠すため大きな声を出してエイミーに言った。


「とにかく! 温泉は許可すべきですっ!」

「分かった、分かったから少し離れてぇぇぇぇえ!」


 今にも襲われそうな殺気を放つディアーナの圧力に屈したエイミーは、叫び声を上げて温泉に浸かる許可を出したのだった。皇女もまた、一人の女性だったのである。




「それにしても本当にいい湯ですわね~。月も景色も綺麗ですしね~」


 ランツベルグの街から少しだけ外れた場所にある温泉にやって来たディアーナたちは、広大な広さの湯に浸かりながら羽を伸ばしていた。


「そ、それにしても私までご一緒して宜しかったのでしょうか?」


 旧カッセル騎士隊所属のセリーヌは、湯に浸かりながら遠慮がちに言葉を発した。彼女の周りには皇女を始め侯爵令嬢、辺境伯令嬢、伯爵令嬢と見事に貴族たちしかいないのである。平民出身の彼女にとっては緊張の連続だった。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。あなたは同じ隊の仲間なのです。これからは共に背中を預けて戦う戦友。気兼ねする必要などありませんよ」

「その通りよ。もっと仲良くしましょうね」


 そう言ってセリーヌに近づいて来たミリアムは彼女の姿をじっと見つめ始めた。困惑するセリーヌはどうしていいか分からずオロオロしていたが、不意にミリアムがポツリと呟いた。


「羨ましいですわ」

「な、何がでしょう……か」


 嫌な気配を感じたセリーヌが言葉に詰まりながら尋ねると、ミリアムは敗北感に打ちのめされながら呻くように声を発した。


「おかしいわ。歳は同じはずなのに……どうしてここまで違うのかしら」

「確かに違うわね。特に大きさがね」


 嘆くミリアムに対して、ディアーナは二人を見比べると少し笑いながらそんな声を掛けた。これにミリアムはさらなるショックを受けた。


「くっ……なぜなの。理不尽過ぎるわ。不公平よ。この中で私だけ……私だけが小さいなんて」

「そこまで落ち込まなくても。それに女性の魅力は胸だけではないと思うのだけれども」

「はっきり言わないで下さい」


 マルガレータにとどめを刺されたミリアムは、顔の半分まで湯に浸かると完全に消沈してしまった。


「やれやれ。私が思うにミリアムの魅力はそのきめ細やかな肌だと思うな。帝都の夜会とかでミリアムが登場すると、皆がその肌を凝視しているしね」


 そんな言葉を告げたマルガレータは、ニヤリと笑うとその指でミリアムの背中を優しく撫でた。


「ふぁ、ひゃぁん。ちょ、何するのよっ!」


 可愛らしい声を漏らしたミリアムは、首まで真っ赤にしながらマルガレータを睨んだ。しかし当のマルガレータはおもちゃを見つけたかのように妖しい笑みを浮かべていた。


「魅力が無いと勘違いしたミリアムに、私があなたの魅力を教えてあげますわ」

「えっと、その結構ですから――――」


 身の危険を感じたミリアムはその場から逃げようとしたがすでに手遅れだった。素早い動きでミリアムを捕まえたマルガレータは、彼女のきめ細やかな肌を堪能し始めたのだった。


「ほらここもこっちもツルツルで綺麗ですよ」

「ちょっ……ひゃん。そこは……ふぁぁ……ひゃめ……らめて。はあはあ、らめよ」


 目の前で繰り広げられる大人な世界の光景から目を逸らしたセリーヌは、ゆったりと羽を伸ばすディアーナに静かな声で尋ねた。


「あの……止めなくて宜しいのでしょうか?」

「うん? まぁいつものことだから気にする必要ないわ。そのうち終わるから」

「いつも…………あはははは」


 ディアーナの返答を聞いたセリーヌは引き攣った笑いを浮かべながら二人に視線を戻した。もはやミリアムは抵抗らしい抵抗を見せておらず、完全に敗北したような状況だった。


「…………楽しめる時は楽しむべきよ。今しか出来ないのだから」


 話を纏めたディアーナは夜空に輝く月を眺めながら静かに言葉を呟いた。それが何を意味する言葉なのかを知っているセリーヌは、覚悟を決めようとして同じように月を見上げようとした。


「も、もうらめ……それ以上はひゃめて…………ふぁぁっ! いやぁぁぁぁぁぁぁあ!」

「うわ~。私の覚悟が台無しだ」


 温泉に響いたミリアムの絶叫に、覚悟を折られたセリーヌはがっくりと肩を落としたのだった。




「それにしてもここは静かでいいな」


 ミリアムが絶叫を上げていた頃、アレンは疲れた体をゆっくりと癒していた。そこは地元の人間が教えてくれたさほど広くない秘湯であり、ランツベルグからは馬を使う必要があった。しかし温泉を堪能したいアレンは、あえてこの場所まで足を運んだのであった。


「この満天の星空と月を一人占め出来るとは、これも皇女様のお陰だな。あとで礼でも言っておくか」


 温泉に入れたことに感謝していたアレンは、その湯を堪能しながら夜空を眺めていた。しばらくすると空を流れる雲が月を隠して辺りが漆黒の闇に包まれた。その時、彼のすぐ近くで水音が響いた。


(誰だっ!)


 蛮族の斥候かと思い辺りに目を凝らして臨戦態勢を取ったアレン。そして雲が流れ月の光が再び周囲を照らし出すと、近くにいた人物がはっきりと視界に入った。


「なっ…………た、隊長!」


 そこにいたのは今にも温泉に浸かろうとするエイミーの姿だった。慌てて後ろを向いたアレンは、湯に体を沈めると声を上げた。


「な、なんで……た、隊長がこんな所にいるんですか!」


 混乱気味のアレンとは対照的に、エイミーはいつものように冷静な口調でそれに答えた。彼女もまた、地元の人間に秘湯の存在を教えられてここまでやって来たのだった。


「そ、そうでしたか。わ、私はもう出ますので……た、隊長はごゆっくりどうぞ」


 まだゆっくりしたかったアレンだったが、そうも言っていられない状況のため急いでその場を去ろうとした。だが意外にもそれを制したのはエイミーだった。


「わざわざここまで来たのは温泉を堪能したからでしょう。別に私は構わないわ。見られて困るものではないし、それに見ても私の体は魅力的ではないわ」


 よく分からない言葉を発したエイミーに、反論の言葉を返そうとしたアレンは思わず振り返っていた。だがそこで目にしたものを見て、その言葉を失っていた。


「ね? 見ても魅力的ではないでしょう」


 堂々と正面を向いて声を上げたエイミーに恥じらう様子は無かった。むしろそれどころか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。彼女自身は年齢の割にスタイルも発育も良いので、本来ならその体は実に魅力的なものとしてアレンの目に映るはずだった。だがそこに印されたものは、彼女がどの様に生き抜いて来たのかを克明に刻み込んでいたのである。


「それは…………戦場でですか?」

「そうよ。どれも深く刻まれているから、もはや一生消えることはないでしょうね」


 エイミーの体に刻まれていたのはまさに歴戦の兵士といっていい程の傷跡の数々であり、どれもがくっきりとその肌に残っていた。


「それにこれもね」


 後ろを向いたエイミーの背中は大きく焼け爛れていた。その生々しい傷跡は、見る者に戦場の恐ろしさを嫌でも教えてくれるものだった。無言になってしまったアレンを見て、エイミーは静かに湯に浸かると大きく息を吐いて腕を伸ばした。そこにも細かい傷跡が幾つもあった。


「その背中の傷は火魔法ですか?」

「ん? そうよ。直撃の結果がこれよ。まぁ死ななかっただけマシでしょうね」


 何でもないことかのように言葉を発するエイミーを見てアレンは再び無言になった。仮にこの年頃の少女がこのような傷を負ったら、たぶん人生そのものを諦めるだろう。この様な傷を持つ女性は、間違いなく結婚は出来ない。それに何よりこの痛みに耐えられないはずである。正直あの背中の傷は、誰が見ても重傷だったと分かる程の傷なのだから。


「隊長……その傷を触っても宜しいでしょうか?」


 いつの間にかエイミーに近づいていたアレンは、何も考えずにそんな質問をしていた。その言葉に一瞬目を丸くしたエイミーだったが、すぐにお好きにどうぞと答えた。なんだか彼の表情が、遠くを見ているように思えたからである。


「失礼します」


 恐る恐る手を伸ばしたアレンは、エイミーの背中の傷を確かめるようにゆっくりと触った。触られた方のエイミーは、特にこれといった反応も見せずにいた。その理由はすぐに分かった。


「傷の部分は全く感覚が無いの。触られてもよく分からないわ」

「感覚が……ない」


 その言葉でこの傷がどれだけ酷いものだったかをアレンは察した。それと同時に彼女の強さに憧れを感じた。しばらくの間、無言でその傷に触れていたアレンは小さな声で語り始めた。


「小さい頃、隣近所に住んでいた幼馴染の女の子が一人で森に入った。そして探して見つけた時にはすでに手遅れだった。魔獣に襲われたんです。俺はその時に騎士の道に進むことを決めた。二度と大切な者を失わないようにと」


 傷から手を離したアレンは、勢いよくエイミーの両肩に手を置くと真剣な眼差しを向けて告げた。


「皇女様が誓った様に俺も隊長を守る。どんな脅威からもだっ! 隊長を失うことは絶対に――――」

「何してんだこの野郎っ! お姉様を離しやがれです!」


 アレンが力強くエイミーに決意を述べていたその時、どこからともなく現れた風神様が怒りの鉄拳をアレンに放った。あまりの衝撃に意識が飛びかけるアレンに、風神様は鬼の形相で追い打ちをかけた。


「お姉様の魅力に気付くとは中々ですが、襲うとなれば話が別だ。さぁ分かったら歯を食いしばれこの破廉恥野郎がっ!」


 怒りまくる風神様に弁解するアレンをしばらく眺めていたエイミーは、先程の言葉を思い出しながら夜空に向かって呟いた。


「頼りにしているわよ」 

 

 笑顔を浮かべたエイミーは、騒がしい二人を放置してそのままゆっくりと目を閉じた。たまには羽を伸ばすのも悪くないと感じながら。






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