盗賊との遭遇
――アグリジェント大陸――
広大な面積を持つこの大陸にはかつて大小合わせて三十五の国家が存在しており、その中でも強大な国がザールラント帝国・レアーヌ王国・ロシュエル公国・フロレス王国・ローザンヌ連合王国の五つの国であった。
そして互いに強大な力を持つが故に五つの国は長い間、剣を交える事なく睨み合いを続けながら大陸の平和を維持してきたのである。
しかし十年前にその勢力バランスが大きく変化する出来事があった。ロシュエル公国がローザンヌ連合王国に対して大規模な侵攻を行い、各国の予想を覆してローザンヌ連合王国を滅ぼしたのだ。
その結果、睨み合いを保っていた状況は瞬く間に崩れ去り大陸中に戦火が広がることになる。
まず最初に消えたのは大国の侵攻にさらされた小国家である。次々に大国に吸収されていく小国家は生き残るため同盟を結び対抗する道を選び、やがてはビトリア都市同盟国家が成立することになるが、この頃には三十五あった国々は十三まで減ってしまい、大陸の勢力バランスは大きく変貌していたのである。
そんな混迷する大陸においてザールラント帝国だけは戦火を免れていた。広大な領地を保有する帝国は全てを自国内だけで賄うことが可能だったため外へ領地を求めることをせず、また各国も大陸最大を誇るといわれる軍を保有する帝国に対して危険を冒してまで手を出そうとはしなかったのだ。
その結果としてザールラント帝国だけは、大陸動乱の中にあっても平和を享受出来ていたのである。
◆ザールラント帝国 ステラ侯爵領◆
晴天の空の下、干し草を積んだ一台の馬車が街道をゆっくりとした速度で北へと進んでいた。その馬車の手綱を引く白髪の気の良さそうな老人はのんびりとした口調で声を上げた。
「お嬢ちゃん。そろそろ分かれ道に着くぞ。起きなさい」
「……んっ……分かりました」
そんな老人の声に反応して、干し草の上で寝ていたブロンド髪が長く美しい少女エイミーは可愛らしい声を上げながらゆっくりと起き上がった。
彼女は大きく両腕を伸ばすと目を擦りながら周囲を見渡した。
そして長閑な風景が広がる平原地帯の光景に柔らかな笑みを浮かべたのだった。
「静かでいいところですね。魔獣の気配もないみたいですね」
普通、街と街を繋ぐ街道には魔獣が多く出没するのだが、この二ヶ月の間エイミーが帝国を旅をして魔獣に出会ったことは数えるほどしか無かった。
そんな彼女の感想を聞いた老人は大きな声で笑うとこの地域の自慢話を始めた。
「そりゃあベンフォード家が治めるステラ侯爵領だからだよ。半年に一回、街道沿いの魔獣を討伐するのさ。それも駐留騎士や領主軍の訓練を兼ねて大規模に。お陰で魔獣共は人間を恐れてほとんど姿を見せない。魔獣の被害なんて、多くて年に十件もないぞ。何せこんな老いぼれでも一人で行動出来るのだからな」
「…………噂通りなのか」
「何か言ったかね?」
「いえ。素晴らしい領主様ですね」
五大貴族の噂話はエイミーも帝国各地で耳にしており、その中でもベンフォード家の話は数え切れないほど聞いていた。皇帝に絶対の忠誠を誓い騎士団長を任されるエリオス=ベンフォードは、大貴族とは思えないほど民に優しい領主であると。
噂話など全く信じていなかったエイミーも、その目でこの光景を見れば信じるしかなかった。
(誠実で武勇に優れ忠誠心にも厚い。権力者にしてはしっかりしているのね。カルヴァートやバクスターとは大違い。もしかして対立しているのかしら?)
五大貴族の中であまり良い噂を聞かない二つの大貴族について考えを巡らせていたエイミーだったが、老人が発した言葉を聞いてその思考を中断させた。
「魔獣といえば、お嬢ちゃんが連れているソレも一応魔獣ではないかのう?」
「まぁ確かに魔獣ですね」
老人がソレ呼ばわりしたことに苦笑しながら、エイミーは自分の隣で丸くなっている魔獣の頭を撫でながらそう答えた。
真っ白な毛並みが美しい白狼――ライアンは静かに目を開くと黒い瞳を彼女へと向けた。
白狼は主に寒い地域に生息する魔獣であり、成人した個体は三メートルほどになる。攻撃されない限り人間を襲うことは無いが、馬や家畜を標的にするので人間泣かせの魔獣だといわれている。
「さすがにお嬢ちゃんがそいつを枕にして寝ているのを発見した時は、心臓が飛び出るかと思ったぞ」
「は、ははは」
確かに白狼を枕にして寝ていたので言い訳は出来ず、エイミーは乾いた笑いで何とかそれを誤魔化そうとした。フワフワな毛並みの魅力に負けたとはとても言えなかったからだ。
それから特に当たり障りの無い会話を繰り返すこと三十分。二手に分かれた道で老人と別れることになったエイミーは、一週間世話になった礼を告げると徒歩で目的の街を目指した。老人の話では半日ほどで森に到着するという。そしてその森を抜けて半日ほどで目的の街に到着出来とのことであった。
「大陸動乱の十年にあって、帝国は戦火が無くて本当に安心出来るわね」
優しげな声で相棒のライアンに声をかけたエイミーは長旅ですっかり薄汚れたバッグを背負うと、晴天の空を見上げながら旅の途中で知った歌を口ずさみながらゆっくりと歩き出す。
そして特に旅を急ぐ理由も無い彼女はその夜は夜営することを決めると、森で発見した水辺近くで眠ることにした。
もちろん枕はお気に入りのライアンである。
◆ ◆ ◆ ◆
「……何かいるわね」
太陽がようやく昇って来た頃、エイミーは周囲の僅かな変化を感じ取り目を覚ました。顔を横に向ければ枕にしていたライアンも頭を上げてその目を細めていた。
「……威嚇しないところをみると魔獣じゃない……ということは人間か。やれやれ」
めんどくさそうに立ち上がったエイミーは、包まっていた布をバックに押し込むとそばに置いていた武器を確認する。そこには二本の剣が置かれていた。
一本は大陸では当たり前の女性装備用の軽さを重視した長剣で、もう一本は刀身が反り返った大陸では珍しい片刃の剣だった。
彼女は一瞬だけ珍しい剣に手をかけたが、すぐに軽く首を振ると手を離した。
「そこまでの必要はないか」
自分に言い聞かせるように呟いたエイミーは、近づいてくる気配に神経を集中させながら二本の剣を腰の左右に吊るしてその時を待った。
そして現れたのは薄汚れた男たちの集団で、彼らはやや疲れたような表情を浮かべていたのだが、彼女を視界に捉えると一斉に下卑た笑みを浮かべた。誰がどう見てもまともな連中では無いのは明らかで、予想していたことが当たってしまった事に彼女が思わず顔を顰めてしまったのは無理もないことだった。
「これはこれは。一仕事終えたと思ったらこんなところで獲物に出くわしたぜ!」
「へぇ結構な上玉じゃないですか。今日は運がいいですね」
全身を舐めるように見つめてくる男たちの絡みつく視線に対して、エイミーは特に表情を変えることは無かった。長い傭兵生活や旅でそんなものには慣れてしまったのだ。
そもそも戦場で戦う騎士や兵士に傭兵といった集団は完全な男性社会であって、女性の数は圧倒的に少ないのが現実。そして多少の力量差で上がれるほど傭兵社会というのは甘くない。何せ少しでも目を付けられれば数の暴力という襲撃を受けて再起不能にされることも珍しくはないのだから。
そしてそれを回避するにはあらゆる暴言や恥辱の行為に耐え忍んで成り上がるか、全てを叩き潰す力を以って障害を排除して恐れられる以外に生き残る手段は存在しないのだ。
そんな世界を生き抜いて来たからこそ、彼女は彼らが放った言葉の方が気になったのである。
「一仕事とはなんですか?」
そんな質問が返ってくるとは思っていなかったのか男たちはしばらく無言になったが、すぐに元の表情へと戻るとリーダーらしき人物が楽しげに言い放った。
「俺たちは盗賊だよお嬢ちゃん。人様の物を略奪するのが仕事さ。今回も大量だった。交易が盛んなことはいいことさ。それに四人も女を攫えたしな」
「盗賊ですか。なるほど……」
エイミーはそれを聞いても特に表情を変えなかった。このアグリジェント大陸ではさほど珍しいことではない。この大陸動乱の十年にあってはどこでも目にする光景であったし、何よりも生き残るために他人の物を奪うことを彼女自身も否定はしていないからだ。
しかし彼女にとって疑問だったのは、この帝国でそれが起こっているという現実だった。調べた限りでは普通に生活を送っていれば生きることには困らないはずなのだ。
この豊かなステラ侯爵領は特に。
「……なぜ盗賊に? 噂に聞いた限りでは、このステラ侯爵領は豊かな地域だと聞いています。普通の生活には困らないと思っていたのですが」
「真面目に働いて何になる? この世界は弱肉強食の世界だ。弱い奴は奪われる。世界を見てみろよ。戦争やって奪い合う世界だ。楽に出来るなら、その方がいいだろうが!」
その答えを聞いたエイミーは思わず肩を竦めて小さくため息を吐き出していた。確認のために質問した自分があまりにも馬鹿らしく思えてしまって。
「もういいだろうお嬢ちゃん。怪我したくなければこっちに来な。言っておくがその白狼が役に立つと思うなよ?」
「そうそう。壊れるまで俺たちが責任持って遊んでやるからな! 後で他の女にも合わせてやるから、精々不幸な境遇を嘆きあってくれよ」
男たちの下卑た笑いが森に響く中、エイミーはこれまで巡って来た戦場の現実を思い出していた。
戦場で負けた女性たちの末路は知ってるし、それを遠目で眺めていた事もある。救いを求める視線を向けられた事もあるが、味方を敵に回したくないためにそれを無視したこともだ。
そして不快感に耐えながらその光景をしっかりと見据えて心に刻み込んだのだ。
これがこの世界の本当の現実――――弱肉強食なのだと。
だから彼女は再び小さくため息を漏らしながら言葉を紡いだ。
「ふぅ…………ね」
「はははは。ん? 何か言ったか?」
小さく呟かれた声を聞き逃した男たちは一斉に笑いを止めた。
そんな男たちをしっかりと見据えたエイミーは、一瞬にして距離を詰めると今度ははっきりとその言葉を口にした。
「死ねと言ったんだクズが。耳まで悪いのか?」
薄汚い盗賊の顔を至近距離で見据えたエイミーは、躊躇うことなく剣を抜くとあっという間に先頭の男の胴を切り裂いた。
「これまで数多くの戦場を巡ったが、お前たちみたいな勘違いした連中はどこにでもいたよ。そしてそいつらが辿る末路はいつも同じだった」
言葉を発しながら続けて上段から剣を振り下ろして二人目を瞬殺したエイミーは、集団に対して右手を向けて魔力を集束させた。
「消えろ」
右手に集まった魔力は瞬く間に紅蓮の炎となり、何が起きているのか理解できない男たちを飲み込み燃え上がる。
そして絶叫が響き渡ったところでようやくリーダー格の男は我に返り、恐怖に顔を歪めながら言葉を発したのだった。
「お、お前は……お前は一体…………」
彼らから見れば先ほどまでは確かにそこにブロンドの青い瞳をした可愛いらしい少女――――獲物がいたはずだった。しかしそんな獲物は今や圧倒的な力を振るって自分たちを蹂躙している。
そんな現実の食い違いが混乱を生み、結果として彼らの反撃を遅らせたのだが、エイミーにとっては混乱していようが反撃して来ようが全く関係の無いことだった。
「一つだけ教えてあげる。私は、お前たちの様な存在が、死ぬほど、嫌いだ」
言葉を区切りながらはっきりと述べたエイミーは剣を上段に構えると、どこまでも冷めきった瞳で腰を抜かすリーダー格の男を見下ろした。
「ははは…………そんな……嘘だ」
死神と化したエイミーはその言葉と同時に容赦無く剣を振り下ろすと、残り僅かとなった男たちを怒りの籠った表情で見据えて告げたのだった。
「私は傭兵団リッタオルデン所属の一等級傭兵エイミー。さて、人間のクズであるお前たちはどんな存在を敵に回したか十分に理解出来たか? 理解出来たのなら――――私を敵に回したことに恐怖して、愚かさを後悔しながら死んで行け」
傭兵たちから容赦も慈悲もない『金髪の悪魔』と呼ばれた頃の片鱗を最後に覗かせたエイミーは、そのまま迷うことなく盗賊たちの命を狩り取ったのだった。