戦場から遠く離れた地
◆ザールラント帝国 帝都ザクセンハルト◆
ヘッセンから遠く離れたここ帝都では、リゼール第一皇女の誕生日を盛大に祝うパーティーが開かれていた。
宮殿には帝国各地の領主貴族が集まり、優雅で煌びやかに着飾った者たちがそのパーティーを楽しんでいた。
帝国北部エルスト子爵領が戦場になっているとは知らずに。
「今日は余の娘であるリゼールの誕生日を祝う盛大なパーティーだ。存分に楽しんでくれたまえ」
機嫌の良い皇帝陛下――ヘルムフリートは皇妃であるテレージアと共に簡単な挨拶を行ってパーティー開始を宣言した。
そしてその合図で本日の主役である第一皇女リゼールが会場に入場してきたのである。
「リゼール様。本日はお招き頂きまして――」
「リゼール様はどの様なドレスを着てもお似合いですな。さすがはテレージア様の血を引く――」
パーティーが始まるとすぐにリゼールへと群がり始めた貴族たち。口々に賛辞の言葉を述べるが、大貴族たちから見ればそれが社交辞令に過ぎないことが良く分かった。群がった貴族のほとんどが中流階級の貴族たちだったからである。
「……実力も無い害虫どもが。魂胆が丸見えだ」
ワインを飲みながら眺めていたエリオスは、その光景に嫌悪感を覚えていた。皇女の機嫌を取り、あわよくば自分の息子たちと結婚させたい。そんな思惑が滲み出ているからである。
「リゼール様は十九歳になられた。確かに結婚をお考えになってもおかしくはないだろうな」
「美しくお淑やかでお優しい方だ。私も息子を紹介しようかと考えているぞ」
険しい表情を浮かべるエリオスにそんな風に声を掛けてきたのは、同じ五大貴族に数えられる人物たちだった。
「ウォルター殿にアウレール殿。私が皇女なら少なくとも結婚相手はあの中からは選びませんよ」
帝国最大の鉱山を保有するヴォルムス侯爵領を拝命するウォルター・ローレンスと帝国最大の地方領であるフルダ辺境伯領を拝命するアウレール・オルブライトの二人は、エリオスが放った言葉を聞いて声を潜めて笑った。
「くっくく。確かにあの中からは選びたくないな。享楽に浸る金の亡者たちだからな」
「リゼール様には幸せになってもらいたいからな。あんな奴らにはやれないな」
しばらくそんな会話を続けていた三人だったが、急に真面目な顔つきになると本題に入った。
「エリオス殿が語っていた無詠唱魔法だが、駐屯する騎士たちから報告があって全員習得したそうだ」
「俺のところもそうだ。たぶんあの場に集まった連中の所の騎士たちは、皆が無詠唱魔法を習得したはずだろう」
アウレールが語るあの場とは、帝国会議の次の日に行われた秘密の会議のことだった。帝都に存在するベンフォード家の別邸に集結した帝国の実力派貴族たちはエリオスが会議で語った内容に興味を持ち、再度話を聞きに来たのだった。
「それにしてもエイミーだったか? その少女が語らなければ、帝国が無詠唱魔法を知るまでにさらに時間が掛かっただろうな。考えただけでも恐ろしいことだ」
「あそこの奴らはその事実に気付いていない。本当に愚かな者たちだな」
未だにリゼールに群がっている貴族たち。彼らは己の欲望のためにしか行動出来ないのだ。そんな者たちが帝国の未来を考えるわけが無かった。
「あれから俺も考えてな。今さらながら国境警備に重点を置こうかと思っている。帝国が強大だったのは昔の話だ。それを痛感したよ」
情けない表情を浮かべながら頭を掻くアウレール。治めている領地はレアーヌ王国に隣接しているのだが、今まで大した備えを行っていなかったのである。
「それがいいだろうな。備えがあって困ることは無い。動乱が続くこの大陸。不測の事態が起こらないとは限らないからな。何か足りなければ力を貸そう」
帝国の未来について真剣に語り合っていた三人は、会場内で注目の的になっていることに気付いていなかった。五大貴族の三人が固まっていればそれは当然の反応だった。そんな三人の姿を見つけたリゼールは、周囲にいた貴族たちに微笑みながら挨拶して彼らに近づいた。
「本日は私のためにここまで足をお運び下さり、誠にありがとうございます」
綺麗で優雅な仕草でドレスの裾を軽く持ち上げ挨拶したリゼール。皇女の存在に気付いた三人は、慌てることなく深々と頭を下げて挨拶を返した。皇族が声を掛けるまでは声を掛けてはいけない。それが帝国本来の伝統なのである。つまりあの貴族たちは、その伝統すら蔑ろにしていたのである。
「今日のドレスはお似合いですな」
「それはつまり、この前のドレスは似合っていなかったということかしら?」
「前のドレスは少し背伸びした感がありましたからな。今日の方が色合いも装飾もリゼール様に合っております」
ドレスを一目見て率直な感想を述べたウォルター。前回は赤色で少し露出度の高い大人向けのドレスだったが、今回は肘まである白い長手袋を着用しておりドレスも淡い水色で露出度の低いものだった。確かに清楚で大人しい性格のリゼールにはこっちの方が似合っていた。
「本当、ウォルター様は率直な方ですわね。参考になります」
そんな感想に少し顔を膨らませていたリゼールたっだが、すぐにクスクスと可愛らしい声で笑ってから言葉を漏らした。
「臣下たる者、お世辞は述べません。全てはリゼール様のために発言しております」
それが当たり前ですと言った表情で語るウォルターに、残る二人は苦笑いを浮かべながら周囲で様子を窺っていた貴族たちを眺めた。明らかに今の発言は、先程までご機嫌取りに精を出していた貴族たちに向けられた言葉だからである。
「分かっておりますわ。真剣に想って下さるあなた方のお陰で、今の私があるのですから。本当に感謝しておりますわ」
微笑むリゼールは感謝を述べると、今度はエリオスに茶色の瞳を向けながら尋ねた。
「エリオス様、妹のディアーナをご存じありませんか? 久しぶりに会えると思っていたのですが、会場に姿が無いようなので」
明らかに寂しそうな表情となったエリーゼは、潤んだ瞳でエリオスを見つめていた。『静の皇女』と『動の皇女』と言われる程に性格が違う二人だが、姉妹の仲は良好であり昔は庭園で仲良くお茶を楽しんでいたほどである。
「騎士団に入団してからは会える機会が少なくなってしまいましたから、今日会えるのを本当に楽しみにしていたのです。騎士での生活や騎士のお仲間との話を聞きたかったのですが」
もはや泣きそうなまでに瞳を潤ませているリゼールに、エリオスはどう答えていいか分からず助けを求めたが、二人は大きな声で笑いながらそんな状況をただ眺めていた。
「泣いてはお化粧が台無しですよ?」
「リゼールよ。エリオス騎士団長を困らせるでない」
万事休す。エリオスが諦めようとしたその時、助けはやって来た。しかしそれは皇帝陛下と皇妃という大物であった。
「今日は娘の誕生日を祝うパーティーだ。必要無い」
慌てて跪こうとした三人を手で制したヘルムフリートは、リゼールの頭を優しく撫でながら言葉を続けた。
「ディアーナのことでは世話になっているな。あの子はちゃんと騎士として生活出来ているのか? まさか特別扱いはしていないだろうな?」
「無論です。帝国騎士団に入団したからには、他の騎士と同じように扱っております」
はっきりとそう答えたエリオスだったが、内心はかなりヒヤヒヤしていた。今やディアーナが所属するステラ騎士隊は指南役であるエイミーが全てを仕切っている。
そしてエリオスが最後に見た光景は、それこそ皇女の扱いとは思えない光景だった。格闘訓練で泥塗れになり最後は男性騎士に組み敷かれていたのだから。
(絶対に知られるわけにはいかない)
さすがにやり過ぎだろうと思って口を出すと、エイミーは『裸にされないだけマシでしょう』と全員に聞こえる声でそう答えた。その表情はどこまでも真剣だったため、エリオスはそれ以上何も言えなかった。ただその言葉以降、嫌々訓練していた女性騎士たちが鬼気迫る表情で訓練に臨んでいたのは非常に印象的だった。
「しっかりと鍛えてやってくれ。エリオス騎士団長に任せれば大丈夫だろうがな」
「そうですね。でも本当にどうしたのかしら? あの子もリゼールのパーティーを楽しみにしていたのに」
ヘルムフリートとは違って娘の動向が心配になるテレージアは首を傾げながら疑問を口にし、エリオスも彼女が連絡一つ寄越さないのは変だとは感じていた。
「エリオス騎士団長っ!」
そんな時だった。
パーティー会場の扉が勢いよく開かれたかと思うと、次の瞬間には名前を呼ぶ大きな声が会場内に響き渡って汗まみれで息を切らせた二人の騎士が飛び込んで来たのである。
「何だね騒々しい。ここは君のような者が来る――」
近くにいた道楽貴族がそんな言葉を浴びせようとしたが――。
「邪魔だ退けっ!」
その騎士は身分の差などお構いなしに一喝したのである。その行動に情けない悲鳴を上げた道楽貴族は勢いよく尻もちをついた。
「陛下、非礼はあとでお詫びいたします。ですがエリオス騎士団長に大至急の用件がございます」
近くまでやって来た二人の騎士は、スッと跪くと早口でそう告げた。状況が見えないヘルムフリートもこのような行動をとる騎士たちに何か理由があるのだろうとすぐに察して構わぬと告げた。
「ありがとうございます」
頭を下げて感謝の言葉を述べた騎士たちは、すぐにエリオスを見据えると険しい顔で話し始めた。
「報告します。エルスト子爵領に蛮族が侵攻。カッセル、グミュントが蛮族の手に落ちました。撃退に当たったエルスト子爵軍は壊滅しました」
「なんだとっ!」
この報告に会場内は一気に騒然となった。大陸最強の軍事国家と謳われる帝国が侵攻され敗北を喫した。しかも蛮族相手にであるが、報告はまだ続いていた。
「カッセル騎士隊の救援要請に領主代行ステラ侯爵夫人エレノア様が応じて、ステラ騎士隊を先陣に領内全ての騎士隊をエルスト子爵領に派遣しました。また領主軍も編成が済み次第、送り出すとのことです」
その騎士が報告を終えようとした時、会場の入り口から一羽の鷹が飛び込んできた。その鷹は迷うことなく騎士の一人に止まった。
「その鷹は?」
ヘルムフリートの疑問に騎士は簡潔に答えた。
「伝令用の鷹です。魔力に反応して素早く報告を届けてくれます」
何やら術式が刻まれた紙を懐から取り出して見せた騎士は、鷹の足に括り付けられていた紙を外してそれに目を通したが、その騎士の顔色は一瞬にして悪くなった。
「……新たな報告です。五千規模の蛮族がヘッセンに侵攻。ステラ騎士隊及びランツベルグ騎士隊七百名が街を防衛すべく交戦。結果、ランツベルグ騎士隊が甚大な被害を受けたため全騎士隊が後退。ヘッセンは……陥落しました。住民は全て避難が完了したため、今回に関しては被害無しとのことです」
「妹は…………ディーはまさか戦闘には加わっていないわよね? 答えて……」
冷静さを失っていたリゼールは、妹の名前を愛称で呼んでいることにも気付かず騎士に尋ねていた。
その騎士は顔を見合わせると、間を置いてから正直に告げた。
「ディアーナ皇女殿下はステラ騎士隊の隊長として行動しております。この報告ではディアーナ様は五千の敵にも怯まず突撃を敢行。包囲網を破って撤退に成功したと」
「そんな…………妹は……ディーは戦場に……」
口元を手で押さえながら小さな声で呟くリゼールは、恐怖で体を震わせていた。それは妹を失うかもしれないという恐怖である。
「……陛下。すぐに帝国会議の招集を。幸いにも主要な人間は今ここにいます。早急に対策を決めて援軍を送らねば、帝国北部は火の海です」
「あぁ…………今すぐ始めよう」
ようやく帝都に届いた蛮族侵攻の情報。だがすでに戦いが始まってから三週間以上が経過していた。
日を追うごとに数を増す蛮族に対して、エイミーたちは持てる全てを投入しても足りない状況になっていた。
このまま行けば、エルスト子爵領が完全に占領されるのは時間の問題であったのである。




