絶望のヘッセン
◆エルスト子爵領 ランツベルグ◆
「なぜだっ! なぜ蛮族ごときにワシが…………」
兵力の殆どを失ったエルスト子爵は、呪文のようにそんな言葉を繰り返しながらランツベルグまで戻ってきた。
そんな未だに敗北した事実が信じられない彼とは違って領民たちは、出陣した時よりも少ない兵力で帰還し顔色すら優れない領主を見てすぐに悟った。
蛮族に負けたのだと。
「あの……領主様。戦況のほうは?」
「蛮族はどうなりましたか?」
命に関わることだけに聞かずにはいられない領民たちは、帰って来た領主を囲みながら口々に質問を飛ばしたが、エルスト子爵はとても領主とは思えない態度で喚き散らすのだった。
「うるさいっ! うるさいっ! お前たち平民はそんなこと知らなくいいのだっ!」
子供の癇癪そのものの態度にはさすがの領民たちも困惑を隠せなかった。
そしてエルスト子爵が何をしてきたかを知っている残った兵たちは、こんな奴のために仲間が死んだのかと嫌悪の視線を向けた。
「私は領主だぞっ! お前たち領民は私の命令に――」
「大変だっ! 見慣れない大軍がこっちに向かって来るぞっ!」
どこまでも傲慢なエルスト子爵の言葉は、カッセルとは反対方向から血相を変えてやって来た領民の叫び声によってかき消された。
「そ、そんな馬鹿な……反対側だと…………」
何が起きているのか状況が掴めないエルスト子爵は声を震わせながら小さな声で呟いたが、すぐに思い出したかのように兵たちに命令した。
「わ、ワシを守れっ! ワシの命が最優先だっ! どうした……早く守れっ!」
だがその命令に従う者は誰一人いなかった。自分の身くらい自分で守れ。兵たちはあまりに傲慢な彼をついに見限ったのである。
「……ん?……あれは……」
反対の方角を凝視していた兵の一人がそんな声を上げたのは、進んで来る軍勢の先頭にいる人間を見た時だった。軍馬に乗るその人物は明らかに蛮族とは違った。むしろ――――。
「女性騎士だ……騎士だぞ」
領民が空けた大通りを進んでくる軍勢の先頭はまさに女性騎士だった。
その女性騎士は堂々とした態度で軍を引き連れながらエルスト子爵に近づいて行き、やがて右手を上げて全軍の歩みを止めさせると、情けない表情を浮かべる彼に向かって凛とした声で告げた。
「私の名前はべティーナ。ステラ侯爵領ステラ騎士隊五百名。エルスト子爵領カッセル騎士隊の救援要請を受け参上しました」
「きゅ、救援要請……だと」
カッセル騎士隊から来た伝令にエルスト子爵は他の領主に救援を要請するなど、自分の名誉に泥を塗るつもりかと一喝して救援要請を握り潰していた。
だからこそ目の前に救援の騎士隊が現れた事を彼は信じられなかったのである。
「……これはどういうことですか?」
べティーナはエルスト子爵と彼の周囲に展開していた兵を観察してから、鋭い視線を向けて子爵にそう尋ねた。誰がどう見ても救援に向かうような状態には見えなかったからである。
「戦況はどうなっているのです? それに避難民の姿も見当たりませんが?」
べティーナの鋭い指摘にエルスト子爵は答えに窮した。
ここで答えれば完全に敗北した真実を領民に知られてしまい、そうなれば彼の領主人生はお終いとなってしまうからである。
「お、お前に答える必要は……ない」
何とか声を絞り出して答えたエルスト子爵。だがそんな彼にある人物が質問の声を上げた。
「それが偉大な皇帝陛下よりこのエルスト子爵領を預かった者としての言葉ですか?」
べティーナの隣に馬を進めてきたもう一人の女性騎士は、静かな口調ながらも軽蔑の視線をエルスト子爵に向けてそう尋ねた。
一方、その人物を良く知るエルスト子爵はどうして彼女がこんな場所にいるのか分からず、恐怖に震え口を閉ざすことしか出来なかった。
「答えられないのですか?」
いつもは傲慢な態度のエルスト子爵が女性騎士に怯えるその光景は、周囲の者たちから見ればかなり不思議な光景だった。
そして見慣れない格好で騎士装備を身に着ける若い女性騎士は、煮え切らない態度の子爵に等々怒りの声を上げた。
「ザールラント帝国皇帝陛下の娘であるこのディアーナ=ハウゼン=ザールラント第二皇女が質問しているのです。答えなさいっ!」
「ひいっ!」
その威圧感に耐えられず馬から落ちたエルスト子爵は、地面に額を擦りつけながら命乞いを始めた。
その見苦しい光景に侮蔑の視線を向けていたディアーナは、兵の中で一番位が高そうな人間に対象を代えて質問した。
「一体なにがあったの? もはやこの子爵を庇っても未来はないわよ」
急に質問を振られた兵は委縮してしまいそれに答えられなかった。周囲の人間でさえ、いきなり現れたディアーナの存在に目を見開き驚いているのだから。
「もう一度聞くわ。カッセルからここまで何があったの?」
エルスト子爵に向けていた鋭い視線を和らげたディアーナは、もう一度同じ質問を振った。
その兵は情けない姿の子爵を眺めてから、意を決して正直に今までの出来事を吐き出した。子爵が何をしたのかを正確に。
「連れて行け。不愉快だ」
これまでの出来事を聞いたべティーナは眉間にシワを寄せながら吐き捨て連行を指示した。
「お願い。陛下の指示があるまで、屋敷から一歩も出さないよう見張って頂戴」
ディアーナがエルスト子爵軍の兵に指示を出すと、兵たちは機敏な動きで子爵を拘束した。
尤も最後まで子爵は悪あがきを続け、姿が見えなくなるまで叫び続けていたが。
「はぁまさかここまで酷い貴族だったとは。それでランツベルグ騎士隊はどうしているの? 彼は領主軍だけで救援に向かったのでしょう?」
呆れた表情のディアーナは近くにいた兵に質問した。
その兵の話よればランツベルグ騎士隊は準備を整えたが子爵に待機を命じられ、今でも駐屯地で出陣命令を待っているとの話だった。
「準備は終わっているのか……。う~ん」
口元にそっと手を添えてしばらく考え込んだディアーナは、考えを纏めるとその兵に対して指示を飛ばした。
「第二皇女ディアーナの名で伝令を。ランツベルグ騎士隊はその半数の戦力を以ってステラ騎士隊と合流せよ。なお残った半数は、ランツベルグの治安維持と増援に来るステラ侯爵領各騎士隊とステラ領主軍の受け入れ態勢を整えよ。以上だ」
エルスト子爵とは違って的確に指示を飛ばしていくディアーナに、兵はもちろん周囲で眺めていた領民たちも感心していた。まだ若いのに大したものだと。
だが彼女はそんな思いに気付くことは無く、部下の一人を呼び出してステラ侯爵領へ伝令に行くよう指示を出してから騎士隊を見据えて声を上げた。
「状況は切迫している。すぐに出るぞ。ステラ騎士隊進めっ!」
もはや一刻の猶予もないと判断したディアーナは、行軍を再開させて次の街ヘッセンを目指し、そんな彼女たちをランツベルグの領民たちは歓声を上げて送り出したのだった。
頼りにならない領主に代わり街を守るのはもはや彼女たちしかいないからである。
◆エルスト子爵領 ヘッセン◆
この日、ロイドは偵察に出した騎士が報告した内容を聞いて絶望に顔を歪めていた。
グミュントの村から二日半かけて到着した彼らは次の日の朝、状況を把握するために五名の偵察隊を送り出したのだ。だが彼らは二時間もしないで戻ってきたのだ。血相を変えて。
「約三千の蛮族…………。いきなり桁が上がりやがったか」
これまでは多くても二百前後の数だった。それがここに来て三千という数である。
もはや五十人しかいないカッセル騎士隊とそこに駐屯していたヘッセン騎士隊五十人を合わせても百名程でしかない。どう足掻いても、この街を守ることは不可能である。
「ステラ侯爵領からの援軍は? 援軍はまだ来ないのでしょうか?」
「伝令が到着するのに約一週間。それから兵糧や装備を整えて行軍を開始するのに五日。行軍は伝令よりも遅いから一週間以上。まだランツベルグにすら到着していないだろうな」
悲壮感が漂う騎士が一分の望みに縋って発したその言葉を、副隊長が冷静に現実を語って望みを打ち砕いた。実際に伝令が到着したのはカッセルを発って六日後。そこまでは副隊長の読み通りだった。
だがそこからが想像とは違っていた。ステラ騎士隊はすでに近くまで来ていたのだ。
「ランツベルグ騎士隊が動いてくれればいいが、豚があれでは期待するだけ無駄だろう」
各領地に駐屯する騎士隊は帝国騎士団長が全てを統括するが、伝達に時間を要するため領主にも指揮権が与えられている。
つまりランツベルグ騎士隊は、騎士団長の命令か領主の命令がない限り行動出来ないのである。駐屯する地が攻撃を受けない限り。
「どうします?」
この状況に至っても冷静さを失わない副隊長は、ロイドに顔を向けて静かな口調で尋ねた。
これに対して肩を竦めて見せたロイドは、険しい顔を浮かべると最後の意地でその決断を下した。
「死んだ者たちはカッセル騎士隊の責務を果たしてきた。ならば我々も進むだけだ。騎士の道をだ」
ロイドは強い口調で生き残った騎士たちに命令した。
「ヘッセンの街を守れ。住民を守れ。この剣とカッセルの名に懸けて蛮族どもを蹴散らせ! ここがカッセル騎士隊の名を刻む最後の戦場と心得ろっ!」
最後の戦いに向けて意識を高めたカッセル騎士隊の面々は、街を守るべくグミュント方面の入口に陣取ったが、そこで待っていたのは数の洗礼だった。
太陽が真上に昇った頃、ヘッセンに現れた蛮族はその数を以って一斉突撃を敢行。防衛に当たるカッセル騎士隊を次々と突破して街に侵入を果たしたのだ。
街には住民や避難民を合わせて一万を超える非戦闘員が存在していた。
そんな彼らに向かって侵入を果たした蛮族たちは、次々とその刃を振り下ろし、ヘッセンの街には助けを求める絶望の声が響き渡ったのであった。




