見えない脅威に
ステラ騎士隊駐屯地の会議室に集められた主要メンバーたちは、誰もがカッセル騎士二人の言葉に愕然としていた。
偵察からの報告ではかなりの数の蛮族がカッセルに向かっているということであり、そのカッセル騎士隊の隊長が違う隊に伝令を出すほどなのだから情報に誤りは無いのだろう。
「彼がカッセルを出て六日。カッセルでは既に戦闘が開始されていると考えるべきでしょうね」
「カッセル騎士隊の戦力は約二百五十。領主軍を加えても二千程でしょう」
ディアーナの言葉に真っ先に反応したのは、男性騎士を監督している平民出身のアレン=ブリュッケル騎士長だった。今年三十歳になる叩き上げの彼はエルスト子爵領の戦力をそう分析した。
「問題なのは相手の数が正確に把握出来ていないことですね。それにエルスト子爵は…………こう言っては何ですが武に疎い方に見えますから」
夜会で何度か会話をしたことがあるマルガレータが言葉を濁しながら告げると、意外にもフリーデが辛辣な言葉を発した。
「正直に肥え太った豚と仰れば宜しいのですよ。彼は武を誉れとする帝国で道楽に明け暮れる最低の貴族です。女とあれば見境ない。そうです。あれは去年の夜会でした。酔っ払った彼は私の…………思い出しただけでも腹が立ちます」
いつもは冷静なフリーデが静かに怒りを燃やすその顔は、まさに鬼のような表情だった。
「…………つまりエルスト子爵の軍は使えない方向で考えた方がいいということね」
何が起きたのか興味本位で尋ねようとした女性陣だったが、あまりの形相にそれを諦め話を戻すことにした。
「となると二百五十の戦力でカッセルを守っているのか。間に合うのか?」
「…………厳しいでしょうね」
アレンの言葉に厳しい顔つきで答えたミリアムは、そのままディアーナへと視線を向けた。先ほどから無言の彼女は真剣に何かを考えている様子だった。
「それで…………これからどうするのです?」
ミリアムの問いかけにその場にいた誰もがディアーナに顔を向けた。
特にアベルとセリーヌは悲壮感すら漂わせていた。こうしている間にも仲間たちは戦っているはずなのだから。
「メッセル、パッサウ、ザクセン、グラーツの各騎士隊にベンフォードの名で伝令を出す様にエリノア様に取り計らってもらおう。大至急エルスト子爵領に向かうようにと」
ステラ侯爵領に存在する一万人規模の街。それらに駐屯する騎士隊に応援を要請するというディアーナは全員を見回すと、決意の籠った表情でその言葉を口にした。
「アレンとべティーナはすぐに騎士寮へ戻って全員に事態を説明して。我々ステラ騎士隊はその総力を以ってエルスト子爵領カッセルに救援に向かうわ」
そこ場にいる誰もが言葉の意味を理解した。救援に向かうということは、その先に待つのは実戦であるだ。
◆エルスト子爵領 カッセル◆
「…………ちっ! 役立たずの豚子爵がっ!」
目の前に広がる惨状を眺めていたロイドは、顔を歪めると平然とそんな言葉を吐き捨てた。蛮族の侵攻を一週間に渡り防いでいたカッセル騎士隊。
だがその決死の努力を一日足らずでエルスト子爵がぶち壊したからである。
「領主軍の損害は九百を越えたようです。エルスト子爵はわずかな護衛を引き連れてランツベルグに戻りました」
副隊長が冷静にそう報告するが彼もまた同じように怒っていた。援軍に来たエルスト子爵の軍勢は千人弱。それは二百五十人で蛮族の侵攻を防いでいた彼らにとってはまさに強力な援軍に映ったが、実際には何の役にも立たなかったのである。
「あの豚のせいで多くが死んだ。騎士も……住人も…………。死ぬなら一人で死ねっ! 俺たちカッセル騎士隊の努力を何だと思っていやがる!」
援軍に来たエルスト子爵は、森の入口で防衛戦闘を続けていたロイドたちを見るなりこう言ったのだ。
『平民出身の隊長が率いる騎士ではこの程度が精一杯だろう。私が指揮を執れば蛮族など簡単に追い出せるというのに』
傲慢さが滲み出る言葉でそう告げたエルスト子爵は、ロイドの意見を無視してそのまま千五百人の兵に森へ突入を命じたのである。数も分からない蛮族と薄暗い森で戦闘を行う。それが危険だということは、少し考えれば誰でも理解出来ることだった。その結果、森の奥深くで待ち構えていた蛮族の襲撃を受け壊滅的な被害を被ったのである。
「潮時だな」
力なく呟いたロイドは滅んだ街にもう一度視線を向けた。撤退して来る兵たちを追撃してきた蛮族たちは、混乱した防衛線を次々と突破してカッセルの街になだれ込んだのである。
そして街には逃げ遅れていた人間が五百人程残っていたが、その大部分が戦闘に巻き込まれて命を落としたのである。
「…………生き残った住民を早急に逃がせ。次の襲撃にはもう耐えられない。カッセルは放棄する」
三日間善戦を続けていたカッセル騎士隊も混乱によって多くが命を落とした。残ったのは百人程度であり半数以上がこの一日で命を落とした。
このような状況でカッセルを守ることは到底不可能だった。尤も今のカッセルに守るものなどは何一つ残されてはいなかったが。
「カッセルを放棄するとなると、蛮族は一気になだれ込んできます。今後はこれまで以上の数を相手にすることになります。ステラ侯爵様は援軍を出してくれるでしょうか?」
「この豚の領地が落ちれば次はステラ侯爵領だ。エリオス様は豚と違って考えなしの人間ではない。間違いなく援軍を出してくれるさ」
副隊長の肩を軽く叩いたロイドは、生き残った騎士たちを集めると撤退することを告げた。何人かの騎士たちは生きて帰れると喜びの声を上げており、ロイドはそんな彼らを見て笑っていたが彼は知っていた。蛮族からの追撃を逃れ味方と合流する。それがどれだけ難しいのかを。
「ここからが本番だな」
一瞬たりとも気が抜けない撤退戦。誰にも聞き取れないほどの声で呟いたロイドは、守れなかった命のに対して祈りを捧げたのだった。
◆ステラ侯爵領ヴァルス◆
「少し遅くなった」
駐屯地から一度ベンフォード家へと戻って、必要な物を用意してからヴァルスの街へと繰り出したエイミーは思わずそんな言葉を呟いていた。荷物を探すのに手間取ったのである。
「この時間だと混んでるだろうな」
夕刻が迫るこの時間のギルドは大体混雑しているのである。
それを知っているエイミーは形の良い眉を吊り上げながらそんなギルドを目指していたのだが、ある光景を目にして立ち止まった。
「騎士が……どうして?」
目的地の傭兵ギルドから騎士が慌てた様子で駆け込んで行ったのである。
「何だ? 一体なにがあった?」
騎士が傭兵ギルドを訪れる事はまず無い。あるとすればそれは何か依頼がある時――つまり大規模な募兵を行う時くらいである。
「……ついに現実となったか」
この前の夢を見た時から感じていた悪い予感。それが現実になったのだと直感で感じたエイミーは、その内容を確かめためにギルドへと急いだ。
そしてギルド内に張り出された依頼を見て、彼女は自分の直感が正しかった事を知ったのだった。
「北方蛮族の侵攻……何とタイミングの悪い」
このタイミングで自分の依頼を受ける者など誰もいない。
そんな状況に巡り合わせてしまった自分は運が悪いと肩を落としたエイミーは、すぐにギルド支部内のカウンターに向かうと受付嬢に告げたのだった。
「この北方蛮族の掃討依頼を受けたい」
報酬や条件には目もくれずににそう告げたエイミーに対して、彼女の行動を見た傭兵たちは笑いながら彼女を馬鹿にするような発言を行った。
「見ない顔だが嬢ちゃん新入りか?」
「名を上げたいのは分かるが、条件や報酬は確認するべきだ」
「そうそう。それに嬢ちゃんに蛮族討伐はまだ早いと思うぜ」
大陸西部や中部のガラの悪い傭兵たちとは違って、エイミーの行動を純粋に心配する様な言葉を掛けて来る傭兵たち。
だがその言葉は今の彼女にとって気分を害するものでしかなかった。
「……うるさいよ」
体から魔力を溢れさせて小さく言葉を呟いたエイミーはいつもとは全く違う、どこまでも憎悪の籠った瞳で傭兵たちを見据えて声を発した。
「私は決して侵略者を許さない。邪魔をするな」
見た目からは決して想像出来ない低い声でそう告げたエイミーは、戦場で鍛え上げられたその殺意を解き放って傭兵たちを威圧したのだった。




