迫りくる脅威
丘の上に佇む女性騎士は吹き抜ける風を静かに感じながら、そこから見える景色を静かに眺めていた。 地面に突き刺した剣の柄の上に両手を組みながら無言を貫いていた女性騎士であったが、やがてその赤い瞳を閉じると静かに呟いた。
長い漆黒の髪が風で宙を舞った。
「……何度見ても、慣れる光景ではないわね」
本音を吐き出す彼女が珍しいのか、そばで同じようにその光景を眺めていた男性騎士は少しばかり驚いたような表情を浮かべ彼女を見たが、その男性騎士も同じ心情だったのだろう。すぐに悲しげな視線を平原に向け口を開いた。
「敵は撤退していません。再び攻撃があるでしょう」
「…………つまりこの戦闘で得たものはこの光景だけというわけね」
悲しげな声で呟いた彼女は目を開けると目の前の光景を再び見つめた。無言になった二人はただ黙って吹き抜ける風を感じていた。
「もう何年も戦っている気がします」
そんな無言のなか先に言葉を漏らしたのは女性騎士の方だった。彼女は今までを振り返りながらゆっくりとした口調で語り始めた。
「多くの仲間を失いました。守れなかった者も数多くいる。それでもまだこうして私たちは戦い続けている。守るべき者たちがまだ大勢存在しているから。でもそれも限界でしょう」
冷静に現実を分析してそう結論付けた女性騎士の言葉を、男性騎士は否定することは出来なかった。女性騎士の言う通り、この一年に渡る戦争によって多くの仲間が戦死した。残っているのは戦い続け疲弊した者たちばかりなのだ。
「私たち連合軍に敵を退ける力はない。多くの戦いによって疲弊して、戦力を失ってしまったから。次の戦いが私たちにとっての最後の戦いとなるでしょう」
男性騎士はその意味をしっかりと理解して唇を噛みしめながら拳を握り締める。それは国を失うということに他ならないからである。
「…………私は諦めたくありません!」
思わず大きな声でそう叫んだ男性騎士を、女性騎士は優しげな表情で見つめながら柔らかな口調で同意を示した。
「確かに諦めるわけにはいきません。散っていった者たちのため。残った者たちのためにそして何よりこの世界のために」
剣を腰の鞘に収めた女性騎士は変わらない口調でこう切り出した。
「連合諸国に通達して下さい。連合軍は残る全戦力を以って敵に攻撃を行うと」
女性騎士は右手を顔の前まで持ってくると、血で汚れた手の平を悲しげに眺めながら自分に言い聞かせるように決意を口にした。
「女神アスタロトよ。どうかこの手に…………残された希望を守れるだけの力を」
優しげな表情から戦う騎士の顔に戻った女性騎士は、最後にもう一度だけ目の前の光景をその瞳に焼き付け丘を静かに下り始めた。その平原は、地面が見えないほどの死体で埋め尽くされていた。
夢から覚めたエイミーはゆっくりとベッドから起き上がると、さっきまで見ていた夢の内容を一つ一つ思い出していた。夢とは思えないあまりにも現実的なその光景。そして何より会話をしていたあの二人の騎士たち。
「あれは…………記憶? …………そういうことね」
そっと胸に手を当てたエイミーはその身に宿る力を思い出して納得した。遥かな昔から脈々と受け継がれてきたその力。あの夢はその力が見せたものだったと。
「でもどうしてあの夢を?」
なぜ夢を見せられたのか分からないエイミーは当然のように疑問を持った。だがすぐにある想像が頭の中によぎった。それはエイミーが最も恐れることである。
「時間がないのかもしれない」
それは最後の楽園といわれるこの帝国に対して各国が牙を剥くことである。そうなれば動乱の早期終結など夢のまた夢である。大陸全土が戦火に包まれ、夢よりも酷い光景が現実のものとなるのである。
「くっ!」
ベッドから抜け出そうとしたエイミーは不意に襲ってきためまいで顔を顰めた。
あの模擬戦から三週間。エイミーは騎士隊の訓練に加えて、武器職人や防具職人との商談。さらには帝都にいるエリオスの許可をもらって領主軍の再編と訓練にまで手を伸ばしていた。
その結果、疲労は限界に達していたのである。
「…………休んでいる時間などないのに」
力を入れてベッドから床に足を置いたエイミーだったが、激しいめまいによって体を支えることが出来ずその場に倒れ込んだ。
そしてそのまま急速に意識を失っていったのだった。
そんなエイミーを発見したのは部屋まで起こしに来たディアーナだった。最近は顔色の優れない日が続いていたエイミーが、いつもの時間になっても起きてこなかったからである。
「エイミー? しっかりして! 誰か…………誰か来てっ!」
床に倒れているエイミーの姿に戸惑いを隠せないディアーナは、我を忘れて大きな声を上げていた。そしてその声でやって来た他の女性騎士たちも、そんな光景に悲鳴に近い声を上げたのだった。
◆エルスト子爵領 カッセル◆
エイミーが倒れたちょうどその頃、ステラ侯爵領の北に位置するエルスト子爵領の最北端でも異変が起きていた。
カッセルと呼ばれるこの街は国境の街であり、深い森を越えた先には未開の大地が存在する。この街に駐屯する騎士たちはその森を巡回するのを日課としていた。
その日は配属されたばかりの新人である女性騎士セリーヌ・スタインと、男性騎士アベル・クレセントが森の巡回を行っていた。この深い森で気を付けることは魔獣だけ。先輩騎士からそう聞かされていた二人は、まさかその森で人に会うことなど想像もしていなかった。
「ちょっと、今なにか聞こえなかった?」
最初に異変を感じたのはセリーヌだった。しかしアベルはそんなセリーヌの表情を見て冷やかした。
「怯えすぎだろう。そんなに森が怖いか?」
「しっ! ほら聞こえる」
だがセリーヌは真面目な顔で一蹴して、周囲の音に耳を傾けた。アベルも最初は気のせいだろうと思っていたが耳をすませば確かに何か聞こえてきた。それは深い森の中から僅かに響いていたのである。
「これ…………人の声よね?」
「まさか街の人間か?」
この森に街の人間が入るのには、領主によって任命された街を統治する執政官の許可が必要となる。それは簡単に許可されるものではないし、そもそもこの薄気味悪い森に入ろうという物好きもいない。
「もしかして子供とかが入り込んでいるんじゃない?」
「あり得るかもな。一応、警戒しろよ?」
剣を抜いた二人は微かに響いてくる音を頼りに歩き出した。先の見えない深い森は不気味でありそれが余計に恐怖を駆り立てる。二人は慎重に進みながら周囲に目を凝らし、そしてついに発見したのだった。
「ちょっと大丈夫!」
地面に倒れたまだ若そうな女性。着ているローブはかなり汚れており、よく見れば血痕もかなり付着していた。
「まさか怪我でもしているの?」
急いで倒れている女性に駆け寄ったセリーヌは、ローブを脱がせると体に怪我がないか確認し始めた。アベルも駆け寄ってその女性に視線を向けた。胸が軽く上下していることからまだ生きていることはすぐに分かった。ただ一つだけ大きな問題があった。
「おいセリーヌ……そいつは――誰だ!」
焦っていて気付かないセリーヌに問題を告げようとしたアベルは、背後から殺気を感じて振り返りながら声を上げた。
「妹に何をしたっ!」
そこにいたのは若い男性であり、彼は明らかに敵意を持って弓を構えていた。
「お前たちは今度は俺の妹まで殺すつもりかっ!」
若い男性が怒りの目で二人を睨みながらそう告げた。その話の内容にも驚いたが驚くべきことは他にもあった。
「どうして…………こんな場所に……もしかして彼女も……」
よく見ればセリーヌが抱きかかえていた若い女性も、目の前の男性と同じ容姿をしていた。特徴的な透き通るような白い肌に金色の髪から覗く尖った耳。未開の大地の奥に住むといわれていた古代種――――エルフである。
「……エルフがこんな場所で何をしているのです? それに彼女――――あなたの妹さんはどうしてこんな状態なのです?」
アベルはセリーヌを背中で庇うように剣を向けながらも、疑問に思ったことをなるべく丁寧な口調で尋ねた。若い男性の方はしばらく無言で睨み続けていたが、やがてアベルの言葉に違和感を感じて質問した。
「こんな場所だと?」
「ここは一応エルスト子爵領です。エルフには帝国領といった方が分かりやすいですか?」
それを聞いた若い男性は警戒心を少しだけ解いて弓を下に向けた。ただその顔には動揺の色が滲み出ていた。
「なんてことだ…………。俺たちは……そこまで来ていたのか……」
「何が起きたのか説明を。彼女もこのままでは危ないかも」
何も語ろうとしない若いエルフ男性は、アベルの放った最後の一言に反応した。抱えられている自分の妹は誰がどう見ても衰弱しきっていた。
「……頼む…………助けてくれ」
今にも消えてしまいそうな小さな声で告げた若いエルフ男性は、そのまま地面に頭を伏せると大きな声で叫けんだ。
「頼む! 俺たちを助けてくれっ!」
古き時代から生き続けているといわれる古代種エルフ。それが人間に頭を下げている光景に驚き、アベルとセリーヌは互いに顔を見合わせた。だが若いエルフ男性が語った事実を聞くとすぐに悲鳴に近い声を上げたのだった。
「つまり蛮族が略奪を繰り返しながら移動しているというわけか」
エルフ女性を抱えたアベルと男性エルフを伴って駐屯地に帰って来たセリーヌは、すぐに隊長へ森での出来事を報告した。最初は古代種のエルフを連れて戻ってきた二人に驚いた隊長であったが、その報告を聞きくとすぐに真剣な表情を浮かべた。
「蛮族が帝国に侵攻してくることはないと思うが…………あれを見ると不安になるな」
カッセル騎士隊を率いるロイド=ブライスは、怪我をしたエルフ女性を思い出しながらそんな言葉を発した。この大陸ではエルフ・ドワーフ・コボルドなどは古代種と呼ばれており手を出すことは禁忌とされている。だがどう見ても蛮族にその常識は通用していない。
「……とにかくカッセル騎士隊に招集をかける。それと未開の大地に偵察を出そう。この目で何が起きているのかを把握する必要がある」
ロイドは手早く考えを纏めると、十人で編成した偵察隊をすぐに未開の大地へと送り込んだ。そして五日後、送った偵察隊の騎士二人が青ざめた表情で帰ってきたのだった。
「隊長! あれは蛮族の大移動です! 数が途方もない!」
「それと逃げ遅れた古代種とも遭遇しました。数は約五百程ですが、けが人が多くて移動速度が遅すぎます。あのままでは蛮族に追いつかれる危険があるため八人が古代種の護衛に残りました」
これを聞いた騎士たちは想像していたよりも切迫している状況に声も出せなかったが、隊長であるロイドだけは違ってすぐに指示を飛ばした。
「ランツベルグのエルスト子爵に至急伝令を飛ばせ! それと執政官をここに!」
すぐに行動を起こした騎士たちを眺めていたロイドは、最後に新人のアベルとセリーヌに視線を向けてこう命令した。
「お前たち二人はすぐにステラ侯爵領へ状況を知らせろ。可能ならば援軍を出してもらえるように交渉しろ。蛮族が大挙して押し寄せてくれば、とてもこの戦力では守れない。頼んだぞ」
責任ある任務を任されたアベルとセリーヌは、左胸に手を当てて敬礼すると急いで馬小屋へと走っていった。残されたロイドは、頭の中で状況を整理しながら考えた。
「カッセル騎士隊は総勢二百五十人。これで蛮族の侵攻を食い止める…………不可能だろうな」
迫りくる脅威に対してあまりにも無力な戦力しか持たないロイドはそんな言葉を吐き出したが、すぐに不敵な笑みを浮かべてみせた。どんなに無力であろうともやるしかない。
それが、カッセルを守る彼らに与えられた使命なのだから。




