血戦のロアンヌ・エイミー対フィーネ
「フレデリックの傭兵団を一人で壊滅させるとは。まぁ見ていてスカッとしたがな」
「……説教ならあとにして。そんな気分じゃないの」
村の広場を埋め尽く傭兵たちの遺体。そんな遺体の中で剣から血を滴らせながら佇んでいたエイミーは気安く話し掛けて来た男を見てそんな声を上げた。
相手は剣旗の団長にして槍匠の異名を持つ一等級傭兵セドリックだった。
「別に説教をするつもりはないさ。ただ……いつまでそんな戦い方を続けるつもりなのかと思っただけだよ」
「……どういう意味? 敵は殺すものでしょう?」
「そうだな。確かに傭兵としては間違っていないが、それでお前さんは何かを得られたのか?」
「いや……何も得られていない。寧ろ虚しさが増しただけよ」
剣を軽く振って血を飛ばしながら語るエイミーはどこまでも虚ろな表情を浮かべており、それを見たセドリックは思わず彼女の頭に手を置いて撫でていた。
「……何で私を撫でる? もしかしてそういう趣味なの?」
「薄汚い下品な傭兵の価値観を覚えるな……って、そういう話じゃない。お前は確かに強いが、その力の使い方ではダメだ。何を失ったかは知らないが、失ったものは二度と戻りはしないのだ。だから憎悪に酔い痴れて復讐心で剣を振るうな。奪った者と同じになるぞ?」
「……良く分からない。仇を討つのは悪いことではないはずだ」
「悪いとは言わない。だがお前がそうやって力を振るい続ければ、やがては目に映るもの全てを破壊しかねない。それでは何も得られないし、お前自身も救われないぞ?」
セドリックの言葉を全く理解出来ないエイミーは少しだけ憮然とした表情を浮かべていたが、優しく丁寧に頭を撫でるその手によってすぐに表情を和らげた。
「力はどこまで行っても力でしかない。問題はそれを何のために振るうのかだ。選択を間違えれば……いずれ後悔するぞ?」
「……ならあなたは何のためにその力を振るっているの?」
「俺か? 俺はフィーネを守るために力を振るっている。最初は何となく引き取った娘だったが、今では彼女を失いたくないと思っているからな。まぁ今の話は内緒だぞ。分かっているな?」
爽やかで幸せに満ちた笑顔でそう答えたセドリックに会ったのはその時が最後だった。
その後すぐにセシルと戦場で出会って激闘を繰り広げたエイミーは、そのままリッターオルデンに入団して各地の戦場を転戦する事になってしまったからである。
そして彼女が彼の訃報を知ったのは、実に彼が死んでから半年も経過した後のことであった。
(どうして? なんでよ? 私だって二等級――いや、今なら一等級と同等の力があるはずなのに。何で攻撃が通用しないの? 相手は手を抜いているのに)
全ての斬撃を受け流して魔法攻撃すらも同等の力で簡単に相殺するエイミー。
そんな彼女を思わず歯を食いしばって睨みつけたフィーネだったが、その心を占めていたのは無力な自分に対する苛立ちだった。
剣旗団長セドリックの死後、傭兵団を継いだフィーネはどこまでも純粋に力を求めて修練に励んだ。全てを圧倒する力。それこそ立ち塞がる者全てを殲滅出来るほどの強大な力を彼女は求めて。
フロレスの別働隊を蹂躙して敵対した傭兵たちを殺し尽くしたエイミーの様に。
ソフィアに侵攻した侵略者たちを圧倒的な火力を以って殲滅したリリアーヌの様に。
どんな劣勢の戦場においても必ず勝利を齎す大陸最強の傭兵団長セシルの様に。
この世界では力こそが正義であり力が無ければ何も守れない。逆に力があれば何も失うことはない。そう信じてここまでやって来た。再び全てを失ったその日から。
それなのに――。
「なぜ私の力は貴女に通用しないの!?」
絶叫しながら全ての力を込めて振り下ろしたその剣は、エイミーによって無情にも受け流されることもなく簡単に受け止められてしまった。
「憎悪に身を焦がして復讐心で振るう力は確かに強大。そしてそんな時が私にもあった。あらゆる敵を滅ぼし尽くせば全てが終わる。失ったものを取り戻して平穏の日常に戻れると信じて。でもそれはどんな奇跡を以ってしても不可能なこと。例えそれが人では無い存在――全ての母であっても」
剣を受け止めたまま諭す様に丁寧に言葉を並べるエイミーの表情はどこか寂しそうで、それに気付いたフィーネは剣を退くことなくそのまま話に耳を傾けた。
「そんな二度と取り戻せないものだからこそ、私の祖先は命を賭してそれを守り続けて来た。幾年、幾百年、幾千年と。そうやって代々受け継がれて来たのが私の身に宿る力の集大成。それを知ったから私はその感情に身を任せることを止めた。ただ……貴女は一つだけ勘違いしているわ」
「勘違い? 私が一体何を勘違いしていると――」
フィーネが放った言葉が最後まで続くことは無かった。なぜなら次の瞬間、彼女は恐怖を覚えて心の奥底から震え上がり思わず距離を取ったからであった。
「貴女は捨てたと言ったけど――」
地面から唐突にあふれ出た漆黒の魔力によってエイミーの周りに生えていた雑草は一瞬にして枯れ、漂ってきたその魔力に当てられた者たちは次々に自分の肩を抱いてその場に蹲る。
そしてどこからともなく聞こえて来た悲痛な叫びや嘆きの声に誰もが耳を塞いだ。
「私はそれを捨てたわけではない。背負い続けて最後まで戦うと誓ったのだ。この三千年という時の中で起こった悲劇の数々。そしてその中で生まれた憎悪の全てを背負ってみせると。我らが悲願を叶え、やがてこの身が朽ち果てるその日まで」
常に聞こえる声は救ってくれなかったことに対する恨みの声。
常に見える光景は救えなかった者たちの最後の場面。
常に感じるのはそんな者たちの絶望と世界に対する憎悪。
だからこそエイミーは剣を取り戦い続ける。古より続く戦いに終止符を打つために。
「真に失ったものは二度と戻らない。それを受け入れろ。それが出来ずにその力を振るって悲劇を撒き散らし続けるのならば――」
剣を鞘に納めて目を細めたエイミーは、抑えていた魔力を周囲に解き放って傭兵たちを威圧しながら最後にこう告げた。
「セドリックが育てた傭兵であろうともこの場で殲滅する」
もはや殺気では無く単純な殺意と絶望を含んだ魔力を撒き散らすエイミーに多くの傭兵が及び腰となったが、フィーネだけは目を閉じて剣を構えた。
(分かっている。失ったものが戻って来ないことなど。でも……それでも私は――)
村を蹂躙されて無力感に苛まれていた時に救いの手を差し伸べてくれたのはセドリックで、彼は傭兵としての生き方を教えてくれた。そして何より嬉しかったのは、惨めだった自分に生きる喜びを与えてくれたことだった。
しかし――。
「私はこの世界を許せない。あらゆるものを私から奪ったこの世界を。何よりもなに一つ守れなかった私自身を私は許せない。だから――」
剣を構えて対峙する。かつて憧れた最強に相応しい力を持つブロンド髪の少女――エイミーに。
「私は戦うことを選ぶわ!」
「……そう。なら全力で応じるまで」
その瞳に覚悟を認めたエイミーはそれだけ告げると左手を剣に添え腰を沈めて大地を蹴り、土煙を舞い上げてその場から消えたと思われた次の瞬間にはフィーネの懐に潜り込んでいた。
「与えましょう。絶対なる安らぎ――安息の地を」
左手で抜いた剣で胴を払ったエイミーは、その勢いのまま魔力を込めた短剣を右手でフィーネの心臓に突き立てた。
「……貴女が本当に望んだのは救うことじゃない。貴女自身が救われること。女神の世界で彼と過ごして見ていなさい。貴女が心から愛したセドリックと共に……私がこの先に何を為すのかを」
どこか晴々とした表情を浮かべたまま目を閉じて鮮血に染まった大地で静かに眠るフィーネ。
そんな彼女の剣を拾ったエイミーは血で染まった胸の上に置いて手を組ませると、静かに立ち上がってその場に剣を突き立て宣言した。
「剣旗傭兵団の副団長フィーネ=アーレントは、団長であるセドリック=べルナードの下に旅立った。戦女神騎士団を率いる騎士女王エイミー=ラ=フォンテーヌ=ローザンヌが今ここに告げる。立派に戦って戦死した副団長の名誉と誇りを穢すような戦闘を私は望まない。故に退け傭兵たちよ。そして彼女の遺体を埋葬してやれ。団長と同じ墓に」
遺体を見せしめに晒したりすることもなく敬意を以って接するエイミーの態度と言葉に、剣旗の団員たちはすぐに敵対することを止めた。
彼らは知っている。団長がどんな想いで副団長に接していたのか。
そして彼らは知っている。団長の死後、副団長がどんな想いで生きて来たのかを。
「……剣旗傭兵団は撤収します。フィーネ副団長の心を救っていただきありがとうございました」
丁寧にフィーネの遺体を運ぶ傭兵たちは、最後に涙を堪えながら頭を下げるとエイミーの前から去って行った。
「きっとセドリックを愛したその時から……貴女の目的は村を救うことでは無くなっていた。でも貴女は彼が死んだ時に気付いた。村の事を二の次にして自分だけが幸せを享受していた事に。そしてそんな裏切りを恥じて絶望した。でもね――」
困窮に喘ぐ村人を助けるために力を振るっていたはずが、いつの間にか目的がセドリックを守る事に変わってしまっていた。真面目なフィーネからすればそれは許されない事だったのかもしれない。
「人は他人のためにずっと戦うことは出来ない。人は誰しもが自分のために戦っている。願いや想いや目的のために。そして愛する者を守るために力を振るう。それは純粋でとても素敵なことであり、何よりも人として当然のこと。恥じる必要はどこにもない」
晴天の青空を眺めながら語りかけるように言葉を発したエイミーはしばらくの間ただぼんやりと空を眺めていたが、やがて右足で剣を軽く蹴って地面から抜くと鞘に納めた。
「何のために……何を得ればお前たちは満足する。教えてくれ」
傭兵たちに代わって再び押し寄せて来た新興貴族軍の群れを見据えながら呟いたエイミーは、すぐに他の二人を回収するため動き出していた。この大規模攻勢を防ぐには残る二人の力が必要不可欠だったからであるが、無情にもその二人は激闘によって限界に達しておりとても頼りに出来るような状態では無かった。
迫り来る大軍を前に全ての策を出し切ったエイミーたちに残された道は、もはや玉砕覚悟の突撃だけであった。
ありがとうございました。