閑話・とある『風神様』の一日
ヴァルスの街を物珍しそうに眺める巫女姿の少女。一見すると観光にやって来たどこかの少女にしか見えないが、よく見ると足が地面から浮いていることに気付く。
「いつ来ても賑やかですね~」
風の大精霊風神様は、のんびりとした口調でそんな言葉を呟いた。彼女は二週間前にエイミーが召喚した時からこの世界に居座り続けている。街に出た当初は少女の幽霊が出ると大騒ぎになったが、今ではしっかりとした説明がなされているため、領民たちは彼女を見ても驚くことは無くなっていた。
「気になっていたのですが、精霊はこの世界に留まる事が出来るものなのかしら?」
朝、女性騎士寮の食堂でマルガレータが疑問を口にした。精霊を長い時間この世界に留めておくことは出来ない。それが常識とされていたからである。その疑問を常々感じていたのか、周りで食事していた他の女性騎士たちも興味津々といった顔で風神様の言葉を待っていた。
「精霊は呼び出した人間の魔力によってこの世界に姿を現すことが出来ます。つまりその人間の魔力が尽きない限りは、それこそ常に存在出来るというわけなのですよ~。でも精霊を召喚してその姿を留めておくのは並みの魔力では無理ですけれどもね~」
風神様はその場にいた全員がなるほどと納得する様子を見て、さらに話を続けた。
「ちなみにですが、精霊と契約すると魔法の威力が大幅に上がる。魔法を使用する際の魔力消費が減る。いつでも呼び出せるといった利点がありますよ~。ただし、契約した数週間は総じて魔法が一切使えないという欠点もありますがね~」
契約すると魔法が使えなくなる理由。それは契約の代償としてその精霊に応じた魔力を捧げる必要があるためである。精霊のランクが上がるほど、それは大きなものとなるのだ。
「でも私たち程度の魔力量では、呼び出してもすぐに消えてしまうのでしょうね」
「そうですね。契約はしてみたいですが、呼び出してもこの世界に留めておけないのでは」
ディアーナとミリアムは風神様の話にそんな悲観的な言葉を発した。だが風神様は二人を凝視するように眺めると意外な言葉を口にしたのだった。
「お二人の魔力量なら中級精霊と契約出来ると思いますよ~。ディアーナさんなら上級精霊も可能かもしれませんね~」
この言葉に目を丸くした二人と開いた口が塞がらない周りの女性騎士たち。全員を軽く見回した風神様は最後にニコッと笑顔を見せて言った。
「限界は自分で決めるものではありませんよ~。人の一生は短いのですから」
アドバイスを送った風神様はそのまま一礼すると、女性騎士寮を出て日課となっている街の散策へと繰り出していったのである。
「それにしてもこの街は本当に平和ですね~。いいことです」
街の見学に疲れた風神様は、通りかかった宿屋に飛び込んで一休みしていた。もちろん泊まるためでは無く一階の食堂で食事を取るためである。
「はいお待たせ。しかし精霊が食事をするなんて驚きだよ本当」
食事を持ってきた女将は噂の精霊が食事をすることに驚きを隠せなかった。実際、精霊が食事をする必要は全くない。精霊の栄養は魔力なのだから。
「いえいえ。ただおいしいものを食べたいだけですから~」
風神様はいつものように笑ってそう答えた。彼女にとって食事とは生きるために必要なものでは無く、ただ単純に味を楽しむことなのだ。そしてしっかりと料理を味わった風神様が、その場で次の行動を考えていた時だった。
「おねえちゃんが『ふうじんさま』?」
その声で風神様は、五歳くらいの小さな女の子がキラキラした瞳で自分を見上げていることにようやく気付いた。
「そうですよ~。私が噂の精霊ですよ~」
ニコッと笑ってそれに答えると、小さな女の子は天真爛漫な笑顔で抱きついた。どうやら女将の子供だったらしく娘の行動に慌てた様子を見せたが、風神様が目で問題ないですよと合図したことによってホッと胸を撫で下ろした。
「おねえちゃんあったか~い。ポカポカする」
「高密度の魔力で構成されていますからね~。人とは違うのですよ~」
そんな他愛のない会話を繰り広げていると、小さな女の子は手に持っていた本を風神様に見せて尋ねた。
『おねえちゃんはこのほんしってる?」
見せられたのは子供向けの小さな本だった。当然知らないその本を知らない風神様は、首を横に振って知らないことを告げた。
「じゃあわたしがおはなししてあげる」
「ぜひ宜しくお願いします」
小さな女の子の話を聞くことにした風神様は、少女を抱きかかえると自分の膝の上に乗せた。
「ではお願いしますね」
「うん」
その光景を周りで見ていた大人たちは、仲の良い姉妹のように寄り添う二人の姿に優しげな視線を向けていた。
「むかしむかし――――」
女の子が語る物語は、かつてこの世界に訪れたという災厄の御伽噺だった。平穏な大陸に突如として侵攻してきた異世界の闇の軍勢。大陸全土は漆黒の闇に覆われ人々は絶望に染まりつつあった。そんな時、突如として光の勇者が現れ、その闇の軍勢を次々と打ち倒していった。その光の勇者こそ、この世界を創った神だった。神は異世界の軍勢を率いる闇の王を討伐してこの大陸に再び光をもたらした。
「そしてかみさまは、やみのおおがふたたびせめてこないように、たいりくをまもるけっかいをはったのでした」
帝国では誰もが知る子供向けの御伽噺。それを聞いていた大人たちは、ちゃんと語れた女の子を褒めて上げようとした時ようやく気付いた。風神様がポロポロと大粒の涙を流していることに。
「おねえちゃん? どうしたの? そんなにかんどうした?」
無邪気な顔でそう尋ねる女の子は、風神様がなぜ泣いているのか理解できない。それは周りにいる大人たちも一緒だった。
「…………違うのです……ひっく……そうじゃないのですよ…………」
辛うじて言葉を発した風神様は抱きかかえていた手に力を込めた。
「おねえちゃん?」
「いいですか……ううっ……。これだけは……忘れないで下さい…………」
風神様は女の子をしっかりと抱きしめると悲しげな表情で告げた。
「その奇跡を起こしたのは、最後まで諦めずに戦ったこの大陸に住まう人々なのです。それは今では遠い昔ですが、それでも確かに存在した出来事なのです。それに…………創造したのは…………」
そこまで再びポロポロと泣き出した風神様は、少女を膝から退かして逃げるようにその場をあとにした。
「…………御伽噺じゃないのか?」
「そんな口調だったな」
「それに実際の出来事とは違うみたいだな」
風神様の言葉を信じるなら御伽噺として語られるこの話は、実際過去に起こった出来事ということになる。普通なら嘘だと一蹴してしまいそうな話だが、少なくともこの場にいた人間たちはその話を信じることにした。
一方、食堂を飛び出した風神様はそのまま女性騎士寮に帰宅。隊長室にいるエイミーの胸に飛び込んで大きな声で泣いた。事情を聞いたエイミーも悲しげな表情を浮かべたが、すぐに風神様の頭を優しく撫でた。そのまましばらくすると、泣き続ける風神様にエイミーは――――。
「真実は私とあなた達が知っている。今はそれでいいのよ」
母のような優しげな雰囲気を纏って、静かにそう告げたのだった。




