風の大精霊 『風神様』
騎士団駐屯地の広大な訓練場には、総勢五百人の騎士が集められていた。
「何が始まるんだ?」
「さぁ? 何も聞いていないぜ?」
帝国騎士団長の名で集合を命じられた騎士たちは、囁き合いながら何が始まるのかと緊張した様子をみせていた。
そんな中、昨日の晩餐会に参加した二人の貴族令嬢だけは普段と変わりない様子を見せていた。昨日のうちに今日何が起こるのかを知らされていたからである。
「全員集まっているようだな」
すぐにやって来たエリオスはディアーナと盗賊退治に貢献したエイミーを連れて全員の前に立った。
「お前らも知っての通り長らくこのステラ騎士隊の隊長は俺が兼任してきた。だが今日から隊長は皇女ディアーナ様が務める。そして隊の指南役も雇った。挨拶を頼む」
エリオスがそんな話をすると、エイミーは一歩前に出て大きな声で告げた。
「傭兵のエイミー=ベンフォードです。この度、ステラ騎士隊の指南役に就任したので宜しくお願いします」
挨拶をして頭を下げたエイミーに対して、その場にいる殆どの騎士たちはすぐに話を理解出来ずに困惑した表情を浮かべていた。
だがしばらくしてその意味に気付くと、すぐに騎士たちはざわめき始めたのだった。
「エリオス団長! 一体どういうことです?」
「なぜこのような少女が指南役に?」
「納得のいく説明をお願いします! 殿下!?」
口々に説明を求める騎士たちに対して、無言を貫くエリオスとディアーナ。だが次に聞こえてきた言葉がエイミーの逆鱗に触れた。
「騎士は子供の遊びではない!」
「名門貴族たる私たちは、このような扱いに黙ってはいません!」
「そこの二人、名前は?」
口を開いたエイミーにその二人は憤慨した表情で名前を告げた。
確かに聞けば伝統ある家柄出身の貴族だったが、そんなことは指南役に就任したエイミーには関係無いことだった。
〈風の大精霊風神よ 来い〉
詠唱をエイミーが行った瞬間、彼女の隣に幻想的なオーラを醸し出す巫女姿をした小さな美少女が現れた。
「…………何だか最近、驚いてばかりのような気がするのよね」
「分かるわ。私もよ」
小さな声でそんな会話するマルガレータとミリアムは何度も同じ言葉を繰り返していた。
その一方で風の大精霊を呼び出したエイミーは、二人の貴族を睨みながら大精霊に言葉を投げかけた。
「呼び出してごめんなさいね」
「謝ることなどございませんお姉様。しかし一体何事ですの? この前見た方々とはずいぶんと違う気がするのですが?」
目の前に並ぶ騎士たちを眺めて、可愛らしい仕草で小首を傾げた風の大精霊にエイミーは苦笑しながら説明する。
「最後に呼び出してもう二年も経っているわ。ここはザールラント帝国よ。それで呼び出した理由なんだけど―――あれよ」
エイミーの視線の先にいた男性騎士二人を見た風の大精霊は可愛らしい笑顔から一転、小馬鹿にした表情を浮かべながら辛辣な言葉を吐き出した。
「ふん。未熟な魔力しか持たないクセにお姉様に喧嘩を売ったのですね。どうします? 殺しちゃいますか?」
「殺すと面倒だから半殺しにしておいてくれる?」
「了解しましたぁ」
物騒な会話を繰り広げた二人に背筋を凍らせる騎士たち。
「さてさて。お姉様に喧嘩を売ったお二人は、私がお相手してあげますよ~。後ろに並んだ方。危ないですから道を空けて下さいね~」
間延びした口調でそんなことを告げる風の大精霊は笑顔のまま二人に近づいて行き、二人の後ろが退いたのを確認した瞬間にその魔力を解き放った。
そんな吹き荒れた突風に対処出来なかった二人は、大きく後方に飛ばされたのである。
「おいこのクソ野郎っ! よくもお姉様を馬鹿にしやがったな! 大した腕も無いくせに粋がりやがって。この風神様がお前らクソ野郎に地獄を見せてやんよ! おらさっさと立ちやがれっ! 本当に殺しちまうぞ!」
まるっきり性格が変貌した風の大精霊は、フワフワと宙を漂いながら吹っ飛ばした二人を追いかけて行ってしまい、残された騎士たちは最初の印象とはまるで違う風の大精霊に恐怖を覚えていた。
そしてすぐにそんなものを呼び出したエイミーに畏怖の視線を向けた。
「私が指南役だと不満な方は他にいるかしら?」
そんな視線を全く気にしないエイミーが笑顔で尋ねるが、反対するものは誰一人としていなかった。
「なに逃げてんだクソ野郎っ! それでも騎士か! この軟弱者め!」
風の大精霊が満足した顔で帰って来たのはそれから三十分後だった。一応気を使ったのか大きな怪我などは無かったが、それでも二人が負った精神的ダメージが相当なものだったのは言うまでもないことである。
「帝国は魔法知識が遅れているんですね~。」
騒動も収まり、指南役就任の第一弾として無詠唱魔法の説明を行ったエイミー。
そんな彼女の言葉になぜかこの場に留まる風神がそんな言葉を漏らした。
「この国は戦争を知らないのよ」
「平和な国なのですね~。それはそれで素晴らしいことですけど、やはりいざという時の備えは必要でしょうね~」
「だから教えているのよ」
「なるほど。お姉様はやはり素晴らしいです~」
他愛の無い会話を繰り広げたエイミーは、やげて騎士たちに視線を向ける具体的な方法を教え始めた。
そんな光景を近場から覗いていたエリオスは、ふと風神が近づいてくることに気が付いた。
「こんな所で珍しい方にお会いしました~」
開口一番、風神はエリオスを見るなり微笑みながらそう言ったが、その意味が分から無い彼は怪訝な表情を浮かべた。
「火の精霊である獅子と契約されていますね~。精霊と契約している方は珍しですからね~」
「火の精霊…………大精霊では無いのか?」
風神の言葉に疑問を感じたエリオスが躊躇いながらも質問をぶつけてみると、目の前にいる風神はくすくすと笑い始めた。
「獅子が大精霊だなんて…………うふふふふ……ごめんなさいね。あなたを馬鹿にしているわけではないのですよ」
しばらくして笑い終えた風神は、エリオスを見据えると簡単に説明を行った。
「火の大精霊は不死鳥の炎帝様です。他にも水の大精霊は水竜の竜王様。土の大精霊は土竜の大地神様。光の大精霊は天使の天人様となっているのですよ~。獅子は大精霊の下になりますかね~」
「そうなのか…………。そういえば闇の大精霊はどこに行った?」
今まで大精霊だと思っていただけに軽くショックを受けたエリオスだったが、一つ説明が抜けていることに気付くとショックを押し殺して風神に尋ねた。
だが彼女は表情を強張らせてしまい、その質問には答えることは無かった。
「それは…………私の口から語ることは出来ないのですよ~」
明らかに狼狽している風神は、そのまま逃げ出す様にしてエリオス団長の前から立ち去って行った。
「闇の大精霊とは仲が悪いのか?」
モヤモヤした気分のエリオスは、最終的にはそう結論付けることにしたのだった。
結局この日、無詠唱魔法を行使出来るようになったのは五人程しかいなかったが、それでもエイミーの言葉が正しいことは実証されたのである。
(これを各地に広めるには、やはり各貴族の力が必要だな。陛下に帝国会議の招集を要請するか)
帝国五大貴族だけが持つ皇帝への会議招集要請権。現在の帝国でこれが使われたことは一度も無い。帝国はそれだけ平和な国だったのである。
だが帝国を目覚めさせると誓ったエリオスは、今こそ行使すべきだと認識していた。
「無詠唱で魔法を行使出来る。これを聞いたら腰を抜かすだろうな」
驚く光景が目に目に浮かんだエリオスは笑わずにはいられなかったが、この国の現実はそこまで甘いものでは無かったのである。




