ヴァルスの街
「なるほど。それでディアーナ様が指南役にと……。皇女殿下のお考えには興味が持てますね」
洗練された上品な仕草で紅茶を口に運んだステラ侯爵夫人エリノアは、ティーカップをテーブルに置いてからエリオスの話にそう答えて言葉を続けた。
「確かにこの平穏も永遠に続くものではありません。戦火はさらに拡大して、やがてこの地にも飛び火して来るでしょうからね。それにしてもリッターオルデン所属ですか」
浮かべていた厳しい表情から一転してどこか楽しそうな表情を浮かべたエリノアは、その名前に興味を示したのか口に出して呟いていた。
大陸の戦場にその名を轟かす最高クラスの一級傭兵団は四つ存在しており、その名は全て古代語で名前が付けられていた。
獅子を意味する総勢三百人の傭兵団レーヴェ。
大山猫を意味する総勢二百五十人の傭兵団ルクス。
盾を意味する総勢五百人の傭兵団シルト。
騎士団を意味するリッターオルデン。
そしてそんな四大傭兵団の中でも最強と言われているのがリッターオルデンなのである。構成人数五十人と四大傭兵団の中で最も少ないが、その全てが二等級以上の実力を持つ。
しかも隊長格の傭兵十二人は全員が一等級――つまり傭兵最高クラスの実力者であり、それを纏めているのが傭兵社会の頂点に君臨する傭兵王ヴィンセント=ベルサーニに並ぶとまで言われる傭兵女王セシル=アルヴェントなのだ。
「確かに気になりますね。そんな傭兵団に所属している者が、この地に一体何をしに来たのか」
領主代行として実質的にステラ侯爵領を治めているエリノアは、小さな微笑みを浮かべると夫であるエリオスに対してある提案を行ったのだった。
お茶会の翌日、エイミーはヴァルスの街を散策していた。ちなみに外出許可は不在のエリオスに代わって副官のべティーナが出してくれた。
その際エイミーは自分を見る彼女の目がキラキラしていることに気付いたが、あえて何も言わなかった。
ただし心の中では――――。
(ボコボコにした人間に対してその顔? 帝国の人は変わった人が多いのねぇ)
といった失礼極まりないことを考えていた。
「それにしてもさすがは帝国五大貴族といわれるベンフォード家が治める土地ね」
大通りには様々な店が立ち並び多種多様な品物が売られていた。
そしてそこには貴賎を問わずに人が大勢集まり活気が満ちており、そんな光景をエイミーはただ眩しそうに見つめていた。
「……最後の楽園か」
戦場で戦っていた頃、エイミーは傭兵たちが帝国をそう噂していたのを思い出した。戦いで死ぬことの無い国。誰もが一日を穏やかに過ごせる国。
帝国はアグリジェント大陸に残された最後の楽園なのだと。
「噂通りだったよ。この大陸にも確かに楽園はあったよ」
晴れた空を見上げたエイミーは、少しだけ目を細めると小さな声でそう呟いた。今はもういない戦友たちや家族に届くことを願いながら。
「…………さて、じゃあ本格的に歩きますか」
やがて気持ちを切り替えたエイミーは、自らその人混みに飛び込んで行った。
そして約二時間かけて大通りを見物した彼女は、続いて大通りの南側に足を進めたのだった。
「こっちは専門的な店が多いわね」
武器や防具を扱う店が並んだ通りに出たエイミーは、興味を惹かれてそれぞれの店先を覗いて行くことに決め、やがて彼女はある店先で足を止めた。
「この剣…………」
店先に置かれていた一本の剣を手に取りジッと見つめるエイミーに対して、奥から出てきた店主はそんな彼女の様子を怪訝な表情で窺っていた。
若い少女が剣を食い入るように見つめているのは、この帝国ではあまりに珍しすぎる光景なのである。
「なぁお嬢ちゃん。若い女の子が剣なんか眺めて楽しいのか?」
様子を眺めることに飽きた店主は、思っていた疑問を素直に口にしてエイミーに尋ねた。
「楽しくはないです、でも良い物を発見しました」
言葉とは違い花が咲いたような笑顔を見せるエイミーは、驚いている店主に向かって話を続けた。
「現在の主流である剣よりも細く薄い刃。そして何よりも軽くて強度も高い。これは素晴らしい品です」
可愛らしい顔に似合わない言葉を次々と吐き出すエイミーに、最初は圧倒されていた店主だったがそこは商売人。すぐに気持ちを持ち直した。
「それはこの店自慢の一品でロングソードという。俺も一目見てこれはいけると思ったよ。可愛い顔している割にはお嬢ちゃんは話が分かるじゃないか!」
店主は大きく笑うとエイミーの背中を叩いて店の中に入るよう勧めた。
「この辺りじゃ話の分かる奴がいない。折角だから中も見て行きな! どれも良い品だぜ!」
「えぇ! ではお言葉に甘えて」
豪快な店主と意気投合したエイミーは、期待に胸を膨らませ目を輝かせながら店の中へと入って行った。そこには店主の言葉通り、素晴らしい武具が揃えられていたのだった。
「これはハルバート……。あっちにはエストック。こっちにはランス。どれも素晴らしいです」
精巧に作られた武器の数々に、エイミーは目を輝かせながら感動して大きな声を上げていた。
それに満足したのか店主は誇らしげに胸を張っていた。自慢の一品を分かってくれる人間がついに現れて嬉しかったのである。
「あらあらこれは若いお嬢さんね。こんな寂れた店に来るなんて」
賑やかな声につられてやって来た中年の女性。店主が俺の妻だと紹介したので、エイミーも二人に名前を名乗った。
「しかしお嬢ちゃんは何だってそんなに詳しいんだ?」
当然の疑問を口にした店主に、エイミーは簡単に事情を説明した。五歳の頃に故郷を失ったこと。それから各地を転々としていたこと。十歳で戦場に足を踏み入れたこと。そして五年間、傭兵として多くの戦地を巡ったこと。
そんなあまりに壮絶な人生を聞いてしまった二人は複雑な心境で彼女を見つめたが、そんな二人にエイミーは笑顔を見せて告げた。
「確かに人から見れば悲惨な人生かもしれませんが、この大陸では私と同じような経験をしている人が大勢います。それに決して不幸だったわけではありません。多くの素晴らしい人に出会いましたからね」
「……そうよね。私たちがそんな目で見たらダメよね」
店主の奥さんはエイミーにそう言って微笑みかけると、大きく両手を広げて彼女を抱き締めた。
そんな優しさに触れたエイミーは彼女の腰に手を回してしっかりとその言葉を紡いだ。
「ほらね。私はまた素晴らしい人に出会っています」
そんな光景を目の当たりにした豪快な店主は、ボロボロと涙を零しながら号泣していたのだった。
(えっと……あれは見ないことにしよう)
エイミーは泣いて別れを惜しむ店主に苦笑しながら店をあとにすると、今度は服屋を探すため街を歩き出した。手持ちの服が長旅でボロボロになっている事に気が付いた彼女は、この機会に傭兵として稼いだ大金を使って新調しようと決めていたのである。
「とはいっても、どこに何があるのか不明なんだよなぁ」
街のどこに何があるのか全く知らないエイミーは、地図くらい借りてくれば良かったと後悔していた。何せ五大貴族であるベンフォード家が治めるヴァルスの街は広大。街を巡るだけでも一苦労だったからである。
(誰かに聞くか?)
そんなことを考え始めた矢先、ある店の前に人が集まっていることに気が付いてエイミーはその歩みを止めた。
よく見ればその店は服の仕立て屋だった。
「お、発見した。ていうかこの人たち邪魔だなぁ。何してるのかしら?」
近づいてみたが集まった人々は何をするでもなく、ただ店の中を覗いていただけであった。
そんな様子を少しだけ窺っていたエイミーは、待つのも時間の無駄だと考えてその店に入ると決めて、人々を強引に押し退け始めた。
「私はこの店に用があるから退いて下さい」
そんなエイミーに唖然としていた人々は、彼女が入口のドアを開けよとしたところで悲鳴を上げた。
「はい?」
何が何だかさっぱり分からないエイミーはそこで動きを止め振り返った。
「あんた……今その店には…………」
「あのお嬢ちゃん……まずいよ」
集まった人々は、皆が血の気が引いたような表情でエイミーを見つめていた。
「どうかしたのですか?」
唐突に開かれた店内のドア。そこから現れた人物たちを見て、周りにいた人々は一斉に頭を下げたのだった。
エイミーを除いて。
「お嬢ちゃん! 早く頭を――――」
一番近くにいた男性が慌てた様子でエイミーに言葉をかけようとしたが、現れた人物がそれを遮った。
「エイミーさん!? あなたもお買い物?」
「服を買おうかと思っていたのですが……。まさかディアーナ様がいるとは驚きました」
店内から顔を覗かせた人物――――それは淡い水色の涼しげなドレスを着た皇女殿下だった。
「あら? エイミーさん?」
「奇遇ですわね」
「これはエイミー様」
同じように顔を覗かせてきたのは、昨日エイミーがお茶会で一緒になったマンハイム侯爵令嬢とメルゲント伯爵令嬢。そして皇女専属メイドのフリーデであった。
「ミリアム様にマルガレータ様まで? あ、もしかしてここは貴族御用達のお店でしたか?」
この顔ぶれを見てその考えに至ったエイミーだったが、フリーデは軽く首を振ってそれを否定した。
「エイミー様、それは違いますよ。でもちょうど良かったです。正直困っていたところなのです。ディアーナ様。エイミー様にお願いしてはいかがでしょうか?」
「……そうね。確かにその方が話は早いわね。お願い出来るかしら?」
(この状況で断れるわけないでしょうに)
民衆が見守る中で皇女の願いを拒否できるわけがないエイミーは、心の中でため息を吐くと店内へ足を踏み入れた。そんな光景を目撃した人々は――――。
「あの少女は何だったんだ? やけに皇女様と仲が良かったが」
「それに他の三人とも顔見知りのようだったぞ?」
「どこかの貴族令嬢か?」
「一体何者だ?」
謎の美少女の正体についてすぐに話を始めた。
あれこれと想像を巡らせた人々たちであったが、やはりというべきか、誰一人として彼女が傭兵と思った者はいなかった。