ハイデンブルグ伯爵領の攻防
「さすが皇妃様は違うね。上品でいらっしゃる。しかし負けた後でもそんな態度でいられるかな?」
「女なんてベッドに入れば皆一緒さ。腰振って媚びるんだからな」
怒り心頭のフランツは今にも飛びかかりそうな勢いであったが、テレージアは微笑みを浮かべたまま何故か会話を続けていた。しかもフランツでさえ目を丸くするような事を告げながら。
「ふふふ。面白い事を仰りますね。確かに私もベッドで腰を振ることはありますよ? 何せ二人の娘を持つ母ですから。嫌いではないですよそういうのも。あら、子供は聞いてはダメですよ?」
(……皇妃陛下……)
傭兵たちにとっては恥じらって怒らせることが狙いであったが、テレージアにその様な手法は通用しない。女や皇妃である以前に彼女は外敵を排する帝国騎士なのだから。
だが何よりも取り乱すことは絶対に出来ないのだ。今この場には多くの民が存在しており、成り行きを見守っているからである。
「ただし私が腰を振って媚びるのは夫だけです。 ですので、あなた方には指一本触れて欲しくありませんわ」
口調は穏やかでも、はっきりとした拒絶の意思を示したテレージアはそのまま手にした槍を構え、戦闘態勢に移行した。
「それ以前に私は敵を屠る帝国騎士です。それをお忘れなく。でないと死にますよ?」
テレージアの雰囲気が一変した事に気付いた傭兵たちは瞬時に戦闘態勢を取ったが、そこには当初の馬鹿にした様な表情は一切無く全員が真剣な瞳で彼女を見据えていた。彼女が強いということにようやく気付いたのである。
「……では一緒に踊りましょうか。この戦場という名の舞台で激しく、そして情熱的に!」
場の緊張感が高まり、ついにテレージアが地面を蹴り駆け出そうとしたその時だった。彼女の前にフランツが立ちはだかったのである。
「やる気のところ申し訳ありませんが、皇妃陛下の出番はありません」
これ以上は親衛隊騎士の威厳に関わる。そう言いたげな視線でテレージアを制したフランツは、傭兵たちを見据えると何時に無く険しい表情で言葉を発した。
「我が親衛隊騎士の前で皇妃陛下に対する数々の無礼な振る舞いと言動。貴様ら……ここから生きて帰れると思うなよ?」
(これは……少し私も反省しないとダメですね)
フランツの機嫌が悪いことをすぐに悟ったテレージアは、敵に合わせた言動を取った自分に反省しながら一歩後ろへと下がった。
親衛隊騎士の役目はあらゆる脅威から皇族を守護することであり、その中には明確な脅威では無く誹謗や中傷の類も含まれているのである。
「帝国親衛隊騎士の真髄を教えてやる。掛かって来い」
どっしりとその場で構えたフランツの威圧に一瞬だけ怯んだ傭兵たちだったが、彼が剣を抜かないことに気付くと舐められているのだと錯覚して声を上げた。
「剣も抜かずに俺たちと戦うつもりか。舐めんじゃねぇ!」
「お望み通り皇妃の前にてめぇから殺してやるっ!」
激怒しながらも連携して飛び掛かって来た二人の傭兵は殆ど同時に剣を振り下ろしたが、フランツは慌てることも無く最初の一撃を軽く回避すると、続く二撃目を左手のガントレットで受け止めて告げた。
「我が拳の前に果てるがいい!」
どこまでも冷めた視線を向けながら一歩踏み込んだフランツは、そのまま一気に右拳を傭兵の胸に向かって突き出したのだったが、プレートに守られた胸に素手でダメージを与えることは普通は不可能であり、周囲で様子を窺っていた残る傭兵たちは嘲笑の笑みを浮かべた。
しかし拳が触れたその瞬間、鈍い大きな音が響き渡ったかと思うと傭兵が吹き飛ばされたのであった。その光景にテレージアを除く誰もが声を失ったのであった。
「……どのような場面でも、いかなる状況であろうとも皇族方をお護りする。それが親衛隊だ。そう……例え剣を持たず拳一つであろうともだ。舐めて掛かれば彼の様に死ぬぞ?」
見れば地面に倒れた傭兵の口からは血が溢れており、プレートは大きく陥没して動かなくなっていた。
(親衛隊が誇る格闘術。まさにその拳は一撃必殺……。本気の姿など久しぶりに見るわ)
強化魔法によって身体能力を底上げた体から放たれる拳は威力も速度も尋常ではなく、まさに一撃必殺を誇る代物であったが、現代において身体能力を上げる強化魔法は完全に廃れているものであった。
理由は単純で、並の者には扱えないからである。鍛え上げられた強靱な筋力と体が無ければ、使用後に待つのは悲惨な現実。筋肉は動きに耐えられず断裂して骨にも異常をもたらす。それが強化魔法の実体なのである。
「理解出来た様だな。ならばその恐怖を抱いて眠るがいい。皇妃陛下を侮辱した罪は万死に値するものだと知れ」
恐怖の色が滲み出た傭兵たちにそう告げたフランツは、能力を最大限に発揮して傭兵たちを屠っていった。そして彼が躊躇う理由はどこにもないため、まさに地獄絵図が展開されていったのだった。
「まさか傭兵まで雇っていたとはな。ふざけた領主だ」
予想していなかった傭兵たちの襲撃ではあったが、近衛騎士隊は問題なく撃退して港へと確実に歩みを進めていた。
「焦ることは無い。確実に敵を押さえろ」
出港されてしまえば軍艦を押さえることは不可能であり、何としても出港される前に港に辿り着かなければならないが、リヒャルダはどこまでも冷静に状況を見据えていた。
(傭兵の姿は確認出来るが騎士の姿は無いか。港を固めているのか? あるいは……)
抵抗する敵の中に海の騎士団の姿が無い事に気付いたリヒャルダは、あらゆる事態を想定して思考を巡らせた。
考えられることは二つであった。港の防備を固めつつ出港準備を急いでいるか、この場にいないかのどちらかである。
「とにかく港まで進んでみるしかないな……。ちっ、目障りだ消えろ」
勝てもしないのに向かって来る傭兵に嫌気が差して来ていたリヒャルダは、剣を抜くと目にも止まらぬ速さで振り抜いて一瞬にして三人を斬り伏せた。
「す、すげえ……」
「うちの隊長、さらに腕に磨きが掛かったな」
感嘆の声を上げる近衛騎士たちとは対照的に、リヒャルダは剣に付着した血を払いながら小さくため息を吐いていた。自分の剣は絶賛されるほどのものでは無いと自覚しているからである。
(私の腕は団長閣下や皇妃陛下には遠く及ばない。何よりもこの帝国には、私よりも素晴らしい騎士が大勢いる。さらに腕を磨かないと)
レアーヌ王国との戦争によって今まで地方に埋もれていた素晴らしい人材が表舞台へと姿を現しており、リヒャルダといえどもその地位は安泰では無かった。彼女と互角以上の腕を持つ者も数多く存在しているのだから。
(初心に帰って精進するとしよう。私もまだまだ高みを目指せるはずだ)
何度か軽く剣を振るったリヒャルダは、心の中でそう決心すると剣を握り直して正面を見据えた。そこには未だに抵抗を続ける傭兵たちが存在していた。
「近衛騎士総長リヒャルダ・ブリュックナー。殺されたい奴から掛かって来るがいい」
「れ、歴戦の俺たちが……こんな、馬鹿な……」
地面に倒れ呻き声を上げる傭兵たちの一人が発したその言葉を、フランツは拳に付着した血を拭いながら無言で聞いていた。
「ば、化け物……め」
拳一つで殆ど全員を瞬殺したフランツは、まさに親衛騎士隊長としての実力を存分に見せつけたのだった。
「……私が強いのでは無く貴様たちが弱いのだ。私よりも強い人間はこの帝国に大勢いる。私が敬愛する皇妃陛下を含めてな」
はっきりとお前たちが弱いと宣言したフランツは、そのまま振り返るとテレージアの前で跪いて簡潔に報告した。
「終わりました」
「親衛騎士隊長として見事な働きでした。ご苦労さまです」
圧倒的な力を振るったフランツに感謝の言葉を告げたテレージアは、そのまま彼の手を取ると立たせて次なる指示を与えた。
「ではこのままハイデンブルグ伯爵家の屋敷に向かいます。先頭をお願いします」
「仰せのままに。親衛騎士隊前へ進めっ! このまま伯爵家の屋敷を制圧する」
圧倒的な強さを誇るフランツ率いる親衛騎士隊とリヒャルダ率いる近衛騎士隊の前に、ハイデンブルグ伯爵がもしものために用意した傭兵たちはあっという間にその数を減らして行った。
そんな報告をハイデンブルグ伯爵家の屋敷の前で受け取った一人の騎士は、神妙な顔で屋敷の中にいるハイデンブルグ伯爵夫人にその報告を行った。
「これ以上の抵抗は住民にも被害を及ぼします。降伏するのが最善の道だと思われますが」
「何を言ってますの? 我が領地が襲撃を受けているのですよ? 反撃して敵を追い出すのです!」
「相手は親衛騎士隊に近衛騎士隊で、しかもそれを率いているのは帝国皇妃テレージア様ですが」
報告を受けてヒステリック気味に叫ぶ伯爵夫人に対して、男性騎士は努めて冷静に相手の正体を告げて自制を促そうと試みたがそれは逆効果だった。
「なんですって? あの男爵令嬢でしか無かった女が直接乗り込んで来たと? いい機会よ。ここで殺してしまいなさい」
(何を言っている? 相手は正当な手順を踏んで皇妃となった方だぞ? それを殺してしまえとは……頭がおかしいのか?)
嫉妬からおかしな命令を連発する伯爵夫人に頭を抱えそうになる騎士は、大きく息を吐くと命令を承諾したフリをして夫人の部屋をあとにした。
「……恩があるとはいえ、これ以上は付き合えない。海の騎士団には一切抵抗するなと伝えろ。港の防衛に回った騎士たちにも急いで伝令を出せ」
「宜しいのですか? まだ海の騎士団は健在です。いくらでも戦えますが……」
「そもそも皇帝陛下や皇妃陛下に敵対するつもりはない。攻め込まれた以上は素直に降伏するべきだ」
戦闘が長引けば街にも被害が出る。そうなった時、住民から責められるのは間違いなく領主側についた人間たちであった。住民は間違いなく攻められた領主側に問題があったと判断する。何せ今や絶大な人気を誇る皇帝家の人間であるテレージアが直々に出向いているのだ。
「無意味な戦闘での犠牲は双方にとっても大きな痛手となる。交戦を避け、帝国騎士団の指示に従うように徹底しろ」
最後にそう言い含めた騎士は、一度大きく息を吸うと決意を固めてもう一度夫人の部屋のドアを開けて彼女に告げた。
「ハイデンブルグ領主海軍指揮官カイぜル・バーロットが命じます。本時点を以ってハイデンブルグ伯爵夫人の領主代行権限を剥奪致します」
「な、何を言っていますの? あなたは私に逆らうつもりですか? そんなことをすれば帝都を制圧して帰って来る我が夫が黙っておりませんよ?」
狼狽しながらも抵抗する素振りを見せる伯爵夫人の言葉を聞いて騎士――――カイぜルは思わず笑ってしまった。領主軍が出発したのを見計らった奇襲を見れば、明らかに情報が漏れているのは明白だった。
「……状況すら把握出来ない貴女に領主代行としての器はありません。抵抗しないで下さい」
カイぜルが静かに剣を抜くと、さすがに本気だということが伝わったのか伯爵夫人も大人しくなったのだった。そしてそれと同時に、屋敷の外から馬が駆けて来る音が聞こえて来たのであった。
「報告します。帝国親衛騎士隊及び帝国皇妃がお越しになっています。いかが致しますか?」
「ここに通せ。降伏を告げる」
「な、何を言っているのです? すぐに敵を――――」
「貴女に指揮権はありません。黙って下さい」
伯爵夫人の首に剣を突き付け再び黙らせたカイぜルは、もう一度同じ言葉を伝令の騎士に告げたのだった。それでようやく事態を察した伝令の騎士は、無言で敬礼して部屋をあとにしたのだった。




