傭兵たちの戦場
◆トラキア王国 メルニック平原◆
「トラキア王国の騎士共に後れを取るな! 戦場の犬の意地を見せるんだよ!」
二本の長剣を持つ長い黒髪の女性傭兵――フィオーナ=ローゼンバーグは目の前の敵を右手に持つ長剣で突き刺すと、すぐさま左足で蹴り飛ばして叫ぶ様に声を上げ未だに圧倒的な数を誇る敵兵たちを睨みつけた。
朝から開始されたロシュエル公国軍の大規模侵攻に対して、トラキア王国は持てるだけの騎士を戦場に投入したが、圧倒的な戦力差を埋める事は全く出来なかった。
その戦力差を補う為にトラキア国王は建国史上初めて万単位での傭兵の募兵を行い、そんな募兵を聞いた彼女は真っ先にそれに飛び付いたのである。普通の戦場よりも高い破格の報酬にも心が惹かれたが、何より思ったのがこの戦場で活躍すれば名を上げられるということだった。
傭兵社会は完全に実力主義の世界である。力の無い者は死に強い存在だけが生き残る世界。
そんな傭兵社会において一等級傭兵と呼ばれる存在はまさに憧れであり、傭兵として生きる誰もがそれを目指して日々力を振るっているのである。
だからこそ彼女はこの戦場で戦果を上げて名前を知らしめようと考えたのだが、今さらながら少しだけ後悔していた。
「ちっ! ここは主戦場じゃないのに……なっ!」
ふと振り返ったフィオーナは、そこで剣を自分に向かって振り降ろそうとする敵の騎士と目があった。そんなまさに直撃寸前だった敵の斬撃をギリギリで回避したフィオーナは、無我夢中で敵の頭部に剣を振り下ろした。
「はぁはぁはぁ。これは……あははは。本当に死ぬかも」
頭部に一撃を食らって地面に倒れた敵の騎士。そんな騎士から視線を上げたフィオーナは、そこに広がる光景を見て思わず笑ってしまっていた。そして笑い終わると同時にそのまま小さくため息を吐いた。
「トラキア共に雇われた傭兵共は限界寸前だ。一気に押し崩せっ!!」
二時間以上に渡る戦闘で疲労していたフィオーナは、肩で息をしながら残っている味方に視線を向けて数を確認した。
もはやこの戦場で残っているのは四十人にも満たない数であり、どう考えても目の前の敵に勝利出来るとは思えなかった。それは生き残っていた傭兵たちも同じだったらしく、誰もが彼女と同じ様に諦めに似た表情を浮かべていたのである。
「どれだけ余裕があるのよ……ロシュエルは」
新たに現れた増援――その数約千人。それはもはや疲弊した四十人ではどうにもならない数であった。
(完全に今回の戦場を舐めていた。これが自分の愚かさが招いた結果……か。でも――)
フィオーナと同じように、その場から逃げ出そうとする傭兵は一人もいなかった。
金で雇われる傭兵はよく信念を持たないと騎士たちから蔑まれるがそれは大きな間違いである。
傭兵の殆どは金を貰って契約を交わせば、忠実にその契約を果たそうとする。交わした契約を反故にするのは傭兵として生きる資格が無いからである。
「……私にはこの場所を死守するという契約がある。ロシュエルのクソ野郎共がっ! 傭兵を舐めんじゃないわよ!!」
ここが散り場所と定めて声を上げたフィオーナに続き、残っていた者たちも覚悟を決めて吠える様に声を上げて敵に剣を構えた。
〈世界に存在する万物 その全てを凍てつかせる銀氷の吹雪よ 我が願いに応えて今こそ時さえ止めて見せよ〉【シューネシュトゥルム】
だが次の瞬間、強力な魔法がロシュエル公国軍に向かって放たれたのである。
それは多くの敵を対象にする広域凍結魔法であり、そのたった一撃の魔法によって援軍として登場したロシュエル公国軍の三分の一が行動不能に追い込まれたのだった。
「……一体……何が? 何が……何が起こったの?」
突然の出来事に頭が追い付かないフィオーナはただその光景を呆然と眺めていたが、それは他の傭兵たちも同じであった。
〈敵を断罪せよ〉【ブリッツシュラーク】
だがフィオーナたちが立ちつくしている間も攻撃は続いていた。
次に聞こえたのはそんな短い詠唱であったが、実際に戦場に放たれた魔法は風系統に属する強力な雷魔法だった。激しい雷鳴と共に次々とロシュエル軍を襲う雷は、凍りつき行動不能となっていた三分の一の敵を瞬く間に死へと追い込んだのである。
「すごい…………えっ! 今のは!?」
目の前で展開される壮絶な光景に目を見開いていたフィオーナは、一瞬にして自分の横を何かが通り抜けて行った事に気付いて思わず後方を振り返っていた。
そしてそこで彼女は目にしたのである。
「敵は総崩れです。ここで引導を渡してあげなさい。既にエレナが一番手として行ってしまったわ。彼女に続いて突撃を開始しなさい」
フィオーナたちの背後にいたのは軍馬に跨る十一人の騎士であった。
正確に言えばその十一人は騎士では無かったのだが、その時の彼女には少なくとも騎士として見えており、なぜトラキア王国の騎士がそんな少数でこの場にいるのかと首を傾げたのだった。
「……傭兵としての務めを果たそうとする心意気は立派ですが、自分の命を安売りしてはいけません。勝利を得るために退くことも時には必要であるということを覚えなさい」
フィオーナたちの間を抜けてロシュエル公国軍に突撃していった九人の騎士たちとは違って、ゆっくりと軍馬を進ませて来た騎士の一人が彼女にそんな言葉を掛けて来た。
(この人たち騎士じゃなくて傭兵なの? それにしては格好が騎士みたいだけど……まさか!?)
ある可能性に気付いたフィオーナはまさかと思いながら背筋を正した。
「私はセシル=アルヴェント。宜しく」
(やっぱり! となると彼女たちは……)
目の前にいる騎士姿の女性が一等級傭兵であるセシルということを知ったフィオーナは、その隣にいる女性に視線を向けて目を輝かせていた。
そんな視線を向けられた騎士姿の女性――というには幼さが残る少女は、何を期待されているのか分からないといった表情で言葉を発したのだった。
「同じくリッターオルデン所属のエイミーです。宜しく」
エイミーとフィオーナが出会ったのは、まさにこの時であった。
◆ザールラント帝国 ステラ侯爵領ヴァルス◆
「それで……その戦いはどうなったのです? それに姉は?」
手紙を握り締めたフリーデは切羽詰まった様子で話の続きを迫ったが、エイミーはティーカップを手にすると彼女を見据えて言った。
「私が語るよりも手紙をご覧になった方がいいかと思います。その手紙は、お姉さまがあなたの為に書いたものなのですから」
真剣な口調で語るエイミーに、フリーデは最悪の結果を思い浮かべた。姉はその戦いで戦死してしまったのではないか? だから彼女が手紙を持っているのではないか? そんな不幸な結末である。
「それは彼女の想いが込められた手紙です」
「わ……分かりました」
意を決したフリーデは震える手で封を開けると、不安な気持ちで中身の手紙を恐る恐る取り出した。そんな光景を残る三人は静かに見守っていた。
「……え? …………はぁぁぁぁぁぁぁぁあ?」
手紙を呼んだフリーデはしばらくすると戸惑いの声を上げ、続いて呆れたような声を上げた。
そんな予想外の展開に何が起きたのか理解出来ずに困惑する三人に対して、フリーデは手にした手紙をテーブルの上に置いた。そこにはこう書かれていた。
『親愛なる妹へ
フリーデ元気? 敗戦一直線だった戦の勝利に貢献したらトラキアの王様が、それは目が飛び出るほどの恩賞をくれたよ~。そのお金使って傭兵団立ち上げることにしたから何かあったら呼んでね~。あ、それとこの手紙を配達してくれた女の子は私の戦友だからね。馬鹿なことすると殺されちゃうから気をつけて頂戴。以上』
「メルニック平原の戦いは、トラキア王国の逆転勝利で終わりました。敵の側面では無く後方を取った傭兵たちは突撃を敢行。それは警戒を怠っていた敵本陣を奇襲する結果となりました。そして文字通り鬼のように戦ったフィーさんが敵の大将を討ち取ることに成功。混乱したロシュエルはトラキア王国軍の反撃に耐えられえず敗走したのです」
省略され過ぎた部分を補足説明したエイミーは、唖然とする四人に向かって最後にこう付け足した。
「獰猛な牙を以って敵を食い千切る『血染めの猟犬』。彼女が立ち上げた西方傭兵団は今ではそのように呼ばれ、彼女自身も二等級傭兵に昇格。他の傭兵たちからは畏敬の念を込めて『猟兵』という二つ名を送られました」
説明を終えたエイミーはテーブルに置かれていた焼き菓子を口に運んで幸せそうな笑顔を浮かべたが、残る四人は目の前の彼女に驚愕と恐怖を織り交ぜた視線を送っていた。
「…………やはり帝国に欲しいわ」
小さな言葉で決意を固めたディアーナは、どうやったら帝国に引き留めることが出来るのだろうかと頭の中で策を巡らせ始め、少し三人に相談することを決めた。 その後は当たり障りのない会話となりやがて時間が来てお茶会は終了した。
(結局……皇女は私を何の為に呼んだのかなぁ?)
目的が全く見えなかったこのお茶会を疑問に感じたエイミーは、モヤモヤした気分で白狼の待つ部屋へと帰っていった。
◆トラキア王国 王都エルダート◆
「ロシュエルの軍がおかしな動きをしている?」
「はい。めっきり動きが無いので調べたのですが、最近は北東の方に兵を出しているようです」
西方傭兵団――――別名『血染めの番犬』と呼ばれる傭兵団の団長フィオーナは、本拠地を構えるエルダートの隊舎で部下からそんな話を聞いた。
「北東? あそこにいるのは蛮族か旧種族だけでしょ? 間違いじゃないの?」
「部下の報告では間違いないと。ここ一カ月は何度も兵を派遣しており、来月にはかなりの軍を派遣するようだと」
「……ロシュエルは何をしたいのかしら?」
そんな疑問を口にしたフィオーナは一応、頭の片隅にその情報を留めておくことにした。
「その件に関してはもっと調べるように伝えておいて。他の案件は?」
「契約の依頼が一件あります。相手はレアーヌ王国です」
「レアーヌ? じゃあその件は私が直接聞いて来るわ」
その案件を軽い気持ちで引き受けたフィオーナは、レアーヌの周辺国を思い浮かべながら戦争の相手を想像した。様々な国を思い浮かべるがその中に帝国という選択は存在しなかった。
なぜなら彼女もまた帝国を強大な軍事国家と認識しており、無意識の内に手を出すはずが無いと思い込んでいたからである。
「ソフィアかローランド。もしくはフロレスか。どちらにせよ侵略戦争には手を貸さないけどね」
一方的に答えを決め付けたフィオーナは、相手が待つ応接室へとその足を向けた。その先で想像していなかった答えを知ることになるとは気付かないまま。