準備は万全に
皇帝と貴族の対立は日に日に深まっていた。その不穏な空気はやがて民にまで広がることになり、やがて噂が帝国各地を駆け巡ることになる。
――――内戦が始まる――――
その噂は戦争に疲れた民を再び不安に陥れることになった。特に戦争によって被害を受けた北部と南部の民は再び戦火に巻き込まれるのではないかと恐怖に駆られ、回復しつつあった治安が再び悪化する事態にまで発展したのである。
「悪いのだけど、少しの間だけ領主代行をお願いするわ」
久しぶりにステラ侯爵領に戻って来たエイミーは、エリノアからそんなお願いをされたのである。
「治安が悪化する北部の視察ですか?」
「その通りよ。何せベンフォード家が復興のために投資したお金は膨大なのよ。それが回収出来なくなったら本当に没落してしまうわ」
復興事業に投資してきたエリノアにとって北部の治安悪化は歓迎出来ない事態であった。理由は投じたのが私財だけでは無く、商人たちからも資金を募っていたことにある。折角上手く進んでいた復興事業だが治安悪化の知らせを受けて商人たちにも不安が広がっていた。
このまま悪化が進めば商人たちは資金の引き揚げを要求して来るだろう。そしてその時点でベンフォード家は終わるのだ。もはやベンフォード家にはそれを即時返還するだけの金が無いからである。
「悪化を食い止めるには直接出向いた方が良いでしょ? それに北部領主たちも安心するでしょうから」
治安の悪化によって最大の支援者であるベンフォード家が支援を停止することを北部領主たちは最も恐れていた。戦争によって甚大な被害を受けた北部領主たちだけでは、復興事業を行うことは不可能だからである。
「分かりました。私もしばらくはこの地に残るつもりでしたので。護衛は?」
「心配には及ばないわ。公務で慰問に向かうテレージア様とご一緒させて頂くことになったから」
治安が悪化している地に向かうことに不安を感じていたエイミーだったが、エリノアの言葉を聞いてそれはすぐに安堵に変わった。テレージアが公務で慰問に向かうならその護衛は親衛隊騎士が務めることになる。何より一番安心なのは、護衛されるテレージア自身が最強という点であった。
「ならば安心ですね。武運を祈っております母上」
幸運では無く武運と評したエイミーに、エリノアは嬉しそうに微笑みながら準備のために私室へと戻って行った。何も戦いとは剣を交えることだけではないのだ。彼女はそれを理解してもらえたのが本当に嬉しかったのである。
「領主代行か……。でも出る幕はあまり無いでしょうね」
領主であったエリオスの死後、ステラ侯爵領を一手に引き受けて来たエリノアはその実力を最大限発揮していた。そして今や街の統治の殆どが民に委ねられていたのである。
「制令を定めて、逸脱しない限りはなるべく口を出さない。確かに住民が活気に満ちる訳ね」
領主軍を動かす権限や制度と法令を定める権利はエリノアが掌握したままではあるが、それ以外のことは自由に出来るのが今のステラ侯爵領であった。
実際、半年程度ならエリノアが不在でも領地は問題なく経営されるはずであった。各地の街には代官の下に組織された代表会議という名の問題に対処する部署も設置されたのだから。
「本当に統治者としてはかなり優秀な人よね」
自由に行動出来るため住民は活気に満ちており、ステラ侯爵領は戦争中も発展を続けていたのである。新しい物や技術が開発され、まさに帝国文化の発信地となりつつあるのである。
ただし問題が無いわけでは無く、エリノアも試行錯誤しながらステラ侯爵領の統治を行っているのである。だからこそエイミーを置いて問題が起こった場合に備えたのである。
「まぁこの際だから私は私でやらせてもらうとしますか」
日に日に緊張感が高まる中、エイミーが帝都を離れてステラ侯爵領に戻ったのには理由があった。その目的を果たすべく、エリノアが出発した翌日から彼女は精力的に活動を開始したのであった。
「久しぶりね。開拓も順調なようだけど生活の方はどうかしら?」
亜人族に貸し与えた土地を訪れたエイミー。そんな彼女の訪問を受け、近くにいた亜人族は一斉に近付いて来て彼女を取り囲んだ。
「生活は順調だ。本当に助かったよ」
「最近では人間も顔を見せるようになったぜ」
ヴァルスでの生活に満足している亜人たちは次々と感謝を口にしてエイミーにお礼を述べた。話を聞く限りでは人間たちとも上手くやっているようで、彼女は小さく安堵の息を漏らしていた。
「嬢ちゃん帰ってたのか?」
そんな聞き慣れた声を聞いたエイミーは、すぐに声のした方へと顔を向けた。そこには武器屋を営むアンぜルムと可愛らしいエルフの少女が立っていた。
「アンゼルムさんこそ、こんな場所で何をしているのですか? そんな可愛らしいエルフさんと一緒なんて」
「おいおい勘違いするなよ。俺は亜人族との商談に来ていたんだ」
商談に来ていたと聞いたエイミーは、アンゼルムの狙いがすぐに理解出来た。エイミーが訪れた理由も同じようなものだったからである。
「さすがは武器商人。新しいものには目が無いですね」
「新しい物好き見たいな表現は止めてくれ。これでも武器を見る目はあるつもりだ」
苦笑しながらそんな言葉を述べたアンゼルムが亜人族の拠点にやって来た理由は、エルフが使用している弓とドワーフが使用している弓にあった。
「ロングボウとクロスボウに目を付けるとはさすがですね」
「帝国従来の弓にも劣らぬ性能だからな。これは正直素晴らしいものだと思う」
長大な射程を誇るロングボウと高威力を誇るクロスボウは、戦う場所さえ選べば強力な武器になりえるものなのである。
「まぁロングボウに関していえば習得するのに相当の訓練が必要でしょうが。クロスボウは時間も掛からないでしょう」
「ほう。つまり帝国騎士団はクロスボウを採用するつもりがあるのか?」
「どちらも採用するつもりです。魔法によって弓の存在は戦場で軽視されがちですが、敵の魔力を削ぐという意味でも有効です。防御魔法や結界は大量の魔力を消費しますからね。それに一時的にでも敵の移動を制限出来ることはかなり有利に働きます」
その話を聞いて両方を採用するつもりなのは確実だと判断したアンゼルムは、商売人の顔を浮かべるとエイミーに対して願いを口にした。
「帝国騎士団への納入。うちの商会に任せてもらえないか?」
ステラ侯爵領内で商売する商人たちで結成された商会の代表者の一人でもあるアンぜルム。そんな彼の言葉を聞いたエイミーは迷うことなく口を開いた。
「最初からそのつもりよ。だけど利益の独占だけは止めてね。帝国軍への販売と納入は任せるけど、それ以外は他の商会に任せて頂戴」
一つの商会に利益が集中すれば他の商会が潰れてしまう。それはエイミーとしても望んではいないことなのであるがそこは商人。最初からアンゼルムもそのつもりであったのである。
「もちろん独占するつもりはないさ。今はうちの商会も苦しい時期だからな」
「なるほど。投資の件に繋がるわけね」
エリノアを信じて金を預けた商人たちは、雲行きが怪しくなって来たことにより少しずつ動揺を見せ始めていた。だからこそ資金を引き揚げを止める必要があるのだ。
「これだけの大口なら結構な額になるはずよ。手始めにクロスボウは親衛隊と近衛騎士隊から始める。それとロングボウについてもある程度纏まった数を納入してもらう予定よ。あとこれはエルフの誰かにお願いしたいわ」
アンゼルムの隣に立っていた可愛らしい少女に視線を向けたエイミーは、首を傾げた彼女にその願いを簡潔に告げた。
「ロングボウの指導に何人か寄越して欲しいのよ。扱いが難しい代物でしょう。指導できる人間がいないと正直困ってしまうわ」
「……分かりました。エイミー様のご要望には出来るだけ答えたいと思っていますので、何人か指導できる人間を派遣しましょう」
見た目とは違いしっかりとした口調で言葉を紡ぐそのエルフの少女に、一瞬だけ怪訝な表情を浮かべてたエイミーだったがすぐに思い出して表情を戻した。亜人族は人間よりも寿命が長い。その中でもエルフは特にそうで三百年は生きるのである。
「……ふふ、まさか貴女がこの集団の長とは思っていなかったわ」
「申し訳ありません。助けて頂いた方を騙すような真似をしました。私はリサ。この集団を束ねる長でございます」
「リサね。覚えておくわ。それでロングボウとクロスボウはどれだけ用意出来るのかしら?」
「元々は亜人族内だけで使っていた武器ですので、急に増産となるとそれなりに苦労はします。ですから一個大隊分のロングボウと二個小隊程度のクロスボウでどうでしょうか?」
リサの言葉を聞いて、エイミーは記憶の底を探りその言葉が示す数を頭の中に浮かべた。大隊や小隊は亜人族が使う軍用単語であり人間にはあまり馴染みが無いのである。
「全部で千ちょっと……。最初の納入はそれで構わないわ。でも最終的にはクロスボウ五千にロングボウは二万を揃えてもらうわ。納期は一年半でどうかしら?」
「分かりました。最初の納入は二週間後で、それ以降は数がある程度揃ったら納入ということで」
簡単な商談を纏めたエイミーは用事が済むと、あとのことをアンぜルムに任せることにしてその場を離れそのまま屋敷へと戻って行った。そして夜遅くまで被害を抑えつつ叛乱軍を鎮圧する方法を模索し続けたのであった。




