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ある星に向かう電車の中で  作者: 淡雪 ほたる
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時系列を考えれば、あれは彼女が世界に『消される』一年ほど前のことになるのだろうか?

当時小学三年生だった僕は、集団登校の班長からの指令で、下級生を迎えに行く、という形だけの役職を担っていた。

簡潔にいうと、班内における、軍隊のごっこ遊びみたいな物だ。

別の見方をすれば、単に僕が使いっ走りだっただけなのだけれど、それはさておき。僕はその任を全うすべく、とある一戸建ての前にいた。

表札を見ると、『星川』と彫られていて、天の川を連想したのを覚えている。

僕は確信を持ってインターフォンを押した。

すぐに女性の声が応答し、玄関の扉が開く。中から綺麗な妙齢の女性(もちろん凛のお母さんだ)が出てきて、おはよう、と声をかけられた。

僕は頭を下げてから、口を開く。

『あの……』

『ああ、ごめんなさいね。うちの子はどうも人見知りというか、恥ずかしがり屋さんというか……』

星川さんは困ったような表情で、自分の腰の辺りに目を向ける。

『……』

小さな手が、星川さんの腰を掴んでいる。

たまにこちらの様子を窺うように、ひょこ、と顔を出し、慌てて引っ込めたりするその子は、紛れもなく凛だった。彼女は星川さんの後ろに隠れて、僕に視線を注ぐ。その挙動は人見知りというよりは、どちらかというと、見知らぬ人を怖がっているように思えた。

『この子は――凛は、まだお友達がいなくて……。あの、仲良くしていただけませんか?』

『あ、は、はい』

どもりながら応じて、僕は凛に手を差しのべる。

『行こう?』

『……』

彼女は黙ったまま、不思議そうに僕の手を見つめる。それを見た星川さんは、苦笑いしながらしゃがみこみ、凛と同じ高さで目を合わせ、

『凛。お母さんの後ろに隠れてちゃダメ』

娘の頭の上にポン、と手を置く。笹の葉のようにさらさらした黒髪が流れ、少女はくすぐったそうに頬を緩める。

『ほら、えーっと……『あんちゃん』が待ってるよ』

星川さんは、僕の方に向き直りながら、凛を促す。

『……あんちゃん?』

少女は首をクリッと曲げて、初めてそのあどけない声を出した。

『そう。あんちゃんだよー』

あっけらかんとのたまる星川さんに、僕は待ったをかける。

『あの、あんちゃん、て――』

『え? 君、あんちゃん、て呼ばれているんじゃないの?』

星川さんは僕の黒いランドセルを指差す。

正確にはぶら下がっているナフキン袋に。

僕は訳がわからないままそれを掴み、そして理解する。

『これは違います。『安藤』という名前の従兄弟の、お古なんです』

『あんどう』と赤い布で刺繍された袋を放して、今度は僕が苦笑い。

『あら、そうなの? でも、いいじゃない。凛、この『あんちゃん』に連れていってもらいなさい』

『星川さん、『あんちゃん』はちょっと……』

『ダメなの? 凛は気に入ってるみたいだけど』

『え? どういう……』

ことですか、と繋げようとして、Tシャツの裾の方に違和感を覚える。

見ると、凛がその小さな手で引っ張っている。

『あんちゃん……』

俯き加減に言われて、僕は言葉を失う。

星川さんは妙にニヤニヤした顔つきで、

『うん。このまま連れていっちゃってください、『あんちゃん』』

そう言って背を向ける。

『星川さん、『あんちゃん』は勘弁してください! というかあんた、わざとやってるだろ!』

『あはは……。凛を、どうかよろしく』

手を振って、彼女は家に入っていく。

取り残された僕は、仕方ないとばかりに凛の赤いランドセルを心持ち優しく押して、

『行こっか』

歩き出した。



そんな風に凛とのファーストコンタクトを果たした僕は、彼女が転校する、その年の夏まで頻繁に一緒に遊んでいた。

……どうも当時の彼女は友達をうまく作れなかったようで、やけに僕に付きまとってきたからだ。

あのポテンシャルなら、誰とでも仲良くできそうだけれど、他の子供達と一緒にいるところをほとんど見たことがなかった。

別にいじめられているというわけではない。

もしそうなら、凛は間違いなく僕に助けを求めただろう。

とても素直で、純粋な子だったから。

だから短冊をつけてまわったり、ピーターパンの夢の世界を信じ続けたりすることができたのだろう。

――そうだ、短冊の話も、確か彼女が転校する少し前に聞いたんだ。

何かが起きると信じて駅をまわる、と。

そんなことを、当時なかなか見せなかった笑顔を交えながら、凛は――。



***



窓の外は、すっかり暗くなっていた。

僕は、星川さんと別れて、そのまま初鷲方面の電車に乗っていた。

パフェを食べることもなく。

とてもそんな気分ではなかったのはもちろんのこと、どうしても気になることがあったのだ。そのおかげで、こんな時間になってしまった。

僕は疲労を覚えた体を座席にもたれさせ、行きと同じく空っぽの電車に揺られる。正真正銘の『一人きり』の車内で、僕は金属製の天井を見上げる。溜め息の一つでもつきたいぐらいにやりきれない気持ちで。

それでも、思わずにはいられない。

……どうして、今まで思い出せなかったのだろう。

どうして、気づいてやれなかったのだろう。

サインは、いくらでもあった。

言葉の端々に、滲み出ていたんだ。


『あんちゃんは、どこに行くの?』

『……だって、凛は大人になれないもん。ずっと……子供のままだもん』

『簡単に死ぬなんて、二度と言わないで』

『『世界』には、たくさんのいいことがあるのを――凛は、信じているから』


……一体。あの少女はどんな想いで僕に訴え続けていたのだろう。

彼女が転校して、疎遠になったとはいえ、気づくことはできたはずなのに――。

今さら悔やんでも仕方のないことだと、わかってはいる。たとえ、『凛』の正体や状況を看破できていたとしても、僕にできることはほとんどなかったこともわかっている。

しかし、それでも。

あの少女が、あんな辛そうな笑みを浮かべたりしないように、残酷なことを自覚させないように、できたのではないか。

そう思わずにはいられない。

僕は、静かに窓の外を見やる。真っ暗な空が支配する中、星が一つ瞬く。……凛は、この夜空のどこかにいるのだろうか。

いるとすれば、どこにいるのだろう。

一生懸命目を凝らせば、見つかるのだろうか。

エナメルの肩掛けを踏まないように立ち上がり、向かいの窓際に寄る。

けれど、所詮は濁った世界の空。どんなに見つめようとも、月以外ほとんど何も見えやしない。

一等星が関の山だ。

仕方なく夏の大三角を探し出し、小学生の時に習ったように、その辺をなぞる。そして、アルタイルとベガを結びながら、思う。

凛は年に一度。この日にだけ現れたのだろうか?

まるで、彦星と織姫が七夕の日にだけ対面するように。短冊を結びながら、この路線の端から端まで、『渡った』のだろうか。

――短冊。

凛の想い。

僕は、それが何か気になって、『末琴』から、『初鷲』の一つ前の駅まで降りて、彼女の短冊を探した。笹の葉や他の折り紙を掻き分けて。必死に探した。たまに見つからなくて、電車を逃したこともあった。それで、こんな時間になってしまったけれど。

全て見つけた。

そしてそれは、


『あんちゃんが元気になりますように』

『あんちゃんの悩みが解決しますように』

『あんちゃんの世界が美しくなりますように』

……


全部、僕のための祈りだった。


彼女自身に対する想いが書き綴られた短冊は、ただの一つもなかった。

素直に、無邪気に、真っ正直に。

あの少女は、僕を想い続けていたんだ。

なのに……。

僕は夜空から目を離し、地上へ顔を向ける。そこでは、一等星よりも強く輝く電灯の光が点在している。それは、僕の生まれ育った街の光。僕が捨てようとした、作り物の光。それを遮るように、眼前で電信柱が駆ける。

一本、

二本……。

五本目を数えたところで目を閉じる。死までのカウントダウンをしているようで、億劫になったからだ。

僕はそのまま膝を折り、長椅子に体を預ける。

……凛はそんな秒読みをしながら、星川さんが駆け寄るまで待ったのだろう。

せめて、最後に笑いかけるために。星川さんが安心できるように気を遣おうとして。

……そんないい子は。

僕みたいな『ろくでなし』を励ましてくれた、あの少女は。

自分さえよければどうでもいいと考える、クズみたいな奴のせいで。

星のようにキラキラと輝くモノを、ランドセルに詰め込んだまま。

消えてしまった。


――なんで、世界はこんなにも理不尽なのだろう。


なんで、轢き逃げ犯や、ろくでなしの僕が生き続けていられるのに、


凛は、消えてしまったのだろう――。


終点へと向かう電車の天井を、ぼんやりと眺める。

後悔と世界への恨みがない交ぜになった心地で。

……やがて、到着を知らせるアナウンスがかろうじて耳に入り、僕はゆらりと立ち上がる。

たった一人で。



***



電車から降り、真っ直ぐに笹の方へ足を向けた。

もともと利用者が少ないため、ほとんど人の姿がない。潮騒が聞こえてくるほどの静寂が、駅内を支配している。

灰色で空っぽのエナメルを揺らしながら沈黙に身を委ね、ゆっくりと歩く。

と、

「……?」

遠目に折り紙が見え始めた頃だった。

敗残の将の足元に、何か丸っこい物があることに気づく。

確か、昼過ぎには何もなかったと思うのだけれど。

引っ掛かるものを感じながら近づくと、その正体がわかった。

猫だ。

灰色のふさふさした毛並みの、でっぷりと太ったそいつは。昼過ぎと同じく、傲岸不遜な体で、そこに君臨していた。

その様子が、まるで何年も前のことのように懐かしく感じる。

僕は無邪気に眠る猫を見て、顔を綻ばせようと努力してみた。けれど、やっぱりダメだった。

世界の理不尽への怒りが僕の中で渦巻いている以上、成功しない試みなのかもしれない。

内心で溜め息をつき、凛の短冊を探す。さわさわと笹の葉がこすれあい、色とりどりの折り紙もその中を泳ぐ。思ったより短冊の数が多い。

別に時間はあるのだから、急ぐことはないのだけれど、僕は焦る。

ここで凛の、最後の一枚を見つけられなかったら、『世界』が終わってしまうような。そんな気がしたから。

必死になって笹を掻き分ける。まるで、密林から抜け出そうと奮闘するサバイバーのように。そうしている内に、足元の猫が目を覚まし、大きな欠伸を決めこんで、恨めしげに僕を睨み付ける。

けれど、僕は無視して作業を続ける。

申し訳ないと、思いながら。

猫は仕方ないとばかりに、のっそりのっそりと這って十歩ほど移動し、そこで丸まる。

それを横目で見ながら、僕は手につく短冊全ての文面を確かめる。

しかし、一向に見つからない。

やがて、これだろう、と期待して裏返した一枚が、凛のものとは似ても似つかない筆跡であるという事実に直面し、僕はその場でくずおれた。


星さえまともに見れなくなった現世で、弱々しく輝く小さな流れ星を探し出すような。

――そんな、気の遠くなるような気分だった。


これだけ探して見つからないということは、ここには短冊を結んでいないということだろうか?

いや、それは考えにくい。

あの少女は奇跡を信じて、こんなことをしていたはずなんだ。

最初の最初でその奇跡をフイにするようなヘマは、絶対しない。

それなら、一体……?

僕は呆然と笹を眺める。

気づけば、先ほどの心地よくさえあった静寂が打ち破られていた。見回すと遠くの方で、二人ほどの若者が歩いている。うるさい、と思わず眉をひそめてしまうぐらいに、彼らは騒がしい。

――また、いつの間にか、僕が乗っていた電車がいずこかへと旅立ち、さらにさっきまでなかったはずの上り電車が停車していることにも気づいた。

もう、何分も。僕は探していたのか。時間もなにもかも忘れて、ずっと――。

ようやくそれに思い当たった瞬間。

潮風が吹いた。

とても優しい風だった。

優しいのに、笹の老体から一枚の折り紙を、まるであの少女の羽衣の裾のように揺らしながら、さらっていく。

僕はそれを、なんとなく目で追いかける。

短冊はそよそよと空を舞い、やがて地に降り立つ。

が、

「!」

無情にも、踏みつぶされる。

さっきの若者の一人だ。

そいつは違和感を覚えたのだろう、そこで立ち止まる。

「ん? なんか踏んだような――って、短冊か。そういや今日七夕か。アホらし」

踏んだ奴が言って、また歩き出す。

僕は妙な胸騒ぎに促されて、慌てて短冊のもとへと駆け寄る。そして、屈んで顔を寄せる。

例の笹よりもボロボロになってしまったその短冊には、


『あんちゃんが、幸せになりますように』


凛の丁寧な文字が踊っていて、


「――って」


何かが込み上げてきた。

やりきれなさとか、後悔とか、世界への恨みとか。

そういう感情が、僕の中で渦巻いて、


「――待てっつってんだろーがッ!!」


今までに出したこともない声量で叫んでいた。

上り電車に乗り込もうとしていた若者達は、訝しげにこちらを振り返る。構わず僕はぶちまける。

「なんで……お前らはみんなそうなんだよ……ッ!」

たとえ、振り返っていなくても。誰も、聞いていなくても。

僕は、叫び続けていただろう。


「なんで、この『世界』は――人の大切な想いを、そんな簡単に踏みにじれるんだよッ……!!」


短冊の横で手をついて、僕は俯く。

若者が、不審げに僕を一瞥してから電車に入っていくのが、気配でわかる。

僕は嗚咽を漏らしながら、拳を固める。

どうして、

どうして――。

電車が出発し、見えなくなるまで。

繰り返した。

そして、


「あんちゃん」


潮風と共に、そんな声が流れる。

「いいんだよ、あんちゃん。――ありがとう」

僕は息を飲むが、頬を緩めて問いかける。

「ありがとう、て――星川さんのことか? それとも今の……?」

「両方。凛、嬉しかったよ」

凛は僕の肩口から、抱き締めるように手を伸ばす。

彼女が背中に寄りかかるのを感じる。

僕はあえて振り返らずに、夜空を見上げる。

ちょうどいいタイミングで流れ星が瞬く。

けれど、言葉がでてこない。

話したいことは、いっぱいあったはずなのに。

「……あんちゃんは、気にしなくていいよ。凛のことがわからなかったのは、仕方のないことだから」

「……ごめん」

「謝らないで。そっちの方が、辛い」

「そっか」

僕は俯いて、凛の重みを感じる。

しばらく無言で、優しい静寂に身を委ねる。

けれど、長くは続かない。

「あんちゃんなら、大丈夫。どんなにひどいことがあっても、ちゃんと乗り越えられるよ」

「そうかな?」

「うん、それに――」


「――凛が、ずっとすぐ側にいるから」


……きっと今。凛は星のようにキラキラとした笑顔を浮かべているのだろう。

だから、

「なあ、凛――」

振り返ると、


まるで幻だったかのように、凛の痕跡の全てが、なくなっていた。


背中の重みも。

気配も。

星の笑顔も。


全部。


……そして、たった一人残された僕の横を。

潮風が、通り抜ける。

まるで、僕を優しく包みこむように。


――笹の香りを連れて。


                    〈結〉


 お初にお目にかかります。


 『淡雪 ほたる』と申します。


 今作は『なろう』初投稿ということもあって、色々不作法があることと思います。また、なんでこの時期に七夕ネタ……と思う方もいらっしゃるでしょうけれど、そこはつっこまないでください。単に淡雪の筆が遅かっただけですorz


 さて。このお話には実は一つテーマがあります。本来本文の中で頻発していなければおかしいワードが今作のテーマなのですけれど、伝わっているのでしょうか。

 それをただただ祈りながら、ここで打鍵を止めさせていただきます。


 ご感想、ご指導、ご鞭撻、よろしくお願いします!


 それでは、長文駄文をお読みいただき、ありがとうございました!

 

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