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ある星に向かう電車の中で  作者: 淡雪 ほたる
3/4

「よし。凛もちゃんと結んだか?」

「うん、できたよ。あんちゃん」

電車を降りてすぐの所に、笹はあった。

それは、『初鷲駅』にあった例の笹氏や、さっきまで電車から降りていた年配の方々のように、満身創痍ではなかった。枯れかけてもいない。

青々しくて、ごく普通で。けれど、僕や凛にとっては特別な笹だ。

「凛。膝、痛まないのか? 背伸びしてたけれど……」

彼女と連れだって笹から離れつつ、僕が尋ねるのを、

「うん。平気。小さいケガだし、なんともないよ」

凛は笑って返す。

……短冊をつける時、高いところにつける、と言い張って、思いきり背伸びして、顔を歪めていたのに。気づかって、凛の短冊も一緒にかけてやろうか、と提案したのだけれど、彼女は自分でやると言って聞かなかった。

「それならいいか」

僕は頷いて、手近にあった階段に足をかける。この駅の唯一の改札がある下りホームへ向かうためだ。電車に乗るにも、ここからどこかへ行くにも、まずは向こうに行かなければならない。

と、ここで僕はふと思ったことを口にする。

「凛。お前って、この辺りに住んでるのか?」

「……」

けれど、反応がない。

まるで、スイッチを切ったロボットのように。

僕は振り返って、再度尋ねる。

「……凛?」

「……え、あ、うん。凛の家は……あるよ。この辺に」

珍しく歯切れの悪い調子だ。顔色もどこか良くない気がする。

どうしたのだろう。

「やっぱり、膝が……?」

「う、ううん。それは大丈夫だよ。気にしないで」

「そうか?……まあ、痛かったら言えよ」

「うん」

凛が頷くのを見て、僕はひとまず安心して、階段を上る。一段一段。踏みしめるように。

他の乗客は、短冊を結んでいた僕たちを置いて、既に向こうの改札をぞろぞろと通り抜けている。周囲は閑散としていて、後ろからついてくる凛のパタパタという足音が、寂しげに聞こえた。

僕は手すりを掴んで上りつつ、後ろを向く。

と、すぐそこに凛がいて、彼女は後ろ手に手を組み、上目遣いで、

「あんちゃん、しばらくここにいるの?」

クリッと可愛らしく首を傾げる。

「うーん、そうだな」

足音の違和感は気のせいだったのかな、と考え直しつつ前を向く。

「せっかく家出っていう名目でここまで来たんだし、少し散歩しようと思う」

「現金だね、あんちゃん」

「普通の思考だって」

「ふーん。でも、その後は――」


「――帰るんだよね、あんちゃんの家に」


少女の切なげな声と共に、階下から柔らかな潮風が吹く。

羽衣の裾が風につられて、ゆらゆらと揺れるのを感じる。

「……」

「……」

僕らは立ち止まり、沈黙に身を委ねる。

特に意味があるわけでもない。ただの、一瞬の空白。だから、間を持たずに破られる。

「……うん、帰るよ」

はっきりとした口調で答え、再び階段を上る。

背後で、凛が俯いた気がする。

「……でも、まだ行かないよ。小腹もすいたからな。凛も何か食べたいものあるか? おごってやるよ」

「ほんとに?」

僕が話題を転換するのに、星の欠片が飛び散るような調子で、凛は応じる。

「ほんとほんと」

「絶対?」

「絶対絶対」

「じゃあじゃあ、特大フルーツパフェ」

「ダメ。ゼッタイ」

「えー、ケチー」

「いや、だってあれ軽く四桁越えるやつが跳梁跋扈してるだろ?」

「そんなパフェが悪いみたいな言い方、しなくてもいいと思うんだけど……まあ、あんちゃんがそう言うならお子様ランチでいいよ」

「お子様ランチ?」

僕は階段を登りきり、連絡橋を渡りながら尋ねる。

「お子様ランチ、て日の丸の旗がご飯の山に突き立ってるアレか?」

「うん。それ」

「……凛、いいのか? そんな子供っぽいので。普通、小さい子はそういうのを嫌がると思うのだけれど」

「そんなことないもん」

僕の後ろにぴったり貼り付いたパタパタは、きっぱりとした口調で言った。

「お子様ランチは、平和と幸せの象徴だから」

「……」

僕は思わず柔らかく微笑む。

平和と幸せ。

それは僕が、先ほどの短冊にこめた想いだったから。

「それにあんちゃん。子供は、口では嫌だと言っていても、潜在的にお子様ランチを嫌いになることはないんだよ。つまり今風の言葉で言うと、つ、つ……ツンドラ?」

「……ツンデレ?」

改札側のホームに続く階段に足をかけつつ、僕は遠回しに誤りを指摘する。

「そう、それ」

「それって今風かな……むしろ、廃れてきてるような気がするけれど」

「テレビだって出てきたのは昔だけど、今でも流行してるでしょ。そんな感じだよ」

「すごい極端な例だな。まあ、液晶が出てからは、またテレビがどうとか騒がれたりしたけれど」

「エキショウ? あんちゃん、何それ?」

「うん? 液晶を知らない……いや、凛はデジタル派なのかな?」

「デジタル……? 凛はそんな頭の良さそうな派閥には入ってないよ?」

キョトンとして返す凛。

どうも話が噛み合わない。

凛の家は、まだ旧式のテレビを使っているのだろうか……いや、もうデジタル放送移行期間は過ぎているから、映らないのでは……?

あれ、まだ映るのかな。

僕はあまりテレビを観ない質だから、よくわからない。

「――まあ、いいや。とにかく飯食いに行こう。パフェでも小さいやつならおごってやるから」

「やった!」

階段の最後の段から降りつつ、凛は声を上げる。こういう時は子供っぽくて愛らしい。

僕らは楽しげに、笑みをほころばせながら、改札へと向かう。

「切符出しとけよ」

「うん。でも、今なら切符なんかなくても通れそうな気がするけど」

「……?」

どうしてだろう。切符を使わずに改札を通り抜ける方法なんて……。

しかし凛の姿を見ると、その疑問は簡単に消え去る。

「……ああ。凛は小さいもんな。改札に隠れて見えなくなりそうなぐらいだし」

「違うもん! 凛はそこまでちっちゃくないもん! 頭ぐらいは見えるもん!」

「ほんとかよ。電車で座っていた時なんか、足ブラブラさせてたじゃん」

「それは足が短いだけ! 成長すればもっと……っじゃなくて、隠れる以前にあそこのおじさんが寝てるんだよ」

「おじさん?」

彼女が乱暴に指差す先を見ると。なるほど、確かに改札脇の事務室で、駅員さんが船を漕いでいる。

「……起こさないように、静かに行こうか。もちろん切符は通すけれど」

凛が頷くのを確かめてから、静かに改札を通り抜ける。

そのまま駅を出ると、先ほどの電車から眺めていた時よりは、赤く映える街並みが、僕らを出迎える。

僕は腕を伸ばして深呼吸する。

そして、振り返りながら凛に声をかける。

「さて。僕はこの辺り、あまり詳しくないんだ。どこに料理店があるかとか、教えてくれよ。ああ、ファミレスでも……凛?」

しかし、彼女は僕の話をまるで聞いていないような顔で、ある一点を見つめている。

ガードレールの側で、こちらに背を向けてしゃがみこむ女性を。セミロングの黒髪を青いリボンで束ねるその女性は、どうやら『花』に向かって、手をあわせているように見える。

凛はその人に視線を注ぎ、

「――お母さん……」

今にも消えそうな声を漏らす。

「……あの人、凛のお母さんなのか?」

「うん……」

凛が首肯するのを見て、僕は言った。

「……早く行きなよ。お母さんなんだろ?」

けれど、

「……ぃ」

「え?」

「行けない……んだよ、あんちゃん。凛、行けないんだ」

辛そうに、凛は俯く。唇を噛み締めて。本当に、悔しそうに。

それは、全く彼女らしくない表情だった。

「……凛は、お母さんに会えないんだ」

「いや、だってすぐそこに……」

凛は首を横に振る。

「違うの。『ここまで』、みたいだから」

「ここまで?」

「……うん。もう少しだけでも、あんちゃんと一緒にいたかったんだけど……」

凛は懸命に笑顔を作りながら、


『物理的に足を浮かせながら』、


僕に語りかける。

「ごめんね。パフェ、食べられないや……」

「な、何言ってんだよ……! そんな……パフェならいくらでも食べさせてやるから! つーか長椅子もないのに地に足がついていないなんて、はは、面白いな……ピアノ線でもあるんだろ? そうなんだろ……!? いつの、間に……仕掛けたんだよ……?」

凛が『空中に浮かんでいる』という状況に混乱して、自分でも何を言っているのかわからなかった。

「ううん、あんちゃん。違うの、凛は……」

続く言葉は小さすぎて、聞き取れなかった。けれど、口の動きと、視界の隅に映る『ガードレール脇の花』が結びついた瞬間に理解できた。

理解してしまった。

「嘘……だろ? 嘘だ、て言ってくれよ……!」

僕の念押しに、凛は寂しげな笑みで返す。

そして、

「……ねえ、あんちゃん。一つだけ、聞いてほしいことがあるんだ。笹の葉にかけることもできない、とても大切なこと」

凛は胸元から一枚の短冊を取り出し、僕に手渡す。

その短冊は、やけに折り目がついていて、古臭くて、しわくちゃだった。

「それ、お母さんに渡してほしいの。いいかな? あんちゃん」

同じ目線の高さで、少女は頭を下げる。

背中でリボン結びの帯が揺れる。

「いいわけ、ないだろ……! ここに残って、自分で、渡さないと……!」

「わかってる。だけど、もう……時間なんだ。だから――」


「――その短冊と一緒に。お母さんに、凛は元気だよ、て。伝えておいて」


凛の体が上昇する。

「……凛ッ」

彼女を引き戻そうと手を伸ばして、羽衣を掴むけれど、

「っ」

まるで空気を掴んだかのように感触がなく、『すり抜けた』。

「ごめんね……」

「凛……」

「そんな顔しないで、あんちゃん。……大丈夫。凛はずっと、あんちゃんの側にいるから――」

凛は、


星のようにキラキラした笑みと、幾筋もの涙をこぼす。


僕はせめて、その表情を目に焼き付けようと凝視するが、やがてまばたきに抗えなくなり、


そのたった一回のまばたきの後に、凛の姿は、羽衣は、リボン結びの帯は――


――消え去っていた。


「凛……凛ッ!!」

叫んでも、虚しいだけだった。

こらえても、こらえても、涙が止まらなかった。

たった一日の付き合いだったけれど、たった一日仲良く会話しただけだけれど、涙は止まらない。

気づけば、僕は膝と両手を地面につけていた。

足の力が、入らなくなったのかもしれない。

――そんな時だった。

「あの……」

上から声をかけられた。

「今、『凛』と……叫んでいませんでしたか……?」

声の出所にゆっくりと目を向けると。

あの少女にどことなく似ている女性が、僕を真っ直ぐに見つめていた。

「……はい。凛の、お母さんですか?」

女性は頷く。

潮風が吹いて、頭の青いリボンが揺れる。

羽衣の帯のように。



***



轢き逃げ、だったらしい。

八年前の七月七日。

当時小学二年生だった凛は、やはり今日と同じく『琴末駅』~『初鷲駅』区間で、短冊をつけてまわっていたそうだ。

例の天女を彷彿とさせる羽衣を、身に纏って。

腰のリボン結びの帯を、生き生きと揺らして。

パタパタと、可愛らしい足音をたてながら。

「事故が起きたのは、その帰り道のことです」

凛のお母さんは辛そうに造形の整った顔を歪めながら、とつとつと語る。

「全ての短冊を結んだ凛は、初鷲駅からここへ戻って来たのだと思います。そして、それは夜になるかならないかぐらいの時間でした。……一方、当時の私は、凛の好きなように遊ばせていたので、あの子が短冊をつけてまわる、と言い出した時も快く送り出しました。ですが、やっぱり心配になって、駅まで迎えに行ったんです」

彼女は先ほどまで黙祷を捧げていたガードレールに、そしてその向こう側の通りに、目を向ける。

「ちょうど、あの通りに出た時だったんです。凛が、宝物でも手に入れてきたような満面の笑顔で、駅から出て、横断歩道を歩いていて。その横から、トラックが突っ込んできて……」

凛のお母さんは、俯いて、両手で顔を押さえる。

……凛の体は潮風が短冊をさらうように、簡単に突き飛ばされて。ものすごい勢いでコンクリートを転がり、最後にはあのガードレールに思いきり頭を打ちつけたそうだ。

相当打ち所が悪く、トラックが去ってから凛のお母さんが駆け寄った時には、ほとんど虫の息だったらしい。

「……あの子は、コンクリートで体のあちこちを強く打って、ボロボロでした。それでも、私を見てにっこり笑って、そのまま――」

意識を失い、搬送先の病院で息を引き取った。

僕は呆然としながら、彼女の声を聞いていた。

未だに、信じることができない。

それもそうだ。さっきまで仲良く話していた女の子が、あんなにも明るかった凛が、実は八年前に死んでいただなんて――。

「トラックの運転手はすぐに捕まりました。彼は凛を轢いたことに気づいていながら逃走し、拘束された後も無罪を主張していました。ですが、私と同じように現場に居合わせた人達の証言で、罪を認めました」

きっと、その証言がなければ。そいつは無実を主張し続けていたのだろう。

……そんなにも、無かったことにしたかったのか。凛を消したことを、忘れるつもりだったのか。

「っ」

どうして。

どうして凛は、そんな奴なんかに全てを奪われてしまったのだろう。

どうして、この世界は。


あんなにも純粋な少女を消してしまうぐらいに、理不尽なのだろう……。


僕は俯いて、拳を固める。

凛のお母さんは、僕を見つめて目を細める。

「あなたは、そんな顔しないでください。さっきまで、凛と一緒にいたのでしょう?」

凛は、誰かが泣いていると、辛そうにしていると、それを悲しむ子だ。

甘くて、優しくて、そして、ある種残酷な――。

「そう、ですよね……すみません」

僕はあの女の子と同じように、無理やり笑顔を作る。

苦痛も、悲しみも、全部飲み込んで、最後まで笑っていた、あの子のように。

「凛は私のこと、何か言っていましたか?」

闇夜を照らす月の光のように優しい笑みで、彼女は問いかける。

その表情は、泣きたくなるぐらい、凛にそっくりだった。

「……凛は、元気だよ、て」

声がかすれるのにも構わず、言葉を紡ぐ。

「笑いながら、言っていました……」

「……あなたから見て、凛は元気そうでしたか?」

「もちろんです」

「そう……」

呟くように言って浮かべた、その慈愛に満ちた表情は。

間違いなく、娘を想う母の顔だった。

僕はそこに、凛の面影を重ねる。

そして、

「……そうだ」

ようやく思い出す。

「この短冊を渡してほしいと、凛が……」

しわくちゃの短冊を差し出す。

「短冊……?」

受け取った凛のお母さんは折り目を伸ばしながら、そこに書かれているであろう、凛の想いに目を通す。

ランドセルいっぱいの星の欠片を持つ、あの少女の最後の想い。

彼女は一体、何を遺したのだろう。

そんなことを夢想しながら。僕は一歩下がって頭を下げる。

「お話、ありがとうございました。僕は、もう帰ろうと思います」

きっと、目の前にいる女性にできることは、僕にはない。

そろそろ、立ち去るべきだろう。

そう判断して、背を向ける。

けれど、

「……あなたは、これを読みましたか?」

凛のお母さんに呼び止められた。

なんとなく、その声がかすれているのが気になって、振り返る。

「いいえ。きっと、貴女が読むべきだと思ったので」

「……あなたも読むべきよ。本当に、凛らしいことが書いてあるから」

聖母の笑みをたたえる彼女に促されて、遠慮がちにその紙切れを覗きこむ。

そこには、小学生のわりに達筆な書体の文字が踊っている。


『みんなが、幸せでありますように』


「っ」

これは、単なる常套句じゃない。凛が心の底から祈っている、切実な想いだ。

「あの子は、変わらないのね……」

優しく苦笑いするような調子で、凛のお母さんは囁く。

けれど、僕の意見は違う。

「凛は、変わらないわけではないです。あの輝きを失い、失ったからこそ、永遠に持ち続けているだけなんです。誰しもが、すぐに忘れて諦めてしまうような。そんな子供じみていて、けれど本当に大切なことを。――凛は、信じ続けているだけなんです」

その言葉を聞いて、彼女はしばらく黙りこみ、やがて、

「そう、かもしれませんね……」

呟くように言って、ようやく赤く染まってきた空を、見上げる。

僕は夕焼けに照らされたその姿に思わず見惚れてしまい、慌てて手のひらの短冊に目を向ける。

そこで初めて気づく。

文面の横に名前が書かれていたのだ。


『星川 凛』


今日一番の強烈な既視感。

それと同時に、色々な物が頭の中を駆け巡る。

記憶の奔流。

ランドセル。

七夕の短冊。

そして、


『あんちゃん』


「あの……星川、さん?」

口が勝手に動いていた。

「以前、『初鷲駅』の辺りに住んでいたことは、ありませんか……?」

「初鷲に? ええ、十年近く前に。それがどうかしましたか?」

凛のお母さん――星川さんが、こちらを向いて首を傾げるのを見て、確信する。


僕は……凛を知っていたんだ――。


                             〈続〉

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