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ある星に向かう電車の中で  作者: 淡雪 ほたる
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星さえまともに見れなくなった現世で、弱々しく輝く小さな流れ星を探し出すような。

――そんな、気の遠くなるような気分だった。



***



僕はコンクリートという天然の鉄板の上に、鉛の足を押し付ける。一歩、一歩。自分の存在の憎らしさを踏みにじるように、僕は歩く。その投げやりな歩調と向かいから吹く潮風が、ぼさぼさの髪を揺らす。

眼下には閑静な住宅街。その先には砂浜と、僕の目には眩しすぎる海が広がっている。

……最近の海は汚いとか言われているけれど、案外あれは間違った解釈だ。こんなにも真っ青な海が汚染されているなんて、誰が言えよう。

むしろ汚れてしまったのは――。

首を振って空を見上げる。

内心の荒れ模様に反して、空はいまいましいほどの快晴で。狂おしいまでの日差しが僕を焼き尽くそうと、無駄に力を発散していて。

なんだか、世界に嫌われているような気分になった。



もちろん、だからというわけではないけれど、僕は鉄板から逃れて、小さな建物に入る。


『初鷲駅』


中身がスカスカのエナメルバッグを右肩に掛け直して、改札を通る。

その途中で、LED照明とタメを張れそうなぐらいに明るい表情の少年少女達とすれ違う。

小学生だろうか?

なんとはなしに振り向くと、駅前にワゴン車が止まっていて。その横に、人の良さそうな女性が麦わら帽子を押さえながら、子供達が駆け寄ってくるのを優しげに見守っている。六、七人のちびっこ共の様子からして、保護者か何かだろう。適当に当たりをつけて、やたらと騒がしい一団に背を向ける。一大決心をして故郷から旅立つ勇者のように。……いや、勇者ではないな。国を捨てた薄情者か、あるいは流罪者か。その辺りだろう。

自虐的な戯言に傷つきながら僕は歩く。

『初鷲駅』は終点駅で、上りと下りのホームが繋がっている。

手前のホームには先ほどのLED達が乗っていたであろう、空っぽの下り電車が存在しない羽を休めていた。両側面が全開になったその車両を通り抜け、吹きさらしの上りホームに出る。

既に到着している電車を挟んだ向こう側には、砂浜や海が見える。僕にとってはあまりにも眩しすぎる世界が――。

咄嗟に目を逸らし、四両編成の中間辺りに乗り込もうと車内に足を掛ける。

その刹那。

潮風が吹き、磯の匂いとともに、独特な渋い香りが鼻孔をくすぐる。見回すと、僕から見て右方向の。駅構内の隅の壁に、今にも枯れてしまいそうなボロボロの笹が一本、もたれかかっているのを見つけた。まるで、パンダの猛襲から這う這うの体で逃れて来たのだと言わんばかりのその存在は、妙に僕の目を惹き付けて。車内に踏み入れた足が、自然と満身創痍の笹氏の方に向かう。

それにしてもどうして笹がこんな所に? という当然の疑問は、そこに着いてから氷解した。正確には、薄茶色に変色した笹の葉にくくりつけられた、色とりどりの折り紙を見てから、納得した。

そうか、今日は――


二◯一二年七月七日


七夕。

半ば呆然としながらも僕はなだれ込む視覚情報を認識する。


『世界平和』『今年も家族みん』『あんちゃ』『の病気が治りますように』『商売繁』『大学合格!』……


すっかり忘れていた。

こんな風に様々な想いを綴る日があることを。

少なくとも小学生の頃は、短冊に無茶な望みをのせ、笹の葉に想いを託していたはずなのに――。

無意識に潮風避けの箱に入った折り紙に手を伸ばす。

が、触れる直前でやめた。


今の僕に、これを書く資格はない。


考えてみれば、七夕の存在を忘れているのも当然のことだった。

……ダブダブのエナメルを左肩に掛け直し、しばらく笹の壮絶な様相を眺める。けれど、やっぱり居心地が悪くて、敗残の将に背を向ける。

逃げるようにして間近の後尾車両に駆け込み、そのまま先頭車両を目指す。一刻も早く、ここから離れたかったのかもしれない。

エナメルと同じか、それ以上に空っぽな車内をくぐり抜けて、ようやく先頭車両にたどり着く。

しかし他の車両とは異なり、そこには先客がいた。

客とはいっても人ではなかったけれど。

灰色のふさふさした毛並みの、でっぷりと太ったそいつは、長椅子のちょうど真ん中辺りで丸まっている。

有り体に言わずとも、見たままの、傲岸不遜な様子の猫だった。

猫が、車内に君臨していた。

僕は首を傾げる。

そういえば。

ある少女が、電車に乗っている猫に導かれて、一風変わった骨董品店にたどり着く。そんな内容の映画を昔見た気がする。けれど、題名を思い出せない。……思い出したところで、特にどうということでもないのだけれど。

そんな風に。

忘却したタイトルを一旦頭の外に追いやり、僕は猫の向かい側の長椅子に座る。

が、無意識に乱暴な座り方をしたせいか、長椅子が悲鳴を上げた。別にそんなつもりはなかったのだけれど。

僕は猫に視線を向ける。

猫氏は寝ぼけ眼のまま、苛立ちをぶつけるような調子で一声鳴く。

申し訳ないと思わないでもなかったけれど、今の僕にはどうでもいいことだ。

ほとんど中身がない灰色のエナメルを肩から床に下ろし、僕は長椅子にもたれかかる。後頭部と髪を窓に擦り付けて、改めてあの映画の猫に思いを馳せる。

……あの猫は、一体何を思っていたのだろう。人によって色々な見解があるだろうけれど、あの猫は間違いなく『故意に』主人公をあの骨董屋に導いていた、と僕は思う。普通だけれど、特別な、あの不思議な空気が漂う店に。

思えば、猫にはどこか不思議な場所へと連れていってくれるような、そんなイメージがある。もちろん、ただの幻想にすぎないのだけれど。

しかし、あの映画の主人公のように僕を日常から連れ出してほしい、という思いは消せない。

だから、形だけの期待の眼差しを向かいの猫に送ったのだけれど。

猫に向けるその眼差しは、すぐさま訝りの色に変わった。猫がこちらを凝視していたからだ。安眠妨害された不満を僕にぶつけているわけでもなく、どうやら動揺しているらしい。

ネズミでも入ってきたのだろうか。

しかし、首を傾げる間もなく、猫はその巨体に似合わない身軽な動作で椅子から飛び降り、とっとっと、と進行方向側の扉から出ていってしまった。

ああ。お前は僕を連れ出してくれないのか。

なんて。

僕は、していなかったはずの期待を裏切られたような気分になって。まもなく発車時刻がくることを知らせるアナウンスを聞き流しながら。虚ろな視線に、猫が辿った軌道を追わせる。

そして、


「――あんちゃん」


左側から、覚えはないけれど、なんとなく懐かしい響きの声が、かすかに聞こえた。

ゆっくりと首を巡らせ、そちらを向くと。

そこには(というか僕のすぐ隣には)、小学二、三年生ぐらいの小さな女の子が座っていた。笹の葉のようにさらさらしている黒髪が、天女が着ている羽衣のような装束にかかり、どこか神々しくさえあるその子は。そこにいるのが当然のような振る舞いで、物理的に地につかない足をブラブラさせている。

僕は、しばらく呆気にとられた。

今を生きる小学生の私服とは到底思えない、その装いに圧倒されたのだ。

というかこの子の親は一体何をやっているのだろう。こんな格好のまま、娘を放置しているなんて。

そんな僕の微妙な視線に気づいているのかいないのか。

少女は、LED照明というよりは、古い街灯程度の明るい笑顔で、

「あんちゃんは、どこに行くの?」

僕に尋ねる。

「……」

けれど僕の口は、被兵糧攻めを覚悟した城門のように固く閉ざされていたため、咄嗟に反応できない。

それを返答と受け取ったのか。少女は小学生らしからぬ、やや大人っぽい、落ち着いた口調で、

「凛はね、これから終点の『琴末駅』まで行くんだ」

と聞いてもいない情報を漏らす。

口調はませているが、警戒心の無さは年相応だった。

「あんちゃんもそうなんだよね?」

少女の頭の中でどんな論法が組み立てられたのかはわからないけれど。どうやら彼女は、僕が終点まで行くと思い込んでいるらしい。

「……ああ、そうらしいな」

投げやりに答えつつ、僕は豆粒ほどの小さな違和感を覚える。

この子は、一体いつから僕の隣にいたのだろう……?

そこまで気にすることでもないはずだけれど、どうにも引っ掛かる。

こんな服装(袖口が大きく開いた衣)の女の子がすぐ隣に座れば、衣擦れの音で気づきそうなものだけれど……?

しかし僕の疑問が解ける前に、

『――まもなく発車します。扉にご注意下さい』

アナウンスが思考を遮る。

いつのまにかかかっていたらしいエンジン(またはそれに類する何か)の振動を知覚すると同時に、扉が閉まる。

「あんちゃんと凛だけだね」

「……」

女の子が言うように、僕らの車両にいるのは、奇妙な女子小学生、灰色のエナメル、そしてできそこないの男子高校生(つまり僕)だけだ。しかも、この電車は遠隔操作型なので、先頭車両でも乗務員がいない。

いわゆる『二人きり』というやつだった。

男子高校生と女子小学生の二人きり。

……そこはかとなく犯罪臭が漂う並列だった。

僕は、エナメルと同じぐらい灰色な気分で、電車の連結部に視線を送る。幸いなことに後ろの車両に人の姿が見える。少なくともこの電車で二人きりというわけではないようだ。

とはいっても。

この車両に僕と女の子しかいない事実は変わらない。

移動しようか。

そう思わないでもなかったけれど、動くのが億劫だった。空っぽのエナメルを担いできただけなのに、疲れてしまったのだろうか。

自分の感覚にすら自信を持てない僕を乗せたまま、電車はようやく動き出す。

「あ、動いた動いた!」

星のようにキラキラした女の子の声が車内に響く中で。僕は向かいの窓の外に、先ほどの猫がトボトボと歩いているのを見つけた。進行方向からして、おそらくはあの枯れた笹の方へと向かっているのだろう。

……あの猫が例の笹氏の壮絶な姿を見たら、どう思うのか。

ほんの少しだけ気になった。



***



電車が走り始めて数分が経っていた。

僕は虚ろな目つきで流れていく景色を眺めている。初鷲駅からずっと。

例の女の子は、鼻歌交じりに小さな足を揺らしている。その横顔も楽しげだ。

唐突に彼女は尋ねる。

「あんちゃんは、何を見ているの?」

この子はどうやらおしゃべりが好きなようで、僕が油断していると、すぐに話しかけてくる。沈黙が一分以上続くこともない。

「……外」

「そうじゃないよ。外の何を見ているの?」

「……」

正直に言って、僕はあまりしゃべりたい気分ではない。別に人と話すのが嫌いなわけではないけれど、今の僕は独りで暗闇の部屋の隅で膝を抱えていたいぐらいの心持ちなのだ。

だから、女の子が話しかけてきても、会話が続かない。

この明るい女の子との会話を、僕には続ける自信がない。



やがて電車は停車し、扉が開く。

彼女は座席から飛び降り、パタパタと駆け出す。

そのまま電車から降りて、ほんの少ししてからパタパタと戻ってきて、僕の隣に座る。それを待っていたかのようなタイミングで扉が閉まり、電車は動き始める。

……まただ。先ほどもそうだったのだ。

これで三回目。

この少女は、初鷲駅を出てから停まる駅全てで出たり入ったりしている。お手洗いというには、ちょっと時間が短すぎるように思う。一体何がしたいのか、全くわからない。

そんな風に少女の不可解な行動に若干首を傾げていると、

「あんちゃん、短冊書いた?」

隣から無邪気な声が響く。

「……書いてない」

「えー、どうして?書くことなかったの?」

「……」

僕は女の子に目を向ける。

好奇心が旺盛で曇りのない、この世全ての明るさをひとまとめにして圧縮したような。彼女はそんな、シンプルでとても綺麗な表情を浮かべている。僕には到底信じることのできない何かを確信しているかのような表情を。

ただの小学生だから。いや小学生だからこそ、この子は僕の持っていないモノを、当然のように掴んでいるのだろう。

それを漠然と理解してから僕は俯いて、空のエナメルを眺める。

「……僕が書いても、なんだか嘘になりそうだったからさ」

「嘘?」

「嘘っていうか偽物かな。多分小学生の君には理解できないよ」

僕は弱々しく笑う。

しかし、翳を伴う笑みだったからだろうか。

女の子は沈痛というか、悲痛というか、色々な感情が混ざった表情を浮かべる。

おおよそ小学生が見せるような質のものではない。

「えっと……もう少し大人になればわかるようになるよ」

取り繕うように言って、視線を進行方向に向ける。

電車は決められたレールの上を走り続けている。先はまだまだ見えず、ただ線路がずっと伸びているだけだ。

僕の向かい側(つまり左側)はなんの変哲もない白い街並みが続いている。それが悪いというわけでもないけれど、どこか退屈で白々しい。

一方、反対側には真っ青な海が続く。陽光が反射して、海面が星の欠片のようにキラキラと輝いている。こっちにおいで、とでも言うように。

「あんちゃんは大人なの?」

海に吸い寄せられた僕を引き留めるように。

女の子はそんなことを聞く。

「……大人というか、子供というか……。微妙なんだよ。中途半端でさ」

「大人と子供の中間?」

「うまい例えではないけれど、モンシロチョウのサナギみたいなもんかな。……いや、オタマジャクシがカエルに変態する瞬間ぐらいがちょうどいい」

「オタマジャクシさん、て変態なの?」

「……ああ。無邪気そうに見えて、奴も相当だ。最近の小学生の理科の授業に出てくるかもしれないけれど、オタマジャクシなんていたいけな小学生に扱えるような代物ではない」

「そっか……凛、オタマジャクシさんのこと誤解していたよ……」

若干残念そうな口調で、女の子は続ける。

「これからはオタマジャクシさんに対して、そういう目で見ることにするよ」

視線を元に戻すと、彼女は苦渋の決断を強いられているかのような面持ちで唸っていた。

……小学生に妙な知識を植えつけてしまった。

軽蔑の眼差しを向けられるオタマジャクシが気の毒ではあるけれど、将来的に変態することを約束されている奴らが悪いのだ。自業自得というやつである。

「ところでその論法だと、あんちゃんも変態になるんだよね?」

おかげで僕にまでとばっちりが。これも自業自得というやつだろうか。

そういうことなら仕方ない。

「ああ、そうだな。確かにそうなってしまうな」

けれど、譲歩はここまでだ。

「しかし、人間はすべからく変態し、大人になる運命にあるんだ。いつかはお前だって変態するんだよ」

人間は両生類みたいに変態することはないけれど。

「うん? 大人になることが変態なの?」

「そうなるな」

「ふーん。じゃあ、凛は変態しないね」

「……なんでだよ?」

「……だって、凛は大人になれないもん。ずっと……子供のままだもん」

星さえ見えなくなるぐらい綺麗に輝く、満月のような笑顔で、彼女は言った。

僕はしばらく言葉を失う。

呆気に取られて、ぼっとしていたのだろう。

気を取り直し、口を開く。

「……いや、そんなピーターパンみたいなこと言っても、現実にはいつか、大人にならないといけない時ってのが来るんだよ」

「……」

少女は黙りこんで、なぜか僕の顔を見つめる。

何かを訴えかけるような。そんな表情で。

しかし、ふっと小さく微笑んで、

「うん、そうだよね。凛も、いつかは大人になるんだよね……」

と。

どこか含みのある口調で言葉を紡ぎ、彼女は物理的に地につかない足をぶらつかせる。


                             〈続〉

初投稿です。

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