人が信じているもの
ごきげんよう諸君。
私の名はヴァイゼ。想造主の知識の具現者だ。
私の戯言に一時の間付き合って欲しい。
突然だが君たちは、[自分が信じているもの]は何かな?
友情、恋愛、将来の自分、己の地位などなど。
色々あるね?
それらは、[裏切られる]可能性も含まれている。
心の移り変わり、醒めてしまった愛、病気による変質、部下や周りの裏切りによる失墜、挙げればキリが無いほどあるね。
それでも、[何もかもが信じられなく]なっても、本能的に無意識に[信じている]ものがあるのさ。
矛盾しているかって?
それは否なのだよ。
ただ、向かうベクトル(方向性)が、観点で違うだけなのさ。
自己の範疇にいながら、利己的な願望を抱くものとは違うもの。
すなわち、生命そのものに向けられたベクトル(方向性)。
分かるかな?
そう、自分は[一秒後、一分後、一時間後、一日後、一週間後、一カ月後、半年後、一年後、十年後]のどれかにいると[本能的に信じている]のさ。
難病を抱えていないものは、一年後などは容易に[信じている]のだろうね。
十年後も同様にだ。
しかし、難病を抱えているものは、一年はなんとか[信じられて]も、十年は[信じられない]だろうね。
治ったとしても、途中で[再発という恐怖]に怯えてしまうのだから。
それは、不完全な人間であるからこそ[必然的に抱いてしまう]ものかもしれないね。
人生とは[砂時計の中にある、零れる砂のようなもの]でもあるね。
生物とはこの世に産まれた瞬間から、死へと向かっているのだから。
ただ、[零れる砂が、遅いか早いか]の違いだけさ。
[健康的に過ごして]いれば[ゆっくりと落ちて]いき、[不健康的に過ごして]いれば[早く落ちて]いくのさ。
まぁ、[病を抱えている]か[病を抱えていない]かの違いも含まれるのだけどね。
ご理解いただけるかな?
今日の戯言は、これまでにしようか。
では、また会えるまで――。
end
お読みくださり、ありがとうございました。