否定と肯定
ごきげんよう諸君。
私の名はヴァイゼ。想造主の知識の具現者だ。
私の戯言にでもよろしければ、一時の間付き合って欲しい。
君たちに問わせてもらうが、君たちが扱う否定は、[深く考えた]末の否定かな?
それとも、ただ[感情のみを優先した]安直な否定なのかな?
深く考えたのなら、私は何も言わないね。
だが、感情のみを優先したのなら、それは愚かしいと私は思うのだよ。
例を述べようか。
自分たちの[枠内から外れた行動]は[悪だと決めつけて]否定するのは、私としては滑稽なまでに馬鹿馬鹿しく感じてしまうもの。
なぜなら、相手が[枠内から外れた行動]を取った、その理由や動機を考えていない。あるいは、考えられないという[観察による行動証拠]となってしまうのだからね。
例を逆算するなら、[枠内から外れた行動]を取った理由や動機について[深く考える]なら、私から見てその者は[深慮を持つ者]となるのだよ。
理解していただけるかな?
[簡単に出来る否定]とは逆に、否定するよりもやや[難を孕む肯定]することも、同じように考えられるのさ。
安易に肯定し過ぎるということは、思慮の欠けてしまい相手の[操り人形]となってしまう危険を孕むのだからね。
例えばだが、君が[深く考えもせず]肯定した結果、自分にとって最悪を招いた場合はどうだろうか?
相手に反論することすら許さない状況――[主人と奴隷]の立場になったら?
[深く考えていれば]避けられる状況だっただろうに、[浅く考えていたから]生じた状況に、君はどう思うかな?
そのような不運に見舞われたくなければ、[感情のみで否定]や[安易な肯定]を避け、[深慮による決定]を行うことを私は薦めるね。
まぁ、どちらを選ぶかは君次第だ。
なぜなら、決定とは[自分の意志で]決め定めたことなのだからね。
今日の戯言はこれまでとしようか。
また、会えるまで――。
end
極論的なのは理解しています。
お読みくださりありがとうございました。