死について
死について考えるきっかけがあったので書きました。
ごきげんよう諸君。
私の名はヴァイゼ。想造主の知識の具現者だ。
私の戯言に一時の間付き合って欲しい。
前もって言っておこう。
これから私が語る戯言は、君たちに不快をもたらしかねないものだ。
否定したくもなるだろう。
それでもなお、最後まで読みたいと思う者だけ、読んで欲しい――。
君たちは死について、どう思い、感じているのかな?
生とは対局の存在。
生きていれば必ず来る、逃れざる終わりという恐怖。
深遠のごとき悲痛を、容赦なく与える無慈悲なもの。
救いを奪い、絶望をもたらす残酷なもの。
色々あるが、共通点としてはネガティブなものだね。
しかし、ネガティブなものという見方は、君たちが[生であることに恵まれている]から、そう見えてしまうのかもしれない。
だが、君たちとは対局にいる[生に恵まれていない]者たち――すなわち、[生で苦しんでいる]者たちからすると、死はどういう風に見えるのだろうね?
生きながら、窮乏に苦しんでいる者。
犯してしまった重罪からくる、良心の呵責から責め立てられ、屈してしまった者。
生であることに[つまらなさ]を感じ続けている者。
病の果てに生きているのが困難な者。
[他者から見放されている]と感じることで生ずる孤独感に、覆い尽くされてしまった者。
彼の者たちには、死が[自身を苦しみから解放する]手段に思えているのだろう。
貧富を問わずにね。
[生に恵まれている]君たちは、彼らの見方を非難してしまうのだろう。
燃え盛る炎が、自身の存在を消滅させかねる水を嫌うように、ね。
だからこそ、自分たちの見方が正しいと思いたくなるのかもしれない。
[自分たちが正しい。自分たちこそが善である]
[死を望むことは悪である。そんな考えは抱くべきではない]
こんな風に、善悪を取り入れてしまうかもしれないね。
断言しよう。
死に関して善悪を取り入れてしまうことは、愚かしいことだ。
第一に、対局の考えを[否定という糾弾]によって、自身を[自己正義の酩酊]に堕とすことになりかねない。
それこそ、君たちが忌避すべきものだ。
過去に生じた[必滅すべき迫害]である[集団ヒステリー]に陥ってしまわないためにもね。
第二に、無意味以下の[愚かしい水掛け論]に発展させかねない。
対局の考えの理解が、明らかに欠如していることの[行動証明]にもなるね。
他にも色々あるだろうが、際立っているのが上記に挙げた二つだろう。
それらから逃避するには、考えを[否定や非難]することではなく、[保留及び肯定]することだ。
少なくとも、[自己正義の酩酊]に陥ることもないしね。
死について[保留及び肯定]することで、対局の考えについて思考するきっかけにもなる。
それは、自身の持つモラルの向上にも繋がるだろう。
最上のモラルとは、[万人の幸せを考える]ことなのだからね。
ただし、誤解をしてはいけないのは[生きることが幸せ]であると過度な強調はするべきではないよ。
そのような強調は、モラル向上の妨げになるのだから。
ご理解いただけるかな?
今日の戯言はこれまでとしようか。
では、また会えるまで――。
あなたのモラルは、どの段階のモラルでしょうかね?