謎の剣士
「お?あの砂塵は一体…」
本陣のハルトが南の彼方に砂塵を発見した。その様子から、本陣へ向かうものでないことは明らかであったが、進む方向はセシル自治領である。ここでハルトの勘が働いた。
「全軍!セシル自治領に帰還するぞ!!敵が迫っている!急げ!!」
ハルトの号令とともに、五千の兵が自治領へと引き返す。全力で馬を飛ばすも、砂塵に追いつかない。ハルトは気が気ではなかった。
「間に合ってくれ――」
しかし、ハルトの思いは届かなかった。ハルトの部隊が砂塵に追いついたと同時に、ワードも領内に侵攻していた。領民は混乱し、逃げ惑った。侵攻の邪魔になる者は女子どもまで犠牲となった。
「な、なんと!なぜ帝国軍が領内に!!」
ティモンも動揺を隠せない。屋敷の中ではバタバタと戦いの準備がされる。
「目指すは領主ティモンの屋敷だ!無駄な犠牲は出すなよ!!だが、邪魔する者は討ってよし!!!」
ワードの部隊は勢いよく駆け巡った。その途中――。
「どけっ!!」
騎兵が一人の女性を斬りつけた。
「か、母さんっ!!!」
泣いて駆けよったのはアレスだった。
「母さん!母さんっ!!」
アレスの呼びかけにもかかわらず、反応は何もない。この時、アレスの中に激しい怒りが込み上げた。
「よくも…、よくも母さんを!!!」
「フンっ、小僧!お前もどけ!!!」
キィ―――ン。
どこからか飛んできた戟が地面に突き立った。それと同時に、アレスに振り挙げられた剣が弾き飛ばされる。
「民に手を出すのは軍人として誉められたことではないな」
アレスの前に、短い黒髪に額に深い皺を持つ男性が現れた。男は戟を抜き取ると、帝国軍へと向けた。
「これ以上、領内を蹂躙するなら、まずは私を討ってみろ!」
帝国軍が進む通りを男が仁王立ちして塞ぐ。領民たちは家の窓からそっと外の様子を覗きこむ。
「何事だ」
異変に気付いたワーズが姿を現した。
「貴殿がこの隊の将か。悪いことは言わん。ここから立ち去れ。この美しい街をこれ以上蹂躙するのは私が許さん!!」
男は大声を上げて言い放った。
「ふん!浪人風情が大口叩きおって!!」
そう言うと、ワーズは男に斬りかかった。一合、二合、三合――。二人の激しい斬り合いが始まる。しかし、男には余裕さえ感じられた。ワーズの激しい振りを、男はすべて戟で受け止めた。そうこうしていると、ハルトがワーズに追いつく。
「おおっ!間に合ったか!!通りすがりのご武人、感謝いたします!!」
そう言うと、ハルトも一緒になってワーズに斬りかかった。ワーズは上から振り下ろされるハルトの剣をかわしつつ、下から突き出される男の戟を剣でなぎ払う。さすがのワーズも、二人を相手には防戦一方であった。
「な…っ!これでは持ちこたえん!!退却するぞ!!!」
ワーズは耐えかねて兵を引き揚げた。この一幕をアレスはじっと見ていた。その眼には溢れんばかりの涙が蓄えられている。
「少年よ。逃げずに敵の前に立ちはだかった勇気、見事であった!しかしっ!あの場は逃げるのが正解だ。死んでしまっては母の無念も晴らせないであろう」
男は真剣な眼差しでアレスに言った。アレスが黙って頷くと、男はアレスの頭に手を置いた。
「泣いてもいい。泣くんだ」
男に言われ、アレスは下を向いて泣いた。
同じころ、戦場でもクリスの活躍により連邦軍が勝利を決していた。
「ええい!退却だ!!本陣まで引き返せ!!」
アリシアはそう言って退却を開始した。アリシアが退却するその時、連邦軍の鎧は真っ赤に染まっていた。クリスの白銀の鎧までも――。この戦いにおいて、帝国軍は五万の兵を、連邦軍は二万の兵を失った。残るは帝国軍五万、連邦軍三万である。