軍議
そして三日後――。
「いよいよですね」
クリスは駐屯地でカントと一緒にいた。連邦軍の駐屯地はセシル自治領とニース自治領の境――今のパンナム帝国との国境――に敷かれた。カントとクリスはすでに駐屯地で兵の訓練に参加していたルミニエク自治軍団長のカインとともに軍議を繰り返していた。いくら増軍したとはいえ、五万対十万。まともにぶつかりあって敵うはずがない。
「敵はアリシアの率いる第二軍団全軍とワーズ率いる第三軍団の主力部隊。ここより十キロ西に布陣している。真っ向勝負ではおそらく勝ち目はないでしょう。そこで、ここは兵を二手に分けようと思う」
そういうのはカインである。カインは金髪に青い目をした五十歳の風格に満ちた将である。
「私は正面から二万の兵とともに出陣する。そこであえて退却を繰り返し、敵軍を前後に引き延ばす。敵軍が十分に延びたところで、カント殿が二万の兵とともに敵の後陣を叩いてくだされ。うまくいけば、敵軍に組み込まれたカント殿の元部下に当たる兵たちが帝国軍内で反旗を翻すかもしれません。クリス殿はヨルベル軍のハルト将軍および、一万の兵とともに本陣の守備に当たっていただきたい」
カインはそう語った。
「なるほど。敵陣を分断する作戦ですね。確かに、少数の兵で大軍に当たるには最適の策でしょう。しかし、クリス殿を本陣の守備に当たらせるのはなぜでしょうか?守りはハルト将軍だけでも十分かと思いますが?」
カントはカインの作戦に賛成しつつも、疑問を抱かずにはいられなかった。
「確かに、クリス殿は立派な武人である。しかし、まだ実戦経験は浅く、いきなり前線に出すことはできない」
カインははっきりとそう言うと、クリスの方を見た。
「いかにも。カイン殿のおっしゃることはごもっともです。必ずや戦績を挙げ、前線を任されるようになってみせましょう」
クリスは顔色一つ変えず、そう言った。彼女自身、カインほどの重鎮が若い自分を最初から重用するとは考えてもいなかったのだ。
「クリス殿がそうおっしゃるなら…」
若くしてルース自治領の団長となり、国境を守ってきたカントにとって、実績で人を判断するカインのやり方には納得しがたいものがあった。しかし、そんな方針に微動だにしないクリスの大物ぶりにカントは大いなる期待を抱いた。
「さすがはクリス殿。よくお分かりだ。では、私とカント殿で前線会議を行おう。クリス殿も参加されますかな?」
カインはそう言ったが、クリスは首を横に振った。
「お誘いは大変嬉しいのですが、敵はもう目の前。明日にでも攻め込んでくるでしょう。私はハルト将軍と守りの会議をして参ります」
そう言うと、クリスはカインの軍幕を後にした。
クリスが自分の軍幕へと戻ると、入口の前に赤い髪の二十代半ばくらいの青年が立っていた。
「ああ、クリス様!」
「おお、ハルト将軍!ちょうどこの後、貴殿の軍幕を訪れようと思っていたところだ」
「そんな!お申し付けいただければいつでも私から参りますものを!!」
「ははは。そう堅くならないでください。私の方が歳も経験も浅いのですから」
クリスは歯がゆかった。
「いえいえ。あなたは団長。礼を尽くすのは当然です。まだご挨拶に伺っておりませんでしたので、こうして参りました」
そういうとハルトは深々と頭を下げた。
「義理堅いのだな。まぁ、立ち話もなんですから、中で話しましょう」
クリスはハルトを幕内に誘い、二人はデスクで話し合った。
「我々は一万の兵とともにこの本陣の守備を任された。カイン殿は我々の出る幕はないとお考えのようだが、私にはこの戦いがそんなにも甘いもののようには思えない。ハルト殿はどう思われますか?」
クリスの問いかけにハルトは一時沈黙した。
「……。私も同感です。守備を任されたといっても、いざという時のため、軽装で待機しておくのが良いでしょう。すべての兵の腰に常備薬と保存食を備えましょう。前線に何かあったときに備え、いつでも駆けつけられるようにしておくべきです」
ハルトの答えにクリスは笑みをたたえた。
「まったく同感だ!しかし、全軍が前線に応援に向かうのは危険だ。形勢不利と感じたら私は五千の兵とともに打って出て、前線部隊の退却を促す。貴殿は五千の兵とともに陣に残り、前線部隊が退却を始めたら殿軍となって彼らを守るんだ」
「はっ!!早速準備に取り掛からせます!」
ハルトはそう言って幕舎を駆け出した。
「まったく、威勢のいいことだ。私よりも若く感じるな」
ハルトの姿にクリスは笑った。
「あのような従順な姿勢が、軍を強くするのだろう」
クリスは椅子に腰かけ、考えに耽った。