カインの思い
五日後――。
連邦軍カインの幕内。
「おそらく、あと一週間から十日ほどでバンクル自治領軍が帝国軍の背後を突くでしょう。しかし、バンクル自治領軍を合わせたところで、帝国軍の方が数で勝ります。もう一策欲しいところですね」
そう言うのはクリスだ。クリスの言うことには一理あった。策は二重、三重に巡らせた方がいい。
「では、こうするのはどうだろうか?」
口を開いたのはカインだ。
「クリス殿とハルト殿は一万の兵とともに北方より敵陣を攻め、バンクル軍は西から、そして、ダイモス殿と私が正面から敵陣を叩く。三方から攻めれば、帝国の混乱も必至!」
カインの提言に一同は揃って頷いた。
「うむ、それがよいでしょう。私も同感です」
ダイモスが言った。と、その時――。
「伝令――っ!!!て、敵軍の姿が見えません!陣もすでに引き払われております!!」
突如幕内に駆け込んだ伝令の言葉に、一同は驚き言葉を失った。誰もあのワーズの退却は予期していなかった。しばしの沈黙の後、カインが口を開いた。
「ほ、本当にいないのか?!奇襲の可能性は?!」
「それはなんとも…。しかし、周囲からはまったく敵軍の気配を感じません!」
伝令も困った様子でそう言った。
「どういうことでしょう――。罠…、でしょうか?」
クリスが問いかけた。
「まだ分からない。偵察隊を放って様子を見よう」
カインの言葉に全員が黙って頷く。こうして陣外に偵察が放たれた。
その日の夜――。
「そうか。では、本当に帝国軍は陣を引き払ったのか」
偵察隊の報告を受けてカインの中に確信が生まれた。
「おそらく、帝国本国で何か緊急事態が生じたのでしょう。よかったですね」
ダイモスも安堵から笑みをこぼした。こうして、連邦軍は帝国の侵略からの防衛に辛くも成功を収めた。
「しかし、またいつ何時、帝国軍が攻め込んでくるやもしれん。その時に備え、連邦国内の連携を強化しておく必要があるな」
防衛に成功したとはいえ、カインの表情は厳しい。それだけ、今回の帝国軍の侵攻では連邦国内の連携の弱さが露呈したといえる。偶然に居合わせたダイモスがいなければ、セシル自治領は帝国の手に落ちていた。幕内の誰もがそのことを考えていた。
「まぁ、防衛に成功し、今後の課題が明確になっただけでも良しとしようではありませんか」
クリスの微笑みに一同は安堵した。
「ダイモス殿はこれからどうされるのですか」
ハルトの問いかけに、カインとクリスの視線がダイモスに集まる。
「私はしばらく連邦に留まろうと思っております」
ダイモスは静かにそう答えた。その言葉を聞いたカインの眼が鋭く光った。
「ダイモス殿、もし――」
そこまで言うと、カインは息を吞んだ。その表情はやはり険しい。
「もし状況が許せばのことではあるが、我ら連邦軍の取りまとめをしてはいただけないだろうか」
プライドの高いカインの言葉に全員が目を見張った。ルミニエク自治領軍の軍団長であるカインは、言えば連邦軍の総指揮官ともいえる立場にある。そのカインが連邦軍の取りまとめを依頼した。よそ者ともいえるダイモスに指揮権を渡すと言ったのだ。
「お言葉は大変ありがたいのですが、所詮私はよそ者。連邦をまとめるのは連邦の者であるべきです」
ダイモスはカインの頼みを丁重に断った。カインもこの返事を予期していたのであろう、一切表情を変えない。
「ダイモス殿、あなたのおっしゃることはごもっともだ。しかし、よそ者がまとめるべきでないのは政の話。軍の強化とは別とは思われませんか」
カインの言葉にダイモスが沈黙する。その様子を見て、カインは言葉を続ける。
「私は連邦の中心ともいえるルミニエク自治領軍の軍団長。しかし、連邦の各勢力を一つの軍隊としてまとめてくることをしなかった。否、自分がそれに相応しい人物であると思えなかったのだ。若き者を重用するだけのバランス感覚が私にはない。実力のある者にチャンスを与え、臨機応変に軍隊を成長させるのは私の畑ではない」
カインがそこまで語ると、ダイモスが口を挟んだ。
「では、私がその才覚を持っているとお考えなのでしょうか」
「正直、まだ分からない。しかし、貴殿には過去に一国の軍隊を取りまとめた実績がある。そして、スミルノフ共和国では四年前、大規模な戦争が勃発したと記憶している。その戦争では、スミルノフ共和国が圧倒的な軍事力で、いや、統率力でもって大国の侵略から防衛に成功したと聞く。かの国は決して大きな国ではない。だとすれば、指揮官の腕が結果を左右したと考えるのが当然の流れであろう。貴殿がかの国を去ったのは三年前。私が貴殿に期待を抱くのは当然のことでありましょう」
言い終わるとカインは黙ってダイモスの目を見た。
「ふむ…。あの遠国の情勢をそこまでご存知とは。恐れ入ります」
しばしの間、幕舎を沈黙が襲う。ダイモスは未だ決断を躊躇している。カインにクリス、ハルトの見守る中、ダイモスが重い口を開いた。
「分かりました。十年間。十年間の期間限定でお世話になりましょう」
ダイモスはそう答えるとカインに手を差し出した。カインも渾身の力でその手を握り返した。
「かたじけないっ…!!」
その瞬間、カインの目に涙が滲んだ。この戦の中、カインは自分が今後、連邦を戦禍から守っていけるのか大いに悩んでいた。第一勢力の軍団長とはいえ、自治領が軍隊を擁し始めたのはここ二十年ほどのことに他ならない。カインとて他国の猛者と比べれば歴戦の猛者というわけではないのだ。連邦に生まれ、連邦で育ったカインにとって、この愛すべき故郷を守るためにはダイモスが必要だった。そのためには自分のプライドなど紙くずも同然だった。カインの愛国心に胸を打たれ、クリスもハルトも目頭を熱くした。