第15話 王都の噂
試着会から数日後。
王都の社交界では、ある話題が静かに広がり始めていた。
「ねえ、聞いた?」
とある侯爵家の茶会で、一人の令嬢が声を潜める。
「最近、変わったドレスがあるらしいの」
向かいに座る令嬢が首を傾げた。
「変わった、というと?」
「スカートが……ふわっと広がるの」
言いながら、手で丸い形を作る。
だが、すぐに言葉を付け足した。
「それだけじゃないの」
少し身を乗り出す。
「形が崩れないんですって」
「どこから見ても、ちゃんと丸く整っているらしいわ」
その一言で、空気が変わる。
「……どういうこと?」
「そんなこと、できるの?」
別の令嬢が思い出したように言った。
「あ、それなら私も聞きましたわ」
「公爵令嬢ミレーユ様の試着会で話題になったとか」
「ええ、それ!」
最初の令嬢が頷く。
「回ると、ふわっと広がるのに……ちゃんと元の形に戻るんですって」
「まるで最初から決まっているみたいに」
「不思議ね……」
「ええ。でも、とても可愛いらしいわ」
ざわめきが、静かに広がっていく。
その中で、一人の令嬢が少し誇らしげに口を開いた。
「私、実際に見ましたわ」
「まあ、本当に?」
「ええ。ミレーユ様の屋敷で」
令嬢たちは思わず身を乗り出す。
「どうだったの?」
彼女は少しだけ目を細め、思い出すように言った。
「とても綺麗だったわ」
「ただ広がっているんじゃないの」
「形が整っているのよ」
手で空中に輪を描く。
「動いても崩れないの」
「まるでドレスそのものが、形を覚えているみたいだったわ」
小さな息を呑む音が重なる。
「そんな……」
「着てみたい……」
誰かがぽつりと呟いた。
「中に何か入っているのかしら?」
その疑問に、彼女は頷く。
「ええ。“パニエ”というものを使っているらしいわ」
「パニエ……?」
聞き慣れない言葉に、首を傾げる者もいる。
だが、彼女は続けた。
「でも、それだけじゃないの」
「他のドレスに入れても、同じ形にはならなかったそうよ」
その言葉に、令嬢たちは顔を見合わせた。
「……どういうこと?」
「ドレス自体が違うのよ」
静かに言い切る。
「最初から、その形になるように作られているんですって」
理解が、ゆっくりと広がる。
「だから、あんなに綺麗なのね……」
「ただの工夫じゃないのね」
「設計されている……?」
言葉が変わる。
評価が変わる。
そのとき。
一人の令嬢が、小さく声を弾ませた。
「名前があるらしいわよ」
「名前?」
「ええ」
少しだけ間を置いて、言う。
「――フェリシアドレス」
その響きが、空気に落ちる。
「まあ……素敵な名前」
「形そのものを表しているのね」
「確かに……ぴったりだわ」
令嬢の一人が、楽しそうに微笑んだ。
「流行るかもしれませんわね」
別の令嬢が、くすりと笑う。
「もう流行り始めているのではなくて?」
小さな笑いが広がった。
その頃――
王都の仕立て屋でも、変化が起きていた。
「最近、妙な注文が増えてる」
若い職人が眉をひそめる。
「妙な?」
年配の職人が聞き返す。
「スカートを広げたいって言うんですよ」
「ただ広げるんじゃなくて……丸く整えたいって」
年配の職人は腕を組んだ。
「ほう」
若い職人は続ける。
「それで、皆同じ名前を出すんです」
「名前?」
「ええ」
そして言った。
「フェリシアドレス、って」
一瞬の沈黙。
やがて、年配の職人が小さく笑った。
「なるほどな」
「広げたいんじゃない」
ゆっくりと頷く。
「形を作りたい、ってことか」
その一言に、若い職人ははっとした顔をする。
王都のあちこちで、同じ言葉が囁かれていた。
茶会で。
庭園で。
舞踏会の控室で。
「フェリシアドレス、見てみたいわ」
「私も着てみたい」
「きっと可愛いでしょうね」
「ええ――きっと、とても綺麗よ」
それはまだ、小さな波だった。
けれど――
確かに形を持ち始めている。
王都の令嬢たちの間で。
「フェリシアドレス」という名が、
静かに、しかし確実に広がり始めていた。




