三朝知乃
「――お、お待たせしました知乃先輩! その、申し訳ありません……」
「ふふっ、いつも言ってるけど気にしないでよ、陽奈くん。そもそも、こっちの都合で遅くなっちゃってるんだし」
「……あ、ありがとうございます」
六月下旬の、ある放課後にて。
京都府内の公立校、令明高校――その校舎から少し離れた住宅街にて、朗らかな笑顔で答えてくださる女子生徒。鮮やかな栗色の髪、水晶のように透き通る瞳、そして陶器のような肌を備える可憐な少女で。
さて、彼女は三朝知乃先輩。僕、静河陽奈の一つ歳上の二年生――そして、校内でも頗る評判の美少女で。それから、これが未だに信じられないことなんだけど……そんな高嶺の花にもほどがある憧れの先輩と、なんと僕がお付き合いをしているという状況で……うん、ほんとに夢じゃないかな? それも、随分と長い夢。
……ところで、未だに信じられないことが、実はもう一つあって――
「……さて、それにしても……うん、今日もすっごく可愛いよ、陽奈くん!」
「……あ、ありがとうございます……」
そう、花のような笑顔で告げる知乃先輩。いや、貴女の方が断然可愛いですけど、今はさて措き……彼女が褒めてくださったのは、白を基調としたフリル付きの可愛い衣装を纏う僕に対してでして。
『……こ、こんにちは、三朝知乃先輩。僕は、一年D組の静河陽奈と申します。ほ、本日はお忙しい中、遠路はるばるお越しくださり、誠にあり――』
『ふふっ、そんな畏まらないでよ。結婚式の挨拶じゃないんだから。あと、遠路はるばるも何もここ学校だし』
『……ふぇ!? けっ、けっ、けっこ……』
『……ありゃ、余計緊張させちゃったか。ふふっ、ごめんごめん』
あれは、二週間ほど前のこと。
放課後、校舎の裏にて何ともたどたどしくご挨拶をする僕。そして、そんな僕に可笑しそうに微笑む可憐な少女。……うん、ほんとお恥ずかしい。
さて、どういう状況かというと……まあ、説明するまでもないかな。いわゆる、学園モノにおける定番のあの状況でして。
――初めて見たのは、去年の秋。ここ令明高校のオープンスクールに訪れた、中学三年生の10月のことで。
――ただただ、衝撃だった。昇降口にてそのお姿を見たその瞬間から、今まで感じたことのない強烈な感情が僕の胸を貫いて……まあ、いわゆる一目惚れというやつで。ちなみに、その時はどこを受験するかまだ決めかねていて、令明はその候補の一つでしかなかったんだけど――この瞬間、他の選択は完全に消えた。……うん、我ながら何とまあ不純な動機で。
だけど、不純が幸いしたのか受験勉強、そして試験当日も今までに感じたことのない力を発揮し無事合格――どころか、なんと最優秀の成績で合格を果たし、入学式では新入生代表として壇上にて挨拶をすることに……うん、ほんと恥ずかしかった。そもそも、レジ袋をください、と店員さんに言うことすらなかなか難しい僕であるからして、大袈裟でなく1000人近くの前でお話しするなんて……うん、ほんとよく卒倒しなかったよね、僕。
……まあ、実際のところ、わりと早い段階でほとんどみんなこっちを見てなかっんだけどね。入学式なのでスマホこそ出していないものの、欠伸をしたり他の生徒達とお話ししていたり。……まあ、そうなるよね。マスク越しにボソボソ話していて、僕自身ですら何言ってるかほとんど分からなかったくらいだし……うん、ほんと申し訳ない。
ともあれ、入学からほどなくのこと――憧れのそのその先輩は、二年F組の三朝知乃さんであることが分かって。違う学年――それも、まだ入学から間もない一年生の間で話題になるほどの美少女であるからして、お話しをする相手もほとんどいない僕の耳にも自然と入ってきたからで。
だけど、知ったところで当然のことお近づきになれるわけもなく。昇降口や廊下、そして校庭などで見かけたらその日は幸せになれる――ただ、それだけで十分だった。
……なのに、次第に苦しくなって。日に日に愛しい想いは募り、愛情に比例するように同時に苦痛も募っていく。そして、苦痛はいつしか耐えがたいほどに僕の心を鋭く深く苛んでいく。勝手に憧れ、そして勝手に苦しんで……うん、我ながら何とも身勝手な話で。なので――
『……そ、その、僕……三朝先輩のことが好きです!』
入学から、およそ二ヶ月後。
校舎の裏にて、ありったけの想いを口にする。もちろん、上手くいくなんて微塵も思ってない。それでも伝えたのは……ただ、この想いを絶つため。きちんと伝えきちんと振ってもられえば、すぐにとはいかずともいつかはこの気持ちも消え――
『……そっか。うん、嬉しい。ありがとね』
『……あ、いえ……その……』
すると、ニコッと微笑み答えてくれる三朝先輩。社交辞令だとは思うけど、それでもそんな彼女の優しいに嬉しく思う。これだけでも、やっぱりお伝えして良かったと思――
『――うん、付き合おっか。だけど……私と会う時は必ず女装で、という条件を受け入れてくれたら、なんだけど』
『…………へっ?』
そんな感慨の最中、不意に届いたのは思いも寄らぬ先輩の言葉。……あれ、今付き合うって……でも、その後になんか不思議なことを――
『――いや〜実はちょっと諦め気味だったんだよね、恋愛。自分で言うのも何だけど、私って昔から結構モテるんだよ。それでね――』
すると、僕の困惑を余所にニコッと微笑みご事情を説明なさる三朝先輩。そして、その笑顔には僕でも見紛いようもない翳りが窺えて。
かつて、先輩は恋をしていた。中学一年生の頃、クラスメイトだったもの静かな男の子に。そしてある日、そのことを仲の良かった男女数人につい話してしまった。
だけど、そこからが悲劇の始まりで。やはり当時も男女共から憧れの的だった三朝先輩であるからして、そんな彼女が好意を寄せていたその男の子は男子からは主に嫉妬、女子からは主に値踏みするような視線を日々向けられ、実際に嫌がらせを受けることもあったようで。
そして、きっと耐えかねたのだろう、その男の子は学校に来なくなり、ほどなく転校してしまったとのこと。そしてそれ以降、三朝先輩は努めて恋をしないよう……と言っても、気合いや根性で抑えられるようなものでもないので、誰に対しても努めて同じように接することにした、とのことで。
……でも、なんで……その男の子も先輩も、お二人とも何も悪くないのに……なんで、お二人がこんな辛い目に――
『……でも、もしかしたら君なら大丈夫かなって。自分で気づいてるか分からないし、男の子相手にこう言っていいのか分からないけど……でも、女の子寄りの綺麗な顔してるから、静河くん。あっ、でも同性なら同性で別の意味で視線が気になるだろうし、もちろん付き合ってることは内緒にするよ? 同性だったら、二人で仲良くしててもまずは友達だと思う人がほとんどだろうし』
すると、淡く微笑みそう口にする三朝先輩。……女の子寄りの綺麗な顔、か。だけど、驚いたかというとそうでもなく。と言うのも、褒貶については人それぞれだったけど、この種のことを言われたことは今までにも何度もあったから。
ともあれ、三朝先輩の言わんとすることが少しずつ分かってきて。つまりは、僕が女装し周囲の人達に女の子だと思わせることができれば、その男の子のような悲痛な事態を避けられる、ということで。
尤も、同性のカップルであれば嫉妬や嫌がらせがないなんて保証はないし、三朝先輩の懸念する視線に晒される可能性は十分にあると思う。
それでも、異性の場合に比べればカップルだと思われづらいのもきっと事実で。もちろん、同性=恋愛関係にない、なんてことは言えないけど……それでも、先輩の仰るように同性であれば二人で仲良くしていてもまずは友人だと考える人が大半だと思うし。
『……それで、どうする? あっ、告白してくれたことは気にしなくていいからね? こっちが随分と勝手なことを言ってる自覚はあるし』
すると、ニコッと微笑みそう問い掛ける三朝先輩。気持ちを伝えた僕の方が選択をするという、少し不思議な状況にはなったけども――
『……その、女装は全く未経験なんですけど……精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いします』
『ほんとに!? うん、よろしくね静河くん!』
そう伝えると、さっと僕の手を取り花のような笑顔を見せる三朝先輩。一方、大いに狼狽えつつどうにか返事をする僕。……うん、まだ何が何だか分からないし、自分で言っておいて何をどう頑張れば良いのかも分からないけど、一つだけ分かることは……今、僕は頭がおかしくなるほど幸せだということで。




