婚約破棄された悪役令嬢エルフですが、隣国のスパダリ王子に拾われて、溺愛と共に白い結婚をしました〜浮気者と家族には盛大に復讐させていただきます〜
私の名はリシェル・フェリスタ。エルフの血を引く公爵令嬢で、長い耳と淡い銀髪が特徴だ。
──そして今、私は婚約破棄を言い渡されていた。
「お前のような冷たい女と結婚するつもりはない。俺には本当に愛する人がいるんだ!」
王太子アルベルトの声が広間に響き、取り巻きたちは息を呑んだ。彼の隣に控えていたのは、私の妹、マリーナだった。媚びた笑みを浮かべ、彼の腕に絡みついている。
「リシェル姉さま、あなたには感情がないもの。王太子殿下を支えるには、私のような明るくて可愛い女がふさわしいのよ」
言葉を失う私の前で、婚約破棄の書状が突きつけられた。父と母はその場で私を「家門の恥」と罵り、領地からの追放を宣言した。
──ああ、なるほど。最初から出来レースだったのね。
王太子と妹の浮気。両親の共謀。美しいエルフの容姿を持ちながらも、感情を表に出さない私を“悪役令嬢”に仕立て上げ、都合よく切り捨てた。
その夜、私は誰にも見送られず、ひとり馬車に揺られながら領都を後にした。
◇ ◇ ◇
「……お嬢さん、怪我は?」
目を開けると、そこには一人の男がいた。豊かな金髪、鋭くも優しげな紅の瞳──彼は、隣国サルディアの第二王子、レオナルド=ヴァルハルト殿下だった。
追放の道中、山賊に襲われ、あわや命を落としかけた私は、偶然通りかかったレオナルド殿下に助けられたのだ。
そして彼は、私の素性を聞いても、憐れむどころか、真っ直ぐに私を見つめて言った。
「ならば俺が、君のすべてを守る。君を大切にするのは……俺であるべきだ」
その瞳に嘘はなかった。傷だらけの私を抱きしめるその腕は、温かく、揺るぎなかった。
◇ ◇ ◇
レオナルド殿下の計らいで、私はサルディア王宮の離宮で静かに暮らすことになった。侍女たちは皆優しく、誰も私を責めたりはしない。
そして何より、彼が毎日のように顔を見せては言うのだ。
「君の笑顔を見るたび、胸が苦しくなる。リシェル、俺と結婚してくれ」
それは形式だけの婚約ではなかった。彼は私の手を取り、家族に認めさせ、国王に直訴してまで、私との「白い結婚」を実現させたのだ。
あの冷たい王子が見せなかった、真摯な愛情を。
私を悪役に仕立てたあの王国の誰一人が持ちえなかった、温もりを。
◇ ◇ ◇
その日、舞踏会の招待状が届いた。かつて私を追放した王国──エリュシオンからだ。
「浮気相手との結婚を記念しての舞踏会、だそうです。リシェル、お前が出る必要などない」
レオナルド殿下はそう言ってくれたが、私は静かに首を横に振った。
「いえ……行きます。きちんと、決着をつけたいのです」
そして、舞踏会の夜──私はサルディア王国の正式な王妃代理として、その会場に現れた。
真紅のドレスに、エルフの神秘をまとう銀髪。レオナルド殿下にエスコートされる私を見て、会場は一瞬で静まり返った。
アルベルト王太子と、私の妹マリーナが引きつった表情でこちらを見ている。
「リ……リシェル? な、なんで……!」
私は微笑んだ。
「元婚約者殿。浮気相手と幸せになるのでしょう? どうぞお好きに。でも、あなたが私にしたこと、すべての責任は取ってもらいます」
その瞬間、レオナルド殿下が手を挙げる。すると、数人の役人が現れ、アルベルトに告げた。
「王太子殿下。貴殿の不敬行為と、外国貴族への不当追放、および機密漏洩の罪により、サルディア王国は正式に抗議します」
「な……!?」
父も母も蒼白になった。妹は震えながら王子の後ろに隠れる。
「あなたたちのやったことは、サルディアへの侮辱でもあります。これ以上罪を重ねれば、隣国からの報復を覚悟なさい」
レオナルド殿下の声は冷酷だった。あの優しい彼が、私のためにここまで怒ってくれる──その事実だけで、私は胸がいっぱいになる。
あとは形式だけだ。王太子は失脚し、両親は爵位剥奪。妹は平民として追放された。
◇ ◇ ◇
「リシェル……今度こそ、君を誰にも傷つけさせない。だから……俺の隣で、これからも笑っていてくれ」
プロポーズの夜、満天の星の下で彼がくれた指輪は、氷のように澄んだブルーダイヤだった。
私は静かに、けれど確かに頷いた。
「はい。私はもう、ひとりじゃない。あなたがいる限り、何も怖くありません」
こうして私は──“悪役令嬢”だった私が、誰よりも幸せな未来を手に入れた。
復讐も終えた。愛も得た。
そして今、私は彼の腕の中で、ただ幸せに微笑む。
✧✧✧
サルディア王国最大の聖堂に、花の香と祝福の鐘が鳴り響く。
今日、私は結婚する。
過去を捨て、愛を知り、もう一度生きる意味を見つけた──この国の第二王子、レオナルド=ヴァルハルト殿下と。
「ご心配は要りません。姫様のお美しさなら、王子殿下はきっと卒倒なさいますよ」
鏡の前で最後の仕上げをする侍女が冗談めかして笑った。
鏡に映るのは、純白のドレスを纏った私──リシェル・フェリスタ。細やかな刺繍の裾、胸元にあしらわれた星花のレース。エルフ特有の銀の髪はゆるやかに巻かれ、花冠で飾られている。
まるで、別人のようだった。
「私が……本当に結婚するなんて」
言葉が震えるのは、不安ではない。
信じられないほどの幸せに、現実感が追いつかないのだ。
ドアの向こうから声がかかる。
「リシェル、入場の時間だ」
その声に胸が高鳴る。深呼吸を一つ、そして私は扉を開けた。
◇ ◇ ◇
大理石のバージンロードを、私はゆっくりと歩く。
天井には神聖文字が刻まれ、虹のような光がステンドグラス越しに差し込んでいる。
目の前で私を待つ彼──レオナルド殿下は、黒と金の礼装に身を包み、いつもより少しだけ緊張した面持ちで、けれどどこまでも優しい眼差しをこちらへ向けていた。
彼の隣には、サルディア王国国王と王妃、そして大司教。
そして列席者の間には、騎士団長に王族、貴族、遠方からの使節たちまでがずらりと並び、私を見守っている。
──そう、かつての私を“悪役令嬢”と嘲った者は誰一人ここにはいない。
この場にふさわしくないからではない。
彼が、私の意志を尊重し、「呼ばなかった」のだ。
「君の過去に縛られる必要はない。君が望む人だけに、祝ってもらえばいい」
彼のその言葉は、私の過去を全て包み込んでくれた。
祭壇の前、彼が手を差し出す。
「来てくれて、ありがとう」
「私こそ……ここに来られて、よかった」
手を取った瞬間、涙がこぼれそうになった。
もう、誰にも否定されることはない。
誰のためでもない、私だけの人生を、私の愛する人と歩いていける。
◇ ◇ ◇
式の最中、誓いの言葉を交わす場面で、大司教が厳かに問う。
「レオナルド=ヴァルハルト殿下。あなたは、この者を、愛し、守り、共に歩むと誓いますか?」
彼は即答した。
「はい。私は彼女を、生涯をかけて愛し、守ります」
その声には一切の迷いがなかった。
「リシェル・フェリスタ殿。あなたはこの者を信じ、共に歩むと誓いますか?」
私は、彼を見つめて頷いた。
「はい。私も彼を信じ、支え合って生きていきます」
そして指輪の交換。
彼の手が、私の左薬指に美しい白金の指輪をはめる。
それは、サルディア王家の正式な結婚の証──家名や地位ではない、愛によって結ばれる証。
私もまた、彼の指に細身のリングを通す。
すべてが終わった瞬間、大司教が告げる。
「ここに、二人の婚姻が成立したことを、神々と人々の前に宣言します──祝福あれ!」
◇ ◇ ◇
その後の披露宴は、夜更けまで続いた。
満月の光に照らされた庭園には灯火が灯され、楽団の演奏とともに、花のように鮮やかなドレスの人々が踊る。
「お美しい花嫁様に乾杯を!」
「エルフの姫にふさわしい王子殿下だ!」
あちこちで祝福の声が飛び交う中、私は一人の少女に声をかけられた。
「リシェルさま……おめでとうございます! 本当に、よかった……!」
それは、かつて我が家で私に仕えていた侍女──追放される際、ひそかに手紙をくれた唯一の理解者だった。
「来てくれて、ありがとう。あなたの言葉があったから、私は歩いてこれたの」
私たちは手を取り合って微笑んだ。
その後、レオナルド殿下と初めてのダンスに臨むと、彼は耳元でささやいた。
「リシェル。今夜はもう帰したくない。君は、もう俺の妻なんだから」
その言葉に、私は真っ赤になりながらうなずいた。
◇ ◇ ◇
夜、式がすべて終わったあと。
私たちは新居となる離宮へ戻り、ふたりきりの静かな時間が流れていた。
月光が窓から差し込み、彼の髪が柔らかく光る。
「今日、夢じゃなかったんだよね……?」
「夢なら、君の頬をこうして触れるわけがない」
彼の手が、私の頬を包む。唇が、優しく重なる。
心が震えるほど、愛しい。
私は目を閉じ、ただその温もりに身を任せた。
──私はもう、“悪役令嬢”ではない。
私は、レオナルドの妻。彼の未来を共に歩む、正真正銘のパートナーだ。
どんな過去を持っていても、それを抱えたままでも、彼は言ってくれる。
「君は君のままで、美しい」と。
それが、私の答えだった。
彼を愛している。そしてこれからもずっと、愛し続ける。
満天の星が、夜空に降り注ぐ。
私はその光の下、彼とともに、新たな人生の第一歩を踏み出した。
──永遠の愛を誓って。
✧✧✧
――痛い。痛い……でも、大丈夫。
私は今、人生で最大の試練を迎えていた。
そう、出産である。
「リシェル! 大丈夫か!? いま医師が!」
「殿下、お下がりください! 邪魔です!」
分娩室の外から聞こえる、夫レオナルドの焦った声に、私は思わず苦笑した。何度も「気丈な妻の支えになりたい」と言っていた彼は、実際に陣痛が始まると、狼狽して部屋の出入りを何度も繰り返したらしい。
でも、そんな彼の気持ちは、私の心にしっかり届いている。
「リシェル様、もうすぐです。あと一息で、ご子息に会えますよ」
「っ……はい!」
痛みに耐えながらも、私はただひたすらに前を向いた。
これは、私たちの愛の結晶に会うための試練。
生まれてきてくれる子に、恥ずかしくない母であるために。
◇ ◇ ◇
時間にしてどれほどの闘いだったか、もはや定かではない。
けれどその瞬間――
「おぎゃあああっ!」
産声が響いた瞬間、世界が光に包まれた気がした。
「……おめでとうございます。元気な男の子です」
「……うそ……ほんとに……?」
汗に濡れた額のまま、抱きかかえられた赤子を胸に乗せられた私は、涙が止まらなかった。
小さな手。薄桃色の肌。エルフの血を引いた、愛おしい我が子。
その瞳はまだ開いていなかったけれど、きっと彼に似た、綺麗な紅だろう。
「……ありがとう……生まれてきてくれて……」
◇ ◇ ◇
後日。
すっかり落ち着いた私は、寝室のベッドの上で、赤ん坊を抱きながらうとうとしていた。
そこへ、そっと扉が開く音。
「……リシェル? 起きてる?」
「レオナルド……。ふふ、おかえりなさい」
彼はそっと寄ってきて、ベッドに腰掛けると、私の手から赤子を抱き上げた。
不器用ながらも、優しい手つき。
すっかり父親の顔だ。
「なあ、やっぱり……リオンって名前はどうだ? “光の子”って意味だ。君と俺の光……ぴったりだと思って」
「……リオン。いいわ。とても素敵」
そうして、私たちの息子は“リオン”と名付けられた。
彼は、おとなしくレオナルドの指を握り、小さくくしゃっと笑った。
「ほら、見て。もう君に懐いてる。……ああ、ほんとに……俺、今、人生でいちばん幸せだ」
「私もよ」
昔のことが、遠い幻のように思える。
婚約を破棄され、妹と元婚約者に裏切られ、家を追い出された日々。
誰からも必要とされなかった私を、拾ってくれた彼。
そして今、愛して、支えて、命を共に育むまでになった。
◇ ◇ ◇
「……殿下、エリュシオン王国より使者が来ております」
その報告に、レオナルドの眉が僅かにひそめられた。
王太子アルベルトと妹マリーナは、すでに失脚し、国外追放の身。
それでもまだ、かつてのしがらみは完全には消えていないのかもしれない。
「断ってくれ。今は大事な家族と過ごす時間だ」
レオナルドはきっぱりと言い放つ。
私の手を取り、指に口づけながら言う。
「君の心が乱れるような存在に、俺の妻と息子を関わらせるつもりはない」
「ありがとう……レオナルド」
かつてなら、心が波立ったかもしれない。
でも今の私は違う。
リオンがいる。レオナルドがいる。
過去に囚われる理由なんて、もうどこにもない。
◇ ◇ ◇
リオンが生まれてからというもの、王宮はかつてないほどの賑わいを見せていた。
どんな堅物の老貴族も、赤子の前では顔を緩めるらしく、皆が口々に「王子様にそっくりですな」「いずれは立派な王になるでしょう」と目を細めていた。
レオナルドはそれを見て、ふと私にささやいた。
「……王位継承権、譲られるかもしれないな」
「え? でも、第一王子殿下が……」
「兄上は女遊びがすぎて、父上から呆れられているんだ。弟としては複雑だが、もしそうなったとしても……」
彼は赤子の寝顔を見つめながら、言った。
「リオンを、君を、必ず守ってみせる。王になろうと、ならなかろうと」
私は思わず、彼に寄り添った。
「……ありがとう。でもね、私、もう守られるだけの人間じゃないのよ」
私はそっと、リオンの額に口づけをした。
「この子を守るためなら、私も剣を取るわ」
それを聞いたレオナルドは、わずかに目を見開き――そして、笑った。
「……やっぱり、君は誰よりも強い」
◇ ◇ ◇
ある夜。
リオンが眠りについたあと、私とレオナルドは庭園のベンチに並んで座っていた。
空には星が瞬き、風は優しく、どこまでも穏やかだった。
「……レオナルド。私、昔、自分のことが嫌いだったの」
静かに、ぽつりと呟いた。
彼は驚いたようにこちらを見た。
「エルフだからって、心が読めないって言われて……感情が薄いとか、冷たいとか……。私はただ、表に出すのが苦手だっただけなのに」
「……あの王太子や妹、そしてお前の家族が、君の繊細さを理解しようともしなかっただけだ」
彼の言葉に、胸が温かくなる。
「でもね、今は違うの。あなたが私を好きだと言ってくれて……リオンが笑ってくれて……。ようやく、私も自分を好きになれた気がするの」
「なら、俺からも言わせてくれ。リシェル。君は最高の妻で、そして最高の母親だ」
その言葉に、私はもう何も言えなかった。
ただ、彼の手を強く握った。
◇ ◇ ◇
夜が更け、部屋へ戻ると、リオンが静かに眠っていた。
その寝顔を見つめながら、私はそっと呟いた。
「生まれてきてくれて、ありがとう。あなたがいてくれて、ママは本当に幸せよ」
そして、隣に立つレオナルドの肩に頭を預ける。
「これからもずっと、私たちは一緒よ。三人で、どんな未来も越えていこう」
「ああ、約束する」
彼の手が、私とリオンの両方を包み込む。
それは、どんな過去も、痛みも、すべてを超えていく強さだった。
私は、もう迷わない。
“悪役令嬢”だった過去も、痛みも、涙も──すべてがこの幸せにつながっていた。
この子と、彼と、三人で。
永遠に続く、穏やかで確かな日々を、私は歩いていく。
──そして、物語は幸せな続きへ。
✧✧✧
朝の陽光が、窓辺に揺れるレースカーテンを通して差し込む。
その光に包まれながら、私の耳に響いたのは――
「かーさまぁーーっ! ぼく、また、魔法成功したのーっ!」
弾けるような声と共に、ドアを開けて飛び込んできたのは、我が息子、リオン。
金色の髪は寝癖で跳ね、片手にはきらきら光る小さな水球を乗せている。エルフの血を引く長い耳が、嬉しそうにぴこぴこ揺れていた。
「まぁ……! また進歩したのね。すごいわ、リオン!」
「えへへ、とうさまにも見せるー!」
得意げな笑顔に、私は目を細めて抱きしめる。
あれから五年。リオンはすくすくと育ち、今では王宮中の人気者だ。穏やかで聡明、そして人一倍優しい子。
私たちの光だ。
◇ ◇ ◇
リオンが生まれた翌年、第一王子が王位を辞退し、レオナルドが王太子となった。
私、リシェルは王太子妃となり、そしてついには――
「国王陛下の御成りであられる!」
王宮に響く呼び声と共に、レオナルドが王位を継承し、正式にサルディア王国の新国王となった。
私は、王妃となった。
“悪役令嬢”と罵られ、婚約破棄され、追放された私が――今は一国の王妃。
あの頃の私に教えてあげたい。涙を流した夜の先には、こんな未来が待っているのだと。
◇ ◇ ◇
「リオン、お茶の時間よ」
「はーい!」
王宮の庭園に、笑い声が響く。今日は王室主催の子供の魔法教育見学会。私は王妃として子供たちを迎え、リオンも一緒に学んでいる。
「これ、ぼくの魔法書! とうさまがくれたの!」
リオンは周囲の子供たちに誇らしげに魔法書を見せる。魔力制御の授業でも、彼はいつも誰よりも正確に魔法を使っていた。
それを見守るレオナルドは、目元を柔らかくして私の隣に座る。
「君に似て、努力家だな」
「あなたに似て、誰にでも優しいのよ」
「……どっちに似ても、完璧ってことか」
「ふふ、親ばかね」
ふと、私たちの視線が重なる。何年経っても、彼の目には変わらず私だけが映っているのだと感じる。
――それは何よりの幸福だった。
◇ ◇ ◇
夜。リオンを寝かしつけた後、私は書斎で昔の手紙を整理していた。
その中に一通だけ、異国の筆跡があった。
それは、エリュシオン王国の旧友から届いたもので、かつての妹マリーナが商人として細々と生きていること、アルベルト王太子が出奔したまま行方知れずであることが綴られていた。
私は静かにそれを焚火にくべた。
もういい。
過去は、燃えて、灰になるだけのものだ。
今の私には、守るべき家族がいて、愛してくれる夫がいて――
「何をしているんだい、王妃殿?」
後ろから回された腕に、私は微笑んだ。
「思い出を燃やしていたの」
「ふむ、それなら新しい思い出を作ろう。君が好きそうな香りのワインを用意した」
「……あら、甘やかしすぎじゃない?」
「何年経っても、君は俺の最愛の人だからな」
その囁きに、私はそっと唇を重ねた。
◇ ◇ ◇
ある日の午後。リオンがこっそり言ってきた。
「かーさま、ぼく、大きくなったら、かーさまと結婚するの!」
私はくすっと笑った。
「リオン、それはとても嬉しいけれど、ママはもうとうさまと結婚してるの」
「じゃあ、ぼく、おっきくなったら、かーさまみたいな女の人をさがす!」
「ふふ、素敵な人がきっと見つかるわ」
その小さな決意が、なんだか胸にじんわりとしみた。
◇ ◇ ◇
そして時は流れ――
リオンが十歳になった年、レオナルドと私は盛大な結婚十周年記念式典を開いた。
式の中で、リオンが私に花冠を捧げてくれた。
「かーさまは、世界でいちばんきれいなお姫さまだよ!」
客席からは笑いと拍手が沸いたけれど、私には涙を堪えるのがやっとだった。
私はもう、何も欠けていない。
全てを失ったあの日の私が、ここまで来られたのは、彼と、そしてこの子がいてくれたから。
そう確信できたから。
◇ ◇ ◇
夜。式の後、レオナルドとふたり、バルコニーで空を見上げていた。
星々が、私たちの未来を祝福するように瞬いていた。
「リシェル」
「なに?」
「君に、もう一度言いたい」
彼は、私の手を取り、優しく言う。
「ありがとう。君と出会えて、心から幸せだ」
私はそっと、その手を握り返す。
「私こそ……あなたと出会えて、あなたを愛せて、幸せよ」
それは、ただの言葉ではなかった。
心の底からの、真実の気持ちだった。
◇ ◇ ◇
こうして私は――
“悪役令嬢”として終わるはずだった物語を、自らの手で“愛される妻と母”の物語へと書き換えた。
誰に否定されてもいい。
もう、私には私の居場所がある。
過去ではなく、今を見てくれる人がいる。
そして未来へと繋がる、小さな手がある。
だから私は、この幸せを胸に、堂々と生きていく。
それが、私の本当の物語。