白々と明ける夜明けの先の空腹。
二人を残して、静かに旅立った同僚たちの躰に黒衣にしかできない守護のまじないをかける。
全ての葬送が終わったのは夜明けになってからだった。
白々と明けゆく空が美しい、淡い紫色を帯びた静かな朝だった。
大変なのは葬送の儀が終わっても、埋葬が終わるまでは気が抜けないということだった。
強力な防御結界によって守られているノースドールではあるが、魔術者と護衛騎士の肉体は魔物にとって非常に美味で狙われやすいご馳走である。黒衣ほどではないが、魔力含有量を大きく維持していた血肉を奪われてはたまらない。
死者を辱められることは黒衣としては遺族のためにも、なんとしても阻止したいことであったので、ラクトレイユがいない隙に、シェイリーンはこっそりと保護の魔術を一つ一つの棺にもかけておいた。護衛騎士がいない黒衣が許可なく能力を行使することは固く禁じられているので、バレれば大目玉では済まない。
罰則付きの粘着系の追及を受ける可能性がある。
けれども、万全を期して埋葬が終わるまで保護しておきたい気持ちの方が勝り、あとは知るものかとシェリは誰にもばれないようにこっそりと術を施した。
なお、遺族への連絡を誰がするかという所で揉め、黒衣であるためシェイリーンに白羽の矢が立たったのはまた別の話である。
夜間にもかかわらず訃報によって転移魔術で到着した遺族たちの姿は、心が痛むという言葉では到底足りないほどの様相だった。
ラクトレイユは情報の収集と残務整理に追われている為、すぐさま矢面に建てる人間がおらず、全員が忌避感を示したため、当然の流れでシェイリーンがその礫を浴びた。
泣き崩れる人々の悲しみを真正面から受け、罵倒されながらも付き添って教会に赴き、共に別れを告げた。
全てがしめやかに迅速に行われ、シェリができることは、もう何もなかった。
やや冷え込んだ空は陽光を纏いながら、ちらちらと粉雪が舞い始め、強めの風が大きく吹くと流れるようにその白を攫って行った。
明け方から四時間ばかり仮眠をとったせいで、いつもより朝食の時間が遅れてしまったのだが、それを咎める者は誰もいなかった。
起き抜けのまま空腹に耐えかねてボロボロのぐじゃぐじゃの格好で、食堂に向かっていると、たまたますれ違った数人がギャッと悲鳴を上げて逃げ出してしまった。
人を化け物のように、失礼だなぁと思っていると、壁にかけられた冬の絵の男が「服にたくさん血がついている」ことを震えながら教えてくれた。
一度諦めて部屋に戻り、簡単にシャワーを浴びてさっぱりと部屋に出た時、辺りにはもうすっかり人がいなくなってしまっていた。
それぞれの持ち場で仕事を開始しているのかと思われたのだが、大広間にシェイリーンを除く職員全員が集められ、ことの経緯がラクトレイユから伝達されたのだという。
シェイリーンが放置されたのはラクトレイユと治癒室の責任者であるダーレンティアのおかげで、働きに対し休息を持って報いるという方針だったらしい。
「おはようございます。黒衣のシェイリーン。お皿をどうぞ」
「うん。ありがとう」
まるで伽藍洞のような食堂の様子に、よれよれになった黒衣のローブの裾を直しながら、シェイリーンは食堂付きの邸使い魔からいつものように皿を受け取り、いつものようにあたたかな食事をこんもりと皿の上に乗せると、窓際の席に腰を掛けた。
気が付けば机の上に、レモンジンジャーがたっぷり入ったカップが置かれていることに気づく。
「これは……」
ふわりと香る酸味の効いたほっとする香りに顔を上げれば、遠くで濃紺の瞳の使い魔が恭しく礼を取っていた。どうやら、一連の出来事の全てを把握しているらしい。
彼らは、それなりに働いたシェリの仕事ぶりを褒めてくれているらしかった。
ありがたく好意を受け取ることにして、シェリはじっくりとローストされたパリっとした鶏肉の香草焼きに食指を伸ばすことに決めた。
フォークとナイフで一口サイズに切り分けて口の中に含めば、じゅわっとした肉汁が途端に広がり、天にも昇る心地だった。
パリっとよく焼かれた皮目を咀嚼すれば、甘い肉汁と適度な塩みがたまらない。口の中から鼻腔を通り抜けていくローズマリーの香りが脳まで刺激してくる。
相変わらずの絶品に舌鼓を打ちながら、ふわりと焼かれたロールパンに手を伸ばしていると、食堂のもう一つの出入り口である、ほぼ正面の扉から誰かが入ってくるのが見えた。
二人組の男性で、すっかり疲れ切っている様子で、項垂れた格好のまま邸使い魔から皿を受け取っている。
格好としては騎士と魔術師だろうが、ローブは着ていない。
濃紺の騎士服に紫の紋様がうっすらと見えるから、おそらくは紫の階位の魔術師とその専従の護衛騎士なのだろう。
こちらに背を向けているので容貌ははっきりしないが、黒髪の護衛騎士はどこかで見たことがあるような気がした。
シェリはきれいに食べ終わった皿を受け取りに来た邸使い魔に礼を述べて、程よい温度になったレモンジンジャーに口を付けた。細胞の一つ一つに染み入っていくような優しい甘味と酸味が緊張をゆるりとほぐしてくれる。
さて、今日の業務予定は、と思考を巡らせようとしたところ、目の前の風景がぐにゃりと突然変わった。
風も音も無く、シェリはカップ片手に別の空間に飛ばされてしまったみたいである。
「――何をしているんだ、お前は」
「え?」
食後の一杯を邪魔される格好で、どうやら魔術で勝手に転移されられたらしいシェリは、不機嫌そのものの表情でこちらを睨みつけてくるファルジェから剣呑な表情を向けられていた。彼は魔術師として正装にあたる長衣の白銀のローブに身を包んでいた。
はて、と小首を傾げる。
その隣の席にはラクトレイユが優雅に腰を掛けており、凄みのある美麗な表情でこちらを見つめていた。
おそらくこの場所に無理矢理シェリを呼び出したのは、上司であり保護者である彼であるのは間違いないのだが、なんだかちょっと様子がおかしい。
「……どいてくれないか。重い」
くぐもった声音が背中を振動させた。
ぶはっ、と誰かが噴き出す声と同時にシェリは背中と腰、太もものあたりにやや硬めの弾力と程よい誰かの体温を感じた。
カップを持ったままゆっくりと振り返る。
「あ」
「あ。じゃない」
妖精が好みそうな翡翠の瞳が、金の髪の下で怒りを滲ませてこちらを睨みつけている。
後ろから手を回される格好で、シェリは意図せずその人物の腕の中にすっぽり収まる形で座っていた。腹部に回されていたらしい手が、パッと離れる。
――非常に不機嫌な表情の美人。
ヴェルゼイムとか言う塔の魔術師だ。
昨日と同じく朱金のローブを身に纏っていて、艶やかな金色の星の装飾品がシェリの間抜けな顔を写し取っていた。
「なんというか」
「は?」
「明らかな嫌がらせですね」
どうやら転移先はヴェルゼイムの膝の上だったようだ。
膝の上で両手を組んでいたところ、シェリがその間の空間に滑り込まされたのだろう。
誰にとっての、どういう意味での嫌がらせだったのかについては、随分後になってからわかることとなる。
強制的に食堂から転移させられる形になったシェリは押しやられるような格好で、ヴェルゼイムの膝から落とされた。
残ったままのレモンジンジャーを飲み干すと、執務室の片隅にいつの間にか控えていた濃紺の邸使い魔がカップを受け取ってくれた。シェリに対しては恭しい格好を崩さなかったが、恨みがましくラクトレイユを軽く睨み、音も無くその場から消えた。
きっと領分を荒らされたと、かなり怒っている様子である。
彼が去ると、部屋の中はしんと静まり返ってしまいかなり居心地が悪い。呼び出しの理由は、無断で魔術を使ったことだろうか、とひやりとする。
振り返るのも恐ろしいと思いながら、シェリが薄青の絨毯を見下ろしていると、ずいぶん遠くからラクトレイユの冷ややかな声が走った。
「シェイリーン、座りなさい」
座れ、と言われましても席は執務机の手前に置かれている長椅子のうち、ヴェルゼイムの座る長椅子の反対側になってしまう。思わず一人用の椅子を探すものの、執務用のラクトレイユのそれしかなく、座る地位も権利も持っていないため、シェリは諦めるしかなかった。
「はい……」
間違ってここに呼ばれたのだと信じたいシェリは、取り敢えず当たり障りが内容にやり過ごそうと意を決する。けれども最後の抵抗とばかりにそろりと瞳を上司に向けてみた、のだが。
「早く座りなさい」
凄みのある笑顔でにこやかに指示されて、ヴェルゼイムが座っている長椅子を手のひらで示されてしまう。
ひじ掛けにしなだれるように頬杖をついているヴェルゼイムの雰囲気は、明らかに怒りが滲んでいるし、突き刺すような視線のファルジェは今にも斬りかかってきそうな勢いである。
せめて、誰か一人でも味方がいないかと視線を走らせてみるのだが、柔和そうな表情のヴェルゼイムの護衛騎士は笑いをすっかり収めた後、自分は関係ありませんからね、と視線を逸らした。
見ず知らずの他人に窮地を救ってもらえるとは思わないが、この状況ではあんまりではなかろうか、と泣きたい気持ちになる。
けれどこれ以上ごねても仕方がないので、シェリはしぶしぶに上司の言うことに粛々と従うことにしたのだった。