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終焉の魔女の暇乞い  作者: 雲井咲穂
第一章
8/58

葬送の夜は血色に染まる。

※本文にR-15相当の残酷描写ございます。ご注意ください。




 ――ところが、である。



 シェイリーンの「黒衣」としての役割は、町駐在の先輩黒衣の魔術師にまんまと奪われてしまった。


 今年で齢八十を超えるものの、まだピンシャンしている町の教会付の黒衣を呼びつけたのが、会合のために遠出しているはずの協会長であると知り、シェリは愕然とした。

 あと半年にも満たない在籍の協会職員として、おそらく最後のひと仕事になるだろうと気合を入れて、仕事着に着替えてきたのに。


 粛々と詠われる葬送の魔術に合わせ、黒衣の魔術師の魔力の煌めきが、残影のように夜空を舞い踊っている。


「おのれ……許すまじ」


 思わず奥歯を噛み締めるほどには悔しい。

 見せ場到来、とばかりに意気揚々と万全の支度をしたのにもかかわらず、一気に横から掠め取られたのは間違いなかった。


 シェイリーンは野戦病院と化している治癒室からちらりと窓の外を睨んだ。


 夜は深く日は落ちていて星が瞬いている。

 けれどそれとは別に、青や白の尾を引く光の球があちらこちらに揺らめいていた。


「シェイリーン、当て布を持って来て」

「こっちにも頼む!」

「はい。ただいま」


 矢のように飛んできた声にすぐさま反応し、シェイリーンはパタパタと銀のトレイに乗せた布を呼ばれた方に持って行く。


 遺跡の調査に向かっていた魔術師たちが戻ったのは半刻前。転移で慌てて戻って来たようなのだが、到着するや否や重傷者として六名が治癒室に運び込まれた。帰還したのは九名で、死者が一名伴われた状態だった。


 軽傷とも言えないが、意識がある状態で戻ってきたのは一名のみ。残りの一名は、治癒室に運び込まれる前にこと切れてしまった。


 そして葬送の儀が行われているのは、その既に亡くなった魂たちが惑わぬように、魔物に魂を喰われないように黒衣が護り導いているからだった。


「アリーシャ、ラクトレイユ様に掛け合って、治癒が使える人間をこっちに連れてくるように頼んでくれ」


 顔の半分を布で覆って、緑のローブの魔術師が声を放った。


「了解です。速やかに」


 シェイリーンの横を通り過ぎ、薄黄色の髪の魔女が部屋を出ていく。

 先ほどから入れ代わり立ち代わり、緑の術者が交代で治癒をかけ続けているが、進捗はあまりよくないらしい。


 結構な出血のようだが、傷はそれほどまでに深いのか。


 布を差し出しながら、ちらりと寝台の方に目を止める。太もも部分に当てられたばかりの白い布が見る間に鮮血に染まり、声にならない悲鳴を上げて体をばたつかせている男の姿が見える。動けば動くだけ血が流れ出るので、それを防ぐために二人がかりで体を押さえつけているのだがあまり意味がないようだった。


「シェイリーン! こっちへ早く持って来てくれ!」

「すぐに行きます」


 反対側から声が飛んで、シェイリーンは慌ててそちらに駆ける。


 そちらは魔女のようで、すでに四肢を動かすほどの力が残っていないのが明白だった。上衣の半分を剥かれ、元々は白であったはずの赤い布が胸部を中心にかけられている。シーツの上には彼女が着ていたと思われる紫色のローブが広げられていた。


 奇妙だ。


 魔女としては高位に属するはずなのに、これはいったいどういうことだろう。

 中途半端な魔物の攻撃くらいでは魔女の魔力の層が攻撃を弾いてしまうはずだ。けれども明らかに致命傷と思われる傷が、彼女の命を確実に削っていっているのだろう。


「どうして」


 困惑した声が漏れたのは治療にあたっていた緑の魔女からだった。

 シェリは思わず自分の口から呟きが漏れたのかとハッとしたが、どうやら違うようだった。


 治療にあたる魔女の美しいローブや手袋をはめた手に散っている赤の量は尋常ではない。


 治癒師があれほどまでに焦っている様子が珍しく、シェイリーンは重苦しく息を止める。術の効果がないのはどこを見ても明白で、小さな小傷すら塞いだと思えばすぐに傷口が開き、とめどなく赤い鮮血が体の輪郭に沿って外に流れ出てしまう。


 それはまるで呪いのようだった。


 けが人の傷部分を覆っていた瘴気は既に魔術師によって祓われているはずで、深いとはいえ普通の状態の傷であれば、ある程度の傷は塞がっていてもおかしくないのだが。


 ひゅー、ひゅーと頼りない呼吸音が漏れ、蒼白というより既に白一色に染まっているような表情に生気はない。虚ろな瞳が天井をジィと見つめているかと思えば、目を見開いて金切り声を突然上げた。


「あぁあああああああああああああ!」

「そっちを押さえて! 傷がっ――」


 大きく痙攣した体が大きく弓なりにしなった。押さえつけられたその体の腹部に大きくえぐれたような傷が入っていて、シェイリーンはぐ、と唇をかみしめる。臓器の半分を持っていかれるほどのひどい傷だ。


 これではもう――。


 今しがた裂けたようなその傷跡に目を細め、シェイリーンはできるだけ邪魔にならないように布を手渡していく。


「回復薬! 回復薬をくれ! 魔術じゃ埒が明かない」

「ダーレンティア様、こちらです!」


 リリィの上司で治癒室の責任者であるダーレンティアを筆頭にその部下の緑の魔術者が懸命に治療にあたっている。いつもはのんびりとした口調で穏やかな佇まいの彼もさしもの状況に翡翠の瞳に痛烈な光を帯びさせていた。


 その様子を捉えながら、シェイリーンは布を補充するために備品室に足早に向かう。


 開け放たれた扉の、一番手前のガラス戸棚から清潔な布を補充し、両手に抱えながら元の部屋に戻る。すぐに使えるように多めに布を各寝台のワゴンに乗せておく。銀のトレイに乗せて、手渡しで都度持って行くほどのゆとりはもうなかった。


 そもそも人手が万年足りない職場である上、筆頭の治癒師であるリリィがいないことも大きかった。


 もう一度備品室に戻り、午前中持って来ていた回復薬の詰まった箱を部屋から運び出す。結構な量が詰められているので重さがある為、落としてはいけないと邪魔にならない台に置いてから、各所に置いていく。


 頭の芯が奇妙に冷えているのは、似たような修羅場を何度も経験したことがあるからだった。


 人生において、どのような環境下でのどのような経験が、後々同役に立つのかは本当にわからないものなのだなぁ、などと観察をしながら、シェリはすっかり空になった箱を備品室の邪魔にならない場所に置いた。


 緑色のローブが行きつ戻りつしながら動いていく様を観察しながら、シェリはまた一つ魔力の欠片がすり抜けるように窓の外へ抜けていくのを見送った。


 黒衣の魔術師の魔力の音に引き寄せられるようにして、青銀の光を煌めかせながら、ひとつ、また一つとどこかへと消えていく。


 手伝いたいのはやまやまなのであるが、治癒師でもないシェリができることはあまりない。求められるままに回復薬を必要に応じて手渡し、買えの布や包帯を補充し、邪魔にならないようにひっそりと壁際で待機するだけである。


 手が足りているところに足手まといの自分が押し寄せて治療空間を圧迫させることはできないし、黒衣を纏っている自分が近づけば、治療を受けている人の心を騒がせてしまうだろう。


 以前治療を手伝っていたら、とある魔術師に俺の魂を取りに来たのか、と言われた言葉が脳裏に過る。


 せめて着替えてからとも思ったのだが、緊急を要することは明白で、クレンティアに引きずられるような形で臨時の治癒所に押し込まれてしまったのだから、どうしようもなかった。


 くるり、と自分の傍を踊るように通り過ぎる美しい光の欠片を見送って、シェイリーンは悲鳴のような残響を静かに耳に入れた。


 悲痛なほどの叫びがあちらこちらから響き渡るのを耐え難く思うのは、傍について治療にあたっていた者たちこそふさわしい。

 葬送の見送りは既に始まっているのだから、彼らの魂は静やかな安寧に導かれるだろう。


 けれども、こちら側に残っている「人」の意識はここに留めておかねばならない。

 まったく、嫌な役割だとシェイリーンはふう、と息をついて天井を見上げた。


 一人。

 また一人と治療という名目が終了した寝台から人が離れ、別の矛先に意識が向けられていく。


 癒しの魔力だけが淡い光の玉となってあちこちに迸る光景を見るともなしに視界にとらえ、シェリは長く息を吐くと、ゆっくりとそこへ向けて歩き出した。


「シェイリーン。頼んだ」


 ぽん、と緑の魔術師が力なく項垂れながらも言葉をかけてくる。

 シェリは静かに頷いて、丁度顔に布が下ろされたばかりの一つの寝台に近づいた。


 青のローブの魔女が悲鳴とも泣き声とも判別しがたい声を上げ、寝台のそばに縋りついていた。そうかと思えば、隣の寝台の横から顔の半分を手で覆い、嗚咽を漏らしながら扉をくぐって出ていく護衛騎士の姿が見えた。


 彼らはそれぞれに魂の繋がった相棒を永遠に失ったのだということが分かった。


「しっかりしてください!」

「こちらに回路を繋ぎとめておいて! 手放さないで」


 撃つような声が重なり、背後の重症者の方に余った人員が駆け寄っていく。


 治癒師の緑のローブが鮮やかに翻る。


 シェリはベッドの上で静かに横たわる、すでに旅立った同僚に寂しげな笑顔を向けた。


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