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終焉の魔女の暇乞い  作者: 雲井咲穂
第一章
7/58

深淵は黒々と口を広げて闇夜を迎える。

 

 シェリがこの約三年間、敵だらけのノースドールで何とかやってこれたのは、数少ない友人たちの存在と、どんな時でも厳粛な平等さと辛辣さを持つ彼らの存在のおかげだった。


 シェイリーンは魔術協会との契約が終了したら寮を出ていかねばならないので、一人暮らしになってしまうのであるが、部屋の掃除と食事の支度が大変なので、誰か雇用できないかと考えていた頃もあった。


 けれど、それは土台無理な話だったのである。


 彼らは気に入った建物に住む存在で、区分としては妖精に属する。

 建物を管理する主に仕え、契約によって縛られる。紫紺の瞳の使い魔も少女姿の使い魔も魔術協会に属している存在で、おそらく契約者は不在がちの協会長だろう。


 自らが認めた主人の命令しか聞かない邸使い魔を、一介の職員の端くれ、しかも黒衣の魔女であるシェリごときが雇えるわけがないのである。


「お飲み物はいつも通り、レーネトーネの果汁をご用意いたしました」


 椅子を引かれ、腰を下ろすと、音も無く白いテーブルクロスの敷かれたテーブルの上に料理が並ぶ。


 プレートにはシェリのお気に入りのふんわりとした甘い香りのクルミのパン。野菜のサラダに白見魚のマリネ、色よい焦げ目のついた豚肉のソテー。豆とベーコンの入ったコンソメのスープが載せられていた。


 レーネトーネはオレンジ色の少し酸味のある果実で、件の果樹園で育てられている果実でもあった。疲労と魔術回復に対して一定の効果があるというのだが、その配合は調理場の邸使い魔しか知らないのだという。


 ガッツリと見事な夕食なのは、夕食を食べる時間がなかったシェイリーンを慮ってのことだろう。不要な仕事のおかげで、今日中に終わらせねばならない仕事が終わらず、残業を続けていたところ夕食の時間を逃してしまったのだった。今日はもうあきらめて寝ようかと思っていたのだが、やはり食欲には勝てない。


 食べることは、生きることなのである。


「わぁ。おいしそう。ありがたく頂戴します」


 時間外に仕事をしてもらったお礼として、シェイリーンは寝着のポケットの中に入れておいた、小さな石をコロコロと取り出して机の上に置いた。


 小指の先ほどのガラスのカレットのような様々な形状の石で、赤や黄色、青や緑など、様々な色彩を持つ。


 実は魔石で、回復薬などの合成を担う調剤研究課を手伝っているうちに、「多少の駄賃」として欠片を貰い受けるようになってしまったのである。ありがたくもらうことにしているのだが、実はこのままだとあまり役に立たない。


 というのも魔石の扱いというのは実は非常に高度な魔術の術式を要し、精密な魔力の調整が必要なのだという。しかも、魔石を使った回復薬などの錬成方法は、一部の天才にしか無理なのでは、と思うような難解な手順と忍耐力に加え、上記のような魔術の技術を要する仕事なのであった。まさに職人と言っても過言ではない。


 黒衣としての能力以外は全く無能と言ってもいい、ある意味魔術師としてはポンコツに類するシェイリーンが、そんな高度な技を使えるはずもなく。もらったは良いものの、利用価値すらわからず、数年間部屋の中でたまっていったものだった。


 ある時、ただ溜まるだけになってしまった魔石の処分方法を検討していたところ、部屋を覗き込んだラクトレイユが使い魔の駄賃になるねと教えてくれた。以降は大量の魔石の欠片を片付けるために、心づけのような形で渡している。


 魔石の欠片を手にニコニコと微笑む少女姿の邸使い魔は言葉を操ることはできない。

 日頃はリネンを取り換えたり、天井の埃を掃除したりする専属の使い魔で、青年姿の使い魔とは魔力の性質が異なるのだという。


「どうぞゆっくりとお過ごしください」

「ありがとう」


 すぐ横にいた気配も消え、シェリは苦笑しながら礼を述べ、いつもの如く漫然と食事をはじめた。



◇◇◇



 食後のデザートの硬めのプリンを食べ終わり、ミルクティーに口を付けていた時だった。


「シェイリーン様。お客様が」

「え?」


 ふわりと花の香りをわずかに残し、耳元で邸使い魔の声が聞こえた。彼らにも固有の名前があるのだが、自らが認めた主人にしか名を明かさないため、シェリは個別の名前を知らない。


 シェリはハッと顔を上げ、すぐに聞こえた足音がぴたりと止まるのを耳に、嫌な予感がして固まった。それは相手も同じだったようで、見る間に空気に馴染む魔力が棘のように肌を刺してくる。


 魔術階層は最下位だが、黒衣の特性上、魔力の気配を嗅ぐのは非常に得意だ。


 そのよく知った魔力の香りにぐっと眉間にしわが寄る。

 まったく、いい気分だったのに、最後の最後で台無しだ。

 シェリはため息をつきながらゆっくりと立ち上がった。


 そのまま、食堂の入り口付近に立ち尽くす誰かの気配に背を向けたまま、自分には関係ないとばかりに反対の出入り口に向かって歩き出そうとした、のだが。


「とんだご挨拶だな、シェイリーン。口がきけないのか」


 悠々とした態度で再びこちらに歩み寄ってくる気配に、シェリの眉間の皺がますます濃くなる。

 どうしてこの男はいちいちやっかんでくるのだろうか。

 暇なのだろうか。


 自分が彼に嫌われていることは聞かずともわかるし、できれば口を聞きたくないというのも肌で感じられる。


 シェリは振り返るかどうか僅かに考え、逃げ出したと思われるのも癪だとくるりと振り返った。

 すれば、想定通りむっとした表情のファルジェの眉間にますます深いしわが刻まれ、何かを言いかけるように口が僅かに動く、が音を出すことはなかった。


「何の用ですか?」


 じとりと睨めば、ファルジェはほんの一瞬だけ傷ついたような表情をした気がした。いつもはっきり物を言うこの男が煮え切らない態度をとるのは割と珍しい。


 そういえば、こんな時間だというのに彼はまだ仕事着のままだ。


 緋色の紋様が走る白銀色のローブの下に、黒に近い濃紺の騎士服が垣間見えた。

 シェイリーンが残業をしていると、まだ仕事が終わっていないのかとせせら笑うように通り過ぎる、定時仕事終了組の彼がこんな格好をしているのは非常に珍しい事だった。


 たったそれだけの違和感がざわりと妙な予感を感じさせて、シェイリーンは棘を一度納め、まっすぐに彼を見上げた。


 青氷の瞳が動揺に揺らめくさまをシェイリーンは見逃さなかった。


 開け放たれたままの食堂の入口の向こう。廊下の方向から緊迫感を帯びた、たくさんの人々の声が聞こえてくる。音は反響し、怒号のような鋭い声まで飛ぶ始末だ。


「なに?」


 ファルジェの背後に向けて、視線を投げた時である。


「ヘイリルたちが戻った」

「ヘイリル……?」


 任務を受けてとある魔物の調査に向かっていたという仲間が近日中に戻ってくることをシェイリーンは記憶している。戻ったというのなら明るい話題でしかるべきなのに、なぜ彼はこうも歯切れが悪いのだろう。

 そして、どうして悲鳴を織り交ぜた声が連なっているのだろう。


「内向きの仕事だ、シェイリーン」


 ファルジェは静かに。

 ひどく疲れた顔で、シェイリーンを見下ろしている。


「――黒衣として、仲間を送ってやってくれ」


 言葉の真意を理解するまで数秒。

 返す言葉もないままに。

 シェイリーンは静かに固く、目を閉じた。

 


いつもお読みいただき、ありがとうございます。

明日が土日ということで、本日は三話更新させていただきます。

21時、22時、23時に各話1話ずつの配信です。

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