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終焉の魔女の暇乞い  作者: 雲井咲穂
第一章
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星が瞬く濃紺の廊下と食堂の邸使い魔

「あー。つかれたー」


 命の洗濯という名前の入浴をしっかり堪能し、シェイリーンは半渇きの頭のまま、人気のない明かりの落とされた長い廊下を歩いていた。


 壁紙の色は夜露を落としたようなしっとりとした濃紺に変わっていて、天井の部分にはごく細かな星の瞬きのような白や黄色、赤や緑、青といった小さな魔力の煌めきが輝いていた。天井に間隔を開けてはめ込まれている天井灯の灯りはふわりとした白色で、頼りなくはないが明るすぎない程よい光量だった。


 壁にかけられている絵画の人物たちはナイトキャップをかぶって眠りに落ちているか、枕を抱いて眠っている者が多い。面白いからと言って話しかけたり、額縁を揺らして叩き起こそうとしてはいけない。手酷い絵画の呪いをもらってしまうことになる。


 気持ちよさそうに睡眠をとる絵がある一方で、抜け殻になっている絵画もある。そういう時はたいてい、酒瓶を片手にカードゲームをする男の絵や酒場風景の絵に様々な絵画の人物画集まっていることが多い。


 仕事時間もすでに終わり、残業らしい残業をしている人の姿も見受けられない。


 明日は週に一度の公休日の緑の日だ。この日ばかりはさしもの魔術協会も重要案件を除き、ほぼすべての部門の仕事が停止する。それはもちろんシェイリーンも含まれる。


「明日は休みかー。どこに行って、何を食べようかなぁ」


 さすがに一日中黒を纏う気もないので、現在はモスグリーンの薄手の寝着に、友人から土産として渡された、白虹蚕の繊細なレースのショールを引っかけている。気温に応じて微妙な温度調整ができる空気のように軽い特別な品物で、調べたところ大変高価なものらしい。まだ早いが誕生日の贈物として受け取って欲しいと押し付けられ、気に入って使わせてもらっている。


 本来ならリリィたちと一緒に町に出かけて、新しい食事処を開拓したいところではあったが、彼女たちは仕事で不在だ。しょうがないので、一人で行くしかないと頭の中で地図を広げる。


 ノースドールは漁港を要する海町であるので、新鮮な魚介を食べられる店は多い。


 外海に向けて開かれている海運の要所でもあるので、様々な国の香辛料や珍しい食べ物、交易品なども流入してくる。特にここよりさらに北に行った辺りの海で取れる、氷河カニや凍土エビは非常に美味で、好き嫌いはあるだろうが荒い波にもまれて育まれた大牡蠣は絶品である。


「炭火で焼いてタネージュを少し落として食べると、汁までおいしいのよねぇ」


 じゅるり。想像するだけで唾が湧き出てくる。

 

 生にレモンをかけて食べる猛者もいるらしいが、シェイリーンはどちらかというとしっかり焼いて、東の島に伝来する塩みの強い茶色の調味料を少しかけていただくのが好きである。大牡蠣は当たると大変。二度と食べたくなくなるというので、好物を食べられなくなるような事態は避けたいと思うシェイリーンであった。


 廊下の突き当りに差し掛かり、右か左かどちらの方向に行くべきか足を止める。

 右に行けば職員寮で、左に行けば食堂である。

 唇に丸めた指先を当ててしばし熟考する。


 今日は朝から散々な一日だった。


 ファルジェが突っかかってくるのはほぼいつも通りだったが、その後ヴェルゼイムとか言うあの塔の魔術師の言いぐさを思い出し、シェイリーンは唇をピクリと痙攣させた。


「二度とお会いしたくないタイプの人間だわ」


 攻撃されれば根に持つタイプのシェイリーンは、一度敵認定した相手のことを永遠に忘れない。

 ラクトレイユもラクトレイユだ。

 あれは明らかに、シェイリーンが嫌がるとわかって呼びつけたに違いない。


 先輩の黒衣の魔女のことを知りたいのであれば、弟で護衛騎士の、このショールの送り主に聞けばよいものを。


 「仕事」というからに、外での任務でも与えられるのかと思えば違い、ただの情報提供者に終始してしまった。あれを仕事と呼ぶのなら、こうして廊下を歩いて食堂に自然と向かっているのも「仕事」の一環みたいなものだ。


 いつになく、何を考えているかわからないラクトレイユが非常に不気味で、シェイリーンはもうこれ以上考えるのをやめようと思考を完全に放棄した。



◇◇◇



 本館と円錐形の塔を挟んで接合されている、ノースドール魔術協会の職員が寮にしているこの建物は、長方形の白砂煉瓦で作られた美しい建物である。


 間の深緑色の鐘楼屋根を持つ塔は主に、ラクトレイユや彼の上司である不在がちの協会長の個人的な私室や執務室になっている。シェリたち下っ端が居住する区域はその塔の建物に隣り合う、三階建ての長方形の建物だった。


 三階が女性寮、二階を男性寮とされ、それぞれの入口は邸付の使い魔によって厳重に管理されている。

 結婚を機に寮を出る者が多い為、独身者専用の寮と呼ぶべきかもしれない。


 とはいえ、ノースドールの職員の総数は五十名にも満たない。仕事で出かけている職員がほとんどで且つ、独身は全体の半分以下なので常駐人数はさらに少ない。その為、かなりの部屋が余っているのは言うまでもないことだった。


 二、三階が居住スペースで、一階部分は共用部分となる。


 季節に一度行われる宴会場を兼ねた大ホールにいくつかの会議室。食堂、共同の入浴施設や遊戯室、談話室などが存在している。

 寮内の各部屋にはもちろん水回りの設備が備え付けられているのだが、簡易的なシャワーが中心である。その為、浴槽に入りたい部類の人間は、必然的に一階の共同の入浴施設を利用することとなる。


 海に面す、潮が肌に纏わりつく土地柄故の配慮なので、他の魔術協会にはない設備なのだという。

 また、元はこのノースドールの領主の館であった名残として、そこそこの広さの広々とした庭を要する。


 中庭と呼ばれるその場所の端には、魔術によって室温管理された温室があり、珍しい薬草や毒草が栽培されていた。併設する小さな果樹園も同じで、おいしそうだからと無断で採ろうとすると邸使い魔がどこからともなく現れて呪いをかけるのだというから恐ろしい。以前新人がどうせ邸使い魔など大したことがないと高をくくって手を出し、しばらく鏡が見れない顔になってしまったのだというから、面白半分でも手を出すべきではないとそれ依頼、新人の脳ミソに叩きこむべき規則として踏襲されている。


 寮の建物の一階部分には中庭を臨む、二十四時間開放されている図書室がある。図書館の外のテラスに出て、借り受けた本を読みながら時間を過ごす職員がしばしば見受けられる。


 一見のんびりと余生を過ごせそうな貴族の館風の造りなのではあるが、その実は非常に強固な結界魔術によって守られている。


 幾重にも世代を超えて丁寧に編まれたこの結界は非常に厳重で、外から中を窺うことは一切できない。それは、教会の敷地の周囲を取り囲む植え込みやフェンスのせいだけでなく、認識阻害と侵入防止のための魔術結界によるためだ。


 小柄な女性の身長ほどしかないフェンスを昇れば中に容易に入れそうだと思う者もいるかもしれないが、それは土台無理な話だ。魔術協会の中で四本指に入るほどの位置づけにあるノースドールの魔術協会にかけられた防御装置は非常に厄介なのである。


 「入口」でない場所からの侵入は固く禁じられているため、気が付けば極寒の海のただ中に落とされたり、白銀の山の頂に転移させられていることもあるのだという。


「どうせならあの人を転移させてくれたらよかったものを」


 通路の先にある白い扉が、内側に向けて人気もないのにゆっくり開く。

 人の気配によって自動的に開く魔術がかけられており、その入り口には今朝と同じように一人の紳士の姿をした邸使い魔が恭しく首を垂れた。


 別に魔術者に尊敬の念を込めて慇懃無礼な作法を順守しているのではないことをシェリは知っている。そうあるべきものだとなんとなく認識している程度のいつも通りの行動に、シェリはほっとしたように肩を下ろした。


 人とは違い、使い魔や古竜の血を引くラクトレイユは、黒衣だからとシェリを異端の目で見たり蔑んだりはしない。


「黒衣の魔女、シェイリーン様」

「こんばんは。こんな時間なのにお邪魔してごめんなさい」

「いえ。食堂はいつでもあなた様を歓迎しておりますよ。黒衣のシェイリーン様」


 涼やかな鈴の音が転がるような声で青年の人間の形に擬態している邸使い魔が、紫紺の瞳をうっとりと細めている。その傍には薄桃色の瞳と髪をした可憐な少女がにこりと微笑んで両手に何かを持っていた。十歳ほどの外見にしか見えないが、実は生きてきた年数だけをとれば、シェイリーンの三倍以上だというから驚きである。濃紺の使用人風のお仕着せに白い縁レースの入ったふわっと広がるエプロンを纏った少女が、すう、と腕を上げて窓の方を指差した。


「さあ、こちらへ。ご案内いたしましょう」


 ゆるやかに視界の端を邸使い魔の白い手袋が翻る。

 その普段通りの優雅さに、シェイリーンは困ったように切なく眉毛を下げた。



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