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終焉の魔女の暇乞い  作者: 雲井咲穂
第四章
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名呼びの魔術。

 ――時はしばし遡る。


 ミジュラドへ向かう開けた街道を、どうあっても具合が悪そうなヘイリルを馬に乗せて移動していた。

 嘔吐を繰り返す彼に付き添い、ファルジェとシェイリーンが川傍で介抱している。その様子を漫然と見やりながら、ヴェルゼイムは傍らに控えるクラゼファンに声をかけた。


 幼少期から守護者として付き従っている彼のことだから、きっと自分が言わんとしていることを理解しているだろう。

 できるだけ平常心を保ちながら全体を見渡すふりをしていると、クラゼファンがぽん、と右の肩を叩いた。


「あまり張り詰めていては」


 やはりお見通しのようで、ちらりと視線を向ければ明らかに苦笑している。しかし、その濃灰色の瞳は油断なく一点に定められていた。


「そうは言っていられない。いつ何が起きるかわからないからな」

「それは、……そうですが」


 シェイリーンの方を捉えながら、クラゼファンはゆるく首を振って自嘲した。それからすっと表情を戻し、外套の下に佩いている剣の柄に両手を置くと、注意深くヴェルゼイムの方を向き直る。


「ヴェルゼイム様は、どのようにお考えですか?」


 いつもは黙って付き従うことの多いクラゼファンが、漠然と意見を求めてくるのは珍しい。ヴェルゼイムはさてどうしたものか、と思案した。

 何から話せばよいのかと順を追って頭の中で質問を組み立てていると、護衛騎士の体が警戒するように微かに動くのがわかる。


「クラゼファン様。大変申し訳ないのですが、ヴェルゼイム様をお借りできますか?」

「どうかしましたか?」


 やや小走りでこちらにやってきたのはシェイリーンだった。

 灰に薄汚れた外套をしっかりと着込んでいるが、やや寒いのか、鼻の頭が赤く染まっている。

 角度によって移り変わる珍しい多色の瞳をこちらに向けながら、やや躊躇しつつも頷く。


「うちの魔術師の治癒魔術ではあまり効果がないようなので、少し診ていただけないかと思いまして」


 黒衣の中でも多少の治癒術を使える魔女は多いが、彼女はそれに該当しないのだろう。口ぶりから、あまり容態がよくないことがわかる。ヴェルゼイムは微かに頷いた。


「ファルジェは何と言っている」

「どうにも弾かれてしまうのだと」

「瘴気は?」


 幹部などに魔物の瘴気が残っている場合、どんなに治癒を施しても無駄に終わることがある。それを示しての言葉だったのだが、シェイリーンは正確にくみ取ったようで首を横に振った。

 夜通しヘイリルの様子をほぼ寝ずに見ていたらしく、目の下には隠しようのないクマがしっかりとできている。

 思わず手を伸ばしそうになるのをぐっとこらえ、ヴェルゼイムは視線を逸らすように傍らのクラゼファンに視線を送った。護衛は少し渋そうな顔を一瞬だけしたが、また元のように柔和な表情に戻って頷いた。


「私も一緒に診ましょう。多少の薬の知識はありますので、持っている薬草が役に立つかもしれません」

「申し訳ありません。では、お願い致します」


 粛々と礼を取って、シェイリーンは案内をするように背を向けた。

 その背中をなんとなく見つめながら、ヴェルゼイムは小さくため息をつく。


「クラゼファン、異変はあるか?」

「今のところ何もございません」


 あの日の夜、確かに感じた魔術師と護衛の専従契約の揺らぎ。

 明らかに、誰かの魔力の干渉を受けたものだとわかったのだが、そんなことが果たしてあり得るのだろうかと、ヴェルゼイムは未だに悩んでいる。

 強制的に主従の契約を揺らすような魔術の使い手など、近くに存在するはずもないのに。


「どちらにしろ、真偽を確かめたいところではあるが。さて。どうするかな」

「一番良いのは、ラクトレイユ殿に問いただすことでしょうが」


 今さら何をと言い捨てられる可能性も孕んでいた。


「次の町には塔の支部があったはずですから、鏡を使わせていただいてはいかがでしょうか?」

「通信の鏡は、もう一つのトランクの中だからな」


 レーベの町で、シェイリーンがヴェルゼイム達の荷物があまりに多いと、悪鬼のごとく仁王立ちしていた姿を思い出し苦笑する。たった数日前の出来事なのに、ずいぶん昔のような気がするから不思議なものだ。上位の魔術師に向けて物おじせず、遠慮の欠片もなしに言葉を発する魔術者も珍しい。


「ヴェルゼイム様。申し訳ありません。お願い致します」


 ヴェルゼイム達が一向にやってくる気配がないと気づき、白銀の髪の娘がむっと眉間にしわを寄せている。感情を隠すのが下手で、どうにも嘘がつけなさそうだ。


「……ヴェルゼイム様。名を呼ぶことをお許しになったのですか?」


 ぱちくりと、クラゼファンが耳を疑ったという表情で瞬いている。大きく動揺したときにだけ見せるその顔に、ヴェルゼイムは目を眇め、まるで悪戯がバレた子供のような表情で見返す。


「さて。どうだったか」

「嘘をついてもすぐわかりますからね。何年傍に仕えていると思っているのですか」


 クラゼファンは半眼で睨むようにしながら言葉を続ける。


「下位の魔術者は上位の魔術者の名を呼ぶことはできない。契約を取り交わした護衛騎士とは違い、言葉の魔術の制約を受けるからです。それに。あなたは基本的に他者に名前を呼ばれるのを嫌いますからね。魔力を伴わない名呼びすら基本的に許さないほどに。……とすれば、わざと、ですね。彼女は――」


 最後まで言いかけて、クラゼファンはハッとして顔を上げた。

 非常に面映ゆそうに、新しい悪戯を仕掛けている風の主の様子に、げんなりとした表情を向ける。


「お人が悪い……。バレたら、叱られるだけではすみませんよ」

「どの道、必然的にそうなっただろう」

「……。どうなっても知りませんからね」


 ガチャ、と剣の柄にもう一度手のひらを落とし、クラゼファンは本当に困惑したように眉を下げた。




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