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終焉の魔女の暇乞い  作者: 雲井咲穂
第一章
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傲岸不遜な朱金の若君は塔の魔術師です。



 こんなちんちくりんの子供を呼んだ覚えはない、と言われましても――。


 クレンティによって上司であるラクトレイユの執務室に引っ張られるようにして入室したシェイリーンは出会いがしら早々、頭の上から靴の先っぽまで朱金のローブの魔術師に値踏みされたのち、さらには無遠慮にも「コレ」と指差された。


 しかも話にならない、とまで言い捨てて敵意をまぶした視線で冷たく一瞥されたのち、完全な無視を決め込まれてしまった。


 お客様だということで、粗相をしないようににこやかに微笑んで片手を差し出したシェイリーンの指先が虚無と怒りに震えている。


 顎を落としかけたのは事実で、既に成年を迎えている淑女に対して、何て言い草だと耳を疑うことしかできなかった。シェイリーンの眉間に深く皺が刻まれると同時にあっという間に退出したクレンティには、あとで何か特別な贈り物をしておかねばならないだろうと心に決める。


 シェイリーンは非常に不愉快な言葉を初対面で吐き捨てたこの人物のことを、多分一生忘れないだろう。


 無事シェリの「敵認定リスト」入りを果たした彼の名は、ヴェルゼイム・ウィンヴェールといった。


 名前から察するに貴族のようで、外側だけの仕様を見れば、なるほどかなり上等な衣装に身を包んでいるし、ラクトレイユと並んでも遜色がない程度にはそれなりの容貌である。


 宝飾細工に使われるような少しとろみのある落ち着いた金色の髪の毛に、鳥の羽のような淡く輝く妖精の瞳のような翡翠色をしている。どことなく甘やかな顔立ちの中に怜悧さを伴った印象で、ファルジェとは性質の違う精緻な美術品のような雰囲気をたたえている。


 シェリのような平民の小娘などでは到底理解が及ばない世界で育ったのだろう、この――。


「誰でしょう? この傲岸不遜な俺様若君は?」

「は?」


 尖った丁寧語で滑るように言葉を零せば、一瞬何を言われたのかわからないというように、傲岸不遜な俺様若君との称号を与えられた青年が目を瞬いた。


 身に纏うのは最高位であることを示す朱金の豪奢な魔術師のローブだ。


 細やかな緋色の布地の中に、朱金糸の織りが見られる特別製で、魔術の迸りのような加護がちらちらと光の欠片のように滲んでいる。右の胸元を彩るのは、精緻な細工が施された星を象ったブローチである。

 艶やかな金色の房の中には緋色が織り交ぜられ、最高位の星の称号を持ちながら、火の精霊の加護を得ているらしかった。


 さらに気になるのは、騎士服のような白い衣装だ。綺麗にプレスされた衣服には泥汚れの一つも付いておらず、その端々に華美にならない程度の朱金の守護の紋様が縫い取られている。パッと一瞥しただけでもわかる、細かな織りの滑らかなシルクのようなその生地は、シェリの数年分の給料に匹敵しそうだった。


 眩暈がしそうなほど高価な衣装に身を包んでいるのに、初対面の人間を「これ」呼ばわりする性格の悪さをシェリは見逃しはしない。


「ご用があるということで参上しましたが、ご用がなさそうなので、退出したいと思います」


 これ以上不快なものを視界に入れたくなかったシェリは、彼から完全に視線を外し、机の上で両手を組んで薄く微笑んでいる上司に目をやった。


 西方の果ての出身だという褐色の肌に灰銀の髪、艶を消した琥珀色の瞳の上司の口の端がピクリ、と波打った。魔術師としての位階を示すローブの色は白銀で、煩わしいという理由で複数個所持する飾り房を身に着けることを嫌がっている。


 シェリのことを見やるなり「子供」と称した男性より魔術師の位階は下位ではあるが、魔術会ではかなりの実力の持ち主であることをシェリは知っていた。

 同じ位階であるファルジェなど、経験と魔術の腕では足元にも及ばない。


 育て親の厄介な上司。

 それが彼、ラクトレイユである。


 この喰えない副協会長は、シェリが面倒ごとは御免だとさっさと踵を返す前に口を開いた。


「仕事」

「……お仕事でしたら、本日は書類仕事を膨大にいただいております。それに朝一で治癒室に、かねてより依頼のあった回復薬を二箱ほど届けなければいけない他。諸々の雑務が溜まっておりますので、これで失礼します」


 では、と扉に向けて歩き出せば、ゆらりと隣で影が動いた。


「どこへ行く」


 ぱし、と片腕を捉えられ、シェリは思いっきりのしかめっ面でそれを容赦なく跳ねのけた。


「触らないでくださいね」

「おまえ」

「見ず知らずの他人様に、お前と呼ばれる筋合いはございません。若君」


 黒のローブに埃が落ちたとばかりにささっと払って、シェリは憮然としてそちらを見上げた。鋭く咎めるように視線を合わせれば、払われて所在なく宙に浮いた指先が行方を失くしたままわなわなと震えている。


 魔術階級こそが人間の序列そのものとでも思っているのだろうか。

 だとするのなら、勘違いも甚だしい。


 下位の序列の者に手を払われたりぞんざいに扱われたことがないのは明白で、一体どこの時代錯誤のおぼっちゃまかと軽く肩を竦めた時だった。


「くっ」


 ほのかな圧を感じて視線を巡らせると、扉の横に一人の男性が佇んでいた。

 このあたりでは少し珍しい青みのある黒色の髪に、濃い霧灰色の瞳をしている。年のころはヴェルゼイムよりやや年長で、三十を幾ばくか過ぎたくらいに見えた。


 身に纏う空気はなんとなく清涼で、騎士が好んで纏う白銀色のマントに、魔術が織り込まれた金糸の防衛刺繍が目立つことから、おそらくは若君様の護衛騎士なのだろう。

 敵意はなさそうだが、信じられないというような表情でシェリと、その隣の若君を交互に眺めている、と思ったら再び突然盛大に吹き出し、腹を抱えて笑い始めてしまった。


「ゼファ! 笑うな!」


 顔に朱を走らせて、若君――ヴェルゼイムと紹介された青年が、憤慨したように声を荒げた。

 一体何事だと目をぱちくりやったまま硬直しているシェイリーンに対し、同じように小さく笑いを揺らめかせていたラクトレイユが顔を上げる。


「シェイリーン。その方は、塔の魔術師殿だ」

「塔?」


 塔と言えば、リリィが蛇蝎が如く嫌っている仇敵、ではなく魔術研究狂いの変質者が多いと言われている機関のことだろうか。

 魔術協会とは対立する部分もあるが、魔物の討伐や研究、魔術や禁書分析などで協力することもあると聞いたことがある。


 シェリは顎先に手を当て、腰の丈までの黒衣のローブの端を少し揺らすと、青年の様子を上から下までとっくり細くした瞳で観察し、ふう、と息を吐いた。

 やはりそれなりの魔術師であることはわかるのだが、自分とは同じ世界線を重ね合わせる人類ではないと即座に判断を下す。


「塔の魔術師様ともなれば、黒衣など虫ほども価値がないと思われていることでしょう。非常に居心地が悪いので、退出の許可をいただきたいのですが?」

「ダメだよ。退出は許可できない。シェイリーン」

「なぜですか」

「ラクトレイユ殿、――そ」


 何か言い掛けるように口を開きかけたヴェルゼイムをシェリは鋭く視線で制す。


 無礼と取られても仕方のない態度ではあるが、対面して即秒で明らかな侮蔑と敵意を剥き出しにしてきた人間に阿る必要はないと判断する。仕事による叛意や明らかな命令違反に対しては罰則が設けられているが、他組織でかつ業務上のかかわりのない人間に対しては、特に取り決めはない。敵意を向けられたから、同じだけの熱量で返しているだけなのだ。


「魔術協会の――、最下位は、大した方のようだ。よほど魔術に自信があるらしい」

「塔がどうかは存じませんが、ここでは人間性における品格が重要視されますので」

「それでいくと君は黒衣同然ということとなるのだが」

「見てくればかりで、中身のない張りぼてと一緒にされるのは心外です」

「どう考えても礼意を損ねているのは君の方じゃないのか?」

「あら? 塔の常識は初対面で、人の容姿をけなすのが挨拶なのですか?」


 こちらは平常の客用の挨拶に、手を差し伸べてにこやかに笑みさえ浮かべたのに。

 自分のことを棚に上げるとはいい度胸だと塔の魔術師を一瞥した後、視線だけで部屋の最奥に座する上司に意識を向けた。


「ラクトレイユ……、副協会長。塔の魔術師殿は、私ではないと仰っているようですので、ここは似つかわしい誰かを招いた方がよいのではないでしょうか?」


 そう。

 例えば、自分にちょっかいを駆けてくるほど暇なファルジェ辺りに押し付けるのがよかろう。

 そう思えばこそのしれッとした提案だったのだが、上司は意外と頑固だった。


「もうちょっと喜んでもいいんじゃないかな?」

「副協会長。仕事は膨大で、毎日定時でギリギリ終わらせられるくらいの分量だということをご存じですか?」

「ほぉ。定時で終わらせるのか。やはり私の愛し子は、なかなかに優秀だね。でもダメだよ。これは仕事だからね」

「ですから仕事の余地がどこに」


 さらに言い募ろうとしたのだが、シェイリーンはう、と顔を顰めて口を閉じた。

 ラクトレイユの口の端が面映ゆそうに引き上げられているのを見、さしものシャリーンもゾッと背筋を凍らせる。


「ラクトレ――」

「シェリ。話は最後まで聞くものだよ」


 言いながらラクトレイユは非常に優雅に椅子から立ち上がり移動した。机の縁に指をするりと這わせながらにこやかに、その艶を消した蠱惑的な琥珀の瞳を細めている。


 外見年齢だけをとれば二十後半に見られがちの副協会長なのだが、人外の血を含んでいるため、実はその三倍をゆうに超えていることを知る人間は少ない。その圧は長い年月を経て重ねられた歴戦の魔術師のそれだ。


 軽く威圧を受け、小物であることを自覚しているシェイリーンはわずかにたじろぐ。が、彼がそんなことで「愛しい子」と呼んで庇護を与えている、黒衣の魔女への態度を緩めるはずもなかった。


「お待たせしたね、塔の魔術師。君が探しているという黒衣の魔女を最もよく知る人物が、彼女だよ」


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