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終焉の魔女の暇乞い  作者: 雲井咲穂
第一章
3/58

犬猿の仲の白銀の魔術師が面倒です。

「ファルジェ……」


 名前を呼んだのはリリィだった。うげ、と砂を吐きそうな顔をして、突然現れた青年を睨むようにしている。


 青氷のような鋭い瞳に、明らかな嫌悪を込めて注ぎ返してくる青年がシェイリーンは苦手だった。

 緋色に金を僅かに混ぜたようなの髪の青年は、やや幼さの残る端正な顔立ちをシェイリーンにだけ向け、形のよい唇を不本意そうに開いてこう述べた。


「護衛騎士なしの黒衣の魔女なんて、半人前以下だな。せめて一人で任務をこなせるようになったらどうだ? 役立たずのごく潰しなんて言われてるぞ」


 シェリは片手に持っていたお皿を机の上に置くと、降りかかる火の粉に向けて小首をかしげて冷ややかに微笑んだ。


「それはご忠告ありがとうございます。ですが、ごく潰しでも、内向けの仕事に問題はございませんので」

「外向きの仕事もこなせないくせによく言う。最下位の魔女め。書類係なら邸使い魔で事足りると思うんだが」

「あら? ノースドールの銀獅子と呼ばれる白銀の魔術師であるライテルデュース伯爵子息からそのような舐め切った言葉が出るとは思いませんでした。情報管理も立派な魔術者としての仕事ですよ?」


 ヒッ、と小さく悲鳴を上げたのはリリィだ。


 ノースドールの魔術協会に入りたての時、シェイリーンはただの少女だった。魔術師間で師弟関係よりも厳に重要視される魔術階位の序列やその対応を何も知らずに彼女は協会の門をくぐった。最初は黒衣と言うだけで白い目で見られ、虐げられ、言うに任せることをよしとしていたが、今の彼女はあの時と同じではない。


 人間は経験に学ぶ生き物なのだ。


 そしてシェイリーンは外見の酷薄さとは異なり、ただの大人しい物言わない娘ではなかった。

 ひとたび敵とみなした相手には一切容赦せず、毅然と立ち向かい、必要に応じて辛辣な反論――、というか反撃をする。毎回その線引きが非常にギリギリなので、周囲にいる者はハラハラするのだが、シェリは譲れない部分に関しては絶対に譲らない頑固さを持ち合わせているのだった。


 「黒衣」として魔術協会としての職務を遂行できていないだけで、凄絶な経験値はおそらくファルジェに勝るだろう。彼自身も彼女の経歴を頭に入れてはいるのだろうが、誇り高き直系の魔術師として、そして貴族として許せない何かがあるのかもしれなかった。


「書類仕事だけで一端に仕事をしたつもりになっているのだとしたら、仕事という言葉の意味を作り直さねばならないだろうな」

「まぁ。ライテルデュース伯爵子息は有能でいらっしゃるのですね。魔術の一端を担う言葉の意味ですらお仕事として、その内容を変えようと仰るなんて。お仕事熱心なことでございますね。私もよくよく見習いたいと思います」


 ファルジェの表情が明らかに大きく歪む。だが、シェリは澄ました顔を取り繕ったまま口の端を上げた状態で動かない。しばしの膠着状態が続く中、ファルジェは忌々しいとばかりに視線を逸らした。


「……チッ」


 あ、負けた。


 リリィは隣の椅子でこわばった表情のまま瞬きを繰り返すルーゼリアの横顔を見やったが、彼女も同じように思ったのだろう。ファルジェが苛立ち紛れに息を吐くのを見逃さず、心臓が縮み上がるようだったと詰めていた息を吐いた。


「俺はお前を認めないからな」

「認めていただこうとは思っておりませんので、どうぞ無視してくださって結構です」


 しれッと言い捨てれば、様子を遠目から窺っていた職員の魔術師たちがう、と息を詰まらせて視線をあらぬ方向に向けた。そのままファルジェは返す言葉もないようで、いつものように苛立ち紛れに大股で去っていくのだった。


「相変わらず嫌な奴ね。暇なのかしら」


 心底うっとおしいとその背中を鋭く見やって、食欲が失せたのか再び椅子に座り直したシェリの表情はいつもと同じだった。


 シェイリーンが魔術協会に入ってほどなくしてから始まった、二年と半年にも及ぶ一方的なファルジェの嫌味攻撃も、結局のところ、シェイリーンの心にはなしのつぶてほども効果がないようだった。


 特段の理由もないくせに一方的に突っかかるファルジェの態度は、結局好意の裏返しなのではないかと生暖かな妄想を致す者たちもいるほどなのだが、当人ばかりが知らないというのもまた面白いところではあった。


 ともあれ、藪蛇な上に、触らぬなんとかに祟りなしという状態を周囲が察知して貫いているだけなのである。


「ファ、ファルジェは、その。なんというか。あの、ちょっとかわいそうだよねぇ」


 好きではないが嫌いでもない上位の魔術師がやや哀れで、なんとなく加勢をしてみようかな、と呟いたリリィであったのだが、それはすぐに撃沈する。


「あと半年我慢すれば顔を見ることもないから、それを考えるとせいせいするわね。明日から朝食の時間をちょっとずらしてみようかな」

「あ。え、お。あぁ、うん。ソウダネ」


 それはきっと、すぐに全く無駄になるのだと思うけれど、と零したリリィの頭をルーゼリアが優しく小突いた。


 シェイリーンは知らない。


 ファルジェがいみじくも彼女に毎朝会うために、微妙に朝食の時間を遅らせていることを。突っかかって嫌な顔で反論されるのは毎回なのに、懲りずにやり続けたせいで、シェイリーンから敵認定されている意外と残念な感じのお坊ちゃんなのである。


 幸いにしてシェリにはリリィの呟きは聞こえていなかったようで、彼女はすっかり冷めてしまった珈琲に口を付けた。


 ほのかな苦みの中に、まろやかなミルクの味わいが広がると、後味の悪い思はどこかに流れてしまうようだった。


 茶色の液体を見下ろしながらシェリは今日の予定について思考を巡らせる。


 ファルジェの言う通り書類仕事を中心として請け負っているシェリの毎日は、ほどほどに忙しい。午前中は治癒室へ回復薬がぎっしり詰まった箱を届けないといけないし、それが終わると発注した備品等の決裁書類に不備がないかに目を通し、管財課と経理課に持って行かねばならない。合間に、与えられた雑務をこなし、行政との契約書の最終チェックを兼ねて直属の上司である副協会長のサインをもらいに行かねばならないのだ。


「ここ最近は残業が多かったから、お昼ご飯。食べられるといいなぁ」

「そうだねぇ。ご飯はお腹いっぱい、食べたいよねぇ」

「さて。私たちもそろそろ行くとしようか、リリィ」


 邸使い魔が少しずつ中央の食器や空になりかけた大皿を片付けていくのを横目に見ながら、ルーゼリアがリリィを促す。まったりと口元をニヤケさせてほころんでいたリリィは、春の水色の瞳を大きく開くと慌てたように立ち上がった。


「いっけない。それじゃシェリ。また帰還後に」

「半年以内には帰ってくる目算だけど、超過した場合は手紙を送るから、副協会長に居場所を知らせておくのを忘れないように」

「ぐ。完全逃亡の目論見が」

「無理無理。黒衣だから、どこに行っても捕捉されるのだし、その点についてはもう諦めるんでしょ?」


 カラカラと笑うリリィの表情はどこか寂し気で、どこか朗らかだ。


 魔術者の仕事は危険を伴う。

 どんな小さな仕事も、命が奪われる危険性を孕んでいるのだから、毎度、一期一会の見送りとなってしまう。


 とはいえ、ルーゼリアは護衛騎士でもかなり腕が立つし、そもそも後方支援が主だった仕事である治癒師に危険が及ぶ状況はめったにない。

 もちろん何が起きるかわからない以上、手放しで安心はできないのだが、次の約束を朗らかに取り付けるほどの自信に相応する実力がある人々だ。


「それじゃ二人とも。良い道幸の加護がありますように」


 指先に魔力を迸らせながら、にこやかに告げれば、小さな光の明滅が金の粒子となってリリィとルーゼリアの身体を優しく包み込んだ。


 あわやかで幻想的なその光の粒は、リリィが目を見開いて指先で触れる前にほろほろと溶けるように消えてしまったのだ。けれどもその横のルーゼリアは、頭が痛いと片手で額を覆い深く嘆息した。


「まったく。これでどうして守護騎士がつかないのか、不思議だ」


 友人二人を食堂から出て、通路向こうまで見送ると、シェリはやっぱりもう一つパルフェルミを食べておけばよかったと肩を落とした。


 ぎっしりと廊下の端から端まで敷かれた緋色の豪奢な絨毯の中には、微細な魔術の煌めきが走っている。そろそろ始業時間を知らせるが如く、青色に色変わりをはじめている絨毯迄いる始末だ。昼時には銀杏色に変容するこの代わった絨毯にかけられた魔術の名をシェリは知らない。


「シェリ、いた! 探したぞ」


 パッと呼ばれたその声に、シェリは振り返って顔を向ける。今しがた二人と別れた廊下の向こうから、黒柳の若葉のような髪色の青年が息を切らして走って来た。身に纏うのは青のローブで、術衣に紋様や房飾りは見られない。


 七つ年上のこの彼はリリィたちと同様に黒衣を色と職務で差別しない貴重な青年だった。意思疎通が図れる同僚と称しても良いくらいの付き合いで、シェリも人として彼のことを尊敬していたし、好ましいと思っていた。


「本館の方に来てないから、こっちだろうと思ったけど。朝食は済んだのか?」

「ええ。さっき、リリィたちと一緒に」

「ああ。イェスニールの妹たちか。彼女たちこれから任務だろ?」


 ノースドールに登録されている魔術師の数はそう多くないが、彼はそのすべての職務の内容や任務内容を把握しているらしい。記憶力が良すぎる先輩職員にシェリは軽く頷いた。


「見送り終わったところで、今しがた別れたところなの」

「そうか。少し、寂しくなるなぁ」


 青玉の瞳が印象的な男性は、腕を組んでしみじみと頷いている。いつもは上司である副協会長の執務室に詰めているはずなのだが、どうしてこんな場所にいるのだろうか。


「クレンティ、どうしたの? 急用?」


 シェリより頭一つ半分ほど身長の高いクレンティを見上げながら目を瞬かせれば、彼は静かに首肯した。

 始業時間にはまだやや早いと思うのだが、何か緊急の要件で呼び出しでもあっただろうか、とスケジュールを記憶から手繰り寄せていると、片手をぐっと掴まれる。思いのほかしっかりと握られた強い力に驚いて見上げれば、助けてくれ、と悲痛な叫びを浮かべた表情が目に留まる。


「副協会長が呼んでる。執務室に来るようにって」

「……ラクトレイユが? いったい何の用かしら」


 シェリをこの魔術協会に縫い留める策を弄した、あの一筋縄ではいかない褐色の肌の魔術師が自分を呼んでいるという。信用には足るが、信用しすぎてはいけないことをシェリはよく知っていた。


 そしてそれはまさしく、的確だった。

 


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