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終焉の魔女の暇乞い  作者: 雲井咲穂
第一章
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緑のローブの魔女は友人です。

「シェリ、こっち!」


 友人のリリィが手を振っている。


 リリィは緑のローブを持つ二つ年上の治癒師で、淡い蜂蜜色の髪の春の水色の瞳の女性だ。長い髪を三つ編みに編み取り、結び目の所に赤いリボンをあしらっている。その隣には彼女の護衛騎士のルーゼリアも座っており、はしばみ色の瞳でこちらに淡くにこやかに頷いて見せた。相変わらず見事な夕陽のような赤毛を、かっちりと後頭部でひとくくりにしている。


 シェリは朝食をこんもりと盛った皿とミルクたっぷりの珈琲を手に、さくさく二人の元へ向かった。その足取りは軽やかで、身に纏う黒衣の裾がふわりと揺れる。闇に溶け込むような深い漆黒のケープは、ただの防寒具ではなく、魔術師としての証である。灰銀色の繊細な紋様が織り込まれた生地は、光の加減で鈍く輝きを放ち、その身に魔術の力が宿ることを示している。


 シェリのローブはケープのような動きやすいショート丈で、室内での書類作業や細々とした作業が多いため、仕事着としてはこちらを常用していた。この他に正装と呼ばれる長衣のローブも持つのだが、とんと出番がないまま二年半が経過していた。


「あー。もうちょっとシェリがいなくなっちゃうなんて、さびしぃい」

「こら。リリィ、行儀が悪い」

「だってだって。任務が終わって帰ってきたら、半年過ぎてた、なんてことざらにあるんだもの」


 すっかり食べ終わった食事の皿の合間に滑り込むような形で突っ伏したリリィの頭を、ルーゼリアが軽く叩いた。リリィは唇を尖らせたままの表情でゆっくりと起き上がると、向かいの席に座るようにシェリに指差す。


 濃緑色のノースドールの夏の森と同じような色合いのローブが彼女の魔術階層を示している。最下位の黒衣とは違い、その色は見る者に希望と羨望を与える。最高位の魔術師と同じくらい、治癒の力を持つ緑の魔術者は憧れの職位である。


 淡い銀の紋様が織り込まれているケープには、右胸のあたりに星の瞬きのような細やかな燐光をごくわずかに煌めかせる房飾りと言われる装飾品がある。このことから彼女が緑の中でも金に次ぐ、銀の位階の緑の魔女であるということがわかる。


 さらに称号持ちであることを示す、柊の形状のブローチに滑らかな房が揺れている。

 水色を帯びた銀色の房飾りなので、リリィが水属性の精霊の加護を受けていることを示す。


「二人はこれから任務なの?」


 ルーゼリアの向かい側の椅子を引いて腰かけながら、シェリは皿を机の上に置く。今日の朝食はシェリの大好物のパルフェルミだ。少し苦みのあるキャラメルが間に仕込まれており、表面はカラメルでコーティングされ、粉砂糖がかけられている。生地はパリパリとした層になっていて、中央は割るとふんわりとしている。さらに合間に砕いたナッツが散りばめられていて、苦みのある珈琲とよく合うのだ。


「そうだよ。私とリリィはこれから、南のフィンメルに行く予定なんだ」

「へぇ。いいなぁ。フィンメルか。あそこの飴菓子おいしいんだよねぇ」


 ウへへ、と涎を零すようにシェリが微笑めば、向かいのリリィが呆れたようにため息を零す。


「食いしん坊」

「だって。それしか楽しみないんだもの」


 パリ、と音を立ててパルフェルミを一口サイズに千切ると口の中に放り投げる。もぐもぐと咀嚼するとふわふわとした生地の中に練り込まれた甘味の中にほんのりとした苦みがじわっと広がる。

 至福のひとときにうっとりと頬に片手を当てて目を細めるシェリに、リリィとルーゼリアは顔を見合わせて肩を竦めた。


「食いしん坊なんだから、もうちょっとここに居ればいいのに。生活力のなさは折り紙付きでしょ?」


 じとり、と見咎められて二つ目に手を伸ばしかけたシェリはう、と息が詰まらせた。


「べ、別に。自炊しようと思えばできるし、ここに来るまで一人で暮らしてたし?」

「それはね。あの部屋の状態を綺麗に片づけてから言うべきことだと思うんだけど?」

「ああ! わたしのパルフェルミが!」


 シェリの皿の上からパルフェルミを一つ奪って、リリィはあっという間に口の中に入れてしまった。その様子を悲しみを帯びた瞳で見つめながら、シェリはしょんぼりと肩を落とす。


「どのみち、このノースドールからは出られないんだから、大人しく協会に所属しておけばいいのに」


 びし、と指先で示されて、シェリはさらに視線を逸らした。

 人生、おいしいものをたらふく食べて、のんびり怠惰に好きなことをして暮らしたい、を信条に掲げているのでここで働きたくないなどと言おうものなら、リリィに何と言われるか分かったものではない。


 助け舟を出したのはルーゼリアだった。明るいはしばみ色の瞳を困ったように眇めながら、てきぱきと机の上の皿を一つにまとめていく。それを通りがかった邸使い魔に手渡してから、白い手袋をはめた両手を机の上で組んだ。


「リリィはね、あなたを心配しているんだよ」


 言葉少なだが、温かい友愛が伝わってきてシェリは小さく頷く。


 それはわかっている。


 彼女たちの懸念はもっともで、シェリがこのノースドールの領域から離れられないことを哀れだと思っての言葉だろう。


 黒衣は一度魔術協会に根付くと、契約の期間が切れてもその領域から大きく出ることは許されない囲いの身分となる。それまであちらこちらを旅をしながら好き勝手に生きてきたシェイリーンとしては甚だ制限付きの身分になってしまい煩わしい事この上ないのだが、生存上の理由からどうしても無視するわけにはいかないのだった。


「君にも、いい護衛騎士が見つかればいいんだど」


 申し訳なさそうに眉尻を下げるルーゼリアに、さらにいたたたまれなくなってシェイリーンは食べかけのパンをそっと皿の上に置いた。


 たった一つだが、最も重要な理由。

 それが全てシェイリーンの未来を奪い取っていた。


「護衛騎士……」


「でも護衛騎士が見つかったら、それこそ一生逃げられないわよ。黒衣は野良で生きるなんてできるはずがないんだもの」


 その野良を黒衣を得てから二年続けていた手前、それを知らない友人たちに打ち明けることができずに、シェリは曖昧に微笑んだ。


「魔物にとっての至上のご馳走。何が何でも食べたいってのが、黒衣なんだから。シェイリーンには寿命まで長々と生きてもらうためにも絶対にノースドールから出て行かないでほしいわ」


 魔術協会の四柱の一つであるノースドールの町全体を覆う守護結界は強固だ。それこそ長い歴史を紐解いても、魔物の侵入は許したことがないのだし、普通に暮らしている分には非常に暮らしやすい町でもある。六ケ月にわたる冬の期間と一ケ月の高湿度の雨季を除けば、まさに理想と言ってもよいような過ごしやすい土地環境である。


 街並みも美しく、治安もよく、何よりも食いしん坊のシェリ一番のお気に入りは食べ物がおいしい事である。


「それにしても本当に厄介な契約よね。万年人手不足だから―って、一度協会に所属すると特別な事情がなければ辞めることができないなんて。能力のない半人前は放置するくせに、護衛騎士を得れば一生職員として囲われて、結婚も引っ越しも許可制だなんて。今の時代、信じられない!」

「リリィ。声を小さく」


 シェイリーンはまるで他人事のように聞き流しながら、カップに残った珈琲の揺らめきをじっと見つめた。


 協会に所属することになった当初、シェリは協会長と直属の上司にあたる育ての親から雇用契約に関するいくつかの取り決めの説明を受けた。


 黒衣の試用期間は三年間で、護衛騎士を得るまでは半人前と目される。


 試用期間中に護衛騎士が見つかれば、正規の職員として採用され、以降は終身雇用に切り替わる。とはいえ、一生協会に労働力を捧げなければならないわけではなく、正当な理由があれば退職も可能だし、配置換えの希望は通りやすい。所属の領域における町や村の黒衣の欠員補充として配置される場合もあり、その場合の管轄は行政となる。ただしこれらは、「護衛騎士を得た一人前の黒衣」に該当する契約であり、半人前は対象外なのであった。


 逆に、試用期間中に護衛騎士が見つからない場合は、契約は期間満了を以て解除される。


 これはとんでもない契約を結んでしまったぞ、とシェリは当初思ったのだが、幸か不幸か、協会側の思惑とは異なり、この三年間。正確には二年と半年の期間中、護衛騎士は一人も見つからなかった。


「でもほんと、不思議よねぇ。護衛騎士が、全く見つからないなんて」

「ごく稀に一度専従契約を結んでも、魔力の変質で合わなくなって解除という話は聞くが。それでも全く見つからないというのも珍しい。完全一致でなくとも欠片の守護が繋がっている場合が大部分だし、君の護衛騎士になりたいという者は多くはないが少なくもないと聞いている」


「でも魔力合わせの時に、どうしても合わなかったから、そういうことなんだろう……、とは思うんだけど」

「よほど特異な系統の個性的な魔力なのかもしれない。塔で研究させてほしいと言われる前に、ノースドールに来てよかったと私は思うよ」

「塔なんて絶対にダメだからね! あんな自分のことばっかしか考えてない連中に、うちの可愛いシェリをとられてなるものですか!!」

「リリィ。行儀が悪いよ」


 バァン、と机の上を叩いたリリィを少し強めの口調で窘めて、ルーゼリアはそうだね、とくしゃりとリリィの頭を撫でた。


「ノースドールから出られないのは窮屈だけど、まだ死にたくないし。美味しい物をたくさん食べたいから、そこだけはもう諦めようと思ってるのよね。町の外にさえ出なければ、安全だし。旅行に行きたい場合は、魔術協会に頼んで護衛を付けてもらえばいいし。高いけど……。それに、定住する場合は黒衣の魔女として行政の内向きの仕事をこなすだけで年金がもらえるんだもの」

「年金……」

「まだ若いのに」


 拳をぐっと握りしめて小さくポーズをとるシェリに、リリィとルーゼリアは顔を見合わせた。うら若き年下の乙女が、引きこもり至上主義で肉体労働よりむしろ書類仕事などの卓上実務が向いていることは知っていたが、言うに事欠いて年金目当てとは予想外過ぎて返す言葉が見つからなかったのだ。


 黒衣は魔物にとって何よりのご馳走であるので、結界の外に出るや否や誘蛾灯が如く、花の蜜のように魔物を吸い寄せてしまうという奇妙な魔力の性質があるという。それ故に、黒衣ほど護衛騎士を必要とする魔術者はいない。


 彼ら以外の魔術者は、それぞれの技能に合わせて剣や体術を習得している者も多い為、単一で任務をこなすことも多い。それでも魔術回路を結んで専従の守護者の契約を護衛騎士と交わすのは、危険と隣り合わせの仕事だからに他ならない。


 黒衣は呪いだ、と言ったのは現在外行の任務のため不在である、先輩の黒衣の魔女である。

 まるで籠の中の鳥のようだとは思いつつも、そうでなければ死んでしまうのなら、生きる方に軍配が上がる選択をした方がシェリの心情的には合致する。


「あと半年。それまではおとなしく与えられた務めを果たすわ」


 これはもう、自分ではどうしようもない制約なのだとシェリは瞳を伏せる。


 そもそもの始まりは、自分が目先の欲を優先し、福利厚生のおいしさに契約書の内容をよく確認せずに雇用契約を結んだのが原因だった。


 これまで護衛騎士がいないながら、死にもせず、生きながらえていたという幸運による驕りがあったのかもしれない、とシェリは自省した。


 その諦観に似た気配を察した友人二人の表情はやっぱり、どうあっても晴れないようだった。


 せっかくの朝食を重苦しい気配で終わらせるなどとはもったいなくて、リリィに奪われた分のパルフェルミをおかわりしに行こうと席を立ちあがりかけた時だった。


 ふ、と視界に翳るように影がかかる。


 つと見上げれば、白銀に緋色の紋様が美しく描かれているローブが視界にさっと入り、シェリは不快感を隠そうともせずにそれを見上げた。


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