物の尺度と臨機応変の天秤(1)
旅費に関してはグラゼファン預かりとなることが決まり、シェイリーンとしては安堵して引き渡しを見届けたのだが、財布を預かっていた最も高位の魔術師殿が猛烈にふてくされてしまった。
全く面倒くさい事である。
至急の出発だったため、ざっくりとしか説明されていない目的地とその概要。アゼハたちの身に何が起きたのかに関して、もう少し深く聞いておいた方がよい、ということでシェイリーンはヘイリルと町にある大衆食堂で向かい合っていた。
昼手前の出発となるため、簡単な軽食を取り、携帯食などを調達してから次の町へ向かう予定なのだが。
「荷替え、荒れそうだなぁ」
アハハ、と乾いた笑いを漏らしながら、ヘイリルが透明なコップを手に取った。
ほっそりとした面立ちに、焦がしたキャラメル色の髪を後頭部で一つ結びをしている髪形が、なんとなく友人の一人を思い出させ、アゼハを挟んで何度か会話したこともあり、彼には今回のメンバーの中で最も信頼を寄せていた。
シェイリーンは食堂に漂う実においしそうな香りを軽く吸い込みながら、「ソウデスネ」と片言で応じた。
荷造りをして出立したはずなのに、出発からまたすぐに荷造りだなんて、彼らはいったい何を考えているのだと不満が滲む。
とはいえ、自分の常識が他人の非常識だということもある。
認識の齟齬はこれから少しずつ調整するとして、一般的にはどのように捉えた方がよいのか、シェイリーンは護衛騎士として経験豊富なヘイリルに聞いてみることにした。
「ヘイリル。あれは普通のことなの?」
広すぎず狭すぎない程よい広さの食堂は、端々に人の明るい言葉のやり取りが行き交っている。運ばれる料理が白い湯気を上げて渡っていくのを物欲しそうに見やりながら、シェリはちらりと尋ねた。
ヘイリルはその心中を察したかのように困ったように微笑んで、言うべきかどうしようか迷った後、片目を泳がせて頷いた。
「あれが通常仕様だよ。特に高位はね」
「うそでしょ……」
やってしまったというべきか。常識というか、通例がわかっていなかったのはシェリの方だったのだ。まさかあんな煌びやかな衣装をきっちり仕込んで任務に就いているだなんて思わなかった。
「でも、リリィたちはもうちょっと質素だったと思うのだけど」
数日前、南の方に旅立った友人の緑の魔女は、確かに仕事用のローブを着てはいたがヴェルゼイム達ほど華やかな衣装ではなかった。ローブだってケープほどのショート丈で、彼らほど盛られてはいなかった。護衛騎士であるルーゼリアも同様だ。
「彼女たちはまぁ、涼しくて身動きのしやすい服装の方がいいだろうね。どこに行くのか聞いたかい?」
「メフィス……あ」
そうか、彼女たちがこれから赴くのは南の方だ。
「あの場所はノースドールとは真逆の気候だと聞いている。都市部にはある程度、気温を調整する魔術がかけられているが、外気との差がありすぎると体調を崩しやすくなるため、そのあたりを加味しつつバランスを取っているらしい」
「じゃ、じゃぁ。私が無理くり衣装替えを要求したのは――」
これでは加害者は間違いなくシェイリーンの方である。
後で謝っておかねば、と思っているとヘイリルが片眉を跳ね上げた。
「いや。あれは正しいと思うね」
彼はコップに軽く口を付けて水を嚥下した後、シェイリーンを宥めるように笑った。
「魔術者の正装、術衣と呼ばれるローブは持ち主の魔力を帯びているから、君が先ほど言ったように鼻のいい魔物によってはその香りから居場所を特定する者もいる。高位の魔術者が正装をしてその辺を歩いても無事なのは、本人が危機対処の能力に長けているか、守護する騎士の存在によるところが大きいだろうね」
つまりトラブルに遭遇しても対処できるだけの能力を持っている人か、護衛が対処できるレベルであったからこそ、高位は堂々と術衣でもあるローブを身に着けてその辺を歩くことができるのだという。
「彼らとて自分の魔力の性質を理解しているだろうし、魔物が何を好むのか熟知しているだろうからね。だから君にも定期的に守護と目くらましをかけているともいえる」
「……」
シェイリーンは薄く汚れた浅緑色の外套をふわっと広げた。長い旅の間で使い込んできたせいでややくたびれた感はあるのだが、何の変哲もない普通素材のこの外套には、高位の魔術師それぞれの守護の術がかけられている。一日ほどで効力がなくなってしまうので、定期的にかけ直さねばならないというのが厄介だった。
しかも仕事で仕方なくとはいえ、明らかにこちらを嫌っている風の二人の魔術師に恩を作る感じでかなり気まずい。これは早々に別の手段に変更すべきだと、シェイリーンは心の底で固く決心した。
「とはいえ、黒衣は魔物にとってはご馳走だから、身の保身を図るべきなら、まず真っ先に君の守りを鉄壁にした方がいいのは間違いないし。正直、忖度なしに言わせてもらえば、あの衣装はどうかと思う」
ズバッと切り捨てるように言い放ったヘイリルの言葉にシェイリーンが目を剥いていると、彼は困ったように眉を下げた。
「悪い。うっかり本音が。アゼハにはもう少し考えてから言うべきだと何度も窘められたんだよね」
「アゼハなら言いそう」
やや思いつめるような表情をしていたシェイリーンの顔が少しほぐれたのを見計らい、ヘイリルは安心させるように頷いた。
「そうだね。……さて。何から話そうか」
料理を注文してから机に並ぶまでには時間がある。 その間に聞きたいことがあるのだと、食事にヘイリルを誘ったのはシェイリーンである。
シェイリーンは透明なグラスに視線を向けた後、何から問うべきかを考え、やはり一番の気がかりである「そもそもの調査内容」について尋ねることにした。
「遺跡の調査に向かったと聞きましたが、具体的にはどの場所の、何の遺跡だったのですか?」
業務的な内容になってしまうので、ついつい敬語になってしまうのは致し方ない。ヘイリルも気にしないというように頷いた。




