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終焉の魔女の暇乞い  作者: 雲井咲穂
第一章
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黒衣の魔女



 ノースドールの濃い緑の針葉樹は、幾重にも降り積もった粉砂糖のような雪を抱き、冷たく鬱屈とした静寂の中に佇んでいた。


 冬の終わりに差し掛かりながらも今季一番の冷え込みとなった朝。群青の空が白々と明け、そこここに淡い藤色を帯びた静かな空気の層が広がっている。

 特にこの時間帯のノースドールの空は、世界のどの風景よりも美しいとされていた。


 なだらかな稜線を描きながら海へと伸びる緑豊かな土地には、森をかき分けて整地された土地に沿って色とりどりの三角屋根の家々が整然と並んでいる。


 景観を損なわぬよう、外壁には屋根色と同じ枠組みが施され、小さな窓が可愛らしく並んでいた。それぞれの家の玄関は屋根の色と統一され、隣家との境界には白い柵が設けられている。ごく稀に屋根色を反映した柵が見られるが、それは勝手口であることを示すための特例だった。


 各家の敷地には丁寧に手入れされた樹木や低木が植えられ、冬でも咲く淡い紫や銀水色の花々が雪を纏いながらも凛とした彩りを添えている。海運の要所として古くから発展してきたノースドールは、海の気配とともに歴史を宿した町だった。


 丘の麓には壮麗な教会がそびえ立ち、鐘楼の金と白の塔が長い年月を映すように輝いている。大扉の上部には、この世界の創造主である女神フェースニールの六枚羽の翼を象った荘厳なレリーフが施され、白い砂地煉瓦の壁に深みを与えていた。


 教会脇の細道を下り、港の方角へ足を向ければ、やがて石畳が敷かれた商業区へと至る。坂の多いノースドールでは、なだらかな傾斜に沿って、商店を一階に構えた三階建ての住居が軒を連ねていた。そこまで来ると、この土地特有の冷たく湿った風が海の香りを運んでくる。その香りは「ねっとりと塩っぽい」と評されることもあったが、土地の人々にとっては季節の移ろいを感じる大切な指標でもあった。


 等間隔に設置された魔術灯が柔らかく灯る商業区の石畳をさらに下れば、やがて赤煉瓦造りの町で最も大きな建物が姿を現す。それは裁判所を併設する行政施設であり、その外には騎士の詰め所が隣接していた。似たような外観の建物が連なるため、遠目には一つの大きな建造物のように見えるのだった。


 それを右手に、大通りに沿って直線にしばらく通り過ぎると、淡く光るような光彩を帯びる白亜の建物が周囲の空間を圧倒するように姿を現す。


 外周は喬木の植え込みと黒いアイアンフェンスで囲まれ、重厚な正面門の前には、警備用の石人形が配置されている。


 入り口には表札も、建物の名称を示す看板も存在しない。

 しかし、町の者なら誰もが知っている。


 こここそが、ノースドールの魔術協会であることを。


 まだ肌を刺す冬の名残を感じさせる冷たい海風が建物の合間を吹き抜ける中、シェイリーン――通称シェリ――は暖かな灯りが漏れる職員専用の食堂へと足を踏み入れた。


 天井から降り注ぐ明るい橙色の光が、シェリの冬の森の凍えるような湖の青緑色と称される瞳に、明るい喜色を灯す。角度によって青にも緑にも見える鮮やかで透き通るような色彩なのに、人によって好ましくないと思われてしまうのは、様変わりする美しい瞳が玻璃硝子のように繊細な中に強い光を滲ませているからだろう。


 気弱な人間と思って近づけば、痛い目を見るということを知っている人などは、シェリの瞳に絡め捕られる前に視線を逸らすのだ。


 今日もとてつもなくいい香りがするぞ、と鼻歌交じりににんまり微笑んで進んでいけば、パッとこちらに視線を向けていた幾人かが視線を逸らし、こそこそとシェリに背を向けて隣り合う人物に何かを耳打ちしている。


(相変わらず、いつも通りの反応ね。時間がたってもこればかりはどうしようもなく変わらない)


 シェリは黒衣の魔女である。


 黒衣、というのはローブの色でもあるが魔術者の階位を示す重要な色彩だ。

 最上位に朱金、白銀。その下に紫、赤、青が並び、癒し手の魔術者に限定して緑のローブを与える魔術社会において、黒衣というのはその最も下位にあたる。「黒」と言えば最下位の、と呼ばれる色彩である。


 とはいえ厄介なのは魔術社会の決まり事である。最も忌避され忌み嫌われている黒色の衣を持つ魔術者ではあるが、最も稀有で最も必要とされている需要多き職位と言われている。


 なぜなら、黒衣の魔術者の職務は「葬送」であるからだ。


 生あるからには必ず死を迎える。教会に属する司祭は儀式として儀礼的に葬儀を執り行うが、実質的に葬送の役割を担うのは黒衣の魔術者の役割である。黒衣の階位の魔術者は、魔物に生者の魂を奪われないようにその稀有な力を行使するという特別な領域の仕事があった。


 死と接する黒衣の魔術者。

 それが、「黒衣」が意味するところだ。


 人は穢れを厭うが、その中でも黒衣に対する蔑みは異様で、時代を経て少しずつ緩和されてきてはいるが、高位魔術者で高位貴族の血を引く人物にとっては未だに「汚らわしい呪われた存在」と認識されている。


 なお、魔術を行使する者たち全体を示して「魔術者」称する。呼び名の区分は性別によって異なり、生まれついての性別が女性の場合は「魔女」。男性の場合は「魔術師」となる。


 シェリは黒衣の職位を持つ女性の魔術者であるので、黒衣の魔女と呼ばれていた。


 ここに来てからもうすぐ三年。


 最初は「黒衣」というだけで単に蔑まれることにショックを受け、落ち込んだりもしたのだが、年月は人を図太く成長させてくれるらしかった。

 好意的な人ばかりでないというのも集団を構成する要素の一部で、自分の思い通りに他人を変えることはできないのだから、仕方のない事なのだろう。


「黒衣のシェイリーン。お皿をどうぞ」

「ありがとう」


 黒衣の魔女らしいと称される、夜明け色の淡い紫を帯びた白銀の髪を揺らし、シェリは給仕の邸使い魔に差し出された皿を受け取った。


 白地に縁にかけて青と金の樹木の紋様が折り重なりながら描かれている優美な皿である。ややサイズが他の人より大きめなのは、シェイリーンが毎朝寮の食事をとても楽しみにしており、さらにたっぷり摂ることを知っている邸使い魔の心遣いによるものだった。


「今日は何を食べようかなぁ」


 声を弾ませながら、シェイリーンは足をすすめる。


 食堂の内部は広々としており、天井から吊るされたシャンデリアが柔らかな光を落としている。壁沿いには豪奢な木彫りの装飾が施され、中央には様々な料理がこんもり盛られた長いテーブルが置かれていた。どれもが魔術によってちょうど食べごろの温度に管理されている。


 焼き立てのパンの香りの中に旨味油の染み出るハムやベーコンの香りが連なり、さらには甘い果実の香りが結び付き、食堂は朗らかな明るい声に賑わっていた。協会に属する職員たちが思い思いに食事を取り、あちらこちらで談笑をしながら食事をする姿が見られる。


 先ほど、入り口付近にいたのは、ノースドールの魔術協会の中でもかなり腕利きの上位の称号持ちの魔術師とその護衛騎士達だった。黒衣のくせにさしたる仕事も働きもせず、のうのうとこの数年間のんびりと協会内でぬくぬく暮らしているシェリという存在が気に入らない人々なのだろう。


 シェリとて好き好んで閑職をほしいままにしているわけではない。


 黒衣の魔女としての仕事はあるが、遂行できない切実な理由があるのだった。


 彼らもそれを頭では理解しているのだろうが、感情の部分ではそうでないのだろう。


 直接面倒くさい手札を駆使して向かってこられる分には、降りかかる火の粉を追い払うくらいの処世術は心得ているが、ポコポコと湧いて出るような悪意にいちいち気をとられていては様々な波をこさえてしまうことになる。


 ここは大人の態度を見せるべきだ、というのがシェリの持論だった。


 お気に入りの菓子パンをこんもりと皿に載せ終わると、シェリはふと顔を上げた。

 開放感のある白枠の窓を覆う薄く引かれたレースのカーテンから朝の柔らかな光が入り込んでいる。明るい窓辺の光を背景に、こちらに向けてにこにこと片手を上げる緑のローブの女性がいた。



毎日21時ごろ更新予定です。

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よろしくお願い致します!


本日は初回掲載なので3話掲載です。

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